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いつも通りの朝

「ねぇ、ほら。レオン、朝なんだから起きて!」

 乱暴に身体を揺すられて、叩き起こされる。

 しょぼつく目をこすり、ベッドに横になったまま、まぶたを開けた。


 殺人的なほど眩い光に思わず目を細める。

 そこには朝日を浴びながら、いつものように微笑みかけてくるジルがいた。


 あまりにも普段と変わらない光景に、昨日のあれこれが嘘だったかのように思ってしまう。

 だが、はだけたネグリジェからのぞいた胸元には、青黒い“裁きの証”の一端が映し出されていて……

 そんなものを見たくなどなくて、静かに視線をそらした。

 

 これまでなら、絶対に見えないよう神経質なほどに隠していたのに、昨夜俺に知られてしまったからか、ガードが一気に緩んでしまったようだ。



 ……さすがにあれは、夢じゃなかった、か。

 残酷すぎる現実に胸がきしんだが、ジルが“いつも通りの朝”を望むのであれば、それにのってやるしか、今の俺にできることはない。

 悲しみや動揺を隠すのは正直つらい部分もあったが、ここで共に嘆き悲しんだところで解決策が見つかるわけでもないし、教会に乗り込むまでは、ジルの思うように過ごさせてやりたかったのだ。



「頼むから、休みの日くらい寝かせてくれ」

 証について何も触れることなく、布団を引き寄せて頭からかぶるが、それはジルの手によってすぐに引き剥がされた。


「ダメよ、今日は聖拝(おいのり)の日なんだから」


「は!? 聖拝なんざ、捧げにいかなくてもいいだろうが」

 勢い良く起き上がって、ジルを睨みつける。


 コイツを面倒に巻き込んできた原因は、証と教会だ。

 そんな教会に、わざわざ金を渡し、祈りを捧げにいく必要なんてないだろうに。

 ……ったく、何考えていやがる。



 当てつけの意味をこめて深く息を吐くと、ジルはむすっとした顔で、俺に人差し指を突きつけてきた。


「もう! いい大人なんだし、甘えないで頂戴。せめて週に一回くらいは、聖拝(おいのり)しないといけないでしょう?」

 俺を叱りつけてくるジルを見つめてふと考え、“なるほど”と納得する。


 確かに、これまで熱心にネラ教を信仰していた娘が突然聖拝に来なくなるのはおかしい。

 ここは、ネラ教のやつらに違和感を抱かれないように、いつも通りに過ごすべきだ。

 ああ。考えが足りていなかったのは、俺のほう、か。


 予想以上に頭の回っていたジルを見直し、自分も見習わなければと感心した。



――・――・――・――・――・――


 準備を済ませた俺たちは、聖拝(おいのり)のため、町の端にある教会へと向かった。

 この町にはネラ教会の中支部があるからか、祈りを捧げるための施設である聖拝堂せいはいどうが他の町よりも大きく、二倍以上の大きさがあるらしい。


 そんな無駄に広い聖拝堂は、神職たちのいる建物の裏側にあるため、俺たちは二人ならんで教会の庭を歩いた。


 隅から隅まで手入れの行き届いたこの庭には、いつも季節の花が咲き乱れていて、ジルはここを通るたび、俺に花の名を教えてくれる。

 ただ、花なんかに全く興味がなくて、俺の頭は未だにバラとユリくらいしか覚えられないままだった。



 聖なる雪の結晶のシンボルが掲げられた三角屋根の聖拝堂が見えてきて、そこへとたどり着いた俺たちは、木製の扉を引いて中へと入る。

 来るのが遅い方だったのだろう。

 もう後ろの方しか席の空きがない。


