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序章

薄暗い洞窟の中に、一人の男がいた。呼吸は荒く、随分寝ていないからか目は赤く、敵を警戒しているのか、ずっと洞窟の外を見ている。筋肉はかなりあるようで、最早機能が果たされているのかどうか疑問に思うくらいにぼろぼろになった鎧から見える、剥き出しになった彼の肌からも分かる。その肌からは、少なくない血が流れていた。


ふいに彼は、洞窟の外から聞こえてくる足音にピクリと身体を震わせた。


(足音と気配からして……一人。追っ手か……?)


腰に差した小刀を鞘から抜き出し、警戒心を最大まで引き上げる。相手はどうやらこちらに向かってくるようだ。迷う事なく近づいてくる。


外から来た人間が彼の近くまで歩み寄った瞬間、彼は物陰から飛び出し喉に剣を突き立てた。反撃の暇を与えずに殺そうという魂胆だったが、しかし彼は即座に剣をしまった。その顔に見覚えがあったからだ。


「貴方がこんなところに一人で……どういうことです、ハイオンド殿」


満身創痍の男は呆れたようなため息をついた。


「何、お前を探していたまでよ」


そう言って笑った男は、ハイオンド。武骨な姿で、白い髪に白い立派な髭を携えた老人である。


「……貴方も敵なのか……!」


そう言うと男は、悲痛な顔で剣を構えた。その悲しそうな表情を抑えきれていない様子から、心身共に疲弊しきっていることを隠しきれていないようである。


「……ふん、別にワシはお前を殺すつもりも敵になるつもりもない」


「……では何のつもりですか。貴方が打算無しで動くとは思えない」


「言いたいことを言ってくれる!……まあ、しかしその通りか。損得勘定を済ませた上でお前を助ける。敵に回る事は無いとも」


ハイオンドは立派なあご髭を触りながらニヤリと笑う。


「……何が望みです」


「お前たちの国から離れた所でな、有望な若者が集う学園の学園長をしておるのよ。これがまたたまらん!有望株が軍に入ると大金が転がり込んでくるのよ!」


ハイオンドはさも楽しそうに、豪快に笑う。


「そこで!過去一度しか負けを知らぬ、アキナ王国最高の将だったヴァン殿に!そう、うちの学園に来てもらいたいわけだ!」


ハイオンドは両手を広げ、芝居がかったような大袈裟な振る舞いをする。それを受けてヴァンと呼ばれた男は、呆れたようにため息をついた。

今は滅びたアキナ王国。その最高位の将軍だったハイオンドは、かつて大きな戦で負け、敵国に捕らえられた時に、迷う事なく敵国に寝返った過去を持つ。ヴァンという男も少しの間、彼と同じ戦場で戦った事もある。


「……俺に教師になれという事ですか?」


「そうしたくても、お前は今お尋ね者の身だ。分かるだろう?アキナを滅ぼしたランバニアがお主を追っている。お前のような男を教師にしてみろ。発覚したらワシの首が飛びかねん。おお嫌だ嫌だ」


「それならどうしろと?」


結論を中々言わないハイオンドに、ヴァンは少しイラついた様子を隠さずに答えた。心身ボロボロの状態なのだ。余裕などあるはずもない。


「うちの生徒になって欲しい。生徒は皆優秀だが、最高峰にはまだまだ足りん。お前には生徒の立場から皆を変えて欲しいのだ。贅沢は言わん。一年で良い。今年卒業の3年は、有望株がかなり多いのだ」


先程とは変わり、ハイオンドは真剣な表情を崩さなかった。ヴァンもそうした彼の熱意は感じ取ったものの、年齢も違うし経験も違う学園の生徒達と上手くやっていけるかどうか、不安も数え切れない。


「何、そう気負い立つ必要はない。普通に学園生活を楽しんでくれれば良い。強者というのは普段から違うもの。ただ学園にいるだけでも皆の意識は変わってくる」


「そう上手くいきますかね……」


「上手くいかんのならお前をランバニアに売り飛ばせば良い。それも高値でな」


ズタボロのヴァンとは対照的に、何とも愉快そうな顔をするハイオンドに、ヴァンも思わず心の中で悪態をついた。


「外に馬車がある。今やここもランバニア領。決断は素早くお願いしたいものだがな」


「……分かりました。こんな所で死ぬつもりはない。どうかよろしくお願いします。……ただ……」


ヴァンは、何か心の中で引っかかっている事があるのか、視線を落とした。


「俺の故郷に、アキナの姫様が匿われているはずです。彼女の無事を確認してくれませんか」


ヴァンは天下でも屈指の猛将であるとされる。しかし、アキナの王都が陥落した際、単身脱出した姫君を逃がすため、自ら殿となり、万を超える敵兵に一人で立ち向かったために、今のような重傷を負ったのだ。そんなヴァンにとって、姫君の安否だけが何にも増して気がかりだった。


「なぜワシがそんな危険なまねをせにゃならん。馬鹿を言うな」


「……それが出来ないなら、貴方の言う学園とやらに入る気はない」


ハイオンドは白いあご髭をさすりながら、しばらく考えこんだ。ヴァンという男とは、関わった時間など数えるほどしかない。しかし彼の盛名はひっきりなしに耳に入ってくる。そして、今現在生身の彼と相対して、その力を直に感じているのだ。


(このハイオンド、大魚を逃す事は一番に愚かな行為だと思っている。……ああ分かるともさ。この男、相対しただけでこうも凡夫と違う。大魚だ。こやつは大魚に違いあるまい)


大きなリスクを背負ってでも、このヴァンという男を引き込みたい。手負いであるのに、まるで勇猛な至高の戦士を相手にしているようなこの威圧感。リスクに見合っただけのハイリターンだと、ハイオンドは僅かに口角を上げた。


「……良かろう、希代の豪傑ヴァンフォーレ・ワインズよ。お前の願い、聞き届けようではないか」


ハイオンドのその言葉を聞いて、ヴァンはホッとしたように息を吐いた。もし断られていたら、自分一人で姫君の無事を確認しに行かなければならない。ただそんな力は今の彼には残っていなかった。


「馬車に乗れ。お前の入学、歓迎しよう」


ハイオンドの言葉を聞き、洞窟の外へ歩き出そうとしたヴァンだったが、足を踏み出した瞬間、その視界はぐらりと揺れた。これまで限界を遥かに超えて、無理やりに動かしてきた彼の身体は、僅かな安堵によって、まるで糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。

消えゆく意識の中、ヴァンは薄暗くなっていく景色と、遠のいていくハイオンドの声に、指一本すら反応する事が出来なかった。

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