1. 獣たちの朝
「余は、其方の父を殺した」
真っ白な石材で作られた神聖なる逆座の間で、ホドス様はいった、ふらつき、玉座に手をつきながら、俺をまっすぐに見据える。悪質な冗談でないのは確かだが、耳を疑わずにはいられなかった。
親父――大英雄フルリオダンはウェントス兵の手で殺された。王妃様と同じく、ホドス様の目の前でのことだ。
原因は戦争だ。八年前、サクスムはウェントスに戦争を仕掛けられ、これを迎え撃った。当初はウェントスの圧勝が予想されたが、サクスム最大の兵器『岩の巨神』の活躍により彼らの猛攻を払いのけ、返り討ちにしてみせた。
しかし戦が終わる直前、人々の知らないところで国を揺るがす大事件が起きていた。
一矢報いようとしたウェントスの精鋭が刺客として送り込まれ、当時のホドス王の首を直接討とうとしたのだ。その際に王妃様が犠牲になり、彼らを守ろうと駆けつけた俺の親父、フルリオダンも命を落とした。
大英雄と謳われた親父が敵兵に敗れたのは魔力が枯渇しまともに戦えなかったから。そう説明され、ずっとそれを信じてきた。
だが、違うというのか?
「大英雄フルリオダンを殺したのは、ウェントスから送られた刺客などではない。余がこの手で、あやつを亡き者としたのだ」
絶句し、呼吸を忘れる。王妃様のことだけでなく、親父の死についても嘘を付いていたというのか。
「何が……あったのですか」
ぎりぎりの冷静さを保ち、俺は尋ねた。知らなければならない。八年前何があったのかを。
きっと言葉の綾だと思った。俺はホドス様を信じている。決して身内を殺すようなお方ではない。しかも当時、王妃様の命が危険にさらされていたはず。仲間割れをしている場合ではなかったはずだ。
ホドス様は玉座に再び腰を下ろし、目を閉じて背もたれに身を預けた。
「フルリオダンは魔力が枯渇しぎりぎりの状態だった。それは本当だ。ウェントス兵に余やランプが襲われたのも事実だ。途中まで余とあの男は共闘しておった」
親父は知恵を絞り、周囲の武器を利用して敵の精鋭を排除したという。けれども間髪入れずに次の兵士が現れ、苛烈な攻撃を仕掛けてきた。その刃がついに親父の首を捉えた。
「その時、あやつはおぞましい手を使いおった。よりにもよってランプを盾にし身を守ったのだ。そうして生まれた隙を突き、敵兵をランプごと剣で突き刺した」
「な……!」
ホドス様は瞳に灼熱のごとき怒りを宿し、ほんの一瞬若さを取り戻したようにこちらが気圧されるほどの迫力を放った。
「国を――王を守るはずの英雄が、あろうことか王妃を盾にしたのだ! 余は我を忘れるほど怒り、あやつに掴みかかった」
激昂するホドス様に怒鳴られても、親父は冷静そのものだったという。それどころか鼻で笑い、こう言った。
――ふむ。まさか一国の王ともあろうものが、感情に惑わされそのような世迷言を口にするとは。貴方が王であるならば国のことを考えたまえ。私が死ねばこの先の戦場をどのように切り抜ける? この女に私の代わりが務まるかね? サクスムの未来を考えればどちらが生き残るべきかは明白だ。私はこの国を守り抜くと約束した。その誓いは破らない。だから貴方も最善を尽くせ。
だが、ホドス様には当然、怒りを抑えることなどできなかった。魔力がなく抵抗できなかった親父はそのまま殺され、事実も闇に葬られた。
「あの男は、確かにサクスムの未来を考えていた。間違いなく、英雄ではある。しかし余は、あやつを殺したことを今なお後悔できずにおる」
五国同盟が成立したことで英雄の力がなくともサクスムが存続できたのも大きかった。『岩の巨神』こそ使えないものの、今ではスキア様という最強の騎士もいる。
「その後のことは先ほど言われたとおりだ。ランプが遺体を残さず逝ったと嘘をつき、ピルゴスの屋敷に隠した。そうして今まで幾度となく面会してきたのだ」
ホドス様は告白の最後、座ったままではあるが、深々と頭を下げた。
「後悔はないが、ニケにはすまないことをしたと思っておる。隠していたことも含め、謝りたい。できることならどんな償いでもしよう。どんな罰でも受け入れよう。何をされても文句は言わぬ」
親が殺されたと知れば、普通ならば憎悪を抱く。俺もその例に漏れないと思われたのだろう。大英雄の親父に憧れる俺を見てきたのならば誤解されても無理はないかもしれない。
だが怒りなど少しもない。驚きはしたが、説明を聞いて納得した。責める気などさらさらなかった。
「自分は、フルリオダンの最期は自業自得だったと思います」
「ニケ……」
