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悲しい事故

狼を倒した地点、つまり学園から寮までは、大した時間もかからなかった。


(成る程、ここがシャワー室か)


部屋案内のプレートに書かれた『シャワー室』の文字。エイナから聞いた通り、寮の一番端にたどり着いたヴァンは、目的地に着いて、少しほっとしたような表情を浮かべた。さっそく入ろうとヴァンが扉に手を伸ばした瞬間、その扉はヴァンが開くより先に、中から誰かの手によって開かれた。


出てきたのは、綺麗な少女だった。全身は僅かに濡れており、タオルで濡れた髪を拭いている。

彼女を濡らしている水滴は、彼女が着ている衣服を物ともせず、さながら分厚き鎧を貫く必勝の矛のように、さながら頑強な城門を打ち破る精強な破城槌のように、ヴァンに衣服の下に着込まれた少女の下着を見せた。


ありていに言えば、現在彼女は下着が透けて見える状態にある。それはもちろん、男を誘惑しようという魔界的で打算的なものからくるものでは無かったが、それでも色気という代物は、本人の意図に関わらず生じるものである。


「……どうしたの?そんなに私をじっと見て」


少女は人の好さそうな笑みを見せた。どうやら自らが気づかぬうちに、窮地に追い込まれた事を知らないようだ。


「……ああ、何でもない。ただ……身体はちゃんと拭く事だ。風邪を引くのは良くない」


そう言ってヴァンはシャワー室に入った。


稀代の将軍というのは、様々な策に襲われる。例えば、色気で惑わすハニートラップ。たとえ華奢で可憐な女性であっても、心器、そしてその力を覚醒させた神開次第では、いかなる猛将でも、油断した場合ならば殺される可能性も高い。ヴァンという男は、そうした色香に対して、人一倍無頓着であろうとした。たとえ今のように、可憐な娘の下着を目に焼き付ける僥倖であっても、彼は心を揺るがそうとしなかった。



しかし世には当然、結果よりも過程を重視する人間が存在する。例えば、下着を見た男が興奮するか否か、という結果よりも、下着を見られた、という過程が忌まわしいというように。その考えは一つの極致として、全くもって正しい。そして彼女はこれより少しの時間に限って、そういう人種となった。



少女は気になった。彼は何をあんなに熱心に見ていたのだろう。胸でも見ていたのだろうか。別に露出の高い服を着ていた訳でもないのに―


「……?…………っ!!!」


そんな軽い気持ちで、彼女は見た。今の自分の格好を。そうして今自分の状態を確認すると、瞬間、羞恥の感情が雪崩のように押し寄せてきた。彼女の感情は、どうしようもないほどに昂った。顔は火照り、耳も真っ赤になる。そうして彼女は感情に任せ、シャワー室の扉を荒々しく開き、もはや男女の敷居などあるものかと突き進み、さっきここに入った、男性更衣室で今着替えようとしている男の胸ぐらを掴んだ。


「あ、あああ、あなた!み、みみ、見てたでしょ!」


「な、何が……?」


「わ、私の下着姿をよ!」


彼女は激昂していた。己の急所を敵にさらけ出したような、どうしようもない情けなさと不甲斐なさで。うかつな己を叱責すると同時に、そのやり場のない悲しさを、目の前の男に、ただ感情のままにぶつけていた。そうでもしないとこの衝撃にはとても耐えられない。ただ、そうするしかなかったのだろう。


「しかしどうしようもないとは思うが」


「何よそれ!どうしようもなければ、人の下着を凝視しても良いってわけ!?」


「いやいや、そもそもお前が自らの身体に気を使う女だったのなら、事の発端は無くてだな……。というか凝視なんてしてないぞ」


「安心なさいな、私は自分にも怒ってるのよ!でもあなたは見たでしょう!そこに今私は腹が立って仕方ないの!……だいたい…………」


少女はひたすら感情に任せて喋った。心と口が直通しているように、ありのままをわめき散らした。その甲斐あってか、彼女は少し感情を落ち着かせる事が出来た。そうだ。冷静になってみるとこの男―



「……あなたの顔、見た事ないわ。……もしかして話に聞いていた転入生ってやつ?」


「ああ、そうだ」


彼女は既に、ヴァンの胸ぐらを掴むのを止めていた。彼女は元々そういう人間だ。落ち着いた思考で物事に深く当たる。ただ、彼女は経験が無かっただけだ。男性相手に無防備な姿を見せる事が無かっただけだ。彼女はどうしようもなく生娘だった。それが彼女の冷静さを奪った。今はもう落ち着いたが。


