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うたよみの貴公子姫  作者: 希介
第二章
18/28

鴉の心、斯く乱る 壱

「んん?! 巳珂(みか)様、今ずるをしませんでしたか?」

「おやおや、(ひど)い言いがかりだ」

「いやだって、おかしい……おかしいですよ、何度(さい)を振っても四しか出ないなんて」

 不正だ不正だ、と言いながら半信半疑の面持(おもも)ちの日和(はるたか)に、さも興味なさそうに白い髪を(いら)っている巳珂(みか)、目を皿のようにして正四面体の(さい)を見ている玄梅(くろうめ)。彼らの前には双六(すごろく)(ばん)が置かれていて、五つある日和の(こま)はひとつもあがっていないのに対して、巳珂の(こま)は全てあがっているという圧倒的戦局をみせている。

「でも待って玄梅くん。逆に私がいくら振っても一しか出ないのもおかしいから」

「確かに。ではこれが神祖(しんそ)の神祖たる由縁(ゆえん)……」

 賽子(さいころ)出目(でめ)なんぞで神祖(しんそ)を感じるな、と大笑いしたかったが、口下手な氷雨(ひさめ)はほんの少し眼光を鋭くするにとどめた。隣では紅緒が、自らの身随神(みずいじん)同輩(どうはい)双六(すごろく)に興じているというなかなかに奇抜な状況を嬉しそうに眺めており、鴉近(あこん)はというと、例によって皆から離れた壁際(かべぎわ)にこちらを見もせずに座っている。

 何を隠そう、彼らは今、軟禁されている状態である。不慮(ふりょ)のこととはいえ、国家の秘事(ひじ)に触れたのだから、一応上からの許しが出てから帰ってくれという言葉を残して、宇賀地(うがち)は上とやらへ報告しに出て行ってしまった。司琅(しろう)が出入り口付近につまらなそうに立っているのは、おそらく宇賀地に見張りを言いつけられたからだろうが、宇賀地が出て行ってから四半刻、すでに彼は双六(すごろく)に混ざりたいと思っている。

 とにかく、そうしてできた不思議な状況である。

 いい加減、何の喜びも見出せない双六遊びに飽きたのか、日和が(さい)を放り出した。

「ねぇ、紅緒、聞いてもいいかな。御前講義(ごぜんこうぎ)で詠んだ謌は、あれは何の謌なの?」

 国家の秘事(ひじ)にかかわるとはいえ、知ってしまったものは仕方がないのだから、気になることは聞いておかないと気持ちが悪い。日和の問いに、他の謌生の目も紅緒に集中する。彼女は翡翠(ひすい)の目を斜め上に向けて、少し首をかしげた。さらさらと黒髪が肩を流れる。

「あれは、私が詠んだものではなく、巳珂(みか)に教えられたものなので……。まぁしかし、察するにあれは巳珂を(はい)するただの祝詞(のりと)ではなかろうかと思うのですが。のう、巳珂、違うか?」

 意味もなく双六の駒を積み上げていた巳珂は流し目で自らの主を見遣(みや)る。

 祝詞(のりと)とは、神への賛辞や、どういった(カミ)であるかを詠み込んだ謌である。主に(やしろ)(ほこら)(まつ)られた(カミ)への畏怖(いふ)を込めた挨拶(あいさつ)のようなもので、社の守り手が毎日の(つと)めで詠んだり、謌を詠むことが出来ない者が祈るときに用いる、魂魄(こんぱく)()り取りの発生しない謌である。つまり、間違っても身随神(みずいじん)の契約を行う謌ではないということだ。

 巳珂は、にぃ、と大きめの口の()()り上げた。

「その通りだ、あれは俺の祝詞(のりと)だよ。いいかい、お前たちのいう(カミ)とやらは人間の魂魄を(かて)(わざ)を行うが、神祖(しんそ)は糧を必要としない、というより、魂魄を糧とする仕組みがない。さらに言うと、俺は逆賊(ぎゃくぞく)として神祖の力を奪われているから、仮に魂魄を受け取ったとしても行使する力がない」

 滅茶苦茶(めちゃくちゃ)役立たずだな、とは流石(さすが)に口に出せなかった玄梅の隣で、紅緒が極々(ごくごく)明るい声で面白そうに笑った。

「滅茶苦茶役立たずよの」

 紅緒以外の全員が息を詰めた。この女は越えてはいけない一線を、鼻歌まじりに一足飛(いっそくと)びで越える危険人物である。が、当の役立たずは特に気に障った様子もなくせせら笑った。

「まぁ、聞きなさい。俺は神祖の力は失ったが、この身体は神祖の力の行使に耐え得る身体のままなのだよ。神とも、勿論(もちろん)人間とも違う不老にして不死の『(うつわ)』だ」

