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秋の話 13


「……」


 桐人の様子がおかしい。

 先ほどまで全く動かせなかった三咲の体が、若干のコントロールを取り戻している。それを察したのか、捉えられていた男は、三咲の手に噛みついた。痛みに思わず手を放す。

 瞬間、氷坂は戦闘態勢に入った。

 体の主導がほぼ三咲に戻っていたのを察し、野狐を逃がしはしないと跳躍する。

が、瞬時に桐人の手によって日本刀が引き抜かれた。そのまま野狐を一太刀のもと、切り裂く。


「……!」


 野狐は音もなく、倉庫の床にどさりと倒れこんだ。普段包丁で切る鶏肉や魚とは違う、不思議な感触が三咲の手に残る。


「……悪いけど、君を帰すわけにいかん」

「……それは御霊、の形骸か……掟すら守れぬ、卑怯者が、……このままで、済むと思うな……」


 男はくぐもった声でそう呟き、やがて動かなくなった。

 次第に彼の体が薄くなり、その端から細やかな砂となって消えていく。先ほどの桐人が現れた時とは様子と違ったことから、この人は消滅してしまったのではないか、と気づき三咲はぞっとした。

 刀を鞘に戻すと、桐人は体の主導を三咲に戻した。突然のことに体ががくりと傾く。なんとか踏みとどまって前を見ると、桐人がいつもの面をかぶったままそこにいた。


 あの、と声を掛けようとすると、三咲を放置して倉庫を出ようとする。

 慌てて追いかけて腕を掴んだ。


「……桐人!」

「……」


 こちらを振り返らない桐人に、何を言えばよいのか、三咲の中で言葉が宙に浮く。


「あれは結局、なんだったの?」

「狐……それも神使見習や。野狐とは違う」

「神使見習……」


 殺したの? 神使見習を?

 普段の桐人と、先ほどの行動がどうしても結びつかず、再び言葉が泳ぐ。

 何か、何か言わないと。


 だがその思いもむなしく、桐人は三咲の手をそっと振りほどくと、倉庫から出て行ってしまった。





「とりあえず、寝かしときますけど」

「え、あ、うん……」


 氷坂に呼ばれて振り返ると、麻中と秋武らをマットに並べているところだった。

 亘理の姿のまま、床に転がっている男たちをひょいひょいと隅に寄せていく氷坂に、三咲は静かに声をかける。


「さっきのが憑依なんだね……」

「はい。普通はそう簡単に憑依出来ないんですけど、貴方は彼の【シタ】ですし」

「うん、なんか、すごい不思議な感じだった……」


 亘理はいつもこんな感覚を味わっているのだろうか。

 考え込んでしまった三咲をちらと見て、氷坂はふうんと手を口元に添える。


「変化も簡単にしていましたからね。あれは寄方(よりかた)クラスに近いんじゃないですか」


 変化。亘理に化けていたあれのことだろうか。

 確かに傍目には、まったく分からなかった。


「寄方って?」

「狐のランクみたいなものです。御先稲荷の中だけですけど」

「……さっきの人も、御先って言ってたけど、御先って何……?」

「御先は御先稲荷。神に仕える狐のことです」

「桐人も、御先稲荷、だよね……」


 なるほど、確かに桐人は自分を神使と言った。

 だがどう見ても冬木から出てきた狐は、桐人のことを良く思っていないようだった。桐人は神使では、御先ではないのだろうか。


「力としてはそれに近いでしょうね。でも彼はヒトキリでしょう?」

「……ヒトキリ?」

「ヒトを殺した狐のことです」


 人を殺した?

 聞きなれない言葉にぞっと背を震わせる。

 あの桐人が人を殺した。そんな、馬鹿な。


「昔噂で聞いたことがあります。自らが守るべき五摂家の人間を殺した御先がいると」

「五摂家って……?」

「天狐と言われる位の高い狐を出せる家柄のことです。当時その家の護衛に入っていた扇森の御先が、ある日突然彼らを殺してしまったのだと」

「で、でも、それが桐人と決まったわけじゃ……」

「ヒトキリはめったにいません。俺の聞く噂が確かであれば、五摂家・扇森の長男がそれであったはずです。しかもそれだけではありません、彼は自分の家の『御霊』を盗んだいう噂を聞いたことがあります」

「御霊……?」

「狐の家ごとに祀られている、神威の源です。刀、鏡といった神器に封じられていて、白狐たちは一族かけてそれを守り続けています」


 人間でいうところの家宝のようなものだろうか。

 そういえば、相手は桐人の刀を見て「御霊の形骸」と呼んでいた気がする。


「俺も以前対峙した時に思いましたが、あの日本刀は『空っぽ』です。おそらく中に御霊は入っていない」

「ど、どこにいっちゃったの?」

「御霊は力の塊です。おそらく何か強力な術を使うため――例えば自身より強い相手を殺すために、使ってしまったというのが普通でしょう。それこそ……天狐候補とか」

「……そんな」

「ともかく、そうした色々な原因が重なって、扇森の家から絶縁されたと聞いています」


(――掟すら守れぬ、卑怯者が)


 消えゆく彼がそう呟いたのを思い出す。それと同時に三咲は、言いようのない不安のような、予感のようなものを抱えていた。


「とりあえず、早いところこの場を収めなければ。亘理が中で騒いでいます」

「そ、そうだね。みんな気絶しちゃってるけど……」

「おそらく狐に憑かれていたのはリーダー格の彼女だけでしょう。あとは歪んだ神威に当てられただけというか」


 言いながら、氷坂は左手の腹を目の下の傷に添えた。血がにじむかのように赤く染まり、二三瞬くと、入れ替わった亘理が疲れたように笑った。


「はあ……はらはらした」

「ごめんね、巻き込んじゃって」

「ううん。校舎裏を必死に走っているのが見えたから、つい」


 かくいう亘理も神友祭には来たものの、また迷惑をかけるかも、とクラス展示に行くか行くまいか悩んでいたところ、倉庫に向かって一直線に走る三咲を見つけた、とのことだった。

 慌てて追いかけてみればこの事態。なんとも災難である。


「でも三咲ちゃんが無事でよかった」

「うん……ありがとう」


 そして二人は、この死屍累々の現場をどうしたものかと頭を傾げるのであった。



 

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