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うたよみの貴公子姫  作者: 希介
第二章
14/28

白いひと 参

 その日、鴫沼(しぎぬま)玄梅(くろうめ)は起床から嫌な予感がしていた。

 昨日目撃した、天然同士の甜言蜜語(てんげんみつご)の投げつけ合いに、胸やけか何かでもやもやしたものを抱えながら床に()いたせいで、今朝になってもそれを引きずっているのかとも思ったが、どうやら違う。冬の冷水で顔を洗った後も、朝餉(あさげ)干鰯(ほしか)()んでいる時も、徒歩(かち)謌寮(うたのつかさ)に向かう間にも、言い知れない引っかかりがあった。いくら溜め息を吐いても晴れない彼のそれは、胸やけなどではなく、ざわざわとした胸騒ぎであった。

 果たしてそれは見事に的中することになる。




御前講義(ごぜんこうぎ)?!」

 日和(はるたか)が目を見開いて頓狂(とんきょう)な声を上げた。今日は無精髭(ぶしょうひげ)をきれいに()った宇賀地(うがち)が神妙な面持ちで頷く。

「急にどういった経緯かはわからんが、先程そのようにお(たっ)しがあった」

 御前(ごぜん)、つまり皇帝(おうてい)の前で、講義を行うということである。普段、宮城(きゅうじょう)内の視察や見学を行うことなど皆無に等しい皇帝である。新人謌生(うたのしょう)の講義を御覧(ごらん)になるとあって、謌寮(うたのつかさ)は全体的にざわついていた。もちろん当の謌生(うたのしょう)たちは輪をかけて狼狽(うろた)えている。

「ともあれ、講義の内容に変更はない。それにもうじき主上(しゅしょう)がここにお渡りになられるから、最早(もはや)いつも通りやるしかない。心の準備をしておけよ」

 主上(しゅしょう)とは皇帝の尊称である。宇賀地は面倒そうに顔を(てのひら)で撫でては欠伸(あくび)をかみ殺しているが、謌生はそうはいかない。あまりにも急過ぎる話で、心の準備もくそもない。主上は、ひよっこ謌生による『僕の私の身随神(みずいじん)発表会』などご覧になって、何が楽しいというのだ。日和(はるたか)の顔にはそう書いてある。その隣で氷雨(ひさめ)も不安そうに殺気をとばしており、宿能生(すくのうしょう)である鴉近あこんですら戸惑いが隠せない。無論(むろん)、気弱な玄梅は半死半生(はんしはんしょう)(てい)であった。

 主上がわざわざ謌寮くんだりまで御出座(おでま)しになるなんて。そしてその御前で身随神を使うだなんて。今朝からの胸騒ぎはこれのせいだったのだろうか。

「ど、どど、どうしましょう、紅緒……紅緒?」

 反応が無いことを(いぶか)しんで振り返ると、長く真っ黒な髪で顔面を(おお)った何者かが、静かに立っていた。玄梅は短く息を呑む。怖い。こちらを向いているのが顔なのか後頭部なのかも定かではない。

玄梅が言葉に詰まっていると、ゆらり、とそれが近付いてきた。

由々(ゆゆ)しき事態よ、玄梅」

「うわ、紅緒でしたか。やめてくださいよ、何で顔を隠しているんですか?」

 紅緒が、のそのそと目のあたりの髪をかき分ける。(のぞ)いた翡翠(ひすい)色の瞳に、困窮(こんきゅう)の色が見て取れた。

「私にはまだ身随神(みずいじん)がおらぬ」

「え。それは、何というか……困りましたね」

 まだいない、というのは今日の講義中に身随神の契約を結ぶつもりだったからで、ただの講義であれば宇賀地に事情を話せば問題ないと思っていたのだ、ともそもそと紅緒が言い訳する。

 (カミ)を身随神とする契約の締結は極稀に失敗することがある。使役者(しえきしゃ)と神の実力に不均衡(ふきんこう)があったり、神の意に()まない約定(やくじょう)だったりする場合、契約することができないとされている。実際それは、神に拒否されて逃げられるのがちょっと恥ずかしいという程度の失敗である。しかし御前となると、粗相(そそう)が怖い気持ちは、玄梅にも痛い程わかる。

仕損(そん)じたときのことを思うと、恐ろしくて顔も出せぬ」

 紅緒が、きょどきょどと目を泳がせて再び髪で顔を(おお)った。この幼馴染にも存外(ぞんがい)可愛らしいところがあるではないか、と玄梅は仲間を見つけた心持ちになり、彼女の黒髪をそっと()き分けてやる。

