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うたよみの貴公子姫  作者: 希介
第二章
20/28

鴉の心、斯く乱る 参

 足早(あしばや)というよりも乱暴といった方がしっくりくるような足取りで、高鞍(たかくら)鴉近(あこん)帰路(きろ)を急いでいた。沈みゆく陽が真伽羅山(まきゃらやま)山肌(やまはだ)一時(いっとき)(あざ)やかな照柿(てりがき)の色に染めたが、すぐに()せてしまい、今は(かろ)うじて足元が見える程度の仄暗(ほのぐら)さである。早々(はやばや)と冷えた空気が、鴉近の口許(くちもと)に薄く白い(もや)を作る。

 いつ帰れるのかわからなかったため、迎えの車は帰してしまっていたが、それは大した問題ではない。高鞍邸(たかくらてい)宮城(きゅじょう)からほど近い場所にあり、人の顔もわからぬほどに真っ暗になるころには帰り着くことができるだろう。

 それよりも彼が今、苛立(いらだ)っている理由は、ある女とその身随神(みずいじん)にあった。言わずもがな、紅緒と巳珂である。もともと気に入らなかったあのふざけた女は、今日、(つい)到底(とうてい)許されないことを仕出(しで)かした。よりにもよって、禁足地(きんそくち)に封じられていた(いにしえ)悪神(あくじん)を外に出したうえ、自分の身随神(みずいじん)だなどと(のたま)ったのだ、それだけでも腹に()えかねるというのに、(やしき)に帰れば、父親にその一部始終を報告しなければならないと思うと、一層歩みは荒々しくなる。とにかく一度落ち着かなければ。

 鴉近は、気を静めるために足を止め、肺腑(はいふ)の深くまで、冷たい空気を吸う。

「なぁ、お前」

 すぐ後ろから、聞こえてはいけない声が聞こえた。

 自らの足音よりも近くで聞こえたそれは、ゆったりした声音の単なる呼びかけのはずだが、まるで耳元に(やいば)切先(きっさき)()てがわれているようで、中途半端に吸った息は肺に(とど)まったまま体の(しん)を冷やす。手指は勿論(もちろん)、あれだけ(せわ)しく動かしていた足も、今は凍ったように動かない。

「おい」

 ()れたような二度目の声に、鴉近は顔を強張(こわば)らせて、慎重に振り返った。

「そんなに構えずともいい。二、三つまらないことを話すだけだから」

 目を細めて蛇のように薄く笑う白い男が、あたかもずっとそこに立っていたかのような(たたず)まいで、薄闇(うすやみ)の中、すぐそばに立っていた。

「……何故(なぜ)

 鴉近が(のど)の奥からやっと(しぼ)り出せたのは、それだけだった。が、それを黙殺(もくさつ)した巳珂(みか)は無造作に鴉近との距離を詰めると、(ひたい)を突き合わせてその目を(のぞ)き込む。息を()んだ鴉近の背を、寒さを無視した嫌な汗が伝う。目を逸らさないことが彼にできる唯一のことであった。

「……あぁ、お前、カカラの」

 じっと、鴉近の濃い(すみれ)色の瞳の奥を見つめていた巳珂が、冷めた声で呟いた。

 カカラとは伽々羅と書く、高鞍家の古い名である。今では誰もその名で呼ぶことはない。久しく聞いたその名にも鴉近は唇を引き結んだまま、何も応えない。しかし、巳珂は気にした様子もなく、納得がいったという風に鼻で(わら)って、さっさと身を引いた。

成程(なるほど)(おや)が死ぬ思いで封じたものを、まるで犬でも連れてくるように気軽に引っ張り出してこられたのでは怒るのも仕方ない。今回に限り、紅緒に狼藉(ろうぜき)を働いたことは不問(ふもん)としようか」

 鷹揚(おうよう)に頷きながら、どこか残念そうな声音が実にわざとらしい。わずかな距離をとることなど元神祖(しんそ)が相手では意味がないとは分かっているが、巳珂が自分から離れたことで、やっと幾分(いくぶん)か体の力を抜いた鴉近は、低い声で問うた。

「何の用だ」

「だから、つまらない話をしに」

 鴉近の敵意など興味の埒外(らちがい)であるという顔で、右手の爪を(いじ)っていた巳珂は、不本意だと言わんばかりに、ため息をついて見せた。

「まず、ひとつ。紅緒が言っていたことは本当だからね。今や俺はあの()の信仰が無ければ何もできないただの器。だから、そうやって目を(とが)らせて見張っていても何も起きはしない。お前が怒るのももっともだとは思うが、紅緒を今日みたいに扱わないでやってくれないか」