 今日もまた、毎度お馴染みの熱心なネラ教徒たちが、前の方の席を占領して分厚い教典を膝の上に載せながら、神職の登場を今か今かと待ちわびている。

 “一体、何時から来てるんだか”と呆れてしまい、小さくため息をついた。



「いつも思うんだけど、ステンドグラスのお姿、本当に綺麗よね」

 席に着きながら、ジルは柔らかく微笑みかけてくる。


 顔を上げて、聖拝堂最奥の壁に飾られている、どでかいステンドグラスを見やる。

 そこには慈愛に満ちた微笑みを浮かべる、ネラ神の姿が描かれていた。


 ここいらでは見ない、どこか異国を思わせるくっきりとした顔立ちは確かに美しい。

 あんな娘がこの世に本当に存在していたとしたら、世界を救った過去などなくとも、女神と言われていてもおかしくないだろう。


 腰まで伸びた(あで)やかな黒髪、色白の肌に、柔らかくて美しい笑みは、どこかジルに似ている気がする。

 聖拝も、神職の説教も退屈でしかなかったが、ここでジルの隣に座り、あのステンドグラスを見ているのだけは、嫌いじゃなかった。



「しかしまぁ、ホントにあんな美人なのかねぇ。ブッサイクだったのを美化してたりしてな」

 ふんと鼻で笑い、小声で本音をこぼす。


「シッ、そんな失礼なこと言ったらダメよ」

 誰かに聞こえてたらどうするの、とジルは心配していたが、幸いなことに誰かが気にとめてくるような様子もなく、聖拝の時間がはじまった。



 長々しい祈りの言葉を述べて、聖拝を捧げ終わったあとに、律教(りっきょう)という、司祭よりもさらに上のお偉いさんが、ありがたい説教を垂れてくる。

 それを、隣に座るジルは、姿勢を正し、胸の前で両手を組みながら熱心に聞いている。

 律教の言葉を一言も聞き逃すまいとする姿勢は、とても演技には見えず、俺にはわけがわからない。

 困惑から、律教りっきょうの目を盗んで頭を抱えた。



 そして、ジルは聖拝の時間が終わってすぐ、マルク律教の元へと駆けていき、何やら楽しそうに笑いながら雑談をしていた。

 ジルはあのマルク律教のことを、実の親のように慕っている。

 なんでもアイツは、孤独になった自分の心を救ってくれた恩人なのだそうだ。


 それがまた面白くなくて、睨みつけながら口の端を歪めた。



「お待たせ」

 にこにことした笑顔で戻ってくるジルに対し、強烈に腹が立ってしまう。

 コイツの右手を掴んでずかずかと歩き出し、すぐさま聖拝堂を後にした。



――・――・――・――・――・――


「ちょっと、レオン! 急にどうしちゃったのよ?」

 ジルは俺に引きずられるように、後ろをついてくる。

 右にも左にも店や家が立ち並び、こんなにも民が行き交う大通りでは、とてもじゃないが言えた話ではない。


 口を開けば、怒りでできた言葉が止まらなくなりそうで、無言のままジルを見晴らしの良い広場まで連れて行った。



「とりあえずそこ、座れ」

 ベンチを指差すが、ジルは座ろうとはせず、反抗的な目でめ上げてきた後に、にこりと微笑みかけてきた。


「レオン・ミラー様。わたくし、先ほどからずうっと怒っているのですけれど」

 貴族ではド定番だが、ジルには似合わなすぎる言葉づかいに、自分の表情が一気に引きつったのがわかった。


 コイツには怒りの段階が、数段階あった。

 むくれて口をとがらせるのが第一段階、やけに丁寧な口調で当てこすってくるのが、この第二段階。

 そして、完全に怒らせてしまうと第三段階の『完全無視』へと移行するのだ。 

 