「わかりますよ。でもまぁ、失敗しても死にはしませんから」

 人間、自分よりも狼狽(うろた)えている者を見ると落ち着くものである。先ほどまで緊張のあまり冷や汗をかいていた小心者の玄梅は、笑みさえ浮かべて紅緒を励ました。

しかし、いっこうに晴れないどんよりした半眼の紅緒は、(おもむろ)に応えた。

「いや、死ぬ。契約を結ぶ予定のモノから昨日そう言われた。失敗すると死ぬ場合がある」

 出来れば主上(しゅしょう)の前で死ぬのは避けたい、などと(つぶや)く彼女を、玄梅は凝視する。確かに御前での死亡事故は大いに(まず)いが、そういう問題ではない。

「え? いや、御前でなくとも死ぬのは避けて欲しいのですが……? ちょっと待ってください、貴女いったい何と契約を結ぶ気なんですか?」

 身随神の契約で命を失うようなことがあるなど聞いたことがない。一時のささやかな余裕など彼方(かなた)にふっとんだ玄梅は紅緒の肩を揺さぶって問い詰めた。さっきから翡翠の目が明後日の方向を彷徨(さまよ)っているので、嫌な予感しかしない。

處ノ森(ところのもり)蠱物(まじもの)だ」

「んんんん?! 何処(どこ)の何?!」

 耳は確かに彼女の言葉を拾っていたが、脳が理解を拒否したので、珍しく大きな声で聞き返した。なにしろ禁足地(きんそくち)になど(ろく)なモノがいるとは思えないし、そもそも蠱物(まじもの)()であって(カミ)ではないので、契約を結んだとて身随神(みずいじん)ではなく眷属(けんぞく)になるのではないか。というか『處ノ森(ところのもり)蠱物(まじもの)』とか、いかにも失敗したら死にそうな響きではないか。玄梅が困惑の(きわ)みに(おちい)ったその時、紅緒の背後に宇賀地(うがち)が立った。

「あー、言い忘れてたが、今日の御前講義の出来で祷謌(とうか)詠人(よみびと)が選ばれるらしい。だからそのつもりで……おっと、すまん、これは言い忘れたままの方が良かったか。俺は忘れるから、お前たちも忘れてくれ」

 何の気なく話している途中で、さらに強張った謌生(うたのしょう)たちの表情に気付いた宇賀地は、無責任なことを言って後ろ頭を()いた。

 祷謌(とうか)は一月十五日に行われる宮中行事で、うたよみが詠む謌や身随神の技によってこの皇都の地の神を(しず)め、一年の吉凶を占うというものである。勿論(もちろん)、皇帝やその妻たち、皇帝の補佐である坤政大臣(つちのおとど)のほか、紅緒の父のような高官たちが居並ぶ前で行われる。その詠人(よみびと)は常であれば熟練(じゅくれん)のうたよみから選ばれるのだが、今回は違うようだ。確かに、占いという点ではかなり形骸化(けいがいか)しており、余興(よきょう)的な要素が強い行事のため、観衆(かんしゅう)を楽しませることが出来る者であれば、とくに年齢も地位も関係がないともいえるのだが。

「まさか謌生(うたのしょう)から詠人をだすなんて……」

 日和がぼそりと呟いた。こうなってはもう、一体何に緊張していいかわからない様子で、(なか)茫然(ぼうぜん)としている。だが、玄梅たちはそれどころではない。そんな得体の知れないモノと契約を結ぶなとか、私の身随神になれるのはそいつだけなんだもんとか、こそこそと押し問答をしていると、宇賀地が、はた、と二人に目を止めた。

「何だお前ら。珍しく喧嘩か?」

「おお、ちょうど良かった、うたよみ殿」

 失敗した場合のことは伏せて、身随神の契約をその場で結びたい(むね)の事情を説明する紅緒に、玄梅は鳩尾(みぞおち)を抑える。ついに胃が痛み始めた。

 その時、にわかに張りつめた空気が静かな波のように押し寄せ、次いで皇帝の(わた)りを(しら)せる先触(さきぶ)れの声が響いた。




 (いま)(かつ)てない緊張感をもって、講義は始まった。

 場所は、謌寮(うたのつかさ)の建物の裏、以前にも講義で謌の実演のために使用した場所である。そこに持ち込んだ螺鈿(らでん)細工を施した漆塗りの豪奢(ごうしゃ)椅子(いし)に座る皇帝は、藤黄(ふじき)真更衣(まさごろも)金鶏(きんけい)が刺繍された漆黒の上衣(うわごろも)羽織(はお)る軽装で、精緻(せいち)な彫刻が施された象牙(ぞうげ)(しゃく)を片手に(いら)いながら、(おそ)れ多さに(おのの)く謌生たちをじっと眺めている。御年二十五になる。皇族(おうぞく)の証である眉頭(まゆがしら)だけ残した瓣眉(かんむりまゆ)に、涼しげな一重(まぶた)で、怜悧(れいり)さを感じる艶のある黒い瞳からは何の感情も読み取れない。帯剣した侍従(じじゅう)が二人後ろに控えている以外は、従者がいないので、物々しさが薄いことが唯一の救いである。