「つまり、頑丈(がんじょう)な役立たずということか」

「紅緒っ」

 にこにこと言い放った紅緒を、冷や汗をかいた玄梅が小声で(たしな)める。

「すまぬ、巫山戯(ふざけ)すぎた。して、巳珂はいったい何を私から受け取ってその『器』とやらに入れるつもりか」

 飄々(ひょうひょう)と問うてくる紅緒に、口の端を下げて心底つまらなそうな表情をした元神祖は鼻で息を吐いた。

「お前、(さと)すぎるのも考えものだよ……。まぁ、いい。俺は罪を犯す過程で、他の神祖にはない能力を得ることになってね。いや、進んで得た力といった方がいいが、とにかく俺は、人間から受け取ったあるものを力とすることが出来る。それは、信仰だ」

「信仰?」

 まるで初めて聞いた言葉かのように繰り返す紅緒の眉が、珍しく(ひそ)められている。

「そうだ、信仰だ。俺の存在を信じ、(おそ)(うやま)う心だ。心の()(どころ)とし、疑わぬ思想だ。勿論(もちろん)世に(あまね)く存在している(カミ)も信仰を集めているが、あれらはそれを力にすることはできない。だが、神祖でも神でもない俺は、魂魄を受け取る代わりに信仰を受け取ることが出来る。それを多く集めれば集めるほど、俺は大きな力を使うことが出来るのだよ」

 それは……大いに(まず)い。

 ほんの少し自慢げに胸を張っている巳珂を見つめる玄梅の(てのひら)に汗が(にじ)む。それは大いに(まず)いのではないだろうか。この白い男が、(カミ)のように(やしろ)にでも(まつ)られれば、謌の詠めない人間からも力を得ることが出来るかもしれないということだ。総量に上限のある魂魄と違い、減ることのない信仰心を無限に集められるかもしれないということだ。かつて、裏切り行為を働いたことがあるという、この美人だが心根が歪んでいそうな蛇顔(へびがお)の男が、大人しくその力をしまい込んでおくはずがない。

「そこのお前、今かなり無礼なことを考えただろう」

 普通に国家の危機、と心の中で呟き額にまで汗を浮かばせた玄梅は、巳珂のじっとりとした(わら)いに身を(すく)ませた。隣では日和が青い顔に、聞かなきゃよかったなという表情を貼り付けている。氷雨がそっと紅緒を(うかが)い見ると、こちらは存外(ぞんがい)にすっきりとした顔をしている。

「どおりで、身随神(みずいじん)の契約を行ったときも魂魄を持っていかれた感覚がなかったわけだ。得心(とくしん)がいった」

 にこにこといつもの笑みを浮かべた紅緒が言い終わらぬうちに、大股(おおまた)の荒い足音が近づいてきたかと思うと、次の瞬間には真更衣(まさごろも)襟元(えりもと)(つか)みあげられていた。無理に仰向(あおむ)かされた視界に、怒りやら嫌悪やらがない()ぜになった鴉近の顔が現われた。見たことのない表情をした宿能生(すくのうせい)は、司琅と氷雨があげる制止の声を聞き捨てて、驚きで声を失っている紅緒に噛みつくように低く問う。

「貴様……! 得心(とくしん)がいっただと? 自分が何を引っぱり出だしてきたのか、わかっているのか。お前がへらへらと何も考えずに連れてきたこれは、多くの犠牲のもとにあの岩に縛り付けた災厄だ、それを貴様は」

 全員が動けないでいる。否、巳珂については胡坐(あぐら)をかいた膝に頬杖をついて傍観者(ぼうかんしゃ)然として動かずにいる。翡翠色の瞳のすぐそばで紫の目が暗く輝いている。鴉近様……と呆然(ぼうぜん)とした響きの声が紅緒の口から漏れた。

「その、怒りに燃える菫青石(きんせいせき)(ごと)き瞳のなんと美しいことか……」

 日和が固まっていた首をぎしりと(きし)ませ、玄梅が奇声を上げて誤魔化(ごまか)そうとしたが、時すでに遅く、下瞼(したまぶた)痙攣(けいれん)させた鴉近が憤怒(ふんぬ)形相(ぎょうそう)でさらに紅緒の首元を揺すり上げた。流石(さすが)に呼吸が妨げられるほどに(くび)(しぼ)られた紅緒が、それでも柔らかに鴉近の腕に手をかけながら、落ち着いた声音で(なだ)める。

「鴉近様、鴉近様、大丈夫です。彼は私の身随神ゆえ、私の信仰しか受け付けませぬ。そうであろ、巳珂」

 毛ほども力を緩めることなく、鴉近が巳珂を()めつける。冷めた淡黄(たんこう)色の目をしたその男は、つまらなそうに鼻を鳴らした。

「そのとおりだ。俺はそもそも、身随神の契約などという(ことわり)の外にいる存在だからね。紅緒からしか信仰を受け取らないという条件で、身随神となることを許されたのだよ」

「だとしても、貴様がこれと手を組んで良からぬことを企てない保証にはならない」

 むしろ深くなった眉間の(しわ)と、ぎりぎりと音がしそうなほどに噛みしめられた鴉近の言葉に、紅緒は神妙(しんみょう)な顔をして頷いた。

「わかります。私ほど信用に足らない怪しい人間はそうそうおりませぬゆえ。しかし、今言えることは、この者は私が身随神になってほしいと頼んだ時、至極(しごく)嫌そうでものすごく渋々(しぶしぶ)だったこと、それから私がこの者を強く信仰することは天地がひっくり返ってもないということ、そして私が鴉近様の思うような悪事を働くことは絶対にないということだけです。いくら()めあげられようとも、これ以上のことは今のところ言えませぬ」

