22 深夜の外出
屋敷が寝静まった頃、私はゆっくりと寝台から起き上がる。最低限の灯りをつけて、手早く身支度を済ませた。
以前市井に出る際に使用していた男物の服に剣を刷く。髪を邪魔にならない様に結ってローブも被る。
家人への書き置きは寝台入る前に用意しておいた。
灯りを消して窓の外を盗み見る。監視の目は見当たらない。が、私が探知できない可能性も想定してる。
一息ついて、気持ちを沈める。
家人に気付かれないように細心の注意を払って転移魔法を展開。
一瞬にして、私はセレス領北部の森へ転移した。
この森を抜けて北上すると、ベルン領に出る。
ベルン領は海に面している交易都市だ。
しばらく身を隠すにはちょうど良い。
けれども、ベルン領に行く前に確かめたいことがある。
私は森に入り少し歩いた。
少し開けた場所に出て辺りを見渡す。
ここでも細心の注意を払い魔法陣を展開する。
そして適当な木を見つけ身を隠した。
幸い今夜は月明かりで夜目が効く。
息を潜めて、気配を消すことに注力する。
ほどなくして人の気配を探知する。1人だ。
森に着いて施した魔法陣の効果でわかる。
なるべく相手に気付かれないように痕跡を消して身を隠しているが、果たしてこれから来る相手に通用するかどうか?
ザクザク
地面を踏み締める音がする。
相手は近付く気配を隠そうとしない。
確信があるんだろう。
こちらに向かって来る人影は、私の予想通りだった。
「こんばんは、セレス嬢」
静寂に、彼の低く伸びやかな声が響く。
月明かりの下でも銀髪が輝く。
端正な顔は美しくて、アイスブルーの瞳が見るものを惹きつける。
日の下でも月の下でも輝くような存在感だ。
「良い月夜ですね」
やはりクローディア公爵子息だった。
彼は私が身を隠している木の下に来て、私を見上げる。夕方会った時と同じ格好だった。
おそらく私が夜に抜け出すのを予想していたのだろう。
アイスブルーの瞳も月明かりに輝いている。
「こんばんは、クローディア公爵子息。
夜のお散歩ですか?」
私は木の上から飛び終りて礼をとる。
「ええ、貴方に会いたくなって」
「お会いするのは明日のお約束では?」
「まもなく『明日』になる。気が急いで早く会いに来てしまった」
美形が真顔でこういう台詞使うと相手が勘違いしそうなものだけど、今の私には警戒しかない。
月を見上げる。そろそろ日付が変わる時間か。
私はため息をついた。
クローディア公爵子息は私が転移魔法を使えることをわかっているだろう。
そしておそらく彼も転移魔法を使用できる。
彼はクローディア領に滞在すると言っていた。
例えそれが偽りでも、この森に来るまでの時間を考えると転移魔法が使えると考えた方が妥当。
そうすると、どこへ行っても結局は追いつかれてしまう。術の熟練度や体力の差はあれど、彼から逃れるのは難しそうだ。
「そんなに急ぎのご用事でしたか?
