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生まれた淀み

 ジルと離れて、もう何週がたっただろうか。

 意気込んで教会ここに来たものの、聖拝堂と教会を往復してばかりの毎日に飽き飽きしていた。

 というよりもむしろ、教会嫌いの俺にとって、ここでのほとんどが苦行でしかなかった。


 日の出と共に目を覚まし、味気ない野菜ばかりのメシを食い続け、教典を隅から隅まで音読させられる日々は、本当に何も変わり映えがしない。

 たまに頼まれる、人の来ない裏庭の剪定せんていをするのはまぁまぁ楽しかったが、過去の罪をひたすら懺悔ざんげさせられるのは本当に勘弁してほしかった。


 懺悔後に言われるマルク律教からのありがたいお言葉も、一切頭の中には入ってこず、右から左に流れていて、とにかく時間の無駄でしかなかった。

 ひねくれ者の俺からすると、親父のつぼを割ったのを庭に隠したことや、鼻についた客に高額な値段で安物の置物を売り付けたことも、律教オッサンの一言でチャラになるとは、とても思えなかったのだ。



 うっすらと朝日が差し始めた薄暗い部屋の中、小さく息を吐く。

 教会ここであてがわれた、物が少なく狭い自室にはようやっと慣れたが、ジルに会えない生活にはどうやったって慣れそうにない。


 “欲望にち、自分を見つめるため”という理由から、神職候補生は皆、三ヶ月間教会区域内に軟禁され、教会関係者にしか会うことができないため、もうあれからずっとジルの姿を見ていない。

 外部との連絡手段である手紙のやりとりも、週に一回のみ。

 ジルの存在を感じられるのは、その日一日だけなのだ。


 心から安堵することができたのは、アイツからの手紙が来る日だけ。

 俺のいないうちにジルがいなくなってしまうのではないかという不安から、眠れない夜も数え切れないほどにあった。

 ジルが今も生きているということを知っただけで胸が詰まってしまい、男のくせに涙がこみ上げてきた日もあった。



 机の上に手を伸ばし、昨日受け取った手紙をまた開く。

 そこにはジル特有の丸っこく整った字で、たっぷりと自身の近況が書き連ねられていた。


「庭のシオンが咲いたよ……か」

 昨日もそうだったが、やはりここで吹きだしてしまう。

 シオンなんて花、聞いたこともねェし、アイツは俺が花に興味を持っているとでも思っているのだろうか。


 どこかズレてるんだよなぁ、なんて、アイツの仕草の一つ一つを思い返して笑う。

 はしゃいでいる時につまずいたことが恥ずかしかったのか、慌てて繕っていたあの表情は面白かったし、どこかぐっと来るモンがあった。

 そして、俺を見上げて、柔らかく微笑みかけてくるあの顔も、たまらなく好きだ。

 庭いじりをした手で汗をぬぐったのか、顔にたっぷりと泥が付いてたってこともあったっけか。


 視線を落として、手紙を強く握りしめる。


 こうしている今も、命の期限が少しずつジルに忍び寄ってきている。

 そう思うだけで胸が冷えたような心地になり、指先も震えていく。

 会えないことで、日ごとに不安は増していき、愛しさも募ってしまう。


 元々、欲望を消すためのシステムだったのだろうが、俺の場合は会えないことが完全に逆効果となってしまっていた。



――・――・――・――・――・――・――


 神職候補生の証である藍色のマントを身につけた俺は、日課である聖拝堂の掃除をするため、雑巾と水の入ったバケツを手に聖拝堂へ向かった。


 朝一番の、冴えた空気は好きだ。

 朝露をまとって光を浴びる草花は輝いて見えるし、肌に触れる冷たい風も心地がいい。

 深く息を吸い込むと、固まっていた心がわずかにほぐれたような気がした。



 聖拝堂の前にたどり着き、木製の大きな扉を押すと、ぎぃと小さく音が鳴る。

 顔を上げると、大きなステンドグラスが目に飛び込んできた。

 もう見慣れたモンだが、眩い朝の光に照らされていると、いつもより神々しく見える気がする。


 ネラ神の柔らかい笑顔が、ジルと重なる。

 ジルに、会いたい。

 その想いが体中を駆け廻る。


 扉を開けたまま立ち尽くして、ステンドグラスをただただ見つめ続けた。


「救国の神、ネラ……」

 祈るように呟いて、小さく息を吐く。

 もしもこの世に神がいるのならば、ジルを救ってやってほしいと思う。


 あんなにも優しく、気立てが良く、美しい女は他にいない。

 アイツがいることで救われている者も、少なからずいるんだ。

 熱心に信仰しているのだから、リミットも目こぼしされて、無くなったりはしないのだろうか。

 アイツが俺の隣からいなくなるなんて、想像すらできないのに……


 次第に苛立ちが沸き上がってきてしまい、ぼりぼりと頭を掻いて、口元を曲げた。

「……証って一体何なんだ」


「おや、証に興味がおありですか?」

 突如として後ろから声をかけられて、飛び上がる。


「ま、マルク律教!」

 おいおいなんだよ、このくそジジィ。

 背後から急に現れるなよ!

 心臓止まると思ったじゃねーか!


