カップラーメンを食べても村上春樹は怒らない
人生とは、まるで安っぽいカップラーメンだ。
でも、ある日、僕の平凡な部屋に三人の「僕」が現れた。
一人は、村上春樹の小説から抜け出したような完璧な男。
一人は、芥川龍之介の描く不条理な現実に絶望する男。
これは僕の物語なのか、それとも彼らの物語なのか?
パスタとカップラーメン
僕の人生はシンプルで効率的だ。朝起きて、コンビニで買ったパンをかじり、夕方までアルバイト。帰ってきて、カップラーメンを食べる。食事は3分で済むし、後片付けもいらない。音楽は聴き慣れたポップソング。部屋には必要最低限の家具しかない。僕はそれで十分満足していた。いや、満足しているつもりだった。
僕の名前は賢治、28歳。フリーター。仕事を辞めてから半年、楽観的に生きてきた。貯金は底を尽きかけているけど、まあ、どうにかなるだろう。僕はそんな人間だ。
そんなことより最近、僕の部屋で奇妙なことが起き始めた。
僕がアルバイトから帰ってくると、朝、散らかったままだった部屋が、綺麗に片付いているのだ。脱ぎっぱなしの服はハンガーにかかっているし、読みかけの漫画はきれいに積み重ねられている。
最初は(疲れてるのかな、自分でやったのを忘れてるだけだろ)と気にしないようにしていた。でも、それが何日か続くと、さすがに気味が悪くなった。僕以外に誰かいる? そんなバカな話があるか。
僕は、なけなしの金で室内用のカメラを買い、部屋の隅に設置した。僕の部屋には、僕以外誰もいない。そんな当たり前の事実を、このカメラは証明してくれるはずだ。
翌日、僕はアルバイトから帰ると、すぐにモニターを確認した。
画面に映っていたのは、驚くことに僕自身だった。
彼は、ジャズのレコードをプレイヤーに乗せ、レコード盤の溝に針をそっと落とした。針が奏でる微かなスクラッチ音が部屋に満ち、次いで、古い時代のピアノの音が静かに流れ出す。それから彼は冷蔵庫を開け、白ワインのボトルを取り出し、グラスに注いだ。丁寧にサラダを盛り付けていくその手つきは、まるで遠い異国の土地で、長い間、同じことを繰り返してきた男のようだった。僕は思わず、心の中でツッコミを入れた。
(村上春樹かっ!! パスタ、サラダ、白ワイン!! 男は黙ってカップラーメンとビールだろ!)
モニターの中の僕は、僕の心の声は届く訳もなく、淡々と自分のルーティンを続けていた。そして、パスタを食べ終えた後、彼は丁寧に食器を洗い、部屋を隅々まできれいに片付けた。僕はモニターを消し、頭を抱えた。「異世界転生じゃあるまいし、こんなことあり得るか?」
その日から、僕は毎日家に帰るとすぐにモニターを確認することにした。そのうちにモニターを確認するのが密かな楽しみになっていった。
モニターに映る彼は、いつも通り、完璧なルーティンを繰り返している。丁寧にパスタを茹で、静かにジャズを聴き、サラダをフォークで食べ、白ワインを飲む。彼の行動は、僕の人生とは全く違う、規則正しく美しいものだった。僕はカップラーメンを食べながら、モニターの中の彼を眺める。それは、僕自身の生活を、第三者の視点で見ているようで、奇妙だが、どこか安らぎを感じる時間だった。
ある日、モニターの中の彼が、静かにレコードを取り替えた。ジャズではなく、僕がいつも聴いている、アメリカのポップソングだ。彼はその音楽に合わせて、微かに身体を揺らし、サラダを食べた。その姿は、少し滑稽で、少し寂しそうに見えた。
その夜、僕がカップラーメンを食べ、ビールを飲んで気持ちよくなっていると、なぜか無性にジャズが聴きたい気分になってきた。モニター越しの僕が聴いてるジャズを欲していた。レコードプレーヤーにあの僕がやってるようにレコードを置いた。いつものジャズが響いている。僕は、箸を置いた。そして、久しぶりに、カップラーメンではない何かを、食べてみたいと思った。
2人の賢治
翌日、僕はアルバイトを早退して、アパートの階段の踊り場で息をひそめた。カメラの録画を確認してただみているよりも、直接彼に会うべきだと、そう思ったのだ。
インターフォンを押すと、僕と同じ声が聞こえてきた。
「はい?」
僕は少し緊張しながら答えた。
「あのー僕なんですけど…」
