ショートストーリー 殿、大変でございます
このお屋敷の守として抱えられ、早二年が過ぎた。
守とは言え、太平の世の事である。何くれと臣下を気遣って下さるお優しい殿のご期待に沿うような勤めが果たせておるか、我ながら甚だ疑問である。庭の警護などをしてみるも、闖入者と言えば雀などがせいぜいだ。
見回りをする儂の影に、庭石に止まった蝶がふうわりと飛び立つ。済まぬな、驚かせてしまったか。昼のとろりとした日差しに庭園の池が煌めくさまを眺め、池橋から水面を覗き込めば、鯉たちが餌を求め口をはくはくとしているのが見える。
うむ、実に平和。
ようようと屋敷に戻る儂の背後で、「ぽちゃん」と音がするまでは。
――?
何事かと振り返ると、鯉たちが何やら騒いでいる。池を覗き込めば、何と、何処からか迷い込んだらしい童が沈んでおるではないか!
――え、ちょ、あの……と、殿! 殿おぉぉぉーっ!
大慌てで池橋から飛び込むと、その騒ぎに何事かと殿がお庭に下りて来られたようだ。殿は池を覗き込むとすぐに事態を察されて、
「こりゃいかん!」
自ら池に飛び込まれた。ばしゃばしゃと大騒ぎする鯉をかき分け、殿と儂で童を池から引き揚げる。
幸いにも童は水を飲んではおらなかったようだが、この温かな日差しの中ぶるぶると震え、腰が抜けたのか、全く立ち上がれない様子だった。無理もない。つい今しがた溺れかけたばかり、それも、このような立派なお屋敷で騒ぎを起こしてしまったのだ。
儂はなるべく優しく童に語り掛けた。
――案ずるな。我が殿はお優しくていらっしゃる、おぬしのような年端のゆかぬ子を叱ったりなどなさらぬからな。それより、母御か父御はどうした?
童は口を開きはするものの、その声は酷く掠れ、殆ど聞き取れない。殿も困った様に首を傾げておられる。兎も角、ずぶ濡れの童をこのまま放り出すことも出来ぬ。殿は童をお屋敷に上げられ、湯を使わせてやった。無論、びしょ濡れの殿と儂も一緒だ。
風呂から上がると、ひと心地ついたらしい童がうとうとと舟を漕ぎ出す。殿はこやつが目覚めたら、医者に診せにいくようだ。このまま親か養方が見つからなければ、いずれこの屋敷で育ててやるお心算なのだろう。
やれやれ、どうやら殿と儂の日課である領地の散策は、本日は中止されるご様子だ。まあ仕方あるまい。
しかしこの童、池ポチャするまで全く儂に気配を気付かせないとは……中々の武芸者の素質があるのだろう。いずれ立派な武者となるやもしれん。
それに引き換え、儂はといえば全くお役目失格である。童の侵入にまるで気付かないとは、何の為の守ぞ……。
肩を落とす儂の頭を、大きな殿の手が撫でた。
「よーしゃしゃしゃしゃ、子猫ちゃんを助けて偉かったぞ、マロン。はい、ごろーん。よーしゃしゃしゃしゃ。今日はおやつに、お前の大好きなお芋を蒸かしてやるからな」
――え、やったあ! もう、殿、超好き! わん!