傷付いた心
その日レドは朝起きる時間に目覚める事が出来なかった。
それは彼にしか理解できない……いや、きっと理解してもらえない悲しい事が合ったからだ。
きっと話した所で誰も分かってくれない……特に女は。
「くそっ、これも魔王が悪いんだ。奴のような存在が居るからこの世から悲しみと苦しみがなくならないんだ」
あの名も知らぬ女との悲劇の別れから数日後。
レドが女をヤリ捨てたと言う根も葉もない噂が町に広がっていた。
レドはその噂を否定したが、多くの者に信じてはもらえず無力感に打ちひしがれていた。
そしてリーナの店からも数日間の出禁をくらってしまったが、それはよくある事なのでダメージは少なかったが取り合えず落ち込むことにしたレド。彼に救いは訪れるのか?
それはまだ、誰も知らない。
「レーくーん遊びにきたよー」
布団の中で現実逃避をしていたレドの耳に幼くも美しい聞き覚えのある声が届いた。
「アンナどうして此処に?」
「レーくんに会いにきたんだよ?」
布団からレドが顔を出すと、首を傾げて何処か困ったような笑みを浮かべるアンナ。
「いや、だって鍵かかってただろ?」
「開いてたよ。もうダメだよ?戸締まりはちゃんとしないと」
「悪い」
「もう、レーくんは本当におばかさんなんだから」
本当に駄目な人とでも言いたげな、でも優しげな顔でアンナはレドを起こすと、朝食に誘った。レドは彼女の誘いに乗るとベッドから身体を降ろした。
「朝はたべないとダメだよ?」
「ん、わかってる」
「うん、じゃあいこうレーくん」
優しく微笑むアンナに手を引かれ、レドは遅い朝食の待つ部屋へと向かった。
「はい、めしあがれ」
「ああ、上手そうだな」
笑顔で進めるアンナに、レドはお世辞ではない心からの誉め言葉を送る。
事実そこまで凝った物では無いが、この歳の少女が作る朝食としてば充分過ぎる程の物であった。少なくともレドには作れない朝食だ。
「うん、うまい」
「ふふ」
アンナはレドの向かいに座り、うまいうまいと料理を食べていくレドを嬉しそうに眺める。
「本当にアンナは良い女だな」
「ありがとう。ふふ、結婚する?」
「ああ」
今はまだ早いがこんな将来有望な美少女なら喜んでとレドは冗談半分のアンナの言葉に頷く。
「じゃあ指輪ね」
「……やっぱり俺達にはまだ結婚は早いと思うんだよ」
「レーくんの馬鹿、浮気者」
なんとでも言えとばかりにレドは批難の言葉を無視して食事の手を進める。そんなレドを見て仕方ないなとアンナは呟くと、レドに笑いかけた。
「ご馳走さま」
「はい、じゃあ片付けるから少し待っててね」
「いや、それくらい俺がやるさ」
「いいの、それはまた今度にとっておくからね」
「そうか、分かった」
微笑みながら食器を持っていたアンナの背中を見送り、本当に良い女だなと笑みを浮かべるレド。これではロリコンの疑いを持たれても仕方ないと彼は分かっているのだろうか?だがそんな疑問を彼に投げ掛ける者はこの場には居ない。
「はい、お待たせ」
「ああ」
しばらくして、二つのカップを持ったアンナが部屋に戻ってきた。
「ほら、レーくんよこによって?」
「うん?隣に座るのが」
「うん!もしかして、ダメ?」
隣に来て不安そうに此方を見上げるアンナに、レドは首を振って隣を空けた。
「えへへ、レーくんのとなり~」
「お、嬉しそうだな」
「だってレドくんとこうしてるの久し振りなんだもん」
「そういえばそうだっけか?」
「そうだよ、レーくんのばか」
言われてみればそうかも知れないなとレドは考える。そういえば軽い会話は交わすが、家に来たりといった事は前よりも少なくなったなと思い直す。
そんなレドの思考を読んだのかは分からないが、アンナは少し眉を寄せる。
「まえはお父さんと一緒に家にもきたりしてたでしょ?」
「そういえばそうだったな、最近は店でおっさんと飲む事はあっても家には誘われてないな」
「でしょ?レーくんってばほんとにダメダメだね」
「おっと酷いなアンナは」