「このことで気を病む必要はありませんよ。ホドス様の行動は当然のものです。今は考えるべきことがたくさんお有りでしょう。どうかそちらだけに集中してください」
「……すまなかった」
絞り出すような声でホドス様は謝罪する。本心からの言葉だったのだが、伝わらなかったらしい。
「ニケが今でも英雄を目指しておることは知っている。それも全て、あやつへの憧れからなのだろう。それを余は……」
「父は人でなしです」
失礼だとは思ったが、俺はホドス様の謝罪を遮った。
「とっくの昔から自分は、あの男を軽蔑し、嫌悪していました。今回のことだって、父ならやりそうだ、としか思いませんでしたよ」
「そんなはずはないだろう。では何故……」
「自分が尊敬するのは、英雄としてのフルリオダンだけです。その背中には今でも憧れています。最初から人としての彼のことなど慕っていないのですよ。憧れている人間だからって、全てを見習う必要などないでしょう?」
逆に言えば、人でなしからでも学べることはある。王妃様を盾にするような外道でも、英雄としての実力は本物だったのだから。
「ですからホドス様。もういいのです。そもそも父は処刑されて当然の罪を犯したのですから、これ以上このことで気を病まないでください」
「……」
ホドス様は頷きこそしなかったが、否定もしなかった。俺は胸に手を当てて頭を下げ、踵を返す。
「父がどんな人間であろうと、自分はこれからも憧れに追いつくため修行を続けます。自分は努力家ですから」
俺は最後に宣言し、玉座の間を後にした。
*
玉座の間を去った後、俺は仮眠室へと向かっていた。
その足取りは我ながら頼りない。頭に力が入らず、ふらふらした。
精神的なショックのためではない。人でなしと言われるかもしれないが、親父の死の真相を聞いても特別心は動かなかった。何せ彼はとっくの昔に殺されていて、理由も自業自得なものであった。当時こそ涙を流したが、今さら悲しみが強まるようなことはない。
どちらかと言えば疲労の方が辛い。丸一日動き続けた上に今日は本当に色々あった。目を開けているのも限界に近かった。
隠された遺体の事実を知ったフィリアーネ様たちのことや、マムニカのことなど、気がかりなことはたくさんあるが、これ以上無理をしては明日に差し支える。今夜は泥のように眠るとしよう。
玉座の間へ行く前に食事は摂ったし体も洗った。カリダ様への挨拶も済ませた。後は部屋にたどり着けば気絶できる。
「キュー、キュー」
廊下の前方からハリネズミが駆けてきた。ちょろちょろと俺のそばを走り回って、過ぎ去っていく。
何かを探しているように見えた。エルピネス様といっしょに寝たいのだろうか。賢い動物だが、亡くなったことを理解できていないのかもしれない。やるせない気持ちになった。
国王の死によりどれだけの者が悲しみ、傷ついているのか、犯人は分かっているのだろうか。あんな小さなハリネズミでさえ苦しんでいる。この落とし前は必ずつけさせなくては。
だが……。
もしもフィリアーネ様やソポス先生が犯人だったら、この怒りを保てるだろうか。
「……ハッ」
愚かな考えに失笑した。疲れ果てて弱気になっているようだ。早く眠らなければ。
俺の感情など問題ではない。これは敵討ちだけのための調査ではなく、サクスムを守るための責務だ。ならば悩む必要などどこにもないはずだった。
なんとか仮眠室にたどり着く。ベッドとテーブルがあるだけの殺風景な個室だ。俺はベッドに倒れ込むと、すぐに意識を失った。
それからどれほど時間が経ったのか、真っ暗闇の中で目を覚ます。廊下と同じように『繋がれた炎』による灯りがついているのだが、どういうわけか顔から毛布をかぶっており、視界が覆われていた。
寝ぼけ眼で起き上がると、枕元に手紙が置かれていた。金貨が一枚乗っている。
『誕生日忘れててごめ~ん! でも人間だれしも間違いはするものッスよね!』
名前はないがソポス先生の仕業だろう。プレゼントにお金とは……呆れながらも笑ってしまう。
サクスムにおける誕生日祝いは家族でささやかに行うものだ。つまりプレゼントを渡すということは、家族のように慕っている気持ちの表現なのだ。
「まったく、あのお方は」
ため息をつき、再び寝転がる。この毛布も先生がかけてくれたのだろう。魔術の事しか頭にないように見えて、案外面倒見のいい人だった。
誰が犯人で、どんな思惑を抱えているのか――考えても分からない。けれど、先生のくれた優しさは偽りのないものに思えた。
だから先生が犯人でもいい、というわけではないが、少し気持ちが楽になった。
目を閉じ、体の力を抜く。俺は口元に笑みを浮かべ、再び眠りの中へと落ちていった。




