6.濡れ鼠と、天才魔法使い
「サ、サクラがヒロインだったの!?」
ガーン! という表情でそう言ったレイラに、
「……分かってなさそうだとは思ってたけどやっぱ分かってなかったか……ねーちゃんを信用した俺が馬鹿だったわ」
と、アーサーは辛辣に言い放った。
◇◇◇
「だって……王子が『あの有名な~』とかいうから、どこかの令嬢かと思ったんだもん。しかも、会うのは入学式後だってあーくんが言ってたし……」
「それは俺も吃驚したけどよ、スチュワート家に養子に入るって俺、言ったよな? 名前がサクラだとは知らなかったけど、考えたら分かるよな? ん? それでも俺が悪い?」
「す、すべてわたしがわるいデス……」
笑顔のアーサーに、レイラは作り笑いでそう答えた。
入学式が終わり、寮の説明も終わった今。
レイラとアーサーは食堂で落ちあい、さっきの反省会をヒソヒソとしている最中なのだ。
今日は一日自由に学内を見て回る時間がとられており、授業は明日からとなっている。
もちろん、女子寮と男子寮は別のため、こうして外で落ち合うしかないのだ。
レイラは紅茶を一口飲んだ後、うーんと唸った。
「それにしても、サクラがヒロインだったとは……ネチネチ姑しにくくなっちゃったわね」
「ねーちゃんが先走って友達になろうなんて言うからだろ……」
「それはそうだけれども!」
そう言ったあと、レイラはハッと顔を上げた。
「そうだ! 私いいこと思いついた!」
「悪い予感しかしないけど何?」
「あーくんひどすぎない? かなりいいことよ! ここって、女子向けのゲームの世界じゃない? だったら、少女漫画のあるあるシチュエーションも適応されるはずじゃない!?」
「少女漫画の、あるあるシチュエーション?」
アーサーは目を丸くした。
レイラはガタンとイスから立ち上がって、片手を胸に当て、片手を空へと伸ばす。
「仲良くなった女同士……主人公はいつも優しく声をかけてくれる親友が大好きだった……他のクラスメイト達は私をいじめるけど、あの子だけは、親友だけは私と仲良くしてくれる……! そう、思っていたのに!」
ばん! とレイラは机をたたいた。そして、アーサーに鬼気迫った顔を近づける。
「いじめの首謀者は……その親友だったのよ! そんな、信じてたのに……どうして!? 涙する主人公に、親友は今まで見せたことのない顔でこう言い放つの。ふん、あんたなんかと心から仲良くすると思ってたの? 〇〇くんは、わたしのものよ……!」
決まった、とばかりにドヤ顔でそう言い放ったレイラの顔を、アーサーは冷静に押し戻した。
「〇〇くんて誰だよ。……まあ、他の人間が主人公をいじめるっていうのはここと一緒だな」
「え? サクラを?」
「見たろ? サクラに足かけて転ばしてたじゃねーか。ありゃリッツ家の令嬢だな」
「ま、まじか……私、サクラはドジっこ系なのかと……」
足ひっかけられてたなんて、とレイラは驚きながら席に座りなおす。
「そりゃ、突然やってきた素性の知れない人間が、歴史あるスチュワート家の養子になったんだ。反感を持つ者も多くないだろ。しかも見た目は可愛いし」
「おやおや~?」
レイラは、にやりとして口元に手を当て、アーサーを見た。
「もしかしてあーくん、サクラにホの字ですかにゃ~?」
「ホの字とか古臭いしにゃ~とか言われても可愛くねぇからやめて」
「うぷぷ照れちゃって~! お姉さまに話してごらんよぉ」
「ねーちゃん? このままだとあの王子と政略結婚して、王妃生活まっしぐらだけどいいの? ねーちゃんがいいなら俺はもう協力しないけど?」
「イヤですうぅ! あーくんサマ協力してくださいぃ!」
「分かればよろし……、ちょっと待て、誰か来た」
アーサーは、人差し指を口元にあてて後ろを振り返った。
一瞬間が開き、食堂の中に入ってきたのは。
「サクラ」
「あっ……レイラ様……」
現れたのは、先ほど話題に上がったサクラだった。
何故か、その姿はずぶ濡れで。
「ど、どうなさったの?」
レイラは、思わず慌てて駆け寄った。
全身濡れ鼠になっているサクラは、悲しそうな顔で俯いた。
「な、なんでもありません」
「なんでもないことないでしょう! ほら、こちらに立って?」
