いち
「魔法少女ってさ、可哀想だよね。」
利用者の大半が帰路に着いた図書館の一角、学習にも利用出来る共用スペースで、夕日を背に制服姿の彼女は呟く。
来月に迫った大学入試の為に勉強に励んでいた僕は、閉館時間が近づいていることに気づいて手を止めた。
「何処がだよ。いつも仲間と一緒に楽しそうにしてるじゃないか。差し迫った大学入試の為に、勉強ばかりの花の無い生活をしてる僕らの方がよっぽど可哀想だよ。」
筆記用具をペンケースにしまい、開いていた参考書共々カバンにしまう。消しゴムのカスが出るのが嫌でボールペンを使って勉強しているおかげで、消しカスを集めて捨てる必要が無いので少しだけ気分がいい。
目の前に座る彼女、新井花恋はもう既に片付けを終えているようで、窓の外の何処が遠くを見ながら、僕のひねた返答をまるで聞こえなかったかのように気にせず言葉を続ける。
「そうなりたいって望んだ訳でもないのに、世界の命運を握らされて、大勢に勝手に期待されて、それで、失敗できないプレッシャーの中で成果を出さなきゃいけない。果てには、救う側にまわっちゃったから誰も助けてくれない。自分は自分一人で救われなきゃいけない。」
忘れ物がないことを確認し、勉強道具と空の弁当箱の入ったカバンをかつぐ。参考書を幾つか入れているせいで、背負った鞄は確かな重量を伝えてくる。
「魔法少女のことそんな風に見てるの花恋くらいだよ。キラキラしてて、可愛くて、自信がある彼女たちにみんな惹かれるから人気なんだろ?」
共用スペースから出ようとする僕の前を、花恋は当たり前のように歩く。彼女ののんびりとした歩くスピードに合わせて、ポニーテールが揺れる。
「康太はなんにもわかってないね。魔法少女の良さは、健気に頑張るその姿勢なんだよ。」
僕らの通う高校随一の優等生である彼女は、先程まで僕に勉強を教えていた時のように諭す。
定期テストではいつも一位。模試でさえ全国一桁の成績を一年生の頃から維持し続けている。さらに言えば、品行方正、清廉潔白。教師達からも信頼の厚い選りすぐりの優等生だ。
「なんでも知ってるな。」
「なんでもは知らないよ、知ってる事だけ。」
「お前がオタク文化にも造詣が深くて喜ばしい限りだよ。」
心の底から、そう思う。花恋がオタク文化に詳しく無かったら、いくら幼馴染とはいえ、きっと僕らはこんな風に一緒に勉強する仲にはならなかっただろう。
「まあ、一緒に勉強してるんじゃなくて、私が一方的に教えてるだけなんだけどね。」
「それは言わなくてもいいだろ。僕にも見栄くらい張らせてくれよ。」
先に階段を降りる花恋を追いながら、言葉を返す。花恋は、振り向かずにどんどんと出口へ向かって進んでいく。
「私に見栄張ったって意味無いでしょ。勉強教えるにあたって、康太の成績事情全部聞いたんだから。文系科目が散々で、特に現代文が悲惨な成績な事だって知ってる。」
「そ、それはそうだけどさ、やっぱり勉強出来ないこと痛感させられるから、こうやって虚栄でも張ってないとモチベーションなくなりそうで怖いんだよな。」
言い訳を探すように、階段の手すりに目をやる。ほとんど利用者のいない、閑散とした図書館に、2人の階段を降りる音と、控えめな大きさの蛍の光だけが響く。
「まあ、康太は豆腐メンタルの持ち主だもんね。そんなことより、康太は今日家に帰ったら何するの?」
「そんなことで片付けて良くないレベルの罵倒された気がする……。まあ、この前の模試の結果ヤバかったし、帰っても勉強かな。ここらが踏ん張り時だしな。」
「そう。受験、上手くいくといいね。」
「学年同じなんだから花恋も受験だろ。自分の勉強のことも気にしろよ。まあ、優等生様は勉強しなくても余裕かもしれないけどさ。」