 第三段階に移行する前に、どうにか怒りを鎮めなければならない。

 完全無視が始まってしまったら、少なくとも一時間は口をきいてもらえないどころか、視線すら合わせてくれなくなる。

 第三段階のジルは、俺にとっての一番の難敵なのだ。



 遠くの方では子どもたちが木登りをしたり、追いかけっこをしたりして遊んでいるが、俺たちのいるあたりだけは、やけに静まりかえっていた。



「悪かった。謝るよ」

 ぽりぽりと頭を掻いてこうべを垂れると、ジルは“本当に悪いと思っているの?”とでも言わんばかりの目で見つめてくる。


「腹が立ったんだ」

 正直に想いを伝えると、ジルは眉を寄せてきた。


「それは一体誰に、でしょうか?」

 ったく、敬語かよ。

 どうやらまだ、第二段階は継続中のようだ。


「お前と教会に、だ。どうして今もネラ教をそんなにも信仰する?」

 責めるような口調で言うと、ジルは俺の言いたかったことがようやくわかったのか、わずかに視線をそらしてきて、うつむいた。



「……ネラ様の教えとマルク律教は、家族を失くしてつらかった時、私を救ってくれたから」

 ぼそぼそとジルは言ってくる。

 声高に言ってこないあたり、ジルは自分でもその矛盾に気づいているのかもしれない。


「いまのこの状況は、ネラ教会が原因なのかもしれねぇだろうが」

 小さくため息をこぼすと、ジルは顔を上げて、困ったように笑んだ。



「私ね、教えの中で大好きな言葉があるのよ」


「おい、はぐらかすんじゃねーよ」


「はぐらかしてないから、最後まで聞いて。好きな言葉は、教典の最後の方のページにね、ひっそり書かれている言葉なの」

 空を見上げたジルは優しく微笑み、そっと薔薇色の唇を開く。


「第二百七十五()。『慈雨と陽光』よ」


「二百七十五歌!? あの教典、そんなに大量に教えが書かれていたのかよ」

 驚きのあまり、飛び上がるように身体が跳ねた。


「もう! 教典は、全部で三百歌ありますからね! ほんっとレオンは、興味ないことにはとことん興味ないわよね」

 ジルは呆れたように両腕を前で組み、深く息を吐いてくる。


 こんなんで俺は、本当に教会に神職候補生として潜入できるのだろうか。

 こりゃ、自分でも心配になってきたな……


 苦笑いするしかない俺を見て、ジルは吹きだすように笑っていて。

 「知らないようだから教えてあげるわ」と、カバンから教典を取り出して開き、読み上げていく。


「第二百七十五歌『慈雨と陽光』。そなたの友に、そなたの敵に、慈雨と陽光を降り注げ。虹橋輝き、我らを繋ぐ。愛ある絆は、鎖のごとく、千切れることなく我らを結び、羽毛のごとく、柔かつ温なるものである。弱き我らを支える力は、ここにあるのだ」


「……聞いたこと、ねェな」

 ネラ教の教えにしては、めずらしい内容だ。

 第一歌からの数十歌は、何々をしろだの、するなだの、そんなことばかりが書かれていたような気がする。


「そりゃあレオンは教典を最後までちゃんと読んだことないでしょう? それに、司祭様や律教様も二百歌以降のお話をされることがあんまりないから」


 信仰心が薄い俺には、あんな分厚い教典を最後まで読んで、しかも覚えておくなんて芸当、とても無理だ。

 実際大人になってから教典を開いたのは、まだジルと付き合う前に“ジルに近づくきっかけになれば”と数十歌読んだ時だけ。

 そのせいもあって、俺の教典はしわも折り目もなく、誰のものよりも綺麗だった。



「そんで、その二百七十五歌がどうしたって言うんだ?」

 ジルが持つ教典に手を伸ばして閉じさせ、尋ねる。

 ジルをこんな目に遭わせている教会を、破滅させたいほど憎い。

 正直、教典も二度とコイツの目につかないよう、今すぐに燃やしてしまいたいくらいだった。


 そんな想いを知ってか知らずか、ジルは困ったような笑顔を浮かべた。


「『慈雨と陽光』はね、仲間だけじゃなくて、敵をも大切にしなさい。愛情を与えなさいと教えているの。優しさと理解が人を繋ぐ、そう教えるネラ教会が、お兄ちゃんにひどいことをしただなんて、私にはどうしても思えないのよ」

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