ドアが静かに開く。そこに立っていたのは、白いシャツを着た、完璧な僕だった。彼は僕の顔を見て、少しだけ眉をひそめた。
「君は、誰だい?」
「賢治だよ、きみこそ、何何者なんだ!?人の家を勝手に掃除して、パスタ食ってんじゃねえよ!」
完璧な僕は、僕の言葉を無視して、ただ静かに僕の部屋を指差した。
「君は、部屋を汚しすぎだ。人生を、雑に扱いすぎている」
「急に何言ってるんだよ?雑で何が悪いんだよ! 楽に生きるのが一番だろ! あんたこそ、なんでサラダばっかり食ってんだよ! たまにはジャンクなもん食えよ!」
僕の言葉は完璧な僕に響かない。彼はただ静かに僕を見ていた。そして、どこか悲しそうな顔で、こう言った。
「君は、このままでは、いつか自分を見失う」
僕は思わず、心の中でツッコミを入れた。
(出た出た。暗喩、メタファーってやつだな。やめてくれよ。)
僕が言葉を返そうとしたその時、僕の視界は歪み、頭の中がぐらついた。
気づけば、僕は完璧な男の部屋にいた。(自分の部屋なんだが. . .)彼は僕の隣で、相変わらずサラダを食べている。僕は混乱して、彼に問いかけた。
「もしかして、あれか。今流行りの異世界とか、パラレルワールドとか、そういう世界からやってきたのか?」
完璧な僕は、僕の言葉に少しだけ眉をひそめた。
「それはこっちのセリフだよ! きみこそ違う世界から来たんじゃないかな? ここが君の世界であること、証明できるかい?」
僕は言葉に詰まってしまった。
「面倒なこと言うな。どっちだって構わないじゃないか。こんなこと、合理的じゃないだろ? 小説の世界じゃあるまいし」
完璧な男は、僕の言葉を聞いて、フッと笑った。
「まあ、どっちでもいいんじゃないかな。僕は、この状態を受け入れるよ。この世の中って、不合理であやふやなものだろう?」
僕は、彼がグラスを置く音を聞きながら、心の中でつぶやいた。
(この僕、僕よりも、もっと面倒な人だ。)
でも、その面倒くささが、少しだけ心地よかった。
その時、突然、インターフォンが鳴った。
完璧な男は、一瞬だけ目を細めた。そして、静かに立ち上がり、ドアの方へ向かった。僕は彼に続いてドアの方を向いた。まさか、第三者? この奇妙な状況に、さらに誰かが加わるのか?
ドアがゆっくりと開く。
そこに立っていたのは、僕自身だった。
でも、その表情は悲観的で、絶望に満ちている。鼻には大きなニキビがあり、それを気にしているように、しきりに触っていた。服はよれよれで、部屋着のままのようだ。まるで『羅生門』から抜け出してきたかのような、厭世的な僕だった。
完璧な男は、入ってきたもう一人の僕を、静かに見つめている。そして、もう一人の僕は、完璧な男と、その横に立つ僕を、虚ろな目で見返していた。
部屋の中に、重い沈黙が満ちる。三人の僕。まるで奇妙な合わせ鏡のようだ。
「…入れてくれないか?」
厭世的な僕が、蚊の鳴くような声でつぶやいた。完璧な男は何も言わず、ただ静かに道を譲った。
賢治たちの告白
僕たちは、彼を招き入れ、テーブルを囲んで座った。
完璧な僕が、新しい僕に「何か飲むかい?」と尋ねた。
新しい僕は、少し躊躇した後、蚊の鳴くような声で「牛乳を入れないコーヒー…」と答えた。
僕は心の中で叫んだ。
(俺にはっ!! なぜ聞かないんだ!)
「コーヒーなら、インスタントですがありますよ」
僕は我慢できず、そう言った。完璧な僕は、僕の言葉にまた、少しだけ眉をひそめた。
「いや、コーヒーはやっぱ挽きたてじゃないとコーヒーとは言えない」
彼はそう言うと、静かに部屋を出て行った。近所のスーパーに、コーヒー豆を買いに行くのだろう。
(なんて勝手で融通の利かない奴なんだ)
部屋に残されたのは、僕と新しい僕、二人だけだった。
テーブルにはまだ、完璧な僕が食べていたサラダが残っている。その横で、新しい僕は虚ろな目で僕を見て、そして静かに、鼻のニキビを触った。
重苦しい沈黙が続く。
やがて、新しい僕が、その沈黙を破った。
「最近、自分の部屋がおかしいから、外に出た後、すぐ戻ってみたんだ」
彼の声は、ひどく掠れて聞こえた。
「そしたら、君たちが僕の部屋にいた。……どういうことなんだ?」
僕は思わず、心の中でツッコミを入れた。
(こっちが聞きたいことだよ!)