「ねえ、その血って……もしかして全部が返り血?」


彼女は感情を揺らす事なく言った。どうやらリオーネ学園という、軍人等を養成するような学園だけあって、血生臭いのにも慣れているらしい。


「そうだな、俺の血はここに付着していない」


それを聞き、彼女は少し考えこんだ。目の前にいる男の服や肌には、少なくない量の血がついている。これら全てが返り血ならば、人一人ではすまないような相手を倒したということだ。そうすると気になってくるのが、彼一人の力量だ。そんな事を考えていた少女は、思いがけない事を口に出した。


「服を脱いで」


「…えっ」


これにはさすがのヴァンも少し面食らった。


「あなたは乙女の下着を見たのよ。それくらいは聞いて」


「…分かったよ」


ただ、断る気はなかった。裸になったところで、ヴァンにとって重大な問題が発生するとは思わなかったし、何より彼も、意図しない不幸な出来事であったとはいえ、少なからず少女に申し訳ないと思っていた。


「……ふうん、これは……」


パンツ一枚の男を、水が滴る少女がじろじろと見ている。遠目で見ても近くで見ても、変わらずおかしな光景である。当の本人達はいたって真面目であるが。


「ねえあなた、凄い筋肉ね……」


「まあ、一応鍛えてはいるからな」


「……ふ、ふふふ……」


突如静かに笑い出した少女に、ヴァンは困惑した。


「凄いわ本当に!一人抜けた私達の隊に、転入生が入ってくるなんて、正直困っていたのだけれど……」


彼女は不敵な笑みを浮かべ、ヴァンの胸を指でつん、とつついた。


「あなたのような人が入ってくれるのなら心強いわ。うちには肉体派が少ないから」


ヴァンを差し置いて、一人上機嫌な彼女に、彼は先程の彼女の話で、心に引っかかった言を尋ねた。


「お前達の隊って……どういうことだ?」


「えっ……?嫌ね、決まってるじゃない。卒業を迎える私達3年生は4人一組で隊を組み、小規模な集団戦の実習をする!っていうことだけど…………


……えっ……?もしかして、本当に聞いてないの……?」


「ああ、全く」


話を聞くヴァンの反応が余りに悪く、だんだんと語気が弱くなっていった彼女の問いを、ヴァンは実にはっきりと答えた。彼女はうーむと唸り、悩ましげな表情を見せたが、一つため息をつくと、それでがらっと気持ちを切り替えたか、ヴァンに向かってハキハキと話しかけた。


「……ま、いいわ。今日から寮に住むのよね?」


「そうだな」


「また色々教えるわ。この学園の施設とかも大して聞いてないんでしょ?」


「ああ、聞いていない。……すまないな、俺のために労力を割かせてしまって」


「何馬鹿な事言ってるの。これから一緒に頑張る仲間なんだから、しっかり私に頼りなさい。私もあなたを頼るんだから」


「……そうか、ありがとう」


彼女のあっさりとした、それでいて温かみのある言葉に、ヴァンは思わず笑みを浮かべた。


「……シャワーを早く浴びないと。血の匂いがして堪らないわ。引き止めて悪かったわね」


彼女も僅かに微笑むと、部屋の扉に手をかけ、こう言った。


「私、マリアーネ・アグリトール。マリアでいいわ。あなたは?」


「ヴァン……ええと、セノヴァン・レイモンドだ。ヴァンでいいよ」


彼がとっさに答えたのは偽名だった。こんなに良い人物であるマリアに嘘をつくのは心苦しかったが、本名を言うわけにもいかないだろう。自分の正体がバレてしまったら、この学園にはいられなくなるかもしれない。そうなるとハイオンドの期待を裏切る事になる。彼に命を救われておいて、それはまずい。


ヴァンは良心が少し痛むのを感じながら、それを表情に出す事はしなかった。まあ、当たり前ではあるが。自己紹介の時に苦しそうな顔をするなど、良い印象を与えないばかりか、不審がられる。


「そう、ヴァン。これからよろしくね」


マリアは少し笑うと、シャワー室の扉をゆっくり閉めた。扉が完全に閉まった後、マリアはあんな格好で歩き回って大丈夫だろうか、とヴァンは心配になった。

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