アンナの言葉に笑みを浮かべておどけて喋るレド。そんな彼の顔を見るアンナは困った弟を見る姉のようでもあった。
「そういえば何で最近は誘ってくれ無いんだろうな?」
「レーくん……それほんきで言ってるの?」
「どうして?」
本当に思い当たるふしが無いレドに、アンナは少女らしくない大きなため息を吐いた。
「レ、ド、く、ん、が!お母さんを口説いたからでしょ?」
「ああーいやーはは、若気の至りだな」
「一年もたって無いんだけど」
呆れた声で責めるアンナに、笑って気にするなよと返すレド。アンナは誰のせいでこうなったと内心思いながら、不機嫌そうに眉を寄せる。
ただ、不機嫌さの理由は自分の母を口説かれた事よりも、目の前の男に会えない時間が増えた事による寂しさから来ていた。
「しかし、それでおっさんは家に連れて行きたがらないんだな。良い歳して嫉妬とはおっさんにも困ったもんだ」
「え?」
「ん?」
レドの納得したという言葉に、コイツなに言ってるんだ?と言う目でアンナが見返す。そんな少女の反応にレドもどうしたんだと視線を返した。
「なに言ってるのレーくん?怒ってるのはお母さんだよ?」
「なんだって?」
「うん、なんでそんなに不思議そうなの?口説いた日にレーくんをおいだしたのもお母さんだよね?」
「いや、それは俺に心が揺れてるのをおっさんにバレないようにするための演技だろ?」
「馬鹿なの?」
勘違い野郎此処に極まれりと言いたくなるような馬鹿発言に、アンナは普段と違う心からの罵倒をレドに投げかけた。
「え、本当に?」
「うん」
「と、みせかけて」
「いないよ」
「いやいや」
「うん、お母さんが怒ってるの。お母さんがレーくんを嫌いなの」
「嘘……だろ」
止めの言葉にレドは項垂れる。
本当にショックだったのだ。野郎から嫌われるのはレドも気にしない。そして女でもそこらの女に嫌われてもレドは気にしない。
なにせレドは男女平等を心掛けている。自分の食指が動かない奴は女でも気にしないし、男はそもそも論外。
ただし、アンナの母親は別なのだ。
「れ、レーくんそんなに落ち込まなくても」
しかし、そんなレドの反応にアンナの方が驚いた。何だかんだ言って彼女から見たレドは、そんな事を気にするような精神の弱い人間には見えなかったのだ。それこそアンナだからそう思うだけで、言い方を変えれば厚かましい自己中勘違い野郎と言っても良いだろう。ただし、本当にそれなりにモテるのだが。
「だってアンナの母親なんだぜ?」
「え?」
そうなのだ。その女天使のような美少女と町で噂のアンナの母親なのだ。
それはもう美人だ。アンナと同じ綺麗な髪に男受けする身体。何故あんなおっさんがあの人をと、町で悔し涙を流した男はレドだけではない。
「そ、そっかわたしのお母さんだもんね?そっかレーくん、そっか」
「ああ、当然だろ」
納得したように可愛らし顔を赤く染めて頷くアンナにレドは力無く答える。
絶世の美女から嫌われていると言われれば、表面上『あ、俺気にしてないんで』と取り繕った所で心の中では強弱の差はあれど心、を痛めたるのが男だ。
「もう、レーくんはおばかさんなんだから。でも大丈夫だよ私も一緒に謝ってあげるから、ね?」
「協力してくれるのか?」
「うん!」
「アンナ!」
「あんっ、もう、れどくんってば」
聖母のようなアンナの微笑む姿に、レドは感極まりアンナを抱きしめた。そして突然の抱擁に驚きながらも、何処か歳不相応な幸せそうな笑みを浮かべてアンナもレドを抱き締め返した。
「アンナ!俺頑張るから」
「うん!」
「絶対幸せにするからな」
「うん。でもわたしも頑張るから、二人で幸せになろうね?」
今の二人を見れば歳の差なんて関係無いと、世の男女と感動する……かもしれなくもない二人の、二人だけの世界がそこにはあった。
「アンナ」
「うん」
「俺、良い父親になるからな」
「も、もうレーくん気が早いよ」
「レーくんじゃなくてこれからはお父さんと呼んでくれ」
「も、もう。わたしまだ、その子供はね?わたしまだ13歳だし、その恐いし……で、でも嫌じゃないんだからね!?」
