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推理は魔術を凌駕する!  作者: 白沼俊
第四章『霧の城と殺人鬼』
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6. 慈悲深き花

「犯行声明を書いた犯人の正体、ひいては国王暗殺の大罪人の正体は分かっておる! ――外交官アスピダダン! あやつこそ、此度の大事件を引き起こした張本人であるのだ!」


 カコ監視官の野太い声が広間に響き渡る。


 繊細な装飾をされた赤い服を着て、彼は堂々と腕を組む。彼の大きすぎる体のせいで、せっかくの上質な服ははち切れんばかりまで引き伸ばされ、残念なことになっていた。


 皆、驚くというよりも呆気に取られていた。いわれなき糾弾から救われたアガペーネ様でさえぽかんとしている。


 カリダ様のお言葉なら素直に信じられたかもしれない。だがこの男に真実を見破る力があるとは思えなかった。


「ダハハハハ! 驚いたか? 驚いたであろう! よし、根拠を教えてやるぞ」


 彼は椅子を圧し潰す勢いで座り直し、石の杯を片手ににやりと笑った。


「犯行の方法は大したものではない。城を守る霧には穴があいていた、それだけのことだ。その穴を利用してあやつは外の仲間と連絡を取り、カリダ殿を襲わせた。これは霧を管理するアスピダだからこそできることであるな!」


 自信満々に語る彼に、スキア様が大きなため息をついた。


「君はここまでの話を聞いてなかったのかい? 霧に穴があいていなかったことは僕や花国探偵が確認してる。それ以降も石板の模様を監視していたから気づかれずに霧を動かすことはできなかった。だから君の推理は間違ってるよ」


「否! 否である! 穴は霧によって塞がれていたのだ。通り抜けることのできるただの霧によってな!」


「だから、それもさっき言ったじゃないか。『霧覆いし世界ムンドゥス』以外に霧を生み出す魔術はない。そしてこの魔術ではただの霧は作れない」


「本当にそうかァ? 本当に作れないのか?」


 スキア様の反論に、カコ監視官は待ってましたと言わんばかりに食いついた。彼は椅子にふんぞり返り、腕を組んで言葉をつづけた。


「『冷やし雲』があるではないか」


 俺ははっとする。彼の言いたいことが分かった。


「あれは雲の魔術だが、雲も霧も外から見れば似たようなものだ。現にこの『霧の城』も、城下町から見上げると雲に見えるぞ」


 そう。街から見上げた霧はいつも雲に見えた。霧の中に入らなければ雲の塊と見た目はほとんど変わらないのだ。


「そうしてアスピダは霧に穴があいていないように見せかけ、まんまと霧番たちの目をあざむいたのだ! まったく、このような単純なことに気づかぬとはなァ! いや、気づいてしまう我がすごいのか? ダハハハハ! 我にも探偵の才能があるのやもしれんぞ!」


 調子に乗って大声で笑っている姿にあまり知性は感じられないが、推理そのものは正しいように思えた。


 スキア様は顎に手を当て頷いた。


「うん、君の言うとおりだ。どうして気づかなかったんだろう。確かに『冷やし雲』を使えばアスピダ様の犯行は可能になる。ただ一つ言わせてもらうなら、可能というだけで『冷やし雲』が使われた確証はまだないはずだよね?」


「だはははっ、水流騎士ともあろうものがまだ気づかぬか? 証拠なら既にあるではないか」


 スキア様は目をわずかに大きくして首をかしげた。


 同じ時、俺の隣でカリダ様が小さく呟く。


「……やっぱりね」


 彼女はそう言ったきりトンガリ帽子を目深にかぶって黙り込んだ。


「ぬはは、まだ気づかんか? ほれ、ちょうどそこに分かりやすいのがおるぞ」


 カコ監視官が愉快気に指を差す。その先には毛布にくるまって温かいお茶を啜るファルマコの姿がある。


「え? ……えっ? なんですかっ?」


「だははは、そう怯えるな。我が言いたいのは、城の中の気温の話だ。妙に寒いとは思わなかったか?」


「ははあ、なるほど」


 スキア様はそれを聞いてすぐ俺に目を向けた。


「ニケ。君たちなら分かるだろ? 今日、外は寒かったかい? それとも寒いのはここだけかい?」


「はっ! 街で寒いとは全く感じませんでした! 城に戻ってからは妙に肌寒く感じていました」


「決まりだね。霧の穴を塞いでいる『冷やし雲』のせいで、城内まで冷気が降りてきていたんだろう。今から確かめに行っても穴は塞がれてるかもしれないけど……まあ、その必要もないかな。不自然な気温の低下だけで十分証拠になり得るさ」


 スキア様の言葉に異論を唱える者はなく、カコ監視官は満足げに頷いた。


「『冷やし雲』を使って得をするのはアスピダだけだ。霧に穴を開けておけるのはあやつだけだからなぁ。よって犯人がアスピダであるのは疑いようのない事実である!」


 筋は通っている。皆も納得している。意外な人物による解決となったが、これで犯人は決まったと見ていいだろう。


 さらにスキア様が捕捉する。


「こんな小細工が使われた以上、僕や霧番が結託した線もないよね? 『冷やし雲』なんてものを使う目的は、僕たちの目をごまかすため以外に考えられない。アスピダ様が僕らを騙した証拠にもなるんだ。それからアガペーネ様たちについてだけど、城内の人を刺客にしたとは思えないし、やっぱり事件とは関係ないと思うよ。だって、たまたま誰も部屋に行かなかっただけで、犯人視点で考えたらいつ誰が覗きに来てもおかしくなかったわけだろう? そんな状況で城の外に出て犯行に向かうなんてありえないよ」


