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再会の日

 教会での生活は、欠伸(あくび)が出るほど退屈で、聞かされる教えは、虫酸が走るほどに綺麗事ばかりが並んでいた。

 不満が顔に出そうになるのを幾度も(こら)え、心も何度折れかけたかわからない。


 そんな、悪夢のような三ヶ月間を無事に乗り越え、ついにこの日がやって来た。

 神職候補生最後の日であり、神官の中で一番下のランクである司補佐しほさに格上げされる日。

 つまりは、この軟禁状態から解放されて、ようやくジルに触れられる日だ。


 未だかつてないほどに苦労した三ヶ月間だったが、それに見あった対価は得られていない。

 教えや教会のシステムについてはずいぶんと詳しくなったが、ジルの胸に宿る“裁きの証”や、祈りの巫女についての有益な情報はゼロ。



 ……だが、それも仕方のないことなのかもしれない。

 もしもネラ教会に裏があるとして、下っ端に尻尾を見せるような詰めの甘さであれば、千年も独裁状態を続けることは困難だろうし、とっくの昔に壊滅していただろう。


 これは長い戦いになりそうだ、と、うつむく。

 口元とこぶしに力がこもっていくのを感じる。

 不安に押し潰されて息も詰まるが、意識して深く呼吸をし、三ヶ月間暮らした部屋の中心部に立った。


 この先を嘆いていても仕方ない。

 ジルの願いを叶えるためには、いかに辛く光が見えなくとも、進み続けるしかないのだから。


 小さく息を吐いて顔を上げ、扉を見つめた。


 とにかく一刻も早く、ここを出よう。

 こんな生活を続けていたら、秘密を暴くより、頭がいかれるほうが早そうだ。



「二度と来ねーからな!」

 吐き捨てるように言って、締め切った薄暗い部屋を出ると、視力が潰れそうなほどに(まばゆ)い世界が広がる。


 目を細めて、思わず笑った。

 もうすぐ、ジルに会える。

 この手でアイツに触れられるのだ。

 そう思うだけで、三ヶ月間泥沼に沈み続けていた心も躍った。


 痛みを与えてくる朝の太陽を、ここまで最高だと思う日は、きっともう二度とないだろう。

 投獄された罪人が解放された時の気分は、ひょっとしたらこんな感じなのかもしれない。



 階段を降りると、修行を終えた俺を(ねぎら)うつもりだったのか、踊り場にマルク律教が立っていて。

 形だけでも、と、慇懃(いんぎん)な態度で礼を言う。

 律教(オッサン)は「あの居眠り小僧がここまで立派になるなんて」と目を潤ませながら、ネラ神に感謝の言葉を述べていた。


 おまけに、去り際に「お前は神官に向いている」とまで言われて、内心かなり複雑だったが、その想いは誰にも言わず、心の奥底にしまっておくことにした。



――・――・――・――・――・――・――・――


 建物を出て、肩にかけた荷物を背負い直し、早足で庭を行く。

 早足というよりもむしろ、駆けている、と言ったほうが近いかもしれない。

 とにかくもう、ジルの家に一刻も早くたどり着いて、アイツの顔が見たくて仕方がなかった。


 足を進めるごとに、門の向こう側から聞こえる町民たちの賑やかな声が近づいてくる。

 今日は朝市の日だし、皆買い物にでも来ているのだろう。

 神官以外の声を聞くのが久々すぎて、両口角が上がっていくのが自分でもわかった。


 心地の良い俗世へと戻るため、木製の大きな門を押して、通りへと出る。

 途端、なぜか右袖に違和感を感じて、立ち止まった。

 慌てて視線をそちらへ向けていくと、思いもよらぬ光景に、思考も呼吸も、何もかもが一斉に動きを止めた。

 ひょっとしたら、時間さえも止まっていたかもしれない。



 朝の光を浴びて、豊かな黒髪が光るのが見える。

 空色の澄んだ瞳がこちらに向けられ、柔らかそうな薔薇色の唇は嬉しそうに弧を描いていた。


 何度も会いたいと願った相手が、すぐそこにいて。

 くいくいと、俺の袖を引っ張ってきていたのだ。


「待っていられなくて、来ちゃった」

 いたずらっぽく笑う顔に、たまらなくなる。

 もう、我慢の限界だった。

 家で待てと言ったのに、こんなところにやって来たジルのヤツが、悪い。

 左肩の荷物をその場に落とし、両手をジルに伸ばして、柔らかな身体を掻き抱く。


「ちょ、ちょっとレオンっ!」

 胸に顔を押し当てているせいか、少しばかりくぐもったジルの声が下から聞こえてくる。


 これは、夢じゃない。

 どこかおっとりとした声も、花のような香りも、この体温も柔らかさも。

 全部、間違いなくジルだ。


 指通りの良い髪に(ほほ)を寄せて、目を強く閉じる。

 そうしないと涙がこぼれてしまいそうだったからだ。


「レオン、ありがとう。本当にお疲れ様! でもね……」


「でも、なんだ」


