或いは愛と暴力に満ちた星1
高校一年にもなって夜更かしなんかの軽い悪さすら極力避け、毎朝早くから起きるのが僕の習慣だ。
別に品行方正を謳う為ではなく、単純に身の安全を確保する為だ。というのも、下手な寝坊でも冒そうものなら妹や姉が起こしに来るからだ。
身の安全、妹や姉、そのキーワードで高校生にはやや刺激的でエロティックなアレコレを想像する人は居るだろうし、事実そういう事が起きるのだが、
僕…愛流悟にとってはそれが看過出来ない危機になる。
まあ、そうは言っても事が起きる時は起きる。だから僕はそれらに備えなければならない、それは肉体に表れる。
ベッドから降りて手早く制服を着て鏡を見る。
鍛えたくもない筋肉がしなやかに鍛えられ、整えたくもない均整の整えられた肉体。
そんな、遺憾ながら素敵に見えてしまう体の上に乗る顔は精悍というより、ほんのりベビーフェイスのかかった優男顔だ。目付きだけは日頃の気苦労を反映しているだろうか。
陰のある幼顔だ。
要するにそれなり女ウケしてしまう顔だ。
つまり僕はハッキリ言ってイケメンだ。
その事に毎朝溜息が出る。憂い顔も素敵だ等とは思わぬよう、眉間に過剰な皺を作る。
寝癖で勝手にビジュアル系…確かウルフなんとかっぽくなった髪型を整髪料でカッチリと七三分けに固めて太縁の丸い伊達眼鏡を掛ける。
イケメンをなるべく隠したステレオガリ勉スタイルに不備が無いか確かめる。
七三の分け目から二、三房逃れていたので特にガッチリと固める。
とりあえず問題無し、僕は自分に頷き掛ける。
惜しむらくは制服がブレザータイプである事か。学ランであればステレオガリ勉スタイルとの親和性を発揮してくれるのだが、詮無いたらればだ。
自室から出て、階段を降り、キッチンに立っていつも通りに三人前の朝食とお弁当を作る。
「悟ちゃんおはよ〜う」
「おはよう、姉さん」
スクランブルエッグに取り掛かっている所で姉がモニョモニョと寝惚けた様子でリビングに現れる。
「今日のご飯なあ〜に〜」
「トーストと、スクランブルエッグに刻んだウインナーを入れてみたよ。お弁当はお昼の楽しみって事で」
愛流陽花姉さんの性格は一言に噛み砕けばのんびりしたしっかり者だ。
「あ〜、今日もお弁当作ってくれたんだあ」
「要らなかったかな」
「要るよ〜要る要る〜。悟ちゃんはお財布に優しいね〜」
社会人で、少年漫画雑誌の編集者をやっている。
巨乳であり、ぽっちゃり系だ。
なんかマイナーな古武術を嗜んでたので身体能力は馬鹿に出来ない。
以上だ。
「ああ!お兄ちゃん!今日も弁当作っちゃったの!?」
「おはようサキ」
モソモソと朝食を頬張る姉を尻目に弁当箱を袋に入れ終えた所で、妹がドタドタと乱入して来る。
「今日は私が作りたかったのにぃ!」
「いや、そうするには起きるのが遅いだろ」
「自然解凍で食べれる冷凍食品買ってたのにぃ!」
「アレ買ったのお前か。ごめん、使っちゃった」
「許す」
「潔いな」
妹の愛流サキは一言で言えばやる気に満ち溢れた天然だ。
中学三年で、来年度は僕と同じ高校に通うと言っていたが、学力的にぶっちゃけ難しい。
以上だ。
スムーズに朝食を食べ終えて姉の出勤を見送り、妹と途中まで同じ通学路を通って見送る。
漸く一人の貴重な時間を得た僕は誰はばかる事無く伸びをする。
バキバキと腰と肩、肘が鳴るのが心地良い。そしてそれが油断になった。
毎日直進して通る丁字路、いつもは誰も出てこない右の道から突然飛び出た人とぶつかった。
「きゃあ!」
たたらを踏んで相手を見ると、大きなリボンで長いツインテールを作り、僕と同じ高校の制服を着た美少女が、M字開脚でパンツを丸出しにしていた。傍に目を遣ると齧りかけの食パンが地に落ちている。
お前コレが相撲だったら二つの決め手で負けてたぞ(腰砕け及び不浄負け)。
状況を把握した僕は即、行動に移る。
美少女の手と肩を掴み、彼女が自らの下半身に気付くより早く、無理矢理立たせる。
突然の事に目を丸くする美少女が何か言う前に
「な……」
「ごめん!パン落としちゃったから代わりにどうぞ!」
鞄に常備している携帯食(おからとフルーツを固めた系)を手に握らせる。
顔を見られる前に頭を下げ、そのまま振り返って逃走経路と言う名の通学路を全力疾走した。
スムーズに他の通学生徒へ紛れて教室に到着した僕は自らの席に着き、表紙をカバーしていないライトノベルを読みふける。
