4. 五国同盟
現代において、国の王が代わることは世界全体にとって重大な出来事である。
何故ならば、この世界にはたった一つの大陸と、たった五つの国しかないからである。外の海は沸騰し、他にある陸地も荒れ果てた場所ばかりであり、とてもではないが人の住める環境ではなかった。
かつて大陸には無数の国々が存在したそうだが、魔術を用いた戦争によって淘汰され、今では五つだ。
淘汰――要するに殺し合いである。
サクスムも、ウェントスも、フロースも、ラクスも、フランマも……その長い歴史の中で百を超える戦争を経験した。
戦に勝ってもまた戦、それに勝っても休むことなく次の戦いへ。そんな地獄のごとき時代にも終わりが訪れる。
きっかけを作ったのはとある一人の魔術学者であった。後に大魔術師と呼ばれたその男は、名をアニマという。この世に存在する魔術――その全ての知識を大陸中に広めた偉人だ。そう、『魔術全書』は彼によって生み出されたのだ。
大陸にある全ての国に魔術の全知識が行き渡ったことで、国々の戦力差はあっという間に縮まり、どれほどの強国であろうと容易に戦ができないようになる。
元々疲れ果てていた人々に争いをやめさせるには十分すぎる一手だった。
やがて国々は同盟を結び、互いに攻撃をしかけないことを誓い合い、ついに八年前、ウェントスの加入をもって『五国同盟』が完成した。
五国――現存する全ての国が一つの同盟を結んだのである。
守るべきルールはただ一つ。互いを攻撃しないこと。もしこれを破ることがあれば、違反した国を残りの四国で滅ぼす。この苛烈な約束がこれまで平和を維持してくれた。
けれど、人々の胸にはいつも不安がある。
同盟はいつまで続く? もう本当に戦争は起こらないのか?
心に暗い陰があるからこそ、人々は希望を求める。平穏な未来を夢見る。
とどのつまり、この平和な世にあって『希望の王』の存在が望まれているのは、彼らの恐怖心の表れでもあるのだった。
*
気絶したソポス先生を病院に運んだ後。
城内のホールに戻ると、先ほどより人が増えていた。『霧の城』で式をする関係で人数は絞っているはずなのだが、それでも五国合わせて五十近い人間が集まっている。
警備兵を抜いてその人数だ。俺が見張るのは夜間だが、これは式や宴の最中も気を抜けそうにない。
かつてない大仕事の予感に唾をのんでいると、ホール西側の扉が開け放たれた。
床までかかる黄金の衣を身にまとった王子、エルピネス様が登場なされたのだ。
第十六刻。国王就任式が始まった。
後ろには側近のスキア様が控え、いつものように爽やかな笑みをたたえている。けれど今は心なしか気配が薄い。
皆が息を飲む。エルピネス様の輝きに圧倒されていた。
ちんまりとした体格や表情は普段と変わらない。それなのに何故か、どうしても目が離せなかった。
黄金の衣のせいだろうか。あるいは力強い眼差しのためか。
否。そのような単純なものではなかった。
王子の身から放たれる決意が、覚悟が、あらゆる装飾を差し置いて人々を惹きつける。
太い眉に力を入れ、王子は中央で待つ父――ホドス王に頷いた。
天井から降り注ぐ陽射しのような光に照らされ、歩み出す。
階段状になった床を一歩一歩踏みしめ、やがて中央の最も高い位置にたどり着いた。
王子は跪き、ホドス王に見下ろされる。
ホドス様の眼差しは温かい。その首には白く輝くような石で作られた首飾りがかけられていた。王妃様の形見である。いつも見ているものだが、今はより特別に感じる。王妃様もいっしょになって見守ってくださっているようだった。
王の手には縦に大きく伸びた、山のような形の黒い帽子がある。サクスムの王が代々受け継いできた由緒正しき王の証だ。普段あれを身に着けることはないが、就任式では必ず使われてきたのだという。
