4. とある大罪人の結末
注意:前回の話で既に犯人が明かされています。
サクスム新国王暗殺事件。その始まりをいつとするか?
それは人々の定義に委ねられる。犯行が実行された時ならば三日前。具体的な計画を立てた十三日前だろう。犯行を決意した時期となればさらに前になる。
しかし犯行の動機を語るとなれば、より根本的なところから振り返るべきかもしれない。例えば、そう――十六年前。サクスムに大いなる祝福が降りた日のことだ。
魔術の神に愛されし姫君、アガペーネ様が生まれた日のことである。
彼女はこの世に生まれ落ちた瞬間から他者とは違っていた。真っ白な髪に鮮やかな赤い瞳、触れた『蛍花』を太陽のように輝かせる魔力量。才能にあふれた兄と姉を持ちながら、彼らの存在を霞ませるほどのまばゆい光を、人々は見た。
彼女こそサクスムの希望となるべき存在だと誰もが口を揃えて言った。誰もが彼女を愛していた。才能への期待ももちろんあったが、その美しい瞳と存在感に皆が心を奪われていた。
城では蝶よ花よと育てられ、街では憧れの眼差しを一身に受ける。それが彼女にとっての日常で、人々と接することこそが彼女の生きる喜びであった。
けれどアガペーネ様は、学術や魔術の修練が苦手だった。あらゆる知識が技能を当然のごとく身に着けるエルピネス様と違い、単純な手順でできる魔術以外はほとんど扱えなかった。フィリアーネ様も本を読むのは苦手なようだったが、武の才には恵まれていた。アガペーネ様だけが、魔力以外の目立った特技を得られなかった。
それでも皆、彼女を愛していた。子どもであったということもあるが、人懐っこく活発な性格から、純粋に好かれていたのだ。
だから彼女も焦らなかった。何があっても自分は愛される。魔力ではなく、自分という存在を皆見ていてくれているのだと信じていた。
だが、エルピネス様が王としての才能を開花させていくにつれ、自然と人々の関心は彼に移る。彼女が十歳になった頃には既に、『サクスムの希望』はエルピネス様を示す言葉にすり替わっていた。
無論、彼女が愛されなくなったわけではない。けれど彼女がいない時、あるいは彼女とエルピネス様が共にいる時、注目されるのは兄の方になっていた。
それまでのアガペーネ様の人生において、常に彼女はその場の誰よりも愛され、視線と言葉を与えられる存在だった。そんな彼女からしてみれば、『見られない』ことは途方もない疎外感を覚えさせるものだ。人の輪から爪弾きにされ、独りぼっちにさせられたような感覚だ。――そう、アガペーネ様は語った。
だから彼女は焦った。自分を見て欲しい、愛して欲しい。たくさん人に笑いかけて、たくさん努力もした。その結果、兄には敵わないと悟ることになった。
どうして愛してくれないのだと苛立ち、他人に当たり散らすようになったのはそのすぐ後のことだ。次第に人の心は離れ、娘を溺愛していたはずのホドス様にまで苦言を呈されるようになる。
何かすればするほど求めるものが手の中からこぼれ落ち、求めるほど胸に穴があいたような心地になる。すがりつきたい母親は既にこの世におらず、父も兄への教育に注力していた。
だから彼女は、諦めた。自分が一番になることは今後一生ないのだと認め、あらゆる努力を辞めた。そして兄を憎むようになった。祝福されるはずだった運命をめちゃくちゃにしたのは彼なのだと頑なに信じるようになった。
「王を辞退しなさい」
とある日、アガペーネ様がエルピネス様に直談判したのも、単なる嫌がらせにすぎなかった。本気だったわけではない。彼女にも、誰が国王に適任かくらい分かっていた。
「フム、面白い。ならば他に、誰に国王を務められるというのかね?」
「アタシよ、アタシ。魔力量を見れば誰が国を治めるにふさわしいかなんて一目瞭然じゃない。誰よりも神様に愛され、祝福されて生まれてきたのはこのアタシ。悪いけど、アンタの出る幕じゃないのよ」
アガペーネ様がそのようにして絡むことは珍しくなかった。けれど国王就任のような重大な物事に口をはさんだのはこの時が初めてだったそうだ。そのためかエルピネス様はいつになく真面目な様子で彼女を見返し、それから一つ、ため息をついた。
