夏の話 21
八月に入っても、石段の上り下りの日課は欠かさなかった。
今では一日八往復。
正直かなりきついが、早い時間から始めることが出来るので、そこまで大変ではない。むしろ自宅には居づらいので、ここで時間をつぶしているのに近かった。
「ふう……」
七往復半を終え、神社にたどり着く。気のせいか以前よりは体が動くようになり、一度の往復も楽になって来た。筋肉がついたのだろうか。
きょろと辺りを見渡すが、桐人の姿はない。
「……」
あの花火大会の日以降、桐人と会うことはなかった。
一度石段で転びそうになった時、何かに支えられるような不思議な感覚があったので、おそらく傍で見張ってはいるのだろう。今まであんなに気楽に姿を見せていたのに、と三咲は首をかしげた。
(【シタ】として、自分が契約している相手が昔、――)
氷坂が斬られる直前、言おうとした言葉。彼は桐人の過去を知っているようだった。
亘理が三咲と同じように狐と契約しているのにも驚いたが、それ以上に狐について何も知らない自分が恥ずかしくなる。憑依、保養、狐との契約で与えられる対価とその報酬。
亘理に与えられた対価は体の欠陥を修正することで、その報酬として彼は体を常に鍛え続ける。そして憑依し、一生を共にする。
(じゃあ私は……?)
あの日命を助けられたことが対価であるとしたら、この石段の往復が報酬になるのだろうか。桐人への対価に対して、あまりに釣り合わないような気もする。
石段上りは一生ではないし、それと命が釣り合うものだろうか。
もしかして契約のなかに――まだ私が知らない、桐人への報酬がある?
「……わからないや」
考えたところで、桐人に聞かねば分からない。
まあいいか、と三咲は気分を切り替え、最後の下りを軽快に降りて行った。夏休みだというのに、今日はこれから帰って学校へ行かなければならない。
「就職希望な……進学しないのか?」
「ええと、……はい。出来れば住み込みで、県外とかの就職を希望しています……」
今日は夏休み途中の登校日。
三咲の学校は少し特殊で、生徒ごとに呼ばれる日時が決まっており、進路指導を兼ねた面談を一対一で行うのだ。
夏休みの課題の解答ももらえるため、無視することは出来ない。
「そうかーお前の成績ならそこそこのところに行けるのになあ」
「出来るだけ早く自立したいので……」
「……そうか。まあ頑張れ」
担任も少し複雑な三咲の事情を知っているのか、それ以上追及することはなかった。
解答を受け取り、帰り支度をする。その背中に担任が思い出したように声をかけた。
「あ、そうだ。お前麻中にこれ持って行ってくれねーか」
「え、あ、麻中さんにですか?」
「ああ。今日来る予定だったんだが、どうしても来られなくなったらしくてな」
ほいこれ住所、と言いながら渡されたメモをあわあわと受け取る。でも自分なんかが行っていいのだろうか、誰かに見られたら迷惑にならないだろうか、と考えた後、ふと考え直す。
終業式の日、泥棒を疑われた自分に助け舟を出してくれた麻中。
あの時、どれだけ救われたことだろう。それに解答がないと、次の試験にも困る。三咲はすぐに、担任から麻中の分の解答を受け取った。
メモを手掛かりに向かった先で、うろうろと周囲を見わたす。似たようなアパートが多くなかなか見つけることが出来なかったが、ようやく目当ての建物が見つかった。
二階建ての小さなアパート。建築年数も相当なのか、外壁は少し崩れて見えた。部屋番号を見ると一階の一室のようだ。ポストを探すが見当たらない。どうしよう。
恐る恐るドアの前に立ち、ノックをためらう。
来れないという位だから、家にはいないのではないだろうか。ならば隙間から挟んでいくか等と考えたが、とりあえずええいままよ、と軽くドアを叩いた。
とたとたと部屋の中で音がし、すぐにドアが開かれた。あ、いるのね。
「はーい! あ、みさきち!」
「あ、あの、これ……」
おずおずと解答を渡す。ん? と最初は首を傾げていた麻中だったが、ようやく話がつながったのか、ぱあと嬉しそうに顔を綻ばせた。
「あっ忘れてた! 今日解答もらえんだっけ」
「う、うん……先生から持って行ってくれって言われて……」
「ありがとー! 超助かる~! あたしも今日面接だったんだけど、ちょっといけなくなってさあ」
「じゃ、じゃあ、私はこれで……」
そそくさと帰ろうとする三咲を見、あ、と麻中が声を上げる。
「あっみさきち、ちょっと待って!」
「え、な、なに?」
「制服、合ってないからなおしたげる。上がってよ」
呼ばれるままに麻中の家にお邪魔する。
外から見ると古かったが、家の中は思うよりも広く、とてもきれいに掃除されていた。台所や洗面所など、麻中が生活している様子がリアルに感じられて、三咲はなんだか気恥ずかしくなった。
居間に入ると、そこには大きな介護ベッドがあり、おばあちゃんがゆったりと横たわっていた。三咲に気づくとにこりと笑ったため、おもわずつられて挨拶をする。
「こ、こんにちは……」
「いらっしゃい、よもちゃんのお友達? ゆっくりしていってね」
「は、はい……」
麻中が麦茶とジャージをもって傍に座る。淡い茶色の髪は黒いゴムで簡単に結ばれており、Tシャツに短パンというラフな格好だ。だがこれはこれで、快活な麻中の良さを少しも損なってはいない。ん、ジャージ?
