灰色の世界、それはまるで空想のように
6月20日、空は今にも雨が降りそうな曇天だった。
梅雨特有のじめじめとした不快な感覚を覚えた僕はソファーの上で目を覚ました。
頭痛に吐き気を覚えながら自分の身体を見れば下着とその上に着た白いシャツだけの姿のままで、どうやら僕は『あの後』すぐに寝てしまっていたらしい。
時計は午前11時を少し過ぎた所を指している。
明らかな寝すぎだったけど、それを注意する人は居ない。
規則的に動く時計ですら、今はもう忘れられない過去を刻んでいるようでその姿は哀れで滑稽だった。
この破綻した世界で、最早誰が時間など気にするのだろう?
生きてゆくのが精一杯のこの破綻した世界で。
それでもそんな時計を止めようともしない僕の方が、過去の平和な時代を忘れられない哀れで滑稽な人間なのかもしれない。
西暦2215年8月14日。
つい5年前、世界は破綻した。
実に呆気無く、文明は終焉を迎えた。
発展し過ぎた科学で身を滅ぼす、そんなSFの中だけのような非現実はあっさりと訪れたこの世界をめちゃめちゃにしてしまったのだから。
最初の引き金はアジア圏を襲った大型地震だった。
震源は最早特定不能なほどに広域かつ散発的に起こり(最大マグニチュードは9で、それが各地合計で52~53回ほど起こったと誰かが今際に残した記録が見つかっている)、その余波は世界全体を覆った。
まず最初に日本が破綻した。
土砂崩れや建物倒壊とかの直接的な被害は少なかったけど、日本中の原子力発電所が群発した地震に耐えきれずに次々に破壊、炉心溶融を起こした挙句大爆発し放射能を撒き散らして多くの人が犠牲となった。
それは死以外の『ある現象』も引き起こしたけど、今はそれは語らない。
日本は過去にあったチェルノブイリ事故の数字にして1000倍という大被害を受け沈黙、残された廃墟には放射能による死病に蝕まれた人々とその『ある現象』の影響を受けた人々しか残されない廃墟となってしまっている。
そんな死の世界には、もう無法者すら存在しない。
次に朝鮮半島が破綻した。
その原因は津波だった。
立て続けに起こった地震は半島のインフラを破壊し尽して、その後にやって来た津波は人々をすっかり洗い流してしまった(どうしてその近くの日本列島は朝鮮半島より直接的な被害は少なかったのだろう?)。
アジアの各地が地震で破壊され津波で沈む中、中国だけは最後まで残ったけどその中国ですら最後の大地震で一斉に引き起こされた超大規模土砂崩れで飲み込まれて滅亡してしまった。
ここまでが破滅までの最初のシナリオ。
世界中が滅亡したアジアに嘆く暇も与えられないまますぐに第二波がその世界を襲った。
世界破綻の直接的な原因になったのはそれで、大規模な地震の影響かそれとも環境の変化かわからないけど、地球全体を未知の波長(ある科学者が最後にコード4799波と言う仮称をつけている)が覆った。
その影響を受けた人々は、ある人は皮膚がケロイド状に焼け爛れて死にある人はまるで被爆したかのように内臓を破壊されて死んだ。
またある人は神経系だけ綺麗に破壊されて死に至り、ある人は呼吸器だけが麻痺して亡くなった。
症状が多様過ぎて結局何の手立ても打てないまま、一部の4799波の影響を受けなかった人々と日本で発生した『ある現象』を受けた人々をを合わせても以前の約35%にまでに人類は減少し、地球上の42%もの生物が死滅した。
そして今、僕はたった一人で日本だった場所で生きている。
「暗い、なぁ。」
部屋に呼びかけても返事は無い。
僕の両親は超高濃度の放射能(致死量の10万倍とも)の浴びて亡くなってしまった。
その時のことを思い出すだけで吐き気が込み上げてくる、思い出したくない。
勿論、本当なら僕もその時一緒に死ぬ筈だったのだけど、残酷な神様は僕だけを生かした。
あの時死ねたなら、どれほどよかったかと思う。
シャツを脱いで鏡の前に立つ僕は、実に醜い姿だった。
少ない食料(それでもまだマシな方)で痩せた身体は色素が抜けたかのように白い。
クセの無い黒かった髪はあれから徐々に濃蒼に変化して行き、今では同時に紫色に変色した瞳を隠したくて伸ばしている。
でも、一番嫌なのはそんな些細なことじゃない。
手首と足首、そしてお尻(尾骶骨辺り)には濃蒼の羽毛が生えてきて、背中には同じ色の一対の鳥類のような形の翼が生えている。
それを見る度、僕はもう人間じゃないんだと思い知らされる。