「あーそれでは、寒いのでさっさと始めてさっさと終わるとしようか、諸君」

 常に比べて少しだけ殊勝(しゅしょう)な表情で、常と何ら変わらぬ発言をする宇賀地に、謌生たちはわずかに肩の力を抜いた。

「昨日伝えたとおり、今日は身随神を披露(ひろう)してもらおうと思う。各々、身随神を顕現(けんげん)させた後、何かしらの技を見せてもらいたい。祷謌(とうか)詠人(よみびと)を選抜する関係もあるので、使う技は娯楽性の高いもので頼む」

 淡々と説明をするうたよみは、いったん言葉を切ると、ちら、と紅緒を見遣(みや)ってから付け加えた。

「その前に、紅緒がこの場で身随神の契約を交わすらしいから、まずはそれからやってもらおうか」

 謌生たちが、「あ、そうなの」くらいの表情で進み出る紅緒を眺めている中、玄梅だけが壮絶(そうぜつ)な心配顔で彼女の背中を凝視している。やはり今日は仮病でも使って(やしき)に引き()もっていれば良かった。朝っぱらから幼馴染が死ぬところなど絶対に見たくない。せめてもう少し事情を詳しく説明してくれないと、理不尽が過ぎて全く受け止められない。今更ながら、彼女の大雑把(おおざっぱ)さがもどかしい。幼いときにもっとよく言い聞かせるのだった。生死に関わるような事柄については、きちんと詳細を説明し、幼馴染に()めるように説得される時間を設けたうえで、しでかすべきだと。

 目まぐるしく、悔やんだり(いきどお)ったり案じたりの思考で吐きそうな玄梅を、紅緒がこっそり振り返って、頑張りますとでもいうふうに、軽くこぶしを握ってみせた。にこにこと笑う口の端が引き()っている。

 いや、そんな握りこぶしひとつでは毛ほどの平静ももたらされない、と玄梅が(てのひら)で顔を(おお)う一方で、紅緒は一つ息を吐くと両手を空に(かか)げた。そして、喉の音を立てて、空気を肺に集めた。

『あまさかる ましろきいわおにます ましろきかみ じょうていにさかいつ ふじょうのながれかみ』

 紅緒の唇から滑り(いで)た低く穏やかな声が、ひりりと空気を冷やした。まるで何かをあやすようなその声色や調子は常の如くだが、彼女を中心とした波紋(はもん)のように辺りを満たした空気は、異様であった。静かで、()えざえとした、ともすると悪寒(おかん)を誘うような気配がする。誰もが紅緒を注視する中、皇帝もまた目を細めて、わずかに身を乗り出していた。

『かがせ こんじん みか さいせつ おがみたてまつりて かしこみかしこみもまをさく』

 顕著(けんちょ)違和(いわ)を感じるのは(ことば)である。謌生たちが眉を(ひそ)めて視線を交わす。いつもの彼女とは(ことば)の選び方が異なっている。

 恐らく、紅緒が自ら詠んだ謌ではない。更に言うならば、身随神の契約を結ぶ謌とも形式が違うように聞こえる。あれは、一体何の謌だ。

 鴉近は、玄梅が顔面蒼白で爪を噛んでいるのに気付いた。何やら様子がおかしい。そっと宇賀地の顔色をうかがうと、紅緒を眺める表情こそ平静を装っているが、やや日焼けした額に、玉のような汗が浮かんでいるのが見えた。

『あがたまを たてまつりて くすしきみかげ このみにあたえたまへと まをすことをきこしめせと』

 紅緒は、(かか)げた両の手をゆったりと顔の前まで下ろすと、粛々(しゅくしゅく)低頭(ていとう)した。

『かしこみかしこみもまをす』

 結びと思われる箇所(かしょ)が謌いあげられ、辺りを静寂(せいじゃく)が満たした。

 何も起こらない。

 謌生たちは無言のまま、再び困惑の視線を交わし合い、最終的に宇賀地をちらちらと(うかが)う。

 通常、謌にのせた魂魄が神に受理され身随神の契約が成立すれば、神が姿を示すなどするはずである。が、何も起こらない。失敗なのだろうか。

 紅緒は(ぬか)づいたまま微動だにしないので、表情をうかがうこともできない。

「おい……?」

 宇賀地が、恐るおそる紅緒に声をかけるが、反応がない。最悪の事態を思って息を詰めた玄梅の足許(あしもと)で、砂利が、ざり、と鳴った、その時。

 紅緒が膝から崩れ落ちた。

 まるで、()り手に打ち捨てられた人形のように、力なく(くずお)れた。

 そのまま動かない華奢(きゃしゃ)な背に、御前であることも忘れて彼女の名を呼びながら、玄梅は駆け寄った。


 読んでいただき、ありがとうございます。

 長らく筆が止まっておりましたことをお詫び申し上げます。

 まだ本調子ではない感じが文章の端々に見られますが、ご笑納ください……。

2020/10/23 加筆修正

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