ジルの企み
「おい、嘘だろ……」
ジルの両肩を掴んで、強く揺さぶる。
最長で十年しか生きられないなんて、想像すらできねェし、したくもない。
「なぁ、なんとか言ってくれよ」
無言のままのジルに必死に問いかけると、コイツは泣き出しそうな顔で微笑みかけてきた。
「こんな嘘をついて、どうするの?」
その問いに思わず、息が止まった。
「それは……」
情けないことに、言葉一つ思い浮かばない。
呪いじみた証について話すのにも、勇気がいっただろう。
証があることで、信仰している教会を敵に回さなければならないのかもしれないのだから、なおさらだ。
それなのに、不用意な言葉でジルの心を突き刺して、抉って、苦しめて。
プロポーズをしようと決めた時、コイツを守ると誓ったのに、結局俺が一番コイツを傷つけている。
ああ、どうして俺はこんなにも馬鹿なんだ。
後悔からうつむき、ぎり、と下唇を噛み締めた。
ジルはそんな俺の頬に右手を当て、輪郭をなぞるように頬を撫でてくる。
「もう何年も前から長くないってわかってたわ。だからね、私は結婚なんて絶対にしちゃいけない。それに……付き合うことも、しちゃいけなかったのよ」
柔らかな手のひらが、なぜか普段よりも温かく感じて、視界が歪んでいく。
涙が溢れ出てしまう前に、ジルの手をとって、強く握りしめた。
「死ぬとは、限らないだろうが。運命なんざ決まってるもんじゃねェ」
「自分のことだから、わかるよ。身体の奥底に闇が巣食ってるのを感じるもの」
俺の言葉にジルは困ったように笑い、首を横に振ってくる。
その言動に、俺の心は乱れに乱れた。
未来を諦め、幸せを諦め、死を受け入れようとしているジルを見ているのが、悲しくて苦しくて仕方なかった。
「それならせめて、どうして今まで言ってくれなかった。一人で抱えるのは……辛かっただろうに」
これ以上、死ぬだの生きるだの、そんな悲しい話をしていたくなくて、無理やり話をそらす。
「辛かったし、怖かったよ……でもね」
ジルは俺の手をきゅっと握り返してきて、再び口を開いた。
「少しでも長くレオンのそばにいたかった。普通に生きていたかった。全部伝えたら、全てが壊れちゃうって思ったの。ずるいね、私」
「そんな……」
愕然として、頭が、口が、動かない。
そんなことで離れていくと、そう思われていたことがショックだった。
プロポーズで放った“一生守る”の言葉も“俺はいつだって味方だ”の言葉も、何一つジルの心の奥には届いてなかったのだろう。
「ねぇ、レオン。私たち別れよう」
クソ……何が“別れよう”だ。このバカ女。
どこまで俺を見くびってやがる。
ジルの両手をとって、空色の瞳を睨みつけるようにして見つめた。
「いや、別れる気はない。やはり、結婚しよう。何があったってお前の味方でいるし、守り抜く。必ず幸せにすると誓う」
しょうもないことばかり考えるコイツの頭に叩きつけてやろうと、一言も聞き逃させないようにしっかり言葉を紡いだ。
ジルは瞳を潤ませていき、静かに首を横に振る。
「……ありがとう、でもやっぱり結婚だけは、無理よ」
「なぜだ、俺はそれでもしたいと言ってるだろうが」
「私は十分幸せだったし、あなたの枷にはなりたくない。それに、もう決めちゃったの」
「決めた?」
やけに明るくきっぱりとした口調で“決めちゃった”と言うジルに、顔をしかめた。
「私はね、教会の裏側を見に行かなきゃいけないのよ」
「は? お前、何を企んでやがる」
わけがわからずに怪訝な顔をすると、ジルは先ほどまでの表情が嘘だったかのように、くすくすといたずらっぽく笑った。
――・――・――・――・――・――
それからは、説明下手のジルの話を、ひたすら聞き続けた。
頭の中を整頓せず、思いつくままに話しているのか、何度も内容が前後し、ジルの言いたいことは正直分かりづらくて、難儀した。
聞き返しを繰り返しながら、長い時間をかけてようやく、コイツの意図を理解し、絶句した。
どうやらジルは、神職候補生として教会にもぐり込もうとしているようだった。
少しずつ階級を上げていけば、教会と証の関係について何かがわかるかもしれない――と、考えたらしいのだ。
俺としては、割れそうなほどに頭が痛くなる事態だった。
プロポーズを断られ、おまけにいつ死ぬかわからないとかふざけたことを言われて、こちとら未だに頭も心もついていかない状態なんだ。
頼むから、少しくらい察してくれよ……。
それに、ジルの兄であるジェスさんの警戒が正しいものだとして、証をもったまま敵陣にのりこむなんざ、考えなしの阿呆にもほどがあるだろうが!
「あーもう、わかった。わかったよ」
意気込むジルに対し、俺もやけくそになってしまい、右手をひらひらと振って深く息を吐く。
こうと決めてしまったジルはもう、誰にも止められない。
職人のジィサンたちの強情っぱリも霞むほど、コイツはとんでもなく頑固なのだ。
ネラ神の生まれ変わりだとは思えなくなってしまった理由も、実はここにあった。
「わかったって、何が?」
真剣に話そうとしない俺の態度に腹が立ったのか、ジルは眉を寄せ、口を尖らせてくる。
そんな顔も愛おしいと思ってしまう俺は、相当コイツの毒にやられている。
「ネラ教会の潜入には、俺が行く」
「何言ってるの! ダメよ、そんなの。レオンを巻き込みたくない」
すがるように身を寄せて、声高に説得してくるジルに、心底呆れた。
確かに俺を巻き込みたくないというジルの気持ちは、痛いほどにわかる。
もしも俺が同じ立場なら、ジルと同じことを言うだろう。
だからこそ、さっき俺は“味方でいる”“守り抜く”“必ず幸せにする”と、強く言ったんだ。
なのに、どうしてコイツはそれを、理解しようとしないんだ。
「俺はお前一人に抱え込ませたくない。自分から巻き込まれに来てんだ。気にすることじゃねェよ」
両肩を掴んでジルを見やる。
今度は俺がコイツを説得する番だった。
「でも……」
「俺はこれでも下流貴族、恐らくお前より数倍出世も早い」
ふふん、と見下すようにジルを見る。
「ううっ」
悔しい、とばかりにジルは唸り、口元を歪めていた。
もうひと押しだ、くらえ!
「それに、幸いなことに、このローリア町はネラ教の中支部もある。俺たちはまだ、共に居られるんだ。結婚は保留にするとしても、関係を続けることに、何を迷うことがある?」
ジルは、ぱくぱくと空気を求める魚のように口を動かした後に、がっくりとうなだれた。
「はぁ……だめね。レオンには勝てないわ」
「たりめーだ。百年早ぇよ、馬鹿」
「本当に、ごめんね……」
苦しげな声でぼそぼそと謝ってくるジル。
「おい、そこは“ありがとう”だろうが」
こつんと額を小突くと、ジルは「いたい」と声をあげ、両手で頭を押さえながら笑った。
「ふふ、そっか。ありがとう。レオン、私やっぱり貴方から離れられないみたい」
ああーもう!
どうしてコイツはこうなんだ!
無自覚に煽ってくるジルを、壊してしまいそうなほど強く抱き締めて、首元に顔を埋めた。
離れられない、敵わない、とジルは言うが、本当にそう思っているのはお前じゃない。
この温もりを失いたくないと依存しているのは──きっと俺のほうなんだ。