秋の話 10
午後四時前、体育館のステージの裏。三咲は今までにないほどの冷や汗をかいていた。
その様子にあっけらかんと麻中が笑う。
「だーいじょうぶだって、めっちゃ可愛いから」
「でも、あの、お客さんが、いっぱい……」
「いいじゃん、おどかしてやんなよ」
結局ヘアセットフルメイク、衣装まで完璧に準備されてしまい、逃げる余地もなくミスコンに出る羽目になってしまった。
にししと笑う麻中の携帯が短く震える。その画面を確認し、あ、と声を上げた。
「なんか、クラスの人が足りなくてやばいんだって。あたしちょっと倉庫に材料取りに行ってくるー」
「えっちょっ待っ」
「ここまで来たらだいじょーぶだいじょーぶ! 頑張って!」
倉庫ならむしろ自分が行きますが! という隙もなく、麻中は可愛らしいガッツポーズを見せつけた後、倉庫へ走って行ってしまった。
残された三咲は一層顔色を青くする。
正直逃げたい。
だがここで逃げたらせっかく衣装を作ってくれた麻中や、嬉しそうな蓮の顔をつぶすことになる。……出たところで、恥をかくだけなのも分かっているが。
「次、尾崎さん」
「は、はい……」
こうなったら腹をくくって行くしかない。さっと行って、さっと帰るだけだ。
だが、うぬぬと苦悶の表情を浮かべる三咲に、生徒会のスタッフは驚くべきことを言い出した。
「あれ、相手役は?」
「……はい?」
「相手役。ほら今回のミスコンは女子ひとりとそのリード役の男子、ペアでお願いしてるはずなんだけど」
「……はい?」
そういえばそんなことを聞いたような聞かなかったような。
いや、冬木が自分で当たるからと言って、男子は決めなかった気がする。そうだ。言ってた。委員長言ってたよ。
(ど、どうしよう……)
教室に帰って誰かにお願いするか、いや、今向こうも人が足りなくて大変なはずだ。
だがこのまま帰ったら蓮と麻中がどれだけ落ち込むことか。
とりあえず登壇だけはしなければ、と悩む三咲に対し、スタッフはリード役がいないことに焦っているようだった。
「とりあえず、誰かリード役を探してきてよ」
「そ、そうは言われましても、そんな急に……」
「――それ、おれでも大丈夫ですか?」
関係者しかいないと思われたそこに、突然割り入った声。
その声に三咲は聞き覚えがあり、嫌な予感を感じて振り返る。案の定だ。
「君は他校生? うん、全然大丈夫だよ。じゃあほらほら、順番来ちゃうからさっさと並んで」
スタッフも救世主の登場にこれ幸いと二人の背中を押す。
あれよあれよという間にスポットライトの当たるステージ上に、三咲は投げ出されてしまった。
(……!)
恐る恐る足を進める。
ふわりと足元に舞うのは白く繊細なレースの縁取り。アクセントにシンプルなリボンが踊る。膝丈に揃えられた白いワンピースは、女性らしい清純さを遺憾なく発揮していた。
上は五分丈のバルーン袖になっており、肘から下、白く長い手指をとても綺麗に映し出す。これがまさか一時間で作ったものだとは誰も思うまい。
髪は上品に編み込まれたアップスタイル。振りかけられたラメは光を乱反射し、三咲の顔をより輝かせた。
透き通るような肌に魅惑的な唇。少し不安げな視線と共に揺れる長い睫。文句のない美少女の登場に会場が沸く。
どこかから「誰?」「うそー!」と驚くような声も聞こえる。普段の三咲を知らない人だろうか。
だがそれ以上に、黄色い歓声がそこかしこから上がった。
原因は隣にいる『これ』のせいだ。
「……なんで、ここに」
「だって、今日一般公開の日だし……」
ごめん、としょげてみせる亘理に、感謝とも動揺ともいえない感情がない交ぜになる。
リード役に立候補してもらえたことは大変ありがたいが、この姿を見られるのは非常に恥ずかしかった。
幸運なことにこの幼馴染は、突然リード役に抜擢されたとしても、十分すぎる顔面を持っていた。普段の私服なのか、白いシャツに紺色のカーディガン、チノパンという至ってシンプルな格好なのに、それすら選び抜かれた衣装のように見える。
加えてこの爽やかな笑顔。会場中の誰が、これが急造のリード役だと分かろうか。
にわかに盛り上がる会場の様子を受けて、司会者も嬉しそうに話しかける。
「えーと次は三年五組の尾崎三咲さん。と、お相手は……」
「北明高校三年、貴船亘理です。尾崎さんとは幼馴染で――」
インタビューにすらすらと答えていく亘理。
既にキャパシティを超え、頭の中が真白になっている三咲をよそに、どんどん質問を消化していく。
「え、じゃあ二人はもしかして、付き合ってるの?」
「いえ、そんな……まあ、いつか約束を思い出してくれたらと思うことはありますけど、……彼女が決めることなので」
「そうなんですね~ありがとうございましたー!」
結局一言も発さないまま、三咲の出番は終わった。
もはや気力だけで壇上から降りると、裏でぐたりと壁にもたれかかる。
終わった。とにかく終わったぞ。
「お疲れ様」
「あ、うん……亘理もありがとね」
「おれは別に。たまたまここに来ただけだし」
亘理のへらと笑う姿に、三咲も少しだけいつもの調子を取り戻す。結果はどうであれ、とりあえずきちんとステージには上がった。二人にもきちんと顔向けできる。
「それ、似合うね」
「私のじゃないの……でもよもちゃんが作ってくれた、大切な衣装だから……」
「もっとよく見せてよ」
ええ、と一瞬困惑するが、リード役を受けてもらった礼もある。恥ずかしかったが一度だけ、亘理の目の前でくるりと回ってみせた。白い裾が優雅に踊り、少し遅れて彼女の体に巻き付く。
亘理が小さい声で「かわいい」とつぶやくのが聞こえて、三咲は思わず顔を伏せた。だが、次の瞬間三咲ははっと何かを思い出したかのように体を起こす。
「こんなことしてる場合じゃなかった……」
「えっ?」
「クラスに戻らなきゃ。人手が足りないって言ってた!」
「それはまずいね。行こうか」
うん、と返事をし、その恰好のまま教室へ向かう三咲の後を亘理が追う。
その顔にわずかな笑みを浮かべながら。




