2.王子との婚約、そしてぬめぬめ。
「キャー! みどり、みどりいろが!」
「あああぁぁ! 俺様の、俺様の手にまだぬめぬめの感触がー!」
「こ、殺せ! 今すぐどこかにやって殺すんだ!」
「そんな! こんなに可愛いのに! やめて! 殺さないでー!」
どんちゃん騒ぎになった目の前の王宮庭園でのお茶会に、アーサーは盛大に顔を引きつらせた。
◇◇◇
「挨拶の流れは分かりましたか? レイラお嬢様。王宮へ行かれるのです、それも婚約者として。粗相のないようお願いしますよ」
「何度も言われずとも分かってるわ、アーサー。……本当、アーサーは心配性ねぇ。ねぇリサ?」
「そうですね。失礼ですが、まるでお兄様と妹君のようですわ」
「えー! そんなあ! 私がお姉ちゃんなのに!」
「え?」
「い、いえ? わたくしのほうが同い年とは言えど生まれは早くてよ? おほほ……」
ここは馬車の中。
顔をひきつらせながら、ボロを出すなと睨む弟に向かって乾いた笑いでごまかすレイラ。
そう、ついに王宮のお茶会の日がやってきたのだ。手紙のやり取りの中で、アーサーが予想した通りレイラに婚約者の打診があり、もちろん両親は二つ返事で受諾したのである。
ちなみに、メイドであるリサはあまり細かいことは気にしないタイプなのか、怪しいレイラの言動も気に留めずのほほんと笑っている。
妙齢の女性だが、二つ結びな髪型に、少し童顔な顔のせいで未成年にも見える彼女は、レイラの専属メイドだ。天真爛漫なレイラに振り回されながらも、こうしてレイラとは良好な関係を築いている。
(つか、そのあたりもう既に物語と違うんだよな……)
アーサーは、じゃれ合いながら話すレイラとリサを見ながら、そう考えを巡らせる。
元々悪役令嬢であるレイラの従者とメイドは、モブキャラの域。レイラのスチルの後ろ側に、うっすら居るなという感じでしか登場しなかった。それでも、レイラはメイドにも従者にもキツく命令し、怯えられている様子が見て取れたものだ。
だが、アーサーもリサも、既に物語とは違う感情をレイラに抱いている。
(……それが吉と出るか凶とでるか……ま、先に今日の王子とのお茶会がどうなるか、だな。きっと幼馴染で騎士見習いの攻略対象キャラもいるだろうし)
アーサーは、「レイラお嬢様」とにっこり微笑みかけた。
その笑顔を受けたレイラは、「あー」と頷きながら、ドレスの中をゴソゴソとしだした。
「レッ……レイラお嬢様!?」
「あ、あった」
胸元からひょいと取り出したのは、小さなブック型のメモ帳。
リサが大声をあげた。
「は、はしたのうございますよお嬢様! そのようなところに、物を入れるなんて……!」
「あらそう? この中はたくさんの布が折り重なっていて、とっっっても息苦しいのですが絶対に落としたくないものを持ち歩くのには最適なのよ。むしろ、そのための機能といっても過言ではないわ。うん、きっとこれが正しい使用方法なのよ」
「そ……うなのですか……?」
「言いくるめられてる言いくるめられてる」
アーサーは納得しかけたリサを窘めると、「その件は後ほど話し合いましょう。とりあえず、とりあえずお読みくださいレイラお嬢様?」と笑いかけた。
どうせ読んでないんだろ、今すぐ読め、と顔に書いてあったため、レイラはヒッと小さく喉を鳴らし急いでページを捲った。
これは、アーサーが前世の記憶を取り戻した時に書き記してくれた、知り得るすべての情報が載ったノート。
もちろん、今から会う王子のことも書かれてあるのだ。アーサーには、ちゃんとシナリオ通り進めたいなら確認しておけと言われていたレイラ。すっかり忘れていたことはバレているようだ。
(えっと、今日会うであろう王子と、王子の幼馴染の騎士見習いが、『攻略キャラ』ってやつなのよね)
レイラは、攻略キャラ一覧の部分をひらき、じっと読み進める。
──ジェームズ王子。
メイン攻略キャラ。このエードラム王国の王族で、王位継承権第一位の子息。
金髪碧眼の見た目からしてザ・王子ってキャラ。俺様何様王子様。ヒロインに対して「お前、面白れー女だな」って言う枠のキャラ。
ただし、ヒロインの好感度が上がってくるとツンデレになる。
レイラの婚約者だが、親が決めた婚約者だから気に入らないらしい。ちなみにレイラは王子のことが好き。
(……? お前、面白れー女だなって言う枠のキャラって何?????)
