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夏の話 18


 苦しい。

 悔しい。


「はあ、……はあ、……」


 どこまで走って来たのだろう。

 とにかく離れなければ、亘理に迷惑がかかってしまう、と三咲はがむしゃらに人混みをすり抜けて走って来た。遠くで花火の打ちあがる音が聞こえ、ようやく速度を緩める。


 辺りは街灯もなく、人の気配もない。

 一体どこに来てしまったのだろうと見渡すと、ぽつんと古びた街灯が見えた。とぼとぼと近づいてから、ようやく気づく。


「神社まで来ちゃったのか……」


 習慣というのは恐ろしいもので、いつもの神社に来てしまった。

 弱々しい街灯の下に身を寄せる。来た方を振り返ると、遠くで閃光が瞬くのが見えた。仕掛け花火だろうか、ざあと吹く夏風に歓声が混じって三咲のもとへ届く。


(亘理に悪いことしちゃったな……)


 普通に考えれば、冬木たちと出会う可能性は十分にあった。それに思い至らなかったのは自分のミスだ。そのせいで亘理に恥ずかしい思いをさせてしまった。

 冬木たちに限ったことじゃない。こんな自分と一緒にいるところを見られて、亘理の学校の人から笑われる可能性だってあった。本当に情けない。


 なんとなく、自分に罰を与えたい気持ちになり、いつもの石段に足をかけた。

 一段、二段と上っていくたび、ひんやりとした森が近づいてくる。昼間と違い、どこか恐ろしい雰囲気を孕んだ木々を見上げ、それでも三咲は足を進めた。


 石段の中ほどで足を止め、河原の方に目を向ける。上空に大きな打ち上げ花火が花開いており、少し遅れてドンという振動が体を揺する。


「……はあ」


 頂上までたどり着いた三咲は、鳥居にもたれそのまま座り込んだ。ここだけはいつものまま。人気のない、静かな場所だ。花火の音だけは聞こえるが、生い茂る木々によってその鮮やかさは見えない。

 亘理を置いてきてしまって申し訳なかったな、と思う。

 だが戻ってまた誰かに二人でいるところを見られるのも困る。


 どうしよう、と悩んでいると、突如ぽ、と石灯篭に光が灯った。


「……桐人?」


 返事はない。

 だが火が入るはずのない左右の石灯篭に、青い不思議な揺らめきが二つ灯った。そこから一羽、二羽と青白く光る鱗粉の蝶が舞い出てくる。それらはひらひらと鳥居や境内、拝殿を照らし歩いて、幻想的な光景に作り出していた。

 やがて蝶の一羽がふらふらと近づいてきて、三咲の指先に留まった。

 熱くはない。これは俗にいう「狐火」というものだろうか。


 桐人が出してくれたものかもしれない、と嬉しくなってふふと笑う。三咲を慰めようとしてくれたのだろうか。


「三咲」


 突然名前を呼ばれ、思わずぴゃっと飛び上がる。

 蝶は一瞬で掻き消え、振り返ったそこには亘理の姿があった。


「亘理、なんでここに?」

「ごめん、遅くなって……」


 ぜい、ぜいと肩で息をしていて苦しそうだ。無理もない。三咲は毎日上り下りしているが、ここの石段はかなりつらい。


「だ、大丈夫?」

「俺は大丈夫。でも、三咲が……」


 そう言いながら、亘理は歩み寄ると、すいと三咲の手を取った。何だろう、と思う間もなくぐい、と体を抱き寄せられる。


「……⁉」

「……ごめん。俺がしっかりしてないから、嫌な思いさせちゃって」

「い、いや、こっちこそ、ごめんというか」

「俺はなんともない。でも三咲が」


 しゅんとする亘理の一方で、三咲は人生で二番目に混乱していた。

 何故自分は亘理の腕の中に包まれているのか。


(ち、近くない? というか、なんで急にこんなことに⁉)


 まだ少し早い亘理の心臓音が、ダイレクトに三咲の頬に伝わる。服越しに高い体温を感じながら、三咲は今の状態を改めて認識した。近い、どう考えても近い。


「怖い思いさせて、ごめん」


 抱きしめる力が強まる。


(どうして⁉ 一体何があってこんなことに⁉)


 幼稚園の頃はこんな積極的じゃなかったはずだ。

 体が弱くて、色々人より気づくのが遅くて、力だって弱くて。

 大体、この神社に逃げたこと自体、分からなかっただろうのに。




(……?)


 ふと疑問が生じた。そしてもう一つ。

 それに気づいた瞬間、三咲はぶわりと背筋に震えが走るのが分かった。


「あの、亘理……」

「ん? なに」


 柔らかく笑みを浮かべる亘理の声には妙な色気があり、普通の女性ならくらりといってしまいそうな可愛らしさがある。だが三咲は冷静に言葉を続けた。


「どうやって、私がここにいるのが、わかったの?」

「三咲が石段を上っているのが見えたから、追いかけてきたんだよ」

「……そう。もう一つ聞くけど……」



 その瞬間、力の限り亘理の胸を押し、体を引きはがした。




「貴方は、――誰?」




 

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