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推理は魔術を凌駕する!  作者: 白沼俊
第五章『魔獣戦線』
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2. 大いなる岩の神

 馬を駆ける。前方から強い風に叩きつけられながら、王都から国門へ続く長く広い石畳の道を進んでいた。


「くそっ、何故だ! 何故俺はダメなのだ!」


「残念だったね~。せめてホドスくんに追いつければ良かったんだけどなぁ」


 共に馬にまたがったカリダ様が日向ぼっこでもしているような声で言う。手綱を引く俺の前に座っていた。


 魔獣を迎撃するための王都軍は既に出発していた。『空泳船』を使い、馬よりはるかに速く空を駆けているところだ。そして俺は船に乗せてもらえなかった。弱いからと。どこに目を付けているのだろうか。


「ホドス様は何故急に戦場へ……」


 王都軍が発ったとは言ったが、全てが動いたわけではない。それどころかほとんどは街に残っていた。いくら訓練された軍があると言えど、これほど急な事態にすぐさま対応できなかったのである。


 だが十分だった。たとえ万の魔獣に攻め込まれようと、百人の強力な戦士がいれば勝利は容易い。人間と魔獣の差はそれほど広いのである。魔獣を率いる人間がどれだけいるかという問題はあるが……少なくとも、王が出ざるを得ないような状況ではないはずだった。


「ねえニケくん。ホドスくんが戦場に行ったことはないんだよねぇ?」


「はい、今まで一度もなかったことです。本来、エルピネス様やフィリアーネ様のように前線へ向かう方がおかしいのです」


 それに暗殺の件や王妃様の発見などのためにホドス様は憔悴しきっていた。それがどうして急に――。


 いや。だからこそ、なのか?


「まさか自暴自棄になって、あえて危険な場所に飛び込んだと?」


「う~ん、断定はできないけど……違うとも言い切れないんだよね~。今朝もすっごく顔色が悪くて、今にも倒れそうな様子だったから」


「くそっ、それが王のやることなのか!」


 思わず声を荒げてしまった。エルピネス様が亡くなった今、現時点での王はホドス様に戻ったと考えていいだろう。次期国王がフィリアーネ様になるにしても、今はまだ彼が王だ。


「そうだね~。フィリーちゃんはともかく、ホドスくんは戻るべきだと思うなぁ。消えた魔獣のことも気になるけど、今はあの子の方が心配。王都にはスキアくんがいるしね~」


 スキア様は王都に残り、マムニカの者がいないか探していた。最強の騎士である彼がいれば何が起きても心配いらないだろう。


 国門にはアスピダ様がいる。そちらも心配はないはずだが、戦いの中で誰かが負傷する危険はもちろんある。それにホドス様やフィリアーネ様が巻き込まれないかだけが気がかりだ。


「ですがホドス様は素直に帰ってくださるでしょうか。他の者にも止められているはずですが、それでも行ってしまわれました」


「言うことを聞いてくれなくても頑張って連れて行くしかないかなぁ。それに、サクスムの子と違ってわたしは遠慮しないからね~」


 突破口はそこだけか。花国探偵であるカリダ様のお言葉なら、ホドス様も耳を傾けてくれるかもしれない。わざわざ彼女が戦場へ向かおうとしているのはそのためだろう。


 あぶみで腹を蹴り、馬を急がせる。やがて『白岩門』が見えてきた。周囲を険しい山に囲まれた断崖のごとき巨大な門である。その大きさゆえ、見えてからたどり着く前に思いのほか時間がかかる。


 まだ話に聞いただけでいまいち想像ができていないが、魔獣の軍勢とはどのようなものだろうか。森で襲われた大蛇の姿を思い出し、額から汗が伝った。


 大丈夫だ。蛇の中でもとりわけ強大だった森の主でさえ瀕死のイェネオに蹴散らされた。恐れることはない。


『白岩門』に到着する。はるか高い門の上に人々の姿が見え、さらに周囲を数十の『空泳船』が飛んでいた。まだ魔獣たちは来ていないのか、妙に静かだ。


 まずは門の裏にある長い坂を馬で駆け、さらに梯子をのぼって門の上まで上がる。軍を率いるアスピダ様の姿が見えたので、近づいた。


「ふむ。大軍勢といっても所詮は魔獣ですな。せっかくの奇襲ものんびりとした足ではこのように容易く迎撃できます」


 彼は何かを見下ろしていた。視線の先を追い、凍り付く。


 既に門の下には無数の死骸で海ができていた。その惨状に味方であるのに恐怖を感じた。


 門の前には万の軍勢であろうと容易く進めるほどの広い道がある。それが全て死骸と血で埋め尽くされているのだ。気分を悪くしない方がおかしい。八年前の戦争でもここまでの光景は見なかった。