「アーネ。君は今日も、街で騒ぎを起こしたそうじゃないか」
「な、何よ。くだらない庶民どものことなんかどうだっていいじゃない。説教して話を逸らそうっていってもそうはいかないんだから」
「話が逸れるなら、その方が良かったのだがね。まあいい、この際だ。はっきり言わせてもらおう」
その時告げられた言葉が事件のきっかけだと、アガペーネ様は語った。
「君は、人間として彼らより劣っている」
「……え、なに? いま、なんて言ったの?」
当時の彼女はひどく戸惑い、言葉の意味を理解することを拒んだ。しかし容赦なく追い打ちを加えられ、耳を塞ぐことは許されなかった。
「劣っていると言ったのだよ。君にあるのは魔力だけだ。確かにそれで人を助けたこともあっただろう。だがそれよりも傷つけてきた数の方が多すぎる。まるで君は、他人を苦しめるために生まれてきたかのようだ。力がなくとも互いを思い、幸せを育む人々――君の言う庶民のほうが、遥かに価値がある。そんな君に、国王を任せることなど到底できない」
劣っている。価値がない。その言葉は彼女が最も恐れ、自身から遠ざけようと必死に抗ってきたものだ。それを真正面から突き付けられ、ずっと前からヒビの入っていた心が、ついに割れた。
殺意が芽生えたのは、その時ではなかった。自身の存在意義を疑い、生きていることに耐えられなくなった彼女は、エルピネス様ではなく自分自身を殺そうとした。
けれど――。
自殺未遂の日から三十二日後の今、アガペーネ様は暗殺を終え、その罪を暴かれた。
「アタシは思いとどまった!」
『霧の城』のホール、『告発の儀』の場にて。アガペーネ様は目を剥き、激しい怒りに身を焦がして叫んでいた。
「だっておかしいじゃない! アタシを死に追いやろうとしたのはアイツなのに! 酷い事をしてるのはあっちなのに! どうしてアタシが死ななきゃいけないの? 死ぬべきはアイツよ! あんな人でなしが生きてる方が間違ってるんだから!」
顔を歪め、声を枯らして叫び、息を切らして腕をだらりと下げる。
「アタシが生き続けるにはお兄様は邪魔だった。だから、生きるためにアタシは、お兄様を殺したの。国王就任の直後になって皆を混乱させたのは、まあ、悪いと思ってるわ。でもしょうがないじゃない、あの額縁が計画に必要だったんだから」
アガペーネ様は疲れ切ったようにその場に座り込み、息をついた。怒りをぶちまける途中で全てどうでもよくなったのか、ホドス様の方へは見向きもしない。俯いて息を整えている。
サクスムの存亡に関わる大事件の真相は、王女の私怨であった。
「ふ……ふざけないでくださいまし!」
沈黙の中、最初に声をあげたのはカストロだった。目を吊り上げ飛びかかろうとするのをアスピダ様に止められている。
「認められたいのならば努力すればよかったではありませんか! 何故そんなことで、坊ちゃまを!」
自分に罪を着せられないか怯える姿ばかり見ていたから忘れていたが、彼女だってエルピネス様のことを大切に想っていたのだ。彼が小さな時から自分の子どものように世話をしてきて、家族愛のようなものが確かにあったはずだ。
「カストロ殿、危険であります。捕縛は吾輩とスキア殿に……」
「承知の上ですわ! 刺し違えてでもワタクシは……!」
「もう良いではありませんか」
ぞわりと、全身の皮膚が粟立った。
耳の奥にねっとりと入り込んでくるような、陰湿な悪意を感じさせる声だった。
口の端に歪んだ笑みを浮かべ、クリューソスがカストロを見ていた。
「エルピネス様がいなくとも、アーネ様が新しい王になれます。問題だったサクスムの滅亡も、ホドス様が事件と無関係と分かり防がれた。サクスムは安泰です。一体、何の問題があると?」
「あ、あなたは……本気で言っているのですか!」
開き直った態度にカストロは唖然としてしまう。クリューソスは興味を失ったように彼女から視線を外し、この場の全員に向かって語りかける。