「ええと、よもちゃん、これは……」
「だから制服。脱いで着替えて」
そういえばさっきもそう言っていた。たしかに久々に制服を着た時、なんだか随分大きいなと思った気がする。しかし直すとはいったい。
「みさきち、かなり痩せたよね?」
「えっ?」
「痩せた、絶対痩せたって! 顔とかやばいもん」
言われてみれば、最近体が軽くなったし、息切れもしなくなったとは思っていた。だが痩せたと言われてもぴんとこない。鏡など見ないし、体重を量るわけでもない。
だが確かに以前よりスカートも緩いし、袖口にも余裕が生まれている。
そうか痩せたからか、と地味に感動している三咲を知ってか知らずか、さっさと麻中は制服の裾を折り、詰めていく寸尺を待ち針で固定していく。
「こんなもんかな、すぐ済むから待ってて」
「お、お願いします……」
麻中はおっけ、とウィンクして別室に消えてしまった。すぐにミシンの音が小さく聞こえてくる。
どうしようもなくなった三咲は、おとなしく出された麦茶に手を伸ばすと、からんと音を立てながら喉に流しこんだ。冷たく香ばしい香りが、体の芯から冷やしてくれるようだ。
ふう、と空になったグラスを置くと、おばあちゃんがこっそりと声をかけてきた。
「よもちゃんは、学校で元気にやってる?」
「あ、はい、すごくしっかりしていて、明るくて……」
「そう、良かった。私がこんなだから、迷惑をかけていてね……」
介護ベッドの脇には見慣れない計器や道具がいくつも置かれていた。どうやら普段からあまり動けない状態のようだ。
「今日だって、学校に行くはずだったのに、デイから私の帰る時間が早くなったからって」
「そうなんですね……」
なるほど、体の悪い祖母の迎えや世話があるので、今日の面談を休んだということか。担任もそれでは来いとは言わないだろう。しかし父親と二人暮らしと思っていたが、祖母もとなると、麻中の負担は相当あるのではないだろうか。
「息子もあまり家にはいないし、あの子が全部してくれてね。嬉しいけど、ちゃんと友だちと遊んでいるのか……」
もしかしたら、麻中が学校を休みがちな理由には、こうした事情があるのかもしれない。
彼女は誰に言うこともなく、明るく振舞っているから分かりづらいが、本当はとても真面目な努力家なのだろう。
「よもちゃんと仲良くしてあげてね」
「は、はい! こちらこそ、とても良くしていただいております……!」
「はい! できたよー!」
タイミングよく麻中が顔を出し、ん? と首を傾げる。
その姿がかわいくて、おばあちゃんと二人でふふ、と笑った。
直してもらった制服は三咲の体形にぴったりと合わせてあり、特に腰の辺りはきゅっと絞ってある。なかなかにタイトだ。
「ここは絞った方がよく見えるから~、あとスカートもちょっと短くして見たよ!」
「わ、わあ……」
確かに以前は膝下だったスカート丈のはずが、いまは膝が見えてしまっている。こんなに足を出して大丈夫だろうか、と麻中に聞くと「なんならもっと短くしよっか」と言われたので三咲は謹んで辞退した。