ちらりとアーサーを見るレイラだが、ほほ笑まれて終わった。
仕方なく続きを読む。
──ローガン・ムーア。
攻略キャラ。王族騎士団の見習いで、王子と同い年の幼馴染。
運動神経抜群の背の高い不愛想キャラ。
濃い茶色の短髪。王子の露払い。レイラに対しても、王子に迷惑をかける面倒な女っていう認識。
甘いもの好き。ヒロインがレイラにいじめられて床に落とされたお菓子を食べてあげる優しい面も。
(ふむふむ……とりあえず、今日会うのはこの二人ね)
レイラは、ぱたんとメモ帳を閉じた。
リサは不思議そうに首をかしげる。
「それ、何が書かれてあるんですか?」
「リサには関係のないことだよ」
ぴしゃりとアーサーが言った。(アーサーのほうが位は上なのだ)
「そんな冷たい言い方ないじゃない、ねえ? えっとこれは言えないんだけど……見ちゃだめなんだけど……」
レイラは、言うなよ、というアーサーの視線を受けながら、言葉を絞り出す。
「あれよ、あれ! 私のお笑い手帳! 心の中で思いついた一発ギャグとかウケの狙える言葉を書き記してあるの! 恥ずかしいから、絶対読まないでねリサ!」
「お、おわらい手帳……でございますか……よ、よくわかりませんが、かしこまりました」
あ、あれ? なんかひかれた? と思うレイラだったが、顔を手で覆って震えている、おそらく笑っているアーサーに向かって見えないように蹴りを入れておくことにした。
「お初にお目にかかります、マンチェスター家、レイラでございます」
案内された王宮庭園。
あとからやってきた王子に向かって、レイラは練習したお辞儀と挨拶を無事に済ませた。
レイラもアーサーも、そしてリサも、内心ホッとガッツポーズをした。
「……ふぅん」
対する王子……ジェームズはそっけない返事をしながら、さっさと庭園に設置されたテーブルの席についた。
「俺様はジェームズ、顔だけはマシな女でよかった」
フン……と言いながら、そう言い放つジェームズ。その後ろには、ローガンが無表情で立っている。
どちらもまだ10歳ながら、オーラがにじみ出ていた。三年後には、立派な乙女ゲーム攻略イケメンキャラクターになっているであろうと、アーサーは内心思う。
「だが、俺様はまだこの婚約に納得したわけではないからな。スヴィエート学園でたくさんの女を知るつもりだ。お前以外に、俺様にふさわしい女がいるかもしれないからな。まさか、文句を言うわけではあるまいな?」
「え? あ、はい。もちろん文句はないですわ」
リサが入れてくれている紅茶の匂いに夢中になっていたレイラは、ワンテンポ遅れて返事をした。
「……ほう、女遊びを容認する懐の広い女をアピールするつもりか」
「い、いいえ? そんなつもりは……」
(ぷぷぷ……まだ10歳かそこらの顔で、女遊びとか言われても……!)