 あれはあれで傷ついているんだ、と無表情な流し目で見られて、鴉近の足下(あしもと)で、ざり、と砂が鳴る。辺りはすっかり暗く、自分の体の輪郭(りんかく)すら覚束(おぼつかない)ないというのに、何故か巳珂の背に流れる髪の毛筋(けすじ)まで見ることが出来る。それは真っ白な(いで)で立ちのせいではなく、闇が彼に(まつ)わることを避けているかのように、くっきりと浮かび上がっている。当然息が白くなることもなく、人外然(じんがいぜん)として立っている。

「それから、ふたつめ。俺の(ふう)じのことだけれど。あの森にある岩の。あれは百年以上前にはもう(ほこ)んでしまっていたよ」

 鴉近の端正(たんせい)な切れ長の目が驚愕(きょうがく)に見開かれたのを確認して、巳珂は、小さく鼻を鳴らした。やはり気付いていなかったのか、となんとなくがっかりしていることは口に出さなかったが、その表情は一層(いっそう)退屈そうになる。

「ただ、俺があそこから動く気がなかっただけのこと。つまり、紅緒が(ふう)じをどうこうしたわけじゃない。(むし)ろ、俺があの森を出てきてしまったのは、(ほとん)どお前たちのしくじりだと思わないか」

「馬鹿な! (ふう)じが()ければ気付かないはずがない。年毎(としごと)(しず)めの()も我々が(さわ)りなく行っている。それが百年以上前から(ほこ)んでいたなど……有り得ない」

 咄嗟(とっさ)に強く否定したものの、徐々(じょじょ)に声が低くなる。鴉近自身はまだうたよみにもなっておらず、處ノ森(ところのもり)の封じを(つくろ)う儀式には関与していない。それでも、一族の誇りをもって有り得ないと言い切った高鞍家の嫡男(ちゃくなん)を、巳珂は口をへの字にして、じっと眺める。その淡黄(たんこう)の目には、(さげす)みというよりも、(あき)れの色が多分(たぶん)に含まれている。

「……お前、(カミ)とやらの助けが無ければ飛べないのだろう。大昔に俺を封じた伽々羅(カカラ)の者は、そんなもの無くとも飛んでいたし、謌なんて、こう、山一つ消すくらいの腕前だったのだよ。お前がまだ若輩者(じゃくはいもの)なのはわかるが、今後もその(いき)に達するとは思えんのだが。(ちり)ほども。いやしかし、あの(せつ)は、お前のひいひい祖父(じい)さんにえらく世話になったものだよ、(すこぶ)るね。いや、ひいひいひい祖父さんか?」

 いや、ひいひいひいひい……? などと(ひと)()ちる巳珂から目を逸らして、違う、と鴉近は絶望した。鴉近は一族で近年(まれ)に見る能力の高さで、身随神(みずいじん)の力で飛ぶことが出来るのも、彼一人だ。若輩者(じゃくはいもの)だからどうとかいう話ではないはずだ。急に喉の渇きを感じて、ほんの気休めに存在しない固唾(かたず)()んだ。

 鴉近が固まったまま何も言わないので、巳珂は髪を(いじ)りながら心底興味なさそうな声音で続ける。

「封じが解けても気づかぬほどに、お前たちの力が弱くなりすぎたのではないか? 俺は知らないが。まぁ、とにかく俺が紅緒と出会ったときにはすでに(ふう)じは解けていたし、あの()の罪と言えば俺の興味を()いたことぐらいだろうね」

 だからつっかからないでほしいということだろうが、鴉近の頭の中はそれどころではなかった。伽々羅(カカラ)始祖(しそ)より今の高鞍の人間の力が弱まっているのは周知(しゅうち)の事実ではあった。血脈(けつみゃく)に係わることなので婚姻を繰り返せば仕方のないことである。しかし、百年以上も前から、(ふう)じも維持(いじ)できないほどに、いや(ふう)じが解けたことにも気付けないほどに一族の力が弱まっていたとは。そして、(さい)たる問題は、今の高鞍家の総員を(もっ)てしても、このふざけた男をどうにもできないという事実だ。だがしかし信仰によってしか力を得られないうえ、紅緒の信仰しか受け取ることができないとなると、やはり本人が言うように……。

「それで、今のはどうだろう?」

 急に間近で聞こえた声に、びくりと肩を揺らした鴉近が顔を上げると、すぐ隣で顔を(のぞ)き込んできている巳珂と目が合った。近い。

「……は?」

過保護(かほご)だろうか」

「…………?」

「だから、あの()のためにお前にわざわざこんな話をしに来るのは、やりすぎか、(いな)か」

 真顔で答えを待っている巳珂と目を合わせながら、こめかみに汗が伝うのを感じた。この男、何を言っているのだろう。これは何かの(わな)か、答えによっては何かされるのか。考えてもわからない。しかし答えないと、それはそれで何をされるか分かったものではない。あまりの意味の分からなさに鴉近は今日一の恐怖を感じていたが、引き()る頬を叱咤(しった)しながら、やっとのことで口を開いた。