「アーネ様は本気で命を絶たれようとされていたのです。私がお声がけしなければ亡くなっていたのは彼女の方だったのですよ。それを許し、エルピネス様の死は許さない、というのは……いささか虫が良すぎると思いませんか?」
もっともらしく訴えかけているが、これだけ大それた事件を起こして何もなしでいられるはずがない。許されないと分かっていながら、彼は劇の役者でも演じているように大げさに語る。こういった言動には見覚えがある。エンパイーニと同じ人種だ。
「貴様と議論するつもりなどない!」
ホドス様が立ち上がり、怒声を上げた。しかしすぐに体勢を崩し倒れてしまう。それでも歯を食いしばって顔を上げ、目を剥いた。
「貴様が……! 貴様がアーネを唆したのか!」
「違うわ、勝手に決めつけないで!」
反論したのはアガペーネ様だった。
「クリュはお父様なんかと違って、アタシの気持ちをよく分かってくれてるのよ! ただ、アタシを励ましてくれただけ!」
「な……何なのだ! 其方はずっと、その従者を虐げていたではないか! 何を今さら……」
「本当にホドス様は分かっていらっしゃらないのですね」
「何?」
クリューソスは道端の糞でも見るような冷めた目でホドス様を見下ろし、鼻で笑った。
「私はアーネ様を愛しています。どのようなことがあっても忠誠心を曲げないと誓ったのです。このボロボロの服や切り落とした耳は、私たちの絆そのものなのですよ。あなたの形ばかりの親子愛とは訳が違う」
彼は愛おしそうに自身のなくなった右耳の痕を撫でる。その仕草に、何故だか俺はぞっとした。
「アーネ様にお仕えするとき、私の方から誓ったのです。例えどのようなことをされても姫様を愛し抜く。その第一の証明として、右の耳を切り落として見せた――それだけのことです」
「耳……を?」
ホドス様が呆気に取られたように繰り返す。俺にも何を言っているのか分からなかった。彼の声を聞いているだけで悪寒がして、吐き気がしてくる。
「あはははっ、そのとおりよ!」
アガペーネ様が頬を紅潮させ、甲高い声で言った。
「この愚図はね、耳を失って、毎日毎日甚振られ続けているのに、それでもアタシのことが好きで好きでたまらないの! アンタたちには理解できないでしょうね! まあ無理もないわ。だってアタシほど強く愛されている人間なんて、他に一人も存在しないもの!」
目を見開き、どうだ見たかとばかりに主張する。追いつめられ震えていた少女とはまるで別人だ。
彼を執拗に甚振り続ける様子を見て、異様だとは思っていた。彼女は誰にでも当たり散らすし、歯向かってきた相手には食い殺すような勢いで牙を剥く。しかし媚びへつらってきたり従順であったりする相手には、嫌味こそ言うが手を上げることなど一度もなかった。
俺自身、軽く蹴られたことはあるもののクリューソスのように全身に痣ができるまで痛めつけられたことなど一度もなかった。
その暴力の理由が、愛を証明するためだったと――とてもではないが受け入れられない。頭が理解を拒み、雑なほら話で皆を混乱させようとしているのかと勘繰ってしまう。けれどアガペーネ様の様子を見ていれば、嘘などではないことは一目瞭然だった。
「アーネ」
ここで、静観していたフィリアーネ様が口を開いた。
「あなたの気持ちに気づいてあげられなかったことは、謝る。ごめん」
深く頭を下げる。アガペーネ様は目を丸くしたが、すぐに首を振って睨みつけた。
「何よ、今さらそんなのいらない! もうどうせアタシは終わりなんでしょう? それともクリュの言ったように、本当にアタシを許して女王にしてくれるわけ?」
フィリアーネ様は言葉に詰まる。ホドス様は苦しげに俯いた。部外者である客人たちは当然のこと、兵士たちも口を出せない。カストロなど一部の者は敵意を剥き出しにしていたが、アスピダ様に抑えられていた。
俺はつい、カリダ様を見てしまう。彼女はそれに気づくと、首を振って階段を降りていく。
「わたしの役目はもう終わりだよ~。どんな結論を出すかは、サクスムの人が決めなくちゃね~」
道理だろう。国の未来にも大きくあ関わることだ。これ以降の判断をよその国に任せることはできない。
「アーネを許すことは、できない」