「君の部屋?…どういうことだよ?」
僕がそう聞き返すと、彼は虚ろな目で、部屋の隅を指差した。
「いつの間にか、カメラが仕掛けられているんだ」
彼はそう言うと、ゆっくりと立ち上がった。そして、キッチンの方へ歩いていく。
「それに、古いレコードとプレーヤーがある。非常用にとっておいたカップラーメンも食べられている…」
彼の声は、静かだが、その中に深い絶望が宿っているようだった。彼はテーブルに戻ると、僕が朝からずっと気になっていた、一枚の明細書を指差した。
「見てごらん」
僕は明細書を見た。
そこには、僕には到底払えないような、とんでもない金額が記されていた。
新しい僕は、僕の顔をじっと見つめ、虚ろな目で続けた。
「世の中、理不尽だよな。買った覚えもないのに、部屋の中にはそれがあるんだ。レコードプレーヤーにレコード、ワインにオリーブオイル、年代物のスコッチウイスキー、僕とはまるきり反対方向の代物だぜ、君たちの仕業だろ?」
「僕は知らないよ」それらの物を買ったことを否定した。
だが、僕も新しい僕も、互いに「おかしい」という点では一致している。そして、その核心に触れると、さらに奇妙な事実が浮かび上がってきた。
「確かに、おかしいよな。俺もそう思う。でも、一番おかしいのはさ……」
僕は言葉を探しながら、部屋を見回した。
「自分と同じ人間が、こんなにたくさんいることだよ。3人もいて、3人が同じ部屋を契約していて、しかもそれぞれが『自分は自分だ』って言ってる。これは、どういうことなんだろうな?」
新しい僕は、僕の問いに答えず、ただ静かに鼻のニキビを触っていた。
僕は、思い切って明細書を指差した。
「この明細書、どうするんだ?」
すると、新しい僕は、今までとは違う、冷たい目つきで僕を見た。
「どうするも何も、もう無理だろ。これだけ借金があるんだぜ、いっそ盗みでもやろうかと思ってるんだ」
僕は心の中で叫んだ。
(おいおい、それだけはやめようよ! 俺が捕まる可能性があるじゃないか!)
その瞬間、部屋のドアが開き、完璧な僕が紙袋を持って帰ってきた。彼は、僕と新しい僕の間の重苦しい空気を一瞥すると、何事もなかったかのようにキッチンへ向かった。そして、コーヒーミルを取り出し、豆を挽き始めた。ガリガリと小気味よい音が部屋に響く。その音は、まるで僕たちの間に張り詰めた緊張を、少しずつ削り取っていくかのようだった。
しばらくして、彼はそれぞれのカップにミルクを入れていないコーヒーを淹れ、テーブルに戻ってきた。彼は、僕たちにコーヒーを差し出すと、静かに座った。
「とりあえず、これを飲もう」
彼はそう言うと、一口コーヒーを飲んだ。そして、微かに笑みを浮かべ、静かに言った。
「今のこの状況について、じっくりと話し合うことにしよう」
最後の賭け
僕たちは、黙ってコーヒーを飲んだ。新しい僕は、牛乳の入っていないコーヒーを、まるで毒でも飲むかのようにゆっくりと口に運ぶ。完璧な僕は、静かに目を閉じ、その香りを味わっている。僕はといえば、この場から逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
やがて、僕は静かにマグカップをテーブルに置いた。
「原因を考えても仕方ないと思うんだ」
僕はそう切り出した。二人の僕が、同時に僕の顔を見る。
「それよりも、この問題を解決する方がいい。…馬鹿げたことを言うけど、いいかい?これは、この世界が僕の世界だったらと仮定した話なんだけど、一度試してほしいことがあるんだ」
僕は深呼吸をして、話を続けた。この突飛な提案が、僕がこの世界の住人であることを証明することにもなる。
完璧な僕に、僕は言った。
「君は、外に出て、井戸を探してほしい。そして、その中に入って、しばらくしたらまた出てほしい」
彼は何も言わず、ただ静かに頷いた。
次に、僕は新しい僕を見た。彼の目は、相変わらず虚ろだ。僕は、彼が盗みを企てたことを思い出し、少しだけ声を潜めた。
「君は、雨の降る夜に盗みをしてほしい、そして、そのままどこか遠くへ逃げるんだ。そうすれば、この状況から抜け出せるはずなんだ」
彼は鼻のニキビを触り、僕をじっと見つめている。
「リスクはあるけど、君はどうせ人生諦めているんだろ?もし、万が一捕まったら…僕が代わりに刑務所に入るから」
僕は、心の中で叫んだ。
(これでうまくいくはずだ。この2人はたぶんこの世界の人間では無い。この方法しか、俺たちを元の世界に戻す方法はない。)