夜も更けて参りましたので、仕切り直してもよろしいでしょうか?家人もクローディア公爵子息においで頂くのを楽しみにしておりますし、日のあるうちに当家にお越し下さい。歓迎致します」
「お誘い頂き嬉しい限り。ぜひ伺おう。
ただ、今少しだけ…お話してもよろしいか?」
「少しだけなら」
クローディア公爵子息は私の手を取りエスコートする。適当な倒木を見つけて、並んで座った。
「セレス子爵令嬢、転移魔法の他にどんな魔法を使える?」
「……」
あぁ、これは詰んだかも。
この人は全部わかっていて聞いているんだ。
ふぅと一息吐く。
「……人の気配を探知する魔法など」
「古代魔法だね。使えると知られれば、周りが放っておくまい」
「私は魔術は使えませんから、知られても問題ありません」
「魔術の系統がなく、魔法が使えることの方が貴重だろう」
「そうでしょうか?市井では、そう言う方もいると思いますが」
私は魔術と魔法は似て非なるものだと認識している。
魔術は理論が構築されており、術の発動の因果関係を明確にできる。ただし系統ではないと扱えない。要は魔術師の系統を持つ者が、理論的に理解して扱えるのが魔術なのだ。
対して魔法は魔術師の系統ではなくとも発動できる。昔は魔法が主流だったが、魔術研究が進み魔法は廃れていった。そのため、現在は扱える者が少なくなり『古代魔法』として貴重がられているだけ。
私は立場上、魔法を習得する必要性があっただけだ。
クローディア公爵子息は魔術師としても優れていると聞いたことがある。
そして今、私の位置を正確に把握することができる魔術を使用している。おそらく探知魔法に近い魔術だろうが、かけられている私は感知できない精巧な代物。術のレベルが違う。
このような状況でベルン領に逃れても直ぐに捕まってしまう。しばらく身を隠してやり過ごそうと思ったが無理の様だ。
今私が逃げると、残された人達に有らぬ疑いがかかってしまうかもしれない。
クローディア公爵子息が静かに口を開いた。
「怖がらせて申し訳なかった。貴方を害するつもりはないので、どうか安心してほしい」
彼は表情こそ変わらないが、声色が少し落ち込んでいる。
「クローディア公爵子息が私を害するつもりなら、いつでもできたと思います。だから疑っていません。ただ…そろそろ手を離してもらえませんか?」
「これは、貴方が何処か遠くへ行ってしまいそうだから」
繋がれた手を見ながら、真顔で言われてしまった。私が逃げるつもりだったことバレている?
「この後は領主館に帰ります。この格好は、よ、夜の散歩用です」
今の装いは旅支度の格好そのものなので、苦しい言い訳をする。
「今の姿もよく似合っている。昼間とは違って新鮮だ」
「ありがとうございます。あの、手は……?」
「もう少しこのままで」
結局手を離してもらえず……。
私、相当信用されていないな。
「私を害するつもりはないと仰いましたが、私を捕えるつもりはありますよね?」
「捕えるつもりもない。けれど貴方は警戒を解かないし、このような事態も想定していた。
……私の魔術にいつ気付いた?」
「クローディア公爵子息がここに来たからです。
私にかけられたであろう術については、気配も感じられていません」
「術がわからないから、状況を作って見極めたのか……面白い」
クローディア公爵子息は少し驚いた顔をした。
表情が変わらないと聞いていたが、噂もあてにならない。
「術をかけるために、わざと私に触れましたね?」
「貴方にかけたのは居場所がわかる魔術の一種。私だけが感知できる。簡易なものだから今日中には解ける」
簡易な魔術でも、氷の公爵様が使うと精度が高くなるのか。今後は気をつけよう。
「貴方がいなくなると、私の問いに答えてもらえなくなるから。勝手に術をかけてすまなかった」
私は目を伏せて考える。
たぶん彼は全て把握しているだろう。
無策で挑むようなタイプではなさそう。
ならば、彼の問いに答えれば状況は変化するかもしれない。
私は意を決して顔を上げる。
「クローディア公爵子息からの問いについてですが」
言いかけて言葉が止まる。目を見開いた。
頬に何か触れている。クローディア公爵子息の手だ。
彼の長い指が、私の下唇をそっとなぞる。
彼の片手は私の手を握り、もう片手で顔に触れている。必然的に距離が近かった。
なんだろう、この状態。
アイスブルーの瞳が至近距離にある。
身体が動かない。
「……私は貴方に興味がある。だから警戒されたままだと悲しい」
「……ならば、少し離れた方が良いですよ。多少は警戒が緩むかも」
「離しても、逃げないか?」
「居場所がわかるのでしょう?逃げませんよ」
「ははっ、貴方と話すのは楽しい。駆け引きも面白いけど、ここは警戒を解いてもらう方が良さそうだ」
そう言って彼は私からそっと手を離した。
お立ち寄り頂きありがとうございます。
1人視点なので情報が偏っております。全体がわかるまでは読み進めて頂けると嬉しいです。
またよろしくお願い致します。




