思い出の地
それからジルと共に林を抜けて、ガキの頃友人たちと遊んだ風車を見に行った。
背が伸びたからだろうか。
迫力があって、とてつもなくデカイと思っていたそれは、記憶よりもずいぶんと小さく見える。
風車の周りを散策しながら、二人で昔の話を数えきれないほどしていき、懐かしさに浸っていく。
ジルはあの頃の友人の名をあげていき「まさか、あのいたずらっ子で威張りん坊な貴方と付き合うことになるとは思わなかった」と、楽しそうに笑っていた。
次に向かったのは町だ。
はじめて二人でデートをしたレストランに入り、この町の名物であるアツアツのパンシチューを久々に食べた。
味は変わらず最高で、一番人気なのがわかる美味しさだったが、昨日ジルが作ったパスタのほうが食べた時の感動は大きかったように思う。
それを本人に伝えてみると、はにかむような笑顔を見せてくれて、思いきって言ってみるのも悪くないと知った。
これからもそういう言葉はもっと伝えていこう。
笑顔の似合うジルにはずっと、笑っていてもらいたいから。
食事を終えてレストランの外へ出ると、花壇にピンク色の花が植えられているのが、ふと目に入る。
大量に咲くヒラヒラとした花に視線を向けたジルは、嬉しそうに微笑んで口を開いた。
「ペチュニアね、いまの私にぴったり」
花壇のふちに落ちていた花をつまみ上げたジルは、それを俺に渡してくれる。
ジルはいつもそうやって花を見ては嬉しそうにしたり、寂しそうな顔をしたりする。
そうなる理由を聞いても、毎度くすくす笑いながら“内緒”と言われるばかりで、ジルがその時に何を思っているのか、いくら考えてみても、よくわからないままだった。
昼食を終え、特にすることもなくなってしまったため、語らいながら川沿いを散歩したり、公園の日向で休憩したりと、久しぶりに外でゆったりとした時間を過ごした。
ふと空を仰ぐと、朝から出掛けていたというのに、徐々に端から赤く染まりつつある。
楽しい時間は、過ぎるのが早いのだと改めて感じてしまう。
「そろそろ帰る?」
ベンチから立ち上がって尋ねてくるジルを見て、俺も腰を上げた。
「なぁ。行きたいところがあるんだが、いいか?」
「いいけどもう暗くなるわよ。どこに行くつもりなの?」
小鳥のように首をかしげるジルを見やり、にこりと笑いかける。
「それは行ってのお楽しみ、ってやつだ」
――・――・――・――・――・――・――
賑やかな町を抜けて小高い丘を越え、俺たちはようやく目的の場所にたどり着いた。
「レオン、ここって……」
手を引かれながらゆったりと歩くジルは、呟くように言ってくる。
歩みを止めたのは、白波だけがさざめく、穏やかな場所。
あの日と同じように視線の先には、燃えるような赤い空と、蜜色の海とでできた水平線があり、滲んだ夕日が沈みかかっていた。
優しい赤で埋めつくされた世界を眺めながら、肺の奥底まで届くほどに深く息を吸う。
「そう。一年前、告白したあとに一か月以上も返事を待たされた場所で、次はプロポーズを拒絶された場所だ」
「どうして、こんなところに……?」
ここに来た意味などわかりそうなものなのに、そう尋ねてくるのは、察しが悪いからなのか、なんなのか。
微かに震えたジルは隣で、喜びと悲しみ、不安と希望が織り交ぜられたような、複雑な顔をしていた。
おろおろとした雰囲気を出しているジルに向き直り、伏し目がちな空色の瞳を見つめる。
「ジル、お前の宿命はよく知っている。だけど……」
俺の目を見ようともしてこないジルにしびれを切らし、両腕を荒っぽく掴んだ。
突然すぎる行動に驚いたのか、ジルは顔を上げてきて。
もう二度とはぐらかされないようにと、視線を合わせた。
「俺と、結婚してくれないか。お前のそばに、誰よりも近くにいたい。形ある繋がりが欲しいんだ」
言い聞かせるように言葉を紡ぐと、ジルは瞳を潤ませ、困ったように笑う。
「私、もうすぐ死んじゃうのよ。何年ももたない。ひょっとしたら、終わりの日は今日かもしれないよ……?」
悲しみと優しさが混ざった微笑みに、胸の奥は抉られるように痛み、喉いっぱいに苦い味が広がったような感覚がした。
涙がこみ上がってきそうになるのをこらえ、深く息を吸う。
「もし、そうだとしても関係ない。お前だけを愛する。いや、もう……お前しか愛せないんだ。だから……」
数ヶ月間箱に入ったままだった指輪を取り出して、ジルの柔らかい左手をとった。
「馬鹿すぎるわ……貴方を遠ざけられずに、この距離を保とうとし続けている私も、全部わかっていてそんなことを言ってくる貴方も」
ジルは手を振り払おうとはせず、ぽろぽろと大粒の涙をこぼし、むせび泣きながら笑う。
「お前の側にいられるのなら、俺は一生馬鹿なままでいい」
左手の薬指に、ダイヤモンドの付いた指輪を通していく。
華奢で色白な指に、シルバーの指輪はよく馴染んでいて、はじめからそこにあったかのように優しい輝きを放ちだした。
「綺麗……私にはもったいないくらいに、とっても綺麗」
声を震わせているジルは、祈るように両手を額にあてて、何度もしゃくりあげていく。
微笑みながら泣く姿を、声も出せないまま、ただ見つめていた。
ダイヤモンドに似た涙をぽろぽろとこぼすジルは、朝露を浴びて光る、儚く美しい花のようだった。
やがて、嬉しさと切なさでたまらなくなってしまい、手を伸ばしてジルを掻き抱き、ぶっきらぼうに言葉をかける。
「なぁ、ジル。早くくれよ!」
「レオン……?」
いきなりの言葉かけに、ジルは腕の中で、きょとんとした様子だ。
「あーもう、お前は察しが悪いな。返事だよ、返事! 今度は嫌とは言わせねェぞ」
荒っぽく声をかけると、ジルは泣くのをやめて、今度は「催促の仕方が、全然ロマンチックじゃないわ」と、くすくす笑いだした。
「うるせェ、ほっとけ」
拗ねて顔を背けた俺の頬にふと、柔らかく、温かいものが触れる。
すぐにそれが、ジルの唇だったとわかった。
「ありがとう。貴方のプロポーズ、謹んでお受けいたします。だって、レオンは私がいないと、すぐに不摂生するものね」
「ったく、お前なぁ……」
ジルを見下ろして小さくため息をつくと、コイツはまた幸せそうに微笑んでいた。
涙で湿っぽくなるより、こうやってふざけ合って笑うほうが、俺たちらしい。
そんなことを考えながら、ジルへと視線を送る。
ジルも顔を上げて視線を合わせてきて、穏やかな波の音を聞きながら、俺たちはキスをし、顔を寄せ合い、笑い合う。
未来を思うと胸の奥から苦しみがこみ上げてきたが、それでもいま、ジルといるこの瞬間が、間違いなく人生で一番幸せな時だと、そう思った。
唯一無二な女をこの腕に抱いて、心に誓う。
最期の瞬間まで、絶対にお前を離さない。
何があったって、側にいてみせる、と。
わけのわからない証の呪いなんかに、ジルを連れて行かせてたまるかよ。