この時に限り、眼鏡を外して普通に読む。普通に読みたいし、その方が目的に対して効果を上げるからだ。
ライトノベルの中では、アンデッドにされた魔王の側近となった美少女勇者が辛辣な言葉を吐いていた。
「んふっ…ふふ…っふ…」
正直に言えば、最初はいわゆるライトノベルを人前で読むというのが恥ずかしかったが、今では慣れたものだ。
めっちゃ面白い。
「愛流くん、おはよう」
「…おはよう、清河さん」
声を掛けられたのでいつも通り“邪魔するなよ”的な顔を一瞬作り、笑顔でクラスメイトの清河遥恵に応える。
無駄に優しい性格で無駄に僕へ話しかける彼女は、なんか学年屈指の高嶺の華であるにも関わらず無駄に僕に話し掛ける頻度が無駄に高いが無駄だ。
四百円あげるから諸々勘弁して欲しい。
そんな心中も知らずに清河さんは僕の本を指して言った。
「あ、それ最新刊?最終決戦はどうなったの?」
「え、清河さんこれ…」
「面白いね、ゆうまお」
驚愕だ。
この女、美少女勇者がイケメン揃いな魔王軍団に挑む萌え燃えでエロめのライトノベルを読破しやがったのか。
それを教室で堂々と言うのか。
僕の読書を慣れた様子で生温かく見ていた幾ばくかのクラスメイトは清河さんの発言に目を丸くした。
何て事だ、上手い返しが直ぐに思い付かない。どうやら今日は負けらしい。
「まあ、最終決戦は、まあ…読んでからのお楽しみって感じで」
「うん、聞いといてなんだけど私もネタバレはあんまり好きくない」
知らんがな、なんだよ好きくないって。
清河さんときわめて無難に会話を交わしてホームルームまでをやり過ごす。
親戚に牛と妖怪が居そうな巨乳で痩せぎすの担任が出席簿を胸に埋め込みながら教室に入って来てホームルームになる。
僕は目を細めて覚悟を決め込む。今朝の登校中に普段はなかった出来事に関してだ。
「今日はあ、皆さんにい、転校生を紹介しまあす」
教室の入り口を見ると案の定、今朝僕の前で尻餅を着いてパンツをモロ出しした美少女が立っていた。
お前アレが相撲だったら決め手二つで負けてたぞ(腰砕け及び不浄負け)。
分かってんのかこの野郎。
ツインテールを靡かせて無駄に大きなリボンを揺らして黒板に名前を書いた美少女は自己紹介した。
「摘田ゆかり(つんだゆかり)です。
父の仕事の都合でこちらに転校して来ました」
僕はあからさまには目を逸らさず、あえて摘田さん周辺の黒板を見て目を合わせない様に振る舞う。行動は周囲に合わせつつ目は合わせない工夫だ。
なんか上手い具合に僕の背後の席が空いていたのでなんかそこに摘田さんが座る事になった。
なんか僕の背中を見て摘田さんは一瞬瞠目して
「…うーん」
近い体型なんぞそこら中に居るので決め手に欠けると判断してくれた様だ、多分だが。
お昼休みになったのでお弁当箱を取り出す。
背後から「興味が無くなった」と言わんばかりの溜息が聞こえた。
十中八九、今朝渡した携帯食(おからとフルーツを固めた系)は僕のお昼ご飯だったんだ、と思っているのだろう。
それとは別にお弁当持ってたから疑いは取り下げる、と。
有り難い事だ。
「愛流くん、一緒に食べよ?」
「うん」
清河さんがいつもの如く無駄に弁当を持ち寄って来たので、僕もいつもの如く諦めた様に頷いたが、残念。
普段運んで使っている後ろの椅子は今日から摘田さんの席だ。
有り難い事だ。
ソレに気付いた清河さんは無駄に「あ」と漏らしたので、僕は溢れてしまった笑みを隠した。
それが琴線に触れてしまったらしい。「む」と漏らした清河さんは無駄に少し考えた末、
「えい、えい」
「え?え?」
僕を押し退けて僕の座る椅子を半分占拠して座った。
尻と言って過言では無い太腿と肩が触れ合う。
なんて合理的な結論だ。無駄が無いなこの野郎。
僕が椅子から立とうとすると清河さんの尻にブレザーの裾が踏まれていた為、動けなかった。
「あれ?ん?清河さん?」と実際戸惑って清河さんの顔を見ると明らかに有無を言わせず「飯、食おうぜ」という決然とした目で笑顔を向けて来た。
なんだこの野郎、喧嘩売ってんのか。
死ぬぞ?僕、すぐ死ぬぞ?こら。
そろそろ周囲の目線が厳しくなって“物理的に冷気を感じ始めた”僕は急いで昼食を食べる事に決める。
「頂きます」
今まで三分程掛けてゆっくりと食べていたお弁当を今日は、恐らくこれから毎日発揮出来る最大限のスピードで食べ切る。
時計を見ると二分で食べた様だ。もう少しスピード上げられるかな?