(いな)、なの、では」

 それを聞いた途端(とたん)、巳珂は胸の前でぱちりと両の手を合わせて、にこりと笑った。

「そうか。話はこれだけだ。ではな」

 言い終わらないうちに、その姿はあっさりと()き消えた。鴉近の白い息が消えるよりも早い。

 まるで最初から一人だったかのように、その場に残された鴉近は汗が急激に冷えていくのを感じながらも、暗闇の中しばらく呆然と(たたず)んでいた。




「埋めた呪物(じゅぶつ)が一つ残っているようだ」

 そう、(やつ)が言うものだから、どこに埋めたものか(たず)ねると、なんと、謌寮(うたりょう)一角(いっかく)に埋めたものだという。それを聞いて、胸がすく思いがした。うたよみどもは、常より宮城(きゅうじょう)内に鬱陶(うっとう)しいほどに目を光らせているというのに、自らの縄張(なわば)りに埋まった呪物(じゅぶつ)を見逃すとは笑える。他の呪物が(ことごと)く掘り返されて燃やされたときは、(はらわた)が煮えくり返る思いをした。謌寮(うたりょう)の連中も呪い殺してやりたいと奥歯を噛む俺を見て、(やつ)は何故か喜んでいるようだった。本当に気味の悪い奴だ。

 とにかく、残っているという呪物の様子を見たいと思い、(つと)めのついでに謌寮(うたりょう)に寄ってみたが、様子がおかしい。うたよみどもが一様に硬い表情で早足に行き交い、外から見ても騒然(そうぜん)とした空気に包まれている。そこで俺は、ちょうど通りかかった下っ端仲間の使部(しぶ)の男を捕まえて、何かあったのか(たず)ねたが、そいつは、話すのをためらった。口外(こうがい)にしないように言われるようなことが起こったのだ。しつこく問い詰めて、謌生(うたのしょう)御前(ごぜん)講義(こうぎ)があったこと、そこで皇帝(おうてい)が危険にさらされるようなことが起きたことを、何とか聞き出すことができた。

 俺は察した。自分の埋めた呪物が、主上(しゅしょう)に害を()そうとしたのだと。何故ならあれは、(たつと)い身分の者の命を奪うような(うた)を仕掛けた蠱物(まじもの)だからである。(いや)(やつ)にそう言われて(さず)けられたものだ。俺は埋めただけ。俺をずっと(しい)げてきた嫌味で腹の真っ黒な華家(かげ)を、苦しめて亡き者にしてやりたかった。位が高ければ、誰でも良かった。俺に手を差し伸べなかった人間もまた、憎くて仕方がなかったから。

 だが、しかし、皇帝(おうてい)(まず)い。俺はそこまで大それたことをしたいわけではない。国賊(こくぞく)になどなりたくない。家を、家族を背負う以上の(せき)を負いたくない。安全なところから華家を苦しめてただほくそ笑んでいたい。

 内心の動揺(どうよう)を押し隠し、心配する素振りで、口の軽い使部(しぶ)の男に主上(しゅしょう)の様子を聞くと、傷一つなくご無事であるらしい。それは良かったと大げさに胸をなでおろして見せて、不自然にならない程度に二、三言葉を()わしてから、その男とは別れた。

 一人になってから、心からの安堵(あんど)の息を深く吐いた。あぁ、本当に(きも)が冷えた。

「何を安心している」

 急に(やつ)の声が頭に響く。初めは驚いたが、今では慣れたものだ。不審(ふしん)に思われないように、顔には何も出さずに、歩を進めながら胸の内で応える。

 俺は主上(しゅしょう)(しい)したいわけじゃない。

「ほう、では次はどうしたい」

 何もしない。もう何人も病に(かか)ったり死んだりした。今回の件もあるし謌寮(うたりょう)が騒ぐかもしれにない。(しばら)くは大人しくしていたい。

「それでは心が(にぶ)るぞ」

 心? 何の話だ。

復讐(ふくしゅう)したいというお前の生きた心よ」

 復讐はしたいが、それよりも今は俺のしたことが明るみに出て、(とら)われるのが恐ろしい。

「心が鈍れば人は死ぬるぞ」

 何を馬鹿な。

「お前はもう死ぬる」

 ……何を馬鹿な。

「死ぬるぞ。折角(せっかく)生きていたのに」

 黙れ。やめろ。

「死ぬるぞ」

「うるさい!! 黙れ!!」

 叫んでから、はた、と立ち止まる。気が付けば大路(おおじ)に出ていた。行き交う何人かが足を止め、驚いた顔でこちらを見ていたが、すぐに目を逸らして通り過ぎて行く。口の中で小さく悪態をついてから、少し息を整え、(びん)のあたりから()れた不快な脂汗(あぶらあせ)(ぬぐ)う。

 おい、と声に出さずに呼んでみた。

 だがもう、(やつ)の声は聞こえてこなかった。

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