少し皮肉げにそう答えると、規則的に聞こえていた足音が止む。顔を上げると、花恋は足を止めて振り返っていた。
「私だって、勉強してるよ。人並みに。」
少し語気を強めて、僕を真っ直ぐ見ながら言う彼女に、一瞬、言葉に詰まる。
「そ、そう、悪かったよ。適当なこと言って。」
僕が目を逸らしながら言ったのを聞いて、花恋は再び前を向いて歩き出した。
出入口の一番近く、図書貸出用のカウンターの中で座る司書さんと、目が合う。毎週のように図書館に通う僕らの顔はすっかり覚えられてるようで、すぐににこやかに、それでいて控えめに「さようなら。」と声をかけられる。
花恋がそれに「さようなら。」と返すのに合わせて、僕は軽く会釈する。
外に出ると、冷えた空気が顔を襲う。図書館の中は暖房が効いていたので、その寒暖差に思わず顔を顰めていると、花恋がいつの間にかこちらを向いていた。
「康太って、ああいうとこだけ律儀だよね。車が止まってくれた時とかも会釈する癖に、『ありがとう』とは全然言わない。」
「……まあ、そうだけど、だからなんだよ。」
まるで、上辺だけ取り繕っていることを責めるような、淡々とした言い方に、つい語気が強くなる。
「別に。ただ、それだけ。ちょっとだけなんでか気になるけど、だいたい想像つくし。」
それだけ言うと、花恋はまた帰り道をあゆみ出す。僕は少し遅れてその後を追いかける。
「じゃあ何が理由だと思うんだよ。」
花恋は少しの間黙ったあと、何かを諦めたようにため息をついて話し出す。
「どうせ、小さい頃は優等生できちんとお辞儀して挨拶もしてたけど、反抗期で恥ずかしくなって挨拶はやめた。けど、どこか悪い気がして会釈だけはしてる、とかでしょ。」
余りにも図星で、まるで自分の浅ましいところを見透かされたようで顔が赤くなるのを感じる。
「ほら、大正解。」
「うるさいな。ちゃんと会釈はしてるんだからそんなに責めることないだろ。」
「別に悪いなんて言ってないよ。理由を当てろって言われたから言っただけ。」
自分の浅ましさどころか、器の小ささまで晒されているかのような会話に、思わず口を噤む。
大体の人間がお辞儀すらしないのだからするだけ立派だとか、挨拶のするしないなんて個人の自由だとか、反論が次々浮かんでくるが、言ってしまえば自分をさらに貶めるような気がして、口に出せない。
そのまま何も言えず花恋の後ろを追う。小さく左右に揺れているポニーテールを見ていると、少しずつ花恋に腹が立ってきた。
なぜ、自分がそこまで言われなくてはならないのか。別に、花恋に悪態をついたわけでも、誰かに迷惑をかけた訳でもない。なんなら何もしないどころかお辞儀は最低限している。花恋に責められるいわれはない。
「なあ、なんで怒ってんだよ。」
花恋に非を求めようと、自分の方が怒った口調で問う。
「怒ってないよ。それに、康太のこと責めてもない。さっきのだって、普通はそうしないなって思ったから言っただけだし。ちゃんと会釈してるだけ、康太は偉いと思うよ。」
逆に花恋に落ち着いて正論を返され、また言葉に詰まる。何か言い返したいが、言い返せばまた何を言われるか分からない。受験勉強よりも必死に頭を回すが、次の言葉は何も思いつかなかった。ここで、現代文の成績が響くとは。何を言っても自分より語彙のある花恋に綺麗に返されて終わりな気しかしない。
「俺、今日はこっちから帰るわ。」
「家、隣なんだから道は同じでしょ。」
「今日は一人で帰りたい気分なんだよ。」
何も言い返せない自分と、正論ばかり返す花恋に腹が立って言ったが、それすらも花恋に見透かされているような気がして、余計に自分が酷く惨めに感じる。
「そう。じゃ、またあした。」
花恋は振り返って、わざわざ面と向かって告げる。
「……ああ。」
何も言えない僕は、絞り出したように返事をして、遠回りの帰り道を歩き出した。