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夏の話 3


 すっかり暗くなってしまった家路につき、玄関の前に立つ。

 落ち着いたはずの心拍が再び早まり、軽い嘔吐感がこみあげてくる。どうしよう。遅くなってしまった。手に握られたスーパーのビニールがくしゃりと音を立てた。


「すみません、おそくなりました……」


 玄関に明かりは付いておらず、リビングのドアから、賑やかなテレビの音と機械的なガヤの笑い声が漏れ出しており、更に胃が縮まった。

 台所に行くにはリビングを横切るしかなく、仕方なくそのドアを開ける。出来るだけ音をたてないようにそうっと足を踏み入れたが、雑音の中を射貫くように、冷たい女性の声が三咲に刺さった。


「……なにやってたの」

「……」

「あんたが帰ってこないから、あたしが夕飯作らないといけなくなったじゃない」


 やっぱりだめか。

 今日は叔父さんが出張に出ている日だから覚悟はしていたが、ここまで遅くなるのは自分でも予想外だった。ソファに埋もれたその人物は、こちらを見ることもなく、なおも言葉を続ける。


「あたしに迷惑かけないでって言ったよね」

「す、すみません……」

「あーもーほんとあんたってうじうじしてるよね」

「……」

「ねーさんとは大違い。まあそれももういないけどー」


 気道に苦くて重いものがこみあげてくる。

 だめだ。我慢しなくては。


 ぐらぐらと歪む視界を堪えながら、出来るだけ静かに台所へ向かう。

 リビングと台所を仕切る扉を閉め、ほうと息をつく。案の定、流し台には二人分の食器が下げられたまま放置されていた。

 基本的にこの家の食事は三咲が作っているのだが、叔父さんがいない時や三咲の帰りが遅くなった時など、叔母が作ることもある。その場合、彼女の分は用意されない。


 五年前に引き取られて以来、ずっとこんな感じだ。


 家の食材を使うと怒られてしまうので、スーパーで自分用に買ってきたものでこそこそと自分の分の夕飯を作る。だが包丁や火をつける音など、それ自体も面白くなかったのか、叔母は更にとげとげしく、扉の向こうから三咲を非難した。


「あんたの金で作んのはいいけど、ちゃんと片付けしてよね。大体あんたが作るのって煮物とか佃煮とかババ臭いのよ」

「はい……すみません」


 早くこの部屋から離れたい、と簡単に炒めたきんぴらとおにぎり、味噌だまを溶かしただけの味噌汁を飲む。本当はコンビニのお弁当などで済ました方が楽なのだが、無駄遣いと怒られることもあるし、なにより祖母の教えが頭をよぎるのだ。


(――みさきちゃん、ごはんはちゃんと作って食べること。そしたら元気がでるからね)


「……」


 泣いてはだめだと、出来るだけ心を殺す。

 いつもより塩味の濃いおにぎりを、こっそりとかじる。だめだ。泣き声が聞こえたら、またあの人に怒られてしまう。

 だが涙腺は言うことを聞かず、ぐずぐずと鼻の奥が泣き出した。ごまかそうと味噌汁に手を伸ばすが、なぜかお椀がない。


「……?」

「また泣いてんのブサイク」


 真っ赤になった目をあげるとそこには、綺麗な顔の男の子が立っていた。

 元々色素が薄かったのに、更に色を抜いて今は白に近い金髪。目は生来の緑がかった琥珀色のままだ。肌は白く、顔は人形のように整っている。三咲よりも細い腰回りの一方で、しっかりとした輪郭や手の甲、首筋などは完全に男性のそれだ。


 彼は慣れた様子で三咲の作った味噌汁をずず、と飲み干してしまった。あ、と思う間もなく次はきんぴらをつまんでいる。


「あの、えっと……それ……」

「おかわりは? ないの?」

「あ、ありますけど……」


 ん、と差し出されたお椀にもう一杯味噌汁を作り手渡す。再びあっという間に飲み干したかと思うと、優雅な所作でことんと両手で椀を置いた。

 突然のことにきょとんとした三咲を見、やや不機嫌そうな様子で返す。


「なに」

「いや、その、蓮くんがなんで台所に、と……」

「は? 別に」


 不機嫌にそう言いながら、蓮と呼ばれた彼は冷蔵庫に入っていたお皿を取り出した。

 お店のお惣菜だろうか、唐揚げがいくつか乗っている。ラップがかけられたそれをレンジに入れたかと思うと、あっと言う間に三咲の前には温かい唐揚げが現れた。蓮はすとんとダイニングの椅子に座りなおすと、温まったそれをぱくりと箸でつまんで食べ始める。


「今日の残り。腹が減ったから食べに来ただけだし」

「は、はあ……」

「あんたみたいなブサイクが泣きながら目の前にいたら、飯がまずくなんの。わかる?」

「そ、そうですよね……」


 しょげ、と更に縮こまった三咲を前に、蓮は一瞬しまったという顔をしたが、彼女はそれには気づかなかった。うつむき、とにかく早く食事を終えようとする三咲を前に、蓮はいらいらと言葉を続ける。


「だいたいさーその体何なの? もうちょっと痩せれば? ブサイクな上にデブとかありえないんだけど」

「……」

「ぼくのいとこがこんなじゃ、モデル仲間からも何言われるかわかんないし、それに――」

「……ご、ごちそうさまでした……」

「あっちょっと、まだ……」


 いたたまれなくなり、逃げるように食器を流し台に運ぶ。流れるような仕草で自分の分と、ついでに残されていた二人分の食器も洗ってバタバタと台所を後にした。

 残された蓮は立ち上がったものの、三咲を追うことは躊躇われたのか、ぺたりと椅子に座りなおした。大皿にはまだ唐揚げがいくつも残っている。


「……唐揚げ、食べればいいのに」


 ふん、と誰に聞かせるでもない強がりをこぼしながら、蓮は一人の食卓で寂しそうに箸を伸ばした。






 一階の隅にある部屋へようやく逃げ込む。

 そこは三咲の部屋として割り当てられた場所であったが、元々は物置代わりに使用していたらしく、彼女のものではない家具やベッドが部屋の半分以上を占拠していた。

 その僅かな一角に、彼女のものとして持ってきた布団がたたまれている。


 室内着に着替え、明日の学校の準備をする。先ほどのことといい、明日の学校といい、考えを巡らせるだけで陰鬱な、重苦しい感情に囚われてしまう。

 窓ガラスに映った自分を見る。お世辞にも細いとは言えない、脂肪の付いた体。手入れのない黒髪は今もぼさぼさのままになっている。


「……」


 ここに引き取られて、頑張っていくつもりだった。

 だが、慣れることのない痛みが、ある。


 明日は早く起きて、叔母さんが起きる前にシャワーを浴びないと。お弁当もつくれるかどうか、と考える。叔父がいるうちは、叔母も目立った贔屓はしないのだが、あいにくの長期出張だ。うまく乗り越えていくしかない。


 再び胸にヒュッとした痛みが走る。最近は眠れない夜も多かったのだが、今日は何故か途方もない眠気がすぐに襲ってきて、意識が途切れ途切れになっていくのを感じた。

 何故、こんなに、思考がまとまらないのか。そうか。



(……石段、つかれた……)


 すう、と天井に意識が吸い込まれたかのように、眠りが彼女の中を満たしていった。


 

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