「皆がいる前じゃ、恥ずかしいんですけども」

 たどたどしく言ってくるジルの顔を覗き込むと、真っ赤な顔をしてうつむいていて。

 あまりのいじらしさに、俺は思わずジルの黒髪をぐしゃぐしゃに撫でまわして笑ったのだった。


――・――・――・――・――・――・――


「さ、帰ろう」

 愛しいジルにまだ触れていたくて、すぐさま手を取って歩き出す。

 寒がりなジルの手は相変わらず、ひんやりと冷たくて。

 強く握ってしまったら、華奢なこの手は壊れてしまいそうだと思った。



「ねぇレオン。今日から司補佐しほさなんでしょ? すごいね!」


 きらきらとした瞳を向けてくるジルに対し、得意気に笑う。

「ほれみろ、俺が行った方がよかっただろうが」


「うん、そうね! 私が行ってたら上手くいかなかったかもしれないし」

 ジルもくすくすと笑っている。

 “私じゃ上手くいかなかったかもしれない”という言葉に対し「そうかもな」と呟く。

 その返答がどうやら、コイツの機嫌を損ねてしまったのだろう。

 俺を見てきたジルはわずかにむくれていたが、すぐにまた嬉しそうに笑い出した。


 離れ離れだった時のことをあれこれ話していると、あっという間にジルの家へとたどり着く。

 以前ジルが手紙に書いていた、シオンという花がどれなのかを尋ねたのだが、すでに枯れてしまっていて、見ることは叶わなかった。


 だが、俺がはじめて花に興味をもったことが嬉しかったのか、コイツはシオンの代わりにカランコエという、赤くて小さい花の名を教えてくれた。


 ジルは聞いてもいないのに、水のやり方やどこに植えたほうがいいのか、どの時期に種を植えるのかまで、無邪気な顔で教えてくれる。

 相変わらず花には興味はわかなかったが、ジルの幸せそうな顔を見ていると、花の名を覚えてみるのも悪くないと、そう思えるようになった。



「おかえりなさい、レオン」

 ジルは扉を開けてくれて“どうぞ”と手で中を示してくれる。


 扉を開けてやるのは男の役目なんじゃねぇのか、とも思う。

 だが、ひょっとしたらそれは、俺が貴族だからが故に思うことなのかもしれない。

 あれこれとくだらないマナーについて話すのもアホ臭くて、促されるがままに、部屋へと足を踏み入れた。


 中に入り、懐かしくて落ち着く景色が広がった途端、突然背中に圧迫感と温もりを感じた。

 それと同時に扉は静かな音を立てて閉まり、すぐにジルの声が聞こえてくる。


「ごめんなさい……嫌なことを頼んじゃって。怖かっただろうし、辛かったわよね……」


「またお前は、そういう下らないことを言う。気にするなと何度言ったらわかるんだよ」

 心の底から呆れてしまい、息を吐いた。

 これは俺の決めたことだし、ジルが謝る必要など、一つもないのだ。

 それなのに「ごめん」と呟くジルの声色は、沈んだままだ。

 

「頼んだのは私なのに、レオンは大変な想いをしてたのに……」

 次第に声が揺れ出し、俺の背中を掴んでいるであろう手から、小刻みな震えが伝わってきた。

 何も気の利いた言葉が出ずに立ち尽くしていると、ジルの声がまた聞こえてくる。


「一人は、寂しくて、こわ……かった。三ヶ月間ずっと、レオンに会いたくて、声が聞きたくて、仕方、なかっ、た」


 その言葉に俺の胸は締め付けられるように痛み、振り返ってジルをきつく抱きしめていく。

 ジルは震えていて、この三ヶ月、どれほど心細い思いをさせてしまったのか、嫌でも感じ取れてしまう。

 いつ終わりがやって来るのかわからない状態に置かれているジルは、一人で恐怖と不安に耐え続けていたのだろう。

 仕方のないことだったとはいえ、コイツをここに一人残したことを、ひどく後悔した。


「ジル」

 世界で一番大切な者の名を呼ぶと、ジルは潤んだ空色の瞳を向けてくる。

 途端に愛しさがこみ上げて来て、両手で滑らかな頬を挟むように包み込み、これまでの距離を埋めるように幾度もキスをする。

 そして、まだ日も高かったというのに、溺れるように激しくジルを求め、愛したのだった。


――・――・――・――・――・――・――


「ねぇ、レオン。明日も仕事なの?」

 ベッドの中で微睡んでいるジルが聞いてくる。


「いや。明日は休みなんだ。久しぶりにデートでもしないか」

 すでに起き上がっていた俺は、出掛ける支度を進めながら返事をした。



「デート、それいいわねぇ、賛成。どこに行こっか?」

 ふにゃりと笑うジルを見て、愛しさがまた募る。


「明日のは、俺に任せてくれないか? よければ、これから店の予約をしてくる」

 ジルが以前くれたスカーフを首に巻きながら尋ねていくと、コイツは幸せそうな顔をしてうなずいてくれたのだった。

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