 魔獣の軍がどんなものかを見る暇もなかった。とうに決着はついていたのだ。


 対してこちらはほぼ無傷。駆けつけた兵は千にも満たないというのに、この圧倒ぶりである。あまりにも呆気なさすぎて、魔獣たちは何をしてきたのだとさえ思ってしまう。


 実は彼らは囮で、本命が別にいるのではないか。そんな予感が頭をよぎったが、こちらも王都の守りは厚くしている。本命同士がぶつかれば、やはり勝つのはサクスムだ。


 アスピダ様がぎょろりと目だけを動かし俺を見た。


「ニケ殿、何故ここへ?」


「ホドス様とフィリアーネ様を探しに来たのですが……」


 戦いが終わったのならばもう危険もないだろう。『空泳船』にでも乗っているのかしれないが、呼ぶ必要もなさそうだ。ちなみに俺が戦場へ来るのは何も不思議な事ではない。


「正直言って拍子抜けだな」


 兵士の誰か言った。別の誰かが気の抜けた息をつく。


「ギィィィ!」


 国門の下でなおも必死に暴れる魔獣がいた。高すぎて目視ではどんな姿か分からないが、ここまで声が聞こえてくるとは壮絶な叫びなのであろう。しかしそれも、船から無慈悲に落とされた鉄の塊に潰されて消えた。


「こんな状況でもまだ引かないやつがいるのか……執念というやつか?」


 俺の呟きに、アスピダ様が答える。


「憎悪というべきかもしれませんな。仲間を殺される痛み、そこから生まれる憎悪……幾度目にしてもそれはすさまじいものであります。魔獣も同じようです。なればこそ一切の容赦は不要。憎悪を断ち切る唯一の方法は『死』のみなのでありましょう」


 既に戦は終わった。後は生き残った獣が逃げるか向かってくるかを見守るだけだ。もっとも、ここから見た限り生き残りなどほぼいないようだが。


「帰りましょうか、カリダ様」


 踵を返し、カリダ様に声をかける。


 だが、彼女は動かなかった。きょろきょろと周囲を見回し、首をかしげる。


「ねえねえ、何かさっきから――」


 カリダ様が言いかけた、その時だった。


 大地の下から突き上げるような凄まじい揺れがあり、突風が吹きつけたかのように大きな音の塊が全身に叩きつけた。


「なんだっ?」


 荒れ狂う風に吹き飛ばされそうになりながら、目を向ける。


 遠く、山脈の奥に巨大な影が見える。


 その頭は雲を貫き、その足は山を踏み砕く。その影はまるで人のようで、その身は魔力で動いていた。


『岩の巨神』。サクスム最大にして最後の砦が、大地を揺らしながら歩いていた。


 俺は、アスピダ様は――国王の死を知る全てのサクスム兵は、言葉を失い、目を疑った。


 エルピネス様は『希望の王』と呼ばれていた。そのきっかけは魔獣駆除の実績や、高度な魔術や戦術を容易く自分のものとする実力など様々あるが――実は、最も大きな理由はそれらではない。


「あれを動かしているのは、何者でありますか?」


 アスピダ様がわずかに口元を震わせる。目を泳がせることなく巨神のみを見つめていた。


 不気味で底の知れないアスピダ様が、俺の目の前で初めて動揺していた。


 それは最悪の予感。サクスム史上最大最悪の事態を――そう、国王暗殺や八年前の戦争すらも越える危機を想像させるものだった。


「あり得ない。何故……何故だ! あれを動かせるのはエルピネス様のみのはず!」


『岩の巨神』は『満たされた器』が使える者なら誰もが入れる代物ではない。通常は巨神の脚一本よりも小さな巨人に入るので精いっぱいなのだ。魔力量、技術、意志の強さ――その全てが揃わなければ、巨神は扱えない。