 最後ににっこり笑ってあっけらかんとして言う紅緒。「天地がひっくり返ってもは言い過ぎでは?」と巳珂が(つぶや)く。紅緒の真意を()(はか)るように(しば)しその顔を見据(みす)えていた鴉近だが、やがて吐き捨てるように言った。

「……口では、何とでも言える」

「だからといって、紅緒が死ぬまでそうしているつもりか」

 ()()えとした声とともに、横合いから伸びた()やりとした大きな手が、紅緒の襟元(えりもと)を絞めあげている鴉近の腕を掴んだ。深い瑠璃紺(るりこん)色の目を鴉近に()えた氷雨であった。常の無表情にわずかに剣呑(けんのん)さを(にじ)ませた彼に、一瞬気圧(けお)された鴉近の手が緩んだとき、誰かがぱんぱんぱんと大きな音を立てて手を叩いた。

「はいはいはいはい、やめやめ。お前ら、今日はこれ以上面倒事を起こさんでくれ」

 うんざりしたような声を上げたのは、いつの間にか司琅の隣に立っていた宇賀地である。綺麗に()ってあったはずの(ひげ)がうっすらと伸びてきており、疲労の表情が浮かぶ顔を更に(すす)けさせている。

「とりあえず、紅緒以外は帰ってもいい。当然、今日のことは全て口外無用(こうがいむよう)だからな。ぺらぺら喋れば重いお(とが)めがあるぞ。それから、明日も通常通りに出仕(しゅっし)するように。紅緒は今後の対応について、もっと上役(うわやく)の方々まで話がいってるから、もう少し待てよ」

 司琅にもうしばらく紅緒を見ておくように言って、宇賀地は(きびす)を返して足早に部屋から出て行く。元来(がんらい)やる気のないあのうたよみを、あのように忙しく働かせてしまっているのは、大半が自分のせいという自覚のある紅緒は「ご苦労をおかけして申し訳ない!」と大きめの声を、去り行く熊のような背中にかけた。と、その胸ぐらを掴んでいた手が不意に離れた。おっと、と小さく声を上げて尻もちをつく紅緒に一瞥(いちべつ)もくれずに、鴉近は荒い足音を立てて廊下へと出て行った。完全にこの状況に飽きてしまった様子の巳珂が、目だけで鴉近の動きを追う。咄嗟(とっさ)に引き留めようとした日和が、口を思わずつぐんでしまうほどに、立ち去っていった鴉近の表情は険しかった。

「紅緒、大丈夫ですか?」

 鴉近が出て行ってから数拍(すうはく)置いて、少し呆れを含んだ表情の玄梅が、紅緒に声をかけた。例によって怪我がないか確認して襟元を正してやっている。大事(だいじ)ない、と(こた)えて立ち上がる紅緒は、何事もなかったかのように「鴉近様は正義感が強くていらっしゃるからなぁ」などとにこにこしていて、それを見ていた日和もそっと息を吐いて緊張を()く。

「いやー、驚きましたね。高鞍(たかくら)殿があんなに激昂(げきこう)するとは」

 常に何かに苛々(いらいら)としているように見える高鞍(たかくら)鴉近(あこん)だが、今まで決して声を荒げたりするようなことはなかった。あの言動からして、巳珂との間に何かあるのだろうけれど……と思案しながら兄に話しかける。

「それよりも、さっきのは紅緒の印象良かったんじゃないですか。こう、びしっと助けに入って……」

 にやついた口許(くちもと)を手で隠して、にじり寄るが、紅緒と玄梅の()り取りをじっと眺めている兄からは反応がない。

「兄上?」

「……紅緒は」

「はい」

「……ときどき情緒(じょうちょ)がおかしいな」

 たっぷりと考えた後に、今更(いまさら)といえば今更なことを言う氷雨に、賢明(けんめい)な弟はただ「はぁ」と気の抜けた相槌(あいづち)をうつ。兄の口からとくに続きは出てこないようなので、(いま)だ何やらやっている紅緒と玄梅を、日和もぼんやりと眺める。紅緒の鎖骨のあたりに鴉近の爪が当たってできたと思われる小さな傷を見つけた玄梅が、この世の終わりのような声をあげて(おのの)いている。男女の距離感的にどうなんだろう、あれは。まぁ、玄梅の表情が、未婚の女子の柔肌(やわはだ)目前(もくぜん)にした男のそれとは到底(とうてい)かけ離れているので良いか。紅緒も呑気(のんき)に「(つば)つけとけば治る」とか言っているし。

「紅緒と少し話がある。鴫沼(しぎぬま)と先に帰ってくれないか」

 不意にそんなことを言い出した氷雨に、日和は意外そうな目を向けてから短く返事をし、玄梅を紅緒から引き()がしにかかるのだった。

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