「アンナの年齢なんて関係無いさ」
「もう、それはレーくんの子供ならいつかはって思うけど、でもどっちにしてもしばらくは二人っきりが良いな。えへへ」
「はは、何言ってるんだよアンナの母さんと俺。そしてアンナの三人……だろ?」
「だから子供は……ん?お母さん?」
幸せな未来を想像してイチャついていたバカップルのようなアンナとレドだったが、此処に来て両者共にそれぞれの言葉に違和感を覚えた。
「ねえレーくん?」
「お父さんかパパで良いんだぞ?」
「ねえパパ?」
「なんだいアンナ?」
甘えた声でレドを抱きしめたまま見上げてくるアンナにレドは父性に溢れた表情で返した。子供を欲しいと思った事がなかったレドだったが、アンナのような娘なら一人の父として愛せると、この瞬間だけは確かに思ったのだ。
「パパは誰のパパになるの?」
「はは、勿論アンナのパパだろ」
「うん。それでパパのお嫁さんは?」
「決まってるだろ」
「うん、そうだよね?」
えへへとはにかみながら、しかし何故か見えない圧力を感じる声でアンナは先を促すように抱きつく腕の力を強める。
「アンナのお母さんだ」
「は?」
「え?」
レドの言葉を切っ掛けに温もりに溢れた二人の世界に冬が訪れた。暖かな春を感じさせる二人の世界を崩壊に導く圧倒的な冷気を感じさせる冬が来たのだ。
「レーくん。お母さんはわたしのお母さんなんだよ?」
「ああ、そして俺の妻「にはならないよ」え?」
「なんでお母さんがレーくんみたいな浮気男と結婚しなきゃいけないの?それにお母さんはお父さんとふうふだし、ゆびわもしてるんだよ?レーくんばかなの?ばかだよね、ばか」
怒りと涙を堪えた顔で最後は胸に顔を埋めるアンナ。そんな少女を見てレドはやっと自分の勘違いに気づいた。
そう、アンナはまだ13歳なのだ。突然父親が変わるなどと言われて受け入れられるだろうか?あんなおっさんとは言え父親だ。アンナだけに。
そんな男と実の母親を離婚させるなどと言う罪の重さにこんな少女が耐えられるだろうか?
「アンナ悪かった」
「ぐすっ、レーくんのばか。それにまだ何かばかな勘違いしてるきがするレーくんのばか」
「気のせいだ」
「言っとくけどお母さんとレーくんが結婚する事なんてぜったいないから」
「それでも良いさ」
よくよく考えればレドにとってはその方が良いのだ。指環はしたくないし、男女の親密な、主にベッドの上での恋人でさえいてくれれば。
「からだのかんけいとかもないから」
気が落ち着いたのか、何だかんだだ慣れてるのか冷静さを取り戻したアンナは、睨み付けるような呆れた目をレドに向ける。
「なんで?」
「レーくんって馬鹿だよね」
「世の中馬鹿ばかりさ」
「はあ」
「まあ、アンナのお母さんの事はまた今度考えよう」
「うん、まあどっちにしても今のままだとわたしも困るけど、はあ、レーくんのばか」
「おいおいそんな馬鹿馬鹿言われて俺が何かに目覚めたらどうするんだよ」
そういう馬鹿みたいな事を言うからだとアンナは思いながらも、でもそれはそれで良いかもなんて思いもした。
なにせそうなればレドは女には更に相手をされなくなる。そうなった後でレドが頼れる女は誰か?そう、自分だけだ。なんて事を何処まで彼女が思っていたかはさだかでは無いが、アンナは色々と諦めたようにため息を吐いた。
「ほんとーにレーくんはダメダメなんだから」
「はいはい、それより出かけるぞアンナ」
「え?何か買い物?」
「いんや、何か甘いものでも食べさせてお姫様のご機嫌取りでもしようかと思ってな」
「……ばか」
「嫌か?」
からかうような、けれど何処か不安そうに揺れるレドの瞳を見つめてアンナはまたため息を吐いた。
「いいよ」
「よし!じゃあ行こう!」
「あ、もうレーくんは」
自分を抱き上げて走り出すレドの胸に顔を埋めて、アンナは眉を寄せる。しかし、それも長くは続かず諦めたように微笑んだ。
「本当にレーくんはおばかさんなんだから」
つづく
何か思ってたのと違う方向に進んでくけど仕方ないなぁだよね