秋の話 2
「おわーり!」
とう、と最後の石段を飛び、地面に着地する。新学期が始まったので、往復の回数は少し減少。開始時間も下がったので、出来るだけ早めに終わらせる必要があった。
以前はへとへとになっていた石段上りであったが、ここ最近では随分と楽にこなせるようになってきた。とはいえ、けして楽な修行量ではない。
今日は叔父が帰ってくることも聞いた。しばらく家にいるそうだから、叔母がわかりやすく三咲に当たり散らすことはないだろう。
あらためて自分の足を見る。言われてみれば以前よりは細いような気もする。移動するのに息切れも少なくなったし、……と考えるが、そこで思考を留めた。
だめだ。調子に乗れば、また嫌な思いをする。
自分は出来るだけ、大人しく、目立たなくしておかないと。
「なんや、暗いな」
「桐人!」
突然の声に三咲は思わず振り返る。今までさんざん顔を出さなかった桐人が、ちゃっかり石段の途中に座って、こちらに片手をあげた。よ、じゃないよ!
「あ、その、この前は、……って言っても随分前だけど、勝手に神社に来ちゃってご迷惑をおかけ」
「あーやかまし。黙りや」
「え、あ、はい……」
ごめんなさい、と謝りながらしゅんと肩を落とす。あの花火大会の夜、桐人はひどく怒っていた。
他の狐を神社に呼び込んでしまったからか、と三咲はずっと気にしていたのだ。
「……別に、怒ってへん」
「ほ、ほんとに?」
「うるっさいわ」
裾の埃を払うと、桐人はゆっくりと立ち上がる。
「この件は終いや。ただあの腹黒狐には用心せえ」
「腹黒狐……」
「黒狐は善狐や、ただあれは喋りが緩い」
氷坂ことかと思い至り、少しだけ思考を巡らせる。そういえば「善狐」と氷坂も言っていた。
「あの、善狐っていうのは一体……」
「……善狐いうんは、良い狐んことや。天狐、金狐、銀狐、……あと白と黒、赤もおるな」
「良い狐?」
「人に悪させんいうやつや。反対に野狐いうんもおる。面倒やつ」
なるほど、狐の神使にも色々種類があるらしい。
白黒という面の色から考えて、桐人は白狐ということだろう。
氷坂と同じ善狐というくらいだから、桐人も彼らがしていた『憑依』が出来るのだろうか。もしも憑依できるとすれば、三咲の体を桐人が自在に動かすことも可能なのか。
「もしかして、桐人も憑依が出来る……?」
「……まあ」
「じゃあ、その、私の体を乗っ取って修行させることも……」
何を聞きたいのか察した桐人は、しばらく言葉をとどめていたが、はあ、とため息をつきながら答えた。
「確かに、憑依したほが、神格あげるには楽や」
「……」
「ただ一時的ならまだしも、あいつらんように一生するとしたら、僕の意思は表に出せんようになる」
「そういえば、普段は亘理の意識しか出ないって言っていたような……」
「あいつらは『保養』目的やから、それも仕方ないけどな。僕は自分で動かれへんのはごめんや」
なるほど、憑依というのは【シタ】だけではなく、狐側にも制約が生じるようだ。
桐人のように人を修行させて神格を高めるもの、氷坂のように憑依した人間の健全な精神で神格を高めるもの。憑依し続ければ定期的に神格を上げ続けられるが、一生を束縛されてしまうということか。
ふーむと考え込んでしまった三咲を見て、桐人が言葉を続ける。
「まあ、早く神格あげとうなら、他なくもないけど……」
「……どうせ人間やめたり、体がなくなるやつですよね」
「覚えとったか」
くく、と面に手を添えて笑う。良かった、いつもの桐人だ。
「ま、この手は僕らも一生で一度しかできんから、ようやらんわ」
「一生に一度?」
「……嫁をとるんや。狐の嫁入りいうて、伴侶を得た神使は格があがる」
狐の嫁入り。
確かに言葉を聞いたことがあるが、天気雨を指すだけではなかったか。
「嫁をもらうほどの家やったら、他の奴らも無下には出来ん。それが人ならなおさらや。ただ人間で、狐に嫁に来るやつなんかそうおらん」
「そ、そうなんだ?」
「……人や無くなる言うて、受けるやつおれへんやろ」
そう言うと桐人の背後で赤い紐が舞う。
ぶわりとつむじ風が起こり、気が付くとその姿は消えていた。残された三咲はうーんと考え込む。
この修行が早く終わるのであれば、桐人に憑依してもらった方がいいのでは、と思ったがそう簡単なものではないらしい。
と言って、別の方法は人間で無くなるらしいし。
「まじめにコツコツかあ……」
残り往復約九五五〇回。
気長にやるしかなさそうだ。