原発の同時破壊が原因で『偶然』致死量の約10万倍とも言われるほど超濃密な放射能がごくごく一瞬だけ放出された日本では被爆者の内99.9978%が死亡したけど、ごく一握りの人々は超濃度の放射能を浴びた影響で遺伝子配列に変異を起こした上で生き延びた。
それがどんな変異なのかは言うまでもない。
僕も被爆から3日後には手首足首に羽毛が生え始めて、32日後には今の姿になった。
外見だけじゃなくて筋肉や骨格もそれに合わせて変化したらしく、筋力は明らかに増大し翼も飾りで無く
実際に動かして空を飛べる…しかも体格の分なのか、一般的な鳥類より遥かに早い。
もう一つは環境に対応するためになのか、しばらく続いた高濃度の放射能下でも生き延びれるほどの放射能耐性を身に着けている。
何故鳥類の姿が混じった変異をしたのかはまだ分っていない(そもそも大半の専門家が死んでいる)し、そもそも超高濃度の放射線を浴びたからと言って本当にこんな突然変異を起こしたのかもわからない。
ただ残された人々が状況から憶測したに過ぎない。
そんな僕はこの姿が嫌だ。
今の日本で生き残った人々のほぼ100%が僕と同じ変異した人々で、滞在者(突発的に放射能が超高濃度になったのは一部だけだったのか、今では生き延びた人々の必死な除染活動で原発跡地の周囲など一部地域を除けば変異した人間でなくても大丈夫なラインまでになっている)を合わせたとしても総数の3割程度が変異した人間だ。
それは幸いなのだけど、やっぱり普通の人たちからの視線が痛い。
まるで奇妙なものを、それこそ化け物を見るような(ある意味当たっているけど)目で見られるのは嫌だった。
中には変異した人間を捕獲して調査しようとした国もあったらしく、それに猛反発した人々が衝突して双方合わせて40人が死亡する事件も起きている。
ただでさえ多くの人が死んだのに、更に人間同士で争うのはどうしようもなく悲しい。
だから僕は外ではあんまりそういう特徴が見えないようにしている。
コートで羽根を隠して羽毛を手袋や長い靴下で覆い、帽子を目深に被る。
これじゃバレバレだとは思うけど自分で自分の姿も見えないし、人の目に触れないって言う点だけでもある程度の効果はあったと思う。
―ピンポーン―
独りで勝手に自虐していた所に家の呼び鈴が鳴った。
家と言っても廃虚同然になった小さなマンションを住める程度に修復しただけの代物で、良い点と言えば一人で使っているから広いという所だけだ。
僕は新しいシャツを引っ張り出して取り敢えず着ると、301と書かれたドアを開けた。
「ゆうくん、おはよう。」
「おはようございます、大里さん。」
そこには近くに住んでいる大里さんがパンの入ったバスケットを持って立っていた。
40代半ばで、背中には鶯のような色の小さな翼が生えていて、腕にも同じ色の羽毛が生えている。
僕のもこんな猛禽類みたいな大きな翼じゃなければ、少しはマシで可愛げがあったんだけどなぁ。
「ゆうくん、これ作ったから食べてね。」
「ありがとうございます。」
大里さんからバスケットを受け取りながら、僕はお礼を言う。
いつも、大里さんは僕に手料理とかを持って来てくれてすごく嬉しい。
「気にしないでいいんだよ。ゆうくんは偉いね、でもまだ子供なんだからもっと大人を頼ってもいいんだよ?」
「お気遣い感謝します。けど、僕は大丈夫です…もうあれより辛いことなんて、無いと思いますから。」
「そうだったね…それでも、だよ。辛くなったらいつでもおいで、私と一緒に暮らそう。生きている限り、わたしたちには未来があるんだから。」
「ありがとうございます。」
僕のそんな言葉を聞くと、大里さんはじゃあねと言って帰った。
再び僕は一人になる。
誰にも気にされない時計は僕が起きてから既に20分が経ったことを示している。
さて、僕もそろそろ行かなきゃ。
生きている限りやらないといけないことはたくさんある。
破綻した世界じゃ、どんな子供だって仕事をしなきゃ生きていけない。
勿論、僕もある『仕事』をしている。
結構疲れるし、夜遅くなったりすることもあるから、疲れると言えば疲れるけどその分報酬が大きいことも間違い無い。
だからあんな有様でベッドがあるのにソファーで寝てたりしてたんだけどね。
僕の名前は蒼月 優。
今年で12歳になったばかり。
性別は男。
家族は『もう』居ない。
これは僕と言う人間の記録であり記憶。
破綻した世界のどういようもなく救いようもないただ一つの話に過ぎないこと。