迷いの末、フィリアーネ様ははっきりと告げた。ホドス様は驚いたように顔を上げたが、何も言わなかった。
これはすなわち死刑宣告だ。アガペーネ様とクリューソスを国王暗殺の大罪人として処刑する、そう宣言したと見ていいだろう。
アガペーネ様は舌を鳴らし、クリューソスの傍に寄る。
「アンタらがアタシを殺そうって言うなら・……全員ぶっ殺してやるわ」
「お供いたします」
臨戦態勢に入った二人に、空気が一気に張り詰めた。
「取り押さえるのであります!」
アスピダ様が素早く叫ぶ。カストロたちを止めるのをやめ、自らも動き出した。戻ってきていたイェネオや、他の兵士たちも飛び出す。
その次の瞬間、皆が、瞠目した。
アガペーネ様の首が宙を舞っていた。
――生きたまま首を跳ねたら魂が二つに引きちぎられてしまう。そうなっては魂があの世に還ることもできず、永劫の闇を彷徨うこととなるだろう。
とある教えが頭をよぎる。斬首とは、この世で最も残酷な殺し方であると。
「感謝するよ、花国探偵。君のおかげで仇が討てた」
スキア様が言った。細剣を振るい、そこについていた鮮やかな血を払う。
ごとり。放心したアガペーネ様の顔が、遠く離れた床に落ちた。
「――」
アガペーネ様の赤い瞳から光が消えていく。悲鳴の一つも残さなかった。
重い沈黙。されどそれは実際にはわずかな時間であったのだろう。たちまち、耳をつんざくような絶叫が響き渡った。
「アーネ様ァ!」
クリューソスが手を伸ばし走り出す。スキア様がその傍を、目にも留まらぬ速度ですり抜けた。
いつ剣を振ったのだろうか。クリューソスの体から血の飛沫が舞い、膝をついた。腕も力なく垂れ、さらに背中を蹴りつけられる。
スキア様は倒れたクリューソスの頭を踏みつけ、メキメキと音が聞こえるまで足に力を入れた。
「がああああああっ」
クリューソスの手足から大量の血が流れ、血だまりを作る。スキア様は今の一瞬で筋肉の急所を的確に切り、無力化したのだ。
「アーネ様ぁぁぁ! 何故、何故……! こんな、おぞましいことを!」
先ほどまであれだけ余裕そうにしていたクリューソスが、声を枯らすほど叫び手を伸ばそうとしていた。無惨に落ちた主の首は、さすがの彼にも衝撃的だったのだろう。魔術の神を信仰する俺たちにとって、それほどまでに残虐な行いであったのだ。
「そうだよく見ろ。これが君のしたことの結末だ。愛していた? あはは、笑わせるね。君が暗殺などしなければこんなことにはならなかった。君のせいで彼女は、あの世にも還れなくなったんだ」
「黙れェ!」
肩を振るい、もがく。けれどクリューソスの腕は垂れたまま動かなかった。
動けないのは俺たちもだ。血に慣れている兵士たちも目の前の蛮行に戸惑いを隠せない。
これが……スキア様なのか?
彼は剣を構え、クリューソスの首をも引き裂いた。首が飛んだ後も体を踏みつけるのをやめない。怒りに狂ったのだ。
そこでようやくアスピダ様とフィリー様が動く。
「もういい、やめて」
「スキア殿を捕らえよ!」
彼は抵抗することもなく兵士たちに捕まり、剣を手放す。それから眩く光る天井を見上げ、息をついた。
「参ったな。こんなに虚しいものなのか」
スキア様の顔は怒りに歪んでなどいなかった。ただ虚ろに、笑っているような顔をしているだけだった。
「アーネ……」
ホドス様が遅れて立ち上がる。その目にスキア様は映っていない。視線はただ、愛娘の首にのみ注がれていた。
「スキア殿、残念であります。いくら罪人相手と言えど、このような行為は……」
「裁かれることは覚悟の上です。いかなる処分も受けましょう」
スキア様はあっさりと答える。瞳には力がなく、眼差しというものがまるで感じられない。視線は虚空へ放り出されていた。
「僕が生涯をかけてお仕えすると誓ったのは、エルピネス様ただお一人。この世に未練はありません。むしろ魔術神のお導きを得られれば、違う形で我が王にお仕えできるかも――」
言いかけて、はたと思い出したように足元の血を見下ろす。
「あはは、それはないか。エルピネス様が天国に行かれるのなら、僕は地獄行きだね」