二人の僕は顔を見合わせた。一瞬の沈黙の後、完璧な僕が静かに口を開いた。
「ぼくはいつも空っぽな気がしてた。そしてそれを埋めようといつも探求していた。そして君たちと出会ったんだ。君の言うことを信じるよ。だって君の言っていることは、ぼくの言っていることだと感じるからね」
完璧な僕の言葉は、まるで深い井戸の底から響いてくる声のようだった。
次に口を開いたのは、新しい僕だった。
「人間ってのは、どんなにいい奴だって、追い詰められればなんだってやっちまうのさ。結局、生きていくってのはそういうことだろ?」
彼はそう言って、僕の顔をまっすぐに見つめた。彼の目は、もう虚ろではない。そこには、決意の光が宿っていた。
「俺はやるよ!生きるために」
そして、彼らは各々、計画を実行に移した。完璧な僕は、ジャケットを羽織ると、まるで遠い場所へ向かう旅人のように静かに部屋を出て行った。新しい僕は、窓の外の雨雲を見上げ、何かを呟きながら、ゆっくりと全身黒い服に着替え始め、覚悟を決めた表情で出ていった。ニキビのことはもう気にしていないようだった。
部屋に残されたのは、僕一人だった。
僕は、テーブルの上の、冷めきったコーヒーを眺めた。これから何が起こるのか、全く見当がつかない。でも、不思議と不安はなかった。僕の人生は、カップラーメンのようにシンプルで効率的だった。しかし、今は違う。まるで、僕の人生そのものが、一つの物語になったような、そんな気がしていた。
残された僕
翌日、僕は朝早く目を覚ました。アパートの部屋には、僕一人だけだった。
完璧な僕は、夜の帳が降りた街を、あてもなくさまよった。風は冷たく、街灯はほとんど消えていた。彼は、まるで世界に自分一人しかいないかのように、静かに井戸を探した。やがて、彼は村上春樹の小説に出てくるような、寂れて、底が見えないほど深い井戸を見つける。彼はホームセンターで買った梯子を井戸の中に下ろし、ゆっくりと降りていった。底はひどく暗く、湿った空気が彼を包み込む。彼はそこでしばらく物思いにふけり、頭の中の空っぽな空間が、少しずつ満たされていくのを感じた。そして、地上に戻り、部屋に帰ると、誰もいない静けさが彼を迎えた。テーブルの上には、コーヒーカップが三つ残されている。それはまるで、遠い記憶の残骸のようだった。
新しい僕は、羅生門の主人公のように、この世の理不尽さを胸に抱き、雨の中を走った。彼の心の中には、恐怖や罪悪感よりも、「生きるため」という冷たい決意が満ちていた。彼は人通りの少ない路地を通り、人目を盗んで盗みを働いた。そして、降りしきる雨の中、そのままどこかへ向かって夜の闇の中へ姿をくらました。彼の行く先には、希望もなければ、絶望もない。ただ、生きていくという本能的な営みだけが残されていた。
そして、僕は。
僕は、部屋の中を見回した。テーブルの上には、三つのコーヒーカップが置きっぱなしになっていた。そして、その横には、あのとんでもない金額が書かれた明細書が残されていた。
僕は明細書を手に取り、大きく息を吸い込んだ。そして、部屋中に響き渡る声で叫んだ。
「ふざけんなー!!」
この理不尽な状況は、全く解決していなかった。
僕は古いレコードのコレクションとレコードプレーヤーを見つめた。高い借金を背負うことになったのは、僕だ。でも、不思議と絶望はなかった。
僕は白ワインを一口飲み、カップラーメンにお湯を注いだ。カップラーメンができるのを待ちながらレコードプレーヤーに針をゆっくりと落とした。流れてきたのは、ジャズでもなくポップソングでもない、激しいリズムのヒップホップだった。
その夜、僕がカップラーメンを食べ終わり、ウイスキーをゆっくり楽しんでいると突然、インターフォンが鳴った。
まさか、完璧な僕か、それとも新しい僕か?
僕は恐る恐るドアを開けた。
そこに立っていたのは、僕自身だった。
しかし、その顔はひどくやつれ、頬はこけて、目は虚ろだった。服はだらしなく着ていて、まるで薬物中毒者のようにみえた。彼は僕の顔を見ると、ぼそりとつぶやいた。
「…あの、生きていてすいません。死に場所を探しているんですけど、ここ、入れてくれませんか?」
僕は、何も言えなかった。そして、心の中でこう叫んだ。
(おい、おまえ、太宰だろ!)
おしまい
読んでくれてありがとう!
リアクション、感想よろしくお願いします。
もっと面白くなりそうだけどとりあえずおしまい。
他にも頭の中の物語を出していきたいので。