 心の声を押し込めて、穏やかな笑顔を繕う。

 マルク律教は、床に置いた掃除用具に視線を向けており、嬉しそうに笑っていた。


「感心感心。ジル・ウォーカーさんに感化された、というお話は本当だったようですね」


 ああ、なるほど。つまりは俺を疑ってたってわけね。

 居眠り小僧がネラ教の神官を目指すのは確かに疑わしいだろうし、こうやって見に来るのは仕方のないことなのかもしれない。


「ええ。ジルのおかげで俺は改心いたしました。いまもネラ様の神々しいお姿に、目を奪われていたところです」

 微笑みながら答えると、マルク律教は満足そうにうなずいた。


 バレないように上手く嘘をつくには、本当のことに嘘を少しばかり紛れ込ませるのが効果的。

 昔、親父が教えてくれた世渡り術は、どうやら今回も俺を救ってくれそうだ。



「先ほど呟いてらっしゃいましたが、証のこと、興味がおありですか?」

 律教は穏やかに尋ねてくる。

 その表情に、怪しさや硬さはなく、探ろうとしているようには感じられない。

 恐らく、単純な興味から聞いてきているのだろう。


「興味の無い者がおりましょうか。世界を救う聖なる者“祈りの巫女”“神の使い”であることを証明するものなのですから」

 緊張を隠して返答する。

 ここで失敗したら、自分はおろか、ジルまでも危険にさらす。

 そう思うと、自然と身体が強張っていくのを感じた。

 


「さすが、仲良しですね。ジル・ウォーカーさんも、過去に証に興味を持ってらっしゃったようですよ」


「はは……」

 こりゃ、笑ってごまかすしかできねぇな。


 マルク律教はうっとりとした表情でネラ神のステンドグラスを見上げ、口を開く。

「証、それは魔力を持つ者の証明。証を持つ“祈りの巫女”と“神の使い”が命を捧げることで、暗黒竜ジェリーマの封印を継続させることができるのです」


 俺が隣で無言のままうなずくと、マルク律教はこちらを見てきて、柔らかく目を細めてくる。


「もしかして、証は血で受け継がれる以外にも渡す方法があるのですか、と聞きたかったりしましたか?」


「へ、何でまた……そんな突拍子もないことを」

 ぎくりとしたが、平静を装った。

 このオッサンは俺の心を読もうとしてきているのか、と勘繰る。

 もしや、スパイとしてここに来ていることがバレたのだろうかと肝を冷やした。


 だがマルク律教は「さすがにそこは同じじゃなかったようですな」と、声を上げて笑い出した。


「どういうことです?」

 わけがわからず尋ねると、律教は微笑みかけてくる。


「以前、ジルさんが“証を渡す方法があるのか考えてみた”とおっしゃっていたのですよ」


 ……あのバカ女。

 アイツじゃなく俺がここに来て本当に良かった。

 アイツが来ていたら、初日にして証の存在がバレていたかもしれない。



 内心頭を抱えていたが“おかしくて仕方ない”といった様子を演出し、高らかに笑う。


「ジルは、たまに突拍子もないことを言うんですよ。きっとネラ教について深く知りたかったのでしょう」


「ああ、確かにそうかもしれませんね」

 律教は納得したような顔をし、何かを思いついたように口を開いていく。


「ジルさんは、敬虔けいけんな方ですから、もしかしたら、証を得て、祈りの巫女として生きたいという想いがあったのかもしれません」



 どくんと心臓が強く動き、心に淀みが生まれたのがわかった。

 血が熱く煮えたぎり、ぐるぐると身体をめぐっていくのを感じる。

 微笑みを絶やさないように気をつけながら、強く奥歯を噛みしめた。


 お前がジルの何を知っているんだ。

 証を渡されたアイツの苦しみも、嘆きも、何一つ知らねェくせに……!


 ぐらりと視界が揺れるほど、頭に血が上っていく。

 怒りと悔しさから、指先が震える。


 苦しみを知らずに綺麗事ばかり吐くお気楽なその顔を力いっぱい殴りつけてやりたかったが、必死に表情を繕った。


「ジルは、本当に優しい娘ですからね」

 最後の方は声が震えていたが、どうやらマルク律教は気付いていないようで、俺を見てきて穏やかな表情でうなずいていた。


「証は、ネラ様が我々にお授けになったものなのだと思います。真なる平和を保つために証をお与えくださったネラ様に、感謝します」


「ええ。今日という日をお与えくださったネラ様に、感謝します」

 隣に立つ律教と同じように手を組んで、感謝の言葉を述べた。



「祈りの巫女らは、ネラ様に最も近くて尊い、幸福な存在。ジルさんが憧れる気持ちもわかります。それでは私はこれで」

 マルク律教は、一礼して庭へと去っていく。

 青いローブをまとった後ろ姿を睨みつけて、ぎりと歯噛みした。


 証を持つ祈りの巫女が幸せな存在、だと。

 生贄の上で成り立つこの世界が、真なる平和、だと。


 身体の中で、表現しがたいほどの淀みが巡る。


 つまりは、自分たちさえ良ければ、他人がどうなろうと構わない、ってか。

 それは結構だし、俺の考えも似たようなモンだ。


 だが、教会おまえらの考えを、祈りの巫女や神の使いに……ジルに押し付けるんじゃねェよ!

 人を縛りつけ、自由を踏みにじる権利なんざ、誰にもないはずだろうが……!


 民から讃えられ、神聖と言われている神官が生贄をよしとし、ああやって微笑んでいる。

 それがひどく汚らわしく、腐っているように見えた。

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