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ナナカマドのブーケ

ここまでお話を改稿しています。

長くなったので前回は一話分だったのですが二話に分けました。

「もう大丈夫だ」

 振り返ってジルを見ると、身体は変わらず微かに震えている。

 ずっと怖かっただろうし、強張っているだろうと思いきや、表情は変に穏やかで。

 外から射す光を浴びながら微笑むジルは、神聖な女神のようにも見えた。


「ねぇ、レオン」

 ジルは、おっとりと俺の名を呼んでくる。


「なんだ」


「形だけでいい。ここで結婚式、したい」


「は?」

 わけがわからなかった。

 明日届を出し、そのまま教会で簡単な式を行う予定なのに、なぜいま、こんなところで?


 眉を寄せてジルを見るが、コイツは説明をしようとする気が無いのだろう。

 にこにこと笑いながら、ポケットの中から赤い実がついた小さな枝を取り出してきた。


「ほら、レオンにあげようと思って摘んでおいたナナカマドのブーケもあるのよ。ちっちゃいけど」


「お前、何言って……ッ!」

 呆れて視線を落とし、そのまま声を失った。

 地面に転々と落ちているのは、深紅の血。

 そして、ジルの足元には、じわりじわりと血だまりが広がってきていた。


 あまりの出血量に、全身が震えた。

 どこかで転んで怪我をしたとか、そんなのとは比べ物にならないほど、尋常ではない量だ。

 

 恐らく、一人で逃げている最中に、先ほどの傭兵に背中を斬られていたのだろう。



 あまりにも非情な現実を前にし、やっと言葉にできたのは、たった一言だけ。

「嘘、だろ……?」


 ジルはどこか虚ろな瞳で呼吸を荒くし、次第に顔を青白くさせていきながら、笑う。

「最初から、捕まえる気なん、て、なかったんだろうね、あは、は……」


 愕然とした。

 止血をしようとかそんな単純なことも思い浮かばないくらいに、放心状態になって立ち尽くす。

 ひょっとしたら、あまりの出血量に、何をしても手遅れだと、心の奥底では気付いていたのかもしれない。



 そんな俺を見るジルは、青白い顔のまま、穏やかに微笑んだ。


「お願い、レオン……ただの自己満足なのはわかってる。それでも、式をあげたい、の。夢だったんだぁ……」


「どうして、十年たってないだろう! まだまだお前は生きていられる」


 そうだ、十年!

 期限は最長で十年あるんだ。

 きっと、助けてやれる。


 情けないことに、あんなに憎んだ十年のリミットに今度はすがりつく。



 救ってやることがどんなに絶望的な状況だったとしても、現実なんか見たくなかった。

 俺はまだ、コイツを離したくなんかないんだ……!