 フルリオダンが大英雄となれたのは、他の誰にも動かせなかったあの巨神を難なく我が物とできたからでもあった。彼の死後、巨神を操れる者は現れず、最強の騎士スキア様でさえ指一本動かせなかった。あらゆる魔術を使いこなし、戦闘では負けなしのスキア様でも、それだけはかなわなかった。


 そんな中で一年前、エルピネス様が『岩の巨神』を動かしてみせた。その偉業により『希望の王』の名は絶対的なものとなり、国中が歓喜した。


 その王はもういない。だから、巨神を動かせる者はサクスムには残っていないはずだった。


 ならば――。


「誰があれを動かしている?」


 当然の疑問が口を突いて出た。


「敵だあああああ!」


 遠くから声がした。魔術で拡大されたその叫びは、恐ろしい事実を突きつけてくる。


「巨神が、巨神が……! 奪われた!」


 サクスムの者でないのなら、部外者が勝手に巨神を動かしたということ。今そんなことをするのは魔獣の仲間としか考えられない。ならば答えは決まっている。


「ソイツは……その巨神は敵だ!」


『岩の巨神』は一歩ずつ着実に、険しい山々を踏み抜いていく。ソレはこちらへは向かっていなかった。


 息を飲む。巨神が見ていたのは王都の方角だった。


 このためか?


 魔獣たちは初めから『岩の巨神』を狙い、そのために大軍を作ったのではないか。


 巨神はサクスム最後の砦だ。戦がなくとも常に周囲に見張りを置き、大切に保管している。その警備はただ人が近づいただけでも迎撃される徹底ぶりだ。


 だが魔獣の軍勢が国門まで押し寄せ、戦が起きると予想された先ほどの状況。エルピネス様が生きておられれば『岩の巨神』を取りに出向いてもおかしくはなかった。その場合まずサクスム兵が送られ、事情を伝えてエルピネス様を迎える準備をするであろう。


 つまりサクスム兵になりすませば、誰でも巨神の足元まで近づける状況だった。見張りの兵は強く、数もそこそこにはいるが、巨神を操れるほどの者ならば蹴散らせるかもしれない。


 王都にマムニカという拠点を置き潜んでいたのも、外に大軍を作ったのも、全ては巨神を奪い操るためだったのだ。


 何故そこまでして巨神を奪うのか? そんなこと、あれこれ考えずとも簡単に分かった。


 俺は目を剥き、叫ぶ。


「あれを王都へ向かわせるな! でなければサクスムが終わるぞ!」


 これは初めから魔獣との戦争などではなかった。サクスムの命運をかけた、『岩の巨神』との戦いだ。


 本当の争いは、今この瞬間から始まる。




     *




『岩の巨神』が山の麓にある森に足を踏み出す。大地が突き上げるように揺れ、巨神の足元で木々が飛び散った。


 まるで砂煙でもあげるかのように、無数の木々が粉々になって吹き飛んでいる。それを見て、兵士たちは息を飲んだ。


 あれを王都へ近づけてはならない。そう叫び、皆を焚きつけたはずなのに、俺自身も呆気に取られ、動けなくなる。親父が死んでから、巨神が動く姿を見たことは一度もなかった。エルピネス様が動かした時俺は見ていなかったし、この八年、戦場に持ち込まれたこともなかったのである。


 ただ大きいだけの岩の塊にすぎない――かつてウェントスは巨神のことをそのように甘く見た。


 魔術のことを分かっていないド素人の考えだ。『満たされた器』という魔術はただ器に乗り移って動かすだけのものではない。器の大きさに見合った膂力りょりょくと頑強さを与え、通常の生物では到底敵わない怪物を作り出すのだ。


 雲をも貫く規格外の巨体となれば、当然その力もより強大なものとなる。


 加えてその体はサクスムの岩で作られている。鋼よりも堅いサクスムの岩が、魔術によってさらに壊れにくくなっていた。生半可な力では絶対に倒せない。これまで頼りにしてきた分、その恐ろしさは十分すぎるほどに分かっていた。