「ご馳走様」
「いつにも増して快食だね」
スロウリィにご飯を食べる清河さんがなにやら驚いた目でこちらを見ている。
僕は眼鏡を外して努めて真剣な顔で清河さんを見詰める。
「清河さん…」
「うん」
「雉を撃って来たいんだけど」(男向けのお花摘みの言葉。要するにトイレ)
「うん」
いつも通りの慣れた様子で清河さんの許可を得て席を立たせて貰う。
背後からゴホゴホと聞こえたが僕の記憶には何も残ってないな。
スタスタと戦線と言う名の教室を一時撤退する僕とパンを抱えた購買組がすれ違った。
その中の一人、猿の渾名を持つ俊足のサッカー部員が摘田さんに話し掛けた。
「摘田さんだっけ?今朝合ったね」
「え!?」
おっと。僕は内心安堵した。
案の定何か思い出した摘田さんは案の定何か勘違いした様子で顔を赤くして猿を指差し言い放った。
「アンタね!私のパンツ見たのは!」
「は?」
問答無用で摘田さんは僕に似ても似つかない猿に拳を放った。
拳だと!?僕は戦慄した。
猿は何処を殴られたらそうなるのか皆目見当のつかない奇妙な姿勢で宙を舞い、三メートル程離れた窓を突き破って尚勢いを衰えず、ぶっ飛んで整備されて硬い筈のグラウンド上に上半身をズブリと埋め込んだ。
おいおーい!何やってんだよー!どうしたの摘田さーん?
等と言った茶化しを尻目に、僕は全身の震えを抑えながらトイレへ向かう。
死ぬ。アレは本気で死んでしまう。
トイレへ向かう途中、男子生徒が女子生徒にぶつかるのを見た。どうやら男子生徒は女子生徒の下着をうっかり見てしまった様だ。女子生徒の背後に居た僕は幸運と言う他無い。
女子生徒が放ったビンタが男子生徒の頬にめり込む。
シュウと音を立てて男子生徒の頬から湯気が上がり、掌の跡が赤く光る。
男子トイレの個室に入った僕は今日だけで何度目か分からない溜息を吐いた、今回の溜息は震えていた。
自分の身体を抱き締めて呟く。
「死にたくない…」
変化は三年前。
当時、外宇宙からの攻撃だ交信だ等と言われた桃色の波動が太陽系を包んで通り過ぎた。
それ自体は騒がれたが、変化を感じない人々はノストラダムスやアステカの文明が遺した滅びと取れる予言と同じ様にとっとと出来事ごと忘れ去った。
“波動”は偶然にも宇宙の小さなデブリに遮られ、愛流悟は“波動”の洗礼を免れた。
それは偶然で、幸運ではなかった。
少女漫画とラブコメディ漫画の需要と供給がガクンと減ったのが最初に悟の感じた変化だ。
それは、そういった事が日常的に起こるから無くなったのだ。
世間では縞パンと白パンと動物柄のパンツが矢鱈と売れたし、良い雰囲気のカップルの周りには花が咲く。
なんか女性は皆美人に変貌し、暴力に対する抵抗が薄れ、男性はそれに対する耐性を得た。
悟は“波動”を“ラブコメの波動”と呼ぶ事にした。
女性の暴力は、耐性の無い悟にとって致命的だった。
ならばモテない様にひっそりと生きようとしたが、思惑に反して悟はイケメンに成長してしまった。
世界はラブコメの波動に包まれ、悟はそれに取り残された無力なイケメンなのだった。