第1章 29 【ハルの涙】
ハルの涙
ハルはランニングの時間になるまで、本を読んだりと、時間をつぶしていた。
だが、さすがに飽きてきて、まだ4時半だったが、ランニングに行くことにした。
ハルは軽いジャージに着替え、水筒にお茶を入れると、タオルを持って部屋を出た。
部屋を出ると、寮は静まり返っていた。時間も時間なので、まだ誰も起きていないのだろう。ハルの足音がやけに大きく聞こえる。
ハルは足早に寮を出ると、いつも通りの場所に水筒とタオルを置く。と、ハルが置いた場所のすぐ隣にもうすでに水筒が置いてあった。
アリスのものであった。
「? まさか、こんな時間から? 早すぎだろ…」
ハルは思わず呟きながら、苦笑する。だが、あたりはまだ暗い。こんな時間に女の子1人でランニングは良くないと思い、後でアリスにあったら注意しようと思った。
ハルは軽く準備運動をしてからいつも通りのランニングに入る。
だが、今日の夢のこともあり、ハルの頭はもんもんとしていて、途中で呼吸が乱れることがしばしばあった。いつもはこんなことはないのに。
これではいけない、と思い何度も集中しようと思うのだが、無理だった。
ハルはしばらくしてから諦めると、ペースも呼吸も気にせずに走ることにした。
そして、少し走って行くと少し前の方に誰かが走っている姿が見えた。
「…、アリスか?」
ハルは少しスピードを上げると、すぐに追いついた。ハルの思った通りアリスだった。
アリスは長い銀髪をポニーテールにし、半袖に、短パンという露出度の高い服を着ていた。
ハルは思わず、アリスの細く白い手足をガン見してしまい、慌てて目をそらしながら、アリスの横に並んだ。
「アリス、おはよう」
「…」
だが、アリスから返事はない。アリスはハルに気づかず、ただ前を見て走っていた。その横顔は険しく、何かを考え込んでいるようだった。
「アリス?アーリース!」
「きゃふん!?」
ハルが先程より大きな声でアリスを呼んでみるとアリスは変な声をあげながら、ようやく気づいてくれた。その途端一定だったアリスの足が乱れた。
そして、アリスのダイクロイックアイがまん丸に開かれる。結構驚いたようだ。
ハルに気づいた途端、アリスの顔から険しさが消え、いつもの表情に戻る。
「おはよう、ハル。早いね?」
「おはよう、アリスこそ」
2人は挨拶を交わすと、2人ともだいぶ走ったため、一旦休憩をとることにした。
「それにしても、昨日もこんな時間から走っていたのか?」
ハルは水筒のお茶を飲みながらアリスに聞く。だんだん空が明るくなり始め、顔がだいぶ見やすくなってきた。
アリスは座ってお茶を飲んでいた。
「ううん、ただ今日は早めに目が覚めちゃっただけ。本当はもうちょっと遅めの時間に走る予定だった」
アリスは目を地面に落としながら言う。ハルに心配かけることなど言えるはずがなかった。
そんなアリスの様子にハルは気づかなかった。
「それより、ハルは?いつもこんな早くから?」
「いいや、アリスと一緒な感じ。一回起きたら、眠れなくなってな」
ハルの顔は少し疲れているように見えた。実際あの夢を見ると、あまりいい気にはならないし、思い出せないというすっきりしない気持ちもあり、ハルの顔色はあまり良くなかった。
「なんかあったの?顔色悪いよ?」
「いいや、大丈夫」
ハルはそう言うが、アリスは心配だった。
「私でよかったら話聞くよ?」
アリスが心配そうにハルを見る。
ハルは少し迷ったが、アリスになら話しても、と思いアリスの優しさに甘えることにした。
そしてハルはアリスの隣に座ると、今日の夢のことを話し始めた。
「覚えてないの?」
アリスは驚いて聞き返した。
「あぁ、いつも目がさめると覚えていないんだ」
「その夢ってなんの夢がわかるの?」
「…」
ハルは本当に話していいのか迷ってしまう。きっと、アリスに話せばアリスの負担になってしまう。ましてや、自分の家族が殺されただなんて…
「話して、ね?」
アリスはそんなハルの雰囲気を感じ取って、ハルの目を覗き込む。それほど、ハルは辛そうな顔をしていたので、心配だったのだ。
アリスの青と黄のダイクロイックアイとハルの黒い目が交差する。
それからハルは少し迷ったように視線を泳がせたが、決心がついたようにアリスの目を見た。
「…俺の家族は殺されたんだ…」
「!!」
それからはハルは先ほどの迷いが嘘だったかのように話し始めた。
「俺が9歳だったときだから七年前かな。その日、俺の住んでいた村が襲われた。家族も殺され、友達も殺されたんだ。生き残ったのは俺だけだった。あとはみんな殺された」
アリスはハルになんて言ったらいいかわからなかった。
「だけど、俺にはその時の記憶は残っていない。ただ、気がついたら、母さんの死体が目の前にあったんだ。俺はずっと母さんのことを見つめていた。衛兵が俺を保護するまでずっと」
ハルは苦しそうな目をしていた。気を抜けば涙があふれそうで、ハルは必死で涙をこらえていた。
「多分、今日見た夢はその日の夢だ。確証はないけど、分かるんだ。だけど、夢を見てもまた忘れてしまう。どんなに思い出そうとしても思い出せない…。俺は、俺は…なぜ生き残ったのか分からない。なぜ、母さんが死ななければならなかったのか分からない。誰が母さんを殺したのかもわからない!」
その瞬間ハルは堪えきれずに涙を流した。それは、母を亡くしてから始めて流した涙だった。
ハルは慌てて下を向く。と、その時ハルは右手に温かな温もりを感じた。
驚いて横を向くと、アリスがハルの右手をそっと握っていた。
「…ずっと、泣くの我慢してたんだよね? もう泣いていいんだよ…?」
アリスはハルと視線を合わせると、自分より背が高いハルの頭を胸に抱き寄せた。
ハルは一瞬驚き体を硬くした。だけど、アリスに抱きしめられた感じが、母に抱かれているそれと似ていて、ハルは思わずアリスにしがみついた。アリスは細くて儚い感じがした。だけど、とても優しい感じがした。
ハルの目からポロポロと涙が流れ落ちる。ハルの涙がアリスを濡らしていく。
ハルはついに耐えきれなくなり、声をあげて泣き始める。ますますアリスに強くしがみつく。
アリスはハルにしがみつかれて痛いはずなのに何も言わずただただハルの背中をずっと撫でていた。
その日からハルは2度とあの夢を見ることはなくなった。