 ジルに駆け寄って腕をつかむと、コイツは静かに首を横に振ってきた。


「お兄ちゃんなんて、たったの五年だった。私は……十分生きられたし、……だったわ」


「ジル……?」

 よく聞き取れなくて、何を言ったのか疑問に思うと同時に、ジルから力が抜けていき、華奢な身体が崩れ落ちていく。

 急ぎ抱きとめて、ジルを横に寝かせた。



「諦めるなよ、一緒にあの家へ帰ろう。な?」

 ジルの手を握り締めて必死に声をかける。

 コイツが死を受け入れてしまったら、それが本当になってしまいそうで怖かったのだ。


 だが、ジルは虚ろな瞳で優しく笑った。


「ううん、自分の終わりくらい、わか、るよ。もう、レオンの顔もね、霞んで、るんだ……」


「そんなこと、言うな! 頼むから、諦めないでくれよ……」

 ジルの手を寄せてひたいにあてて頼みこむが、ジルからの返答はなかった。



 しんと静まり返った洞窟の中、柔らかい声が響く。

「レオン・ミラー。貴方、は……ジル・ウォーカー、を、最期の時まで愛、することを、誓い、ますか?」


「おい、やめて、くれ……明日、式は明日一緒にあげるんだ」

 必死にすがりつくが、ジルは涙を浮かべながら微笑むばかりだ。


 大好きだったはずの笑顔が、俺の胸の奥をぐちゃぐちゃに掻き乱してくる。

 儚さを感じさせるその顔を見ているのが、悲しくて、苦しくて仕方がなかった。



「誓い、ますか?」

 声を震わせて尋ねてくるジルに、視界がぼんやりと滲んで揺れていく。


 ジルは、自身の最期を受け入れ『式を挙げたい』という、最後の望みを叶えようとしているのだろう。

 その願いを跳ね除けることなんか、できるはずもなかった。


「はい、誓います」

 ほそっこい手をきつく握りしめて、はっきりと言い放つ。

 ジルは力はないが嬉しそうに微笑んで、俺の手を握り返してくれた。

 そんなジルを見つめ、静かに口を開く。


「ジル・ウォーカー。貴女は、レオン・ミラーを……最期の時まで愛することを誓いますか?」

 情けなく声が揺れる。

 ジルのすぐ隣に死が迫っているのが、はっきりとわかってしまったのだ。

 コイツがいなくなってしまうと考えただけで、この身がズタズタに裂けてしまいそうだった。 



「はい、誓い、ます」

 ジルは、震えた声で言う。


 顔を近づけて、静かに誓いの口づけを交わした。

 最後のキスは、苦い涙の味がした。

 ジルの目からも、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちていく。


「ありがとう、レオン。そして、ごめん、ね」


 ごめんという言葉に、力いっぱい首を横に振った。

「何がごめん、だ。迷惑掛けられて振り回されてるのは、いつものことだろうが」


 震える声で発せられた俺の憎まれ口に、ジルは息を荒げながらも微かに笑う。



「ねぇ、証のこと、頼んでいい、かな……レオンにしか、頼めなく、なっちゃった……」


「ああ、心配するな。任せろ」


 ジルは小さく「ありがとう」と言い、きゅっと俺の手を掴んでくる。

 そして、一際大きく息を吸った。

 空気を必死に取り込んで、最後まで生き抜こうとするその姿は、強く儚く、何よりも美しくて……ただひたすらに悲しかった。

 

 焦点も合わなくなってしまったジルは、俺の顔を見つめて口を開く。


「貴、方のおかげで……ステキないい人生だっ、た。ありが、とう。愛してる、わ、レオ……ン」

 にこりといつものように優しく微笑んだジルは、ふっと力を失くした。


 ことりと手が地面に落ちて、音も無くナナカマドが転がり、洞窟内に、耳が痛くなるほどの静寂が満ちていく。


 いまこの瞬間に、ジルがこの世のどこにもいなくなってしまったことを、知った。



「ジル、ジル! なぁおい、ジル……っ」

 何度も揺さぶって呼びかける。


 返事がないのは……当然だとわかっていた。

 だが、この現実を受け入れたくなんかなかった。


 また、まぶたを開いて、空色の瞳に俺を映して欲しかった。

 何度でも何度でも、聞き飽きるほどに俺の名を呼んで、微笑みかけて欲しかった。



 これがただの酷い悪夢であることを願い、愛しい者の名を呼び続ける。

 揺さぶるたびに、力の抜けた身体が、嫌というほどジルの死を突き付けてきて、涙が溢れてくる。



 やがて、口を閉ざして、動きを止めた。

 ジルの顔を見ると、血色を失ってはいたが、穏やかな笑みが浮かんでいる。


 なぁジル。

 もう、二度と会えないのか……?


 声も聞けない。

 触れられもしない。

 いつものように、微笑みかけてもくれないのかよ……?



 この身体が破裂してしまいそうなほど、胸の奥から感情の渦が溢れ出してくる。


 せき止められていた想いが溢れ、わめきながら泣き出した。

 鈍色にびいろの岩肌に幾度も反響する声はあまりに大きく、自分から発せられたものだとは思えないほどだった。



 涙をぬぐうことさえ忘れていると、おかしな光景が目に飛び込んでくる。

 ジルの左胸から漆黒の光が溢れ出していたのだ。


「おい、何しやがる!」

 急にジルの重さが無くなった。

 黒い光は次第に広がり、ジルの身体がわずかに浮かんでいく。


 それと同時に、ジルがかつて『お兄ちゃんは闇に取り込まれて、消えちゃった』と話していたことを思い出した。


 まさか、証は魂だけじゃ飽き足らず、コイツの身体も奪っていく気なんじゃねェだろうな……!



「くそッ、やめろ、やめてくれよ!」

 ジルをきつく抱きしめるが、黒い光はジルだけを包みこみ、球体に縮まり出した。

 必死に光を手で払おうとするが、何の効果も無い。

 光は頭から首、胸、足先から膝、腹へと縮まって、ジルの身体を飲みこんでいく。


 

「っ、なんでだよ……」

 最後まで見えていた繋いだ手も包みこまれ、黒い光は何一つ残してくれないまま、天に昇る泡のようにほどけて、音も無く消えた。



亡骸なきがらすら、葬らせてくれねェのか……」

 手のひらに微かに残った愛しい温もりを、ひたいへとあてる。



 やがて、甲高い耳鳴りに似た音と共に、ジルの左胸にあった“裁きの証”が空中へと現れた。

 俺の目の前で浮遊していたそれ(・・)は、ガラスが砕け散るかのように割れて消えていく。

 自身のシャツの前身ごろを引いて胸元を見ると、“裁きの証”が夜の闇のように青黒く光輝いていた。


「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう……ちくしょう……っ」

 地面を何度も力いっぱい殴りつける。

 血がにじむのも、皮がむけていくのも気にならなかった。


 この世は非情だ。 

 救国の神ネラなど、後にも先にもどこにも存在しない。

 ネラ教会も、ジルを苦しめるだけ苦しめて、救ってなどくれなかった。


 こうやって、誰かを責める俺だって、アイツを冷酷な運命から救ってやれる力もなく、口ばっかりで。

 何もしてやることができず、苦しみを背負ってやることもできなかった。



 ジルだけに不幸を背負わせたまま、逝かせてしまった。


 どうして俺はこんなにも無力で、不甲斐ふがいないのだろう。



 薄暗い洞窟の中で一人、薔薇の花びらような血だまりを握り締めて、声を詰まらせながら涙したのだった。

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