レイラは、自分の近くにサクラを立たせると、片手をそっとかざした。
(……おいおいおいまさか、ねーちゃん……)
いやな予感しかしていないアーサーを背に、レイラは小さく呟く。
「風の聖霊、火の聖霊、共に我に力を」
そう唱えた後、淡い光と共にぶわりと温かい風がサクラ中心に巻き起こった。
「!」
サクラが驚いて目を見開いた瞬間、ずぶ濡れだった全身があっという間に乾いていることに気づく。
「うん、これで大丈夫よ」
「レ、レイラ様! 魔法を使えるのですか!?」
目を見張ってそう言ったサクラに、レイラは笑顔で頷く。
「ええ、簡単な魔法のみだけれど」
「そんな……貴族は、魔法使い以外は覚えなくていいと言われたのに……」
「まぁ、基本はそうでしょうね。ですからわたくしが魔法を覚えたのは、完全に個人的趣味と言ったところかしら?」
ふふ、と笑ったレイラに、サクラも表情を緩めた。
「あの、先ほどに続いてありがとうございました、何とお礼を言っていいか……」
「別に気にしなくていいわよ。それより、どうしてまたあんなに濡れてらしたの?」
「それは……」
「水をかけられたんだよね? 子爵令嬢たちに」
「!」
突然聞こえた別の声に、三人は驚いて目を見開いた。
食堂の入り口のドアに、いつの間にか凭れ掛かっている人物が居る。
ダークブルーの長い髪を後ろで一まとめにしている、糸目の男子。ネクタイの色から見るに、どうやら一つ上の上級生のようだ。
組んでいた腕をはずし、こちらに向かって歩いてくる。
「ボク、ちょうど近くの窓から見えてたんだよねぇ。可哀想な濡れウサギちゃんが心配で来てみたんだけど……」
ちらり、とレイラに視線を向ける彼は、その細い目を少し開いた。
「まさか、マンチェスター侯爵家の御令嬢が魔法を使うところをお目にかかれるなんてねぇ」
ぞくり、と何故か嫌な感じが背筋を走り、レイラは言葉を返せなかった。
その視線を遮るように、サクラが前に出る。
「魔法を使ってくださったのは私のためです! あの、校内で使ってはいけないなどのルールがあるのですか?」
「あぁ、違う違う。御令嬢が魔法を使うなんて、珍しいからさぁ」
そう二人が話している間に、レイラはアーサーを見た。
アーサーはそっと耳打ちする。
「……攻略対象の一人、ノア・フィリップス。希代の天才魔法使いになると言われてる。要するに、魔法使いのフィリップス一族の息子だ」
「なるほど……なんかキャラ濃いと思ったらやっぱりゲームキャラだったのね」
「……ちなみに、水をかけられたヒロインを魔法でかわかすってのはノアルートのイベントだ。今さっきねーちゃんが横取りしたけど」
「まじか」
「なんで無意識にヒロインがすること奪ったり、キャラがすること奪ったりすんの? わざとじゃねーんだよね?」
「わっざとなワケなかろうて! 運命の女神様に言って」
「ねぇ、何話してるの? ボクは一応上級生なんだけどなぁ」
ノアがこちらに視線を向けて、冷たく言い放った。
レイラはにっこりを笑顔を向ける。
フィリップス家は位は伯爵だが、魔法使いの一族として一目置かれている存在。王族とも親しい仲だという。ここは穏便に済ませようと心の中で決意するレイラ。
「大変失礼いたしました、ご無礼をお許しくださいな」
「ワォ、うーそだよ。マンチェスターの御令嬢サマに謝らせるなんて、ボク怒られちゃうじゃない」
少しおどけた様子でくるりとその場で回ったノア。
「ボクはノア・フィリップス。一つ上だから分からないことがあったら何でも聞いてね」
「……」
レイラは少し考えた後、ノアと同じようにくるりと一回転した。
……若干よろめいたが。
「わたくしはレイラ・マンチェスターですわ。よろしくお願いいたします」
「……は?」
間の抜けた声を出すノアをよそに、様子を見ていたサクラも、同じように一回転した。
「サクラ・スチュワートです!」
「……」
「……」
「……」
「……一応言っておくけど一回転しながら挨拶するルールとかないよ?」
ノアの言葉に、驚愕の表情を浮かべるレイラとサクラ。
(なんで驚愕の表情!!!!!!!)
心の中で盛大に叫んだアーサーの言葉は、誰にも届かなかった。