「ど、どうやって戦えば……」


 誰ともなく呟く。一歩、一歩と巨神が歩くたび、大地が激しく揺れ、兵士たちの不安を増大させる。その足元は険しい岩山や鬱蒼うっそうとした森に埋め尽くされていたが、容易く踏み鳴らされ、平らな大地へと変えられてしまう。


「フィリアーネ様!」


 その時だった。上空にある『空泳船』の群れの中から一つの船が飛び出した。はっとする。呼び止めるような声から察するに、あそこにフィリアーネ様が乗っている。ホドス様もいっしょかもしれない。


 やっと見つけた。だがもはや彼女たちを連れ戻すどころの話ではなくなった。


 フィリアーネ様の船を先頭に、次々と『空泳船』たちが突っ込んでいく。馬よりはるかに速く飛べる船はあっという間に巨神に迫る。


 だが――。


 巨神が一振り、ハエを払うように腕を動かす。それだけで嵐のごとき猛烈な風が吹き荒び、船の群れを散り散りに吹き飛ばした。


 血の気が引いた。遠すぎて船がどうなったのか分からない。だが何隻かがコントロールを失って落ちていく姿は見えた。


 違う、フィリアーネ様ではない。ホドス様でもないはずだ。そう思おうとしたが確証が持てなかった。


「何者が動かしているのかは分かりませぬが、フム……初めて使ったからと言って、動きにぎこちなさはありませんな。憑依者が動きに慣れる前に倒す、という手が一番現実的でありましたが、どうやら簡単にはいかぬようです」


 アスピダ様が冷静に分析する。フィリアーネ様が無謀に見える突撃をしたのはそれが狙いだったのか。


 俺は深呼吸をする。彼女の安否は気になるが、今は戦わなければ。今無事でも、あれを倒さなければ何もかも壊されてしまう。


「さて。どう動くべきでありますかな」


 アスピダ様が呟く。さすがというべきか既に動揺は消え、いつもの真顔に戻っていた。


「大英雄フルリオダン――吾輩たちは今、それと同じ者を相手にしています。そう思ってかからねば、敗北は避けられぬでしょう」


 その通りだ。『岩の巨神』とはまさに大英雄の代名詞。それこそ親父が同じ巨神を手にしなければ勝てないような相手だ。半端な歩兵や騎兵を出しても仕方がない。足止めにもならないだろう。何か大きな策が必要だった。


「ははっ、良いですね! まさかかつての大英雄と戦える日が来るとは思っていませんでしたよ」


 聞き慣れた声がした。背後から肩にぽんと手を置かれ、振り返る。


「スキア様! 王都にいらしたのでは?」


「君たちを連れ戻しに来たんだよ」


 肩をすくめてそう言うと、スキア様は爽やかに笑った。それから俺の横のカリダ様に視線を流す。


「花国探偵が戦場に向かっていったとか聞いてね、血相変えて飛び出してきたところさ。やれやれ、どうして君はそう怖いもの知らずなのかな。君に怪我でもされたら困るんだけど」


 ホドス様を連れ帰そうとしたカリダ様を帰らせようとしていたというわけか。一緒に来てしまった身からすると気まずい。


「ごめんね~、ホドスくんをどうしても放っておけなくて」


「なら僕に任せて欲しかったね! ま、そんな話をしてる場合でもないか」


 大地が揺れる。スキア様は視線を震源へと向けた。


「さあ、あの巨神をどう倒す? 『空泳船』ではるか上空から大量の岩を落として攻撃……うん、絶対効かないね! なら大量の騎兵に足元を狙わせて体勢を崩させるか……いや、近づいただけで皆殺しにされそうだ」


 いくらか案を上げた後首を振り、彼は目を伏せる。


「やっぱり僕には、エルピネス様みたいな策は思いつかないなあ」


 いつもの軽い調子の声だった。彼はその手を腰に提げた剣に触れ、やはりいつものように軽く微笑んだ。


「あはは、しょうがないね! 策がないなら正面からやり合うしかない。ってことで、ちょっとあの巨神、壊してくるよ」


「え?」


 風が吹き、頬をやわらかな空気が撫でる。スキア様の姿が消えていた。








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