笑いをこらえているレイラの心がなんとなく読めて、アーサーは小さく咳ばらいをした。
ピッと背筋を伸ばすレイラ。
そんなアーサーに、ジェームズは視線をやった。
「お前も、スヴィエート学園に入学予定か?」
「はい、その予定でございます」
「うちの騎士見習い、このローガンもそうなのだ。ここは無礼講といこう、お前たちも席につけ」
そう言ったジェームズに、アーサーはどうしたものかとローガンに視線を向けた。
「……言い出したら聞きませんので、どうぞお言いつけ通りに」
「おい、どういう意味だローガン?」
「いえ別に」
つん、とすましながら席に着くローガンに、ジェームズはじとりと視線を向けた。幼馴染という情報は間違いではないらしく、王子と従者以上の関係が見て取れた。
ローガンが席に着いたのを確認してから「失礼いたします」と言ってアーサーも席に着く。
「まぁ、ジェームズ王子こそ、とても懐が広い方なのですね!」
「……」
レイラは手を叩いてふわりと笑う。
「わたくしの従者にまでお気を使っていただけるなんて、とても嬉しいですわ。きっと素晴らしい王になることでしょうね」
ジェームズは、目を丸くしてレイラを見つめた。
そんなことを言われたのは、初めてだった。
いつも王子らしく、王にふさわしい男になれと厳しい躾や訓練を受け、出来て当然、出来なければ素質がないと言われる日々。そんな自分に……。
ジェームズは、ふ、と小さく笑った。
「レイラと言ったか」
「? はい」
「お前、面白いおん……」
「あーーーー! レイラお嬢様の肩に蜂がーーー!!!!」
大声で叫んだのは、アーサー。
「蜂!? うそ!?」
「お嬢様っ!」
レイラとリサが立ち上がってドレスを確認する中、アーサーは冷や汗ダラダラで肩を上下させていた。
(あっっ………ぶねーーーー! 「お前、面白い女だな」が出るところだったーーー!!!)
その台詞を言われたら終わりだ。
ジェームズは、確か自分に媚びを売らないヒロインに「お前、面白い女だな」を発動させ、その後事あるごとに王族権限を駆使してヒロインを落としにかかってくる。
ゲーム的に言えば、攻略難易度の低い、所謂チョロいキャラだ。
ゲームでは、ヒロインはそんなプライドの高いジェームズに初めはヤキモキするも、だんだん王族の重圧や縛りに苦労する彼の心に触れ、最後は彼を支えたいと心に決めハッピーエンド。そんなストーリーだった。
ここで、レイラに「お前、面白い女だな」を発動されれば、きっとチョロキャラであるジェームズはレイラを好きになってしまうことだろう。
そうなると、物語に大きな矛盾が出る。
ジェームズは、レイラとの婚約に乗り気じゃないことが基本なのだ。
少し離れた場所で、ドレスの確認をしているレイラとリサを見て、アーサーはため息をついた。
「蜂はどこかに飛んで行ったようです」
二人が戻ってきた。当たり前だ、嘘なのだから。とアーサーが思っていると、満面の笑顔のレイラが、両手を後ろにしていることに気づく。……嫌な予感がする。
「蜂は居なかったのですが、素敵なものを見つけました」
「素敵なもの?」
ジェームズが眉を上げた。
「王宮の庭園で見つけたものならば、俺様のものだ。寄越せ」
「え……わかりました」
言い切ったジェームズに、レイラは少し残念そうな顔をしたあと、ジェームズに向かってそれを差し出した。
「……ゲコ♪」
それは、ジェームズの手の平で楽しげに一鳴きした。
「……」
「……」
「あーーーーー!!!」
全力で手を振った王子。
慌てて立ち上がったローガンの頭に、放り出されたカエルが飛び乗った。
「~~~!!??」
さすがの無表情も崩れ、真っ青になるローガン。
再びジャンプして今度はテーブルの上に乗ったカエル。
……そして、冒頭の騒ぎに至るのである。
かなりの騒ぎの末、カエルはレイラが持って帰ることになるのだが、婚約破棄にはならなかったものの当分会いたくないとジェームズから絶縁を申しだされるのであった。
「えー……かわいいのに、ねえ?」
「ゲコ♪」
「……ねーちゃん、虫好きの趣味までそのままなのかよ……」