エルピネス様の頭に帽子がかぶせられる。壁際でカストロニアが嗚咽を漏らし、涙ぐむのが見えた。それにつられ、城の者たちが目に涙を浮かべる。俺の視界も熱くにじんだ。
「サクスム国王、ホドスネスの名において宣言する! 今ここに、エルピネスをサクスム二十七代大王に任命する!」
直後、爆発的な歓声があがる。
空気が沸騰しそうなほどの圧倒的な熱。サクスムの者だけではない、よその国から様子見に来た者たちまでもが声を上げていた。
王子は――否、新国王は目を閉じ、この時を噛みしめるようにしばらくじっとしていた。
やがて顔を上げると、立ち上がって人々へ視線を向ける。
「ふむ、ようやくかね」
エルピネス様は小さく呟いた。感慨深いというより、新兵の遅刻にため息をつくような声だった。
王になったことへの感動が感じられない。彼は既に次のことを考えているようだった。
「サクスムの民よ、それに同盟国の諸君。さっそくだが聞いてもらいたい」
ホール内が再び静まり返った。新王の言葉に皆が耳を傾ける。
「私には使命がある。我が愛国サクスムを、そしてサクスムの民を守ることだ。そんな中、聞き捨てならない噂を耳にした。五国同盟の破棄を目論む者がいる、と」
俺は自分の耳を疑った。一体何を言い出すのだろう。
新王の決意表面が始まると思った直後、不穏な話題が持ち出されたことで人々は戸惑いの色を露わにした。
「目的は単純に、戦争による利益のためだろう。人の欲は抑えられぬものなのだよ。魔術によりどれほど生活が豊かになろうと、常にその先を求め続ける。人とはそういう生き物だ。嘆かわしいことだがね」
急に話題に上がって驚きはしたが、俺もその噂は聞いたことがある。どこから出た鼻しかも分からないが、誰も否定できなかった。いずれは起こり得るであろう話だったからだ。
この百年、ほとんど戦争は起きていない。八年前に起きたものだけだ。だから人々は忘れてしまった。戦争への恐怖を。
しかしサクスムの民は知っている。エルピネス様は知っている。戦に勝利してさえ、俺たちは多くのものを失った。サクスムの大英雄も、王妃様も、もうここにはいない。
エルピネス様は天を仰ぎ、愁いを帯びた瞳ではるか遠くを見た。天へと手を伸ばし、何かをつかむように握りしめた。
その眼差しに強い光が宿る。新王は宣言する。
「安心したまえ。私が王になった以上、もう戦を起こさせはしない。何故ならサクスムは強くなるからだ。どこの国からも手の出しようがなくなるほど、圧倒的なまでに、味方さえ震えあがらせるほどに強くなる。戦を望む者がただの一人もいなくなるまで、徹底的に鍛え上げる。――同盟国の諸君。君たちとは味方でいられることを願うよ。これから先もずっと、友好関係を築きたいものだ」
それは紛れもなく脅しだった。我々に手を出せばただでは済ませないぞという牽制だ。
しかし『五国同盟』とは元々そういうものだった。同盟のみの力では綻びが生まれてしまうというのなら、サクスムが強くなることで補強する。それが新王の示した道なのだ。
「ついて来てくれるかね、サクスムの民よ」
ふいに表情を柔らかくした王が問いかける。即座に側近のスキア様が跪いた。
「はっ! 御心のままに!」
「御心のままに!」
サクスムの民が一斉に応える。当然俺も跪いていた。
……しかし一人だけ何の反応も示さない者がいる。
壁際にいる召使などが棒立ちしていたとしても気づく者は少なかっただろう。だが彼女は王たちに最も近い段にいた。
真っ白な髪と真っ赤な瞳。見た目だけなら王以上の存在感を放つ彼女は、用意された椅子に座ったまま足を組んであごを上げている。目立たないわけがなかった。
皆の視線に気が付いて、アガペーネ様はあくびした。
「なに、終わり? じゃあアタシ帰るわね」