 アガペーネ様を糾弾したサクスムの人々は、スキア様の説明に顔を強張らせた。


 彼らにとってこの展開は最悪であったのかもしれない。事件の犯人でないのならアガペーネ様が捕らえられることはない。自由の身である彼女が先ほどの無礼を許すとは思えなかった。


「……アタシ、行ってくる」


 しかしアガペーネ様は周囲の人々には目もくれず、歩き出す。


「どこへ行くというのだ」


 ホドス様の問いに振り返り、彼女はつまらなさそうに言った。


「決まってんじゃない。犯人はアスピダなんでしょ? 今からアタシがぶっ殺してくるから、それで事件はおしまいよ」


「な――」


 ホドス様が絶句するのと同時、俺は目を見張った。犯人の正体が判明した時、エルピネス様を愛した人々が凶行に出る可能性は想定していた。だがまさか、アガペーネ様がそれほどまでに憤っているとは思わなかった。


 だが当然だろう。不仲に見えたとはいえ実の兄を殺されたのだ。何も思わないはずがない。


 無論このまま行かせるわけにはいかない。国王殺しの大罪人をその場で殺して終わらせるわけにはいかない。止めなければ。ようやくそのことに思い至った時、俺の隣でカリダ様が腰を上げた。扉の前に立ち、アガペーネ様の進路をふさぐ。


「どきさないよ無能。結局他のやつに推理されちゃったくせに、今さら何しようってわけ?」


「うん! わたしの推理を披露するつもりだよ~」


 屈託のない笑顔で返したカリダ様の言葉に、アガペーネ様は失笑した。


「はあ? 推理? これ以上何を解き明かそうってのよ。美味しいとこ持ってかれて悔しいのは分かるけど、ホラ吹いて注目を集めようとするのはみっともないわよ」


「ううん、まだ推理は必要なの。カコくんの言ったことは間違ってるから。アスピダくんは事件の犯人じゃないよ~」


「……え?」


 俺は声を漏らした。もう道を塞ぐ必要はないと考えてか、カリダ様は一番近くにあった椅子にちょこんと座る。花の咲いたトンガリ帽子を外し、流れるような金色の髪を揺らした。


「どういうことよ。アスピダじゃないなら誰が『冷やし雲』を使ったって言うわけ?」


「そ、そうだ! 我の推理に何の間違いがある! 『冷やし雲』が霧の穴を塞ぐために使われたのなら、霧に穴を開けられたアスピダが犯人で間違いなかろう!」


 カコ監視官は顔を赤くして唾を飛ばしながら主張する。カリダ様は彼に視線を向けず、膝に乗せた帽子を優しく撫でつけた。


「『冷やし雲』は霧の穴を塞いでないよ」


「何ぃ?」


「もし本当に穴を塞いでいたとしたら、おかしい点があるの。ほら、雨抜き。最近やってないんだよねぇ?」


 雨抜きとは、城を囲む霧にたまった雨水を抜く作業のことだ。『霧の城』を管理するために定期的に行われている。


「雨抜きをするとき、すっご~く大きな音が響くんだって聞いたよ~。霧に穴を開けたならそれと同じことが起きるはずだけど……今日はそんな音、一度も聞いてないよね?」


「だぁっはっは! お前さんは馬鹿なのかぁ? そんなもの、穴を開ける場所を横にするだけで解決できるではないか! そうすれば穴から出た水はすぐ下の霧に飲まれることになる。城に水が落ちることもない。ぬわはは! やはり我は天才だな!」


「ううん。『冷やし雲』がお城の空気を冷やしたのなら、雲は上にないと変なんだよ~。『冷やし雲』は冷気を下に降らせるものだからね~」


「ぬぐっ! そ、それは……」


 カリダ様の声は変わらずのんびりとした調子だったが、何故だか有無を言わせぬ迫力を感じた。カコ監視官も反論ができなくなり、悔しそうに項垂れる。


「ちょっと待ちなさいよ、言ってることがおかしいじゃない。城が冷やされてるってことは『冷やし雲』は使われてるんでしょ? 城の上に雲がないならどこにあるってのよ」


 そこでカリダ様はぽけぇ~っと半口を開けて上を見た。つられて天井を見たが眩しい光が降りてくるだけだ。


 やがて彼女は意識を取り戻したかのように視線をアガペーネ様に向け、答えた。


「『心臓室』だと思うよ~。あそこならお城全体に冷たい空気を流せるもんね~」


「はあ? 意味わかんない! 何のためにそんなとこに作ったのよ。寒がりへの嫌がらせ?」


「事件に関係ないなら誰かがもう説明してくれてると思うなぁ~。だからこれは、あくまでも皆を騙すためのものなの。犯行のために『冷やし雲』が使われた――そう思い込ませるためのね~」


 ぞくりと寒気がした。部屋が冷えているせい、だけではない。


 犯人は誰かが『冷やし雲』に気が付き推理することまで見越して計画を立てていた。そして俺たちはまんまと踊らされ、犯人の思う通りの状況になっていた。その事実を知り、俺は恐怖を覚えた。無実の者を仇と思い込み、残酷に処刑するところだったのだ。


「では……」


 ホドス様が口を開く。やつれた顔で目を伏せ、小さく唸る。


「真の犯人は『心臓室』に『冷やし雲』を仕掛けた者ということか」


 もう誰のことも疑いたくないのだろう。彼は視線を落としたまま、犯人を探る素振りは見せなかった。代わりに周囲の人々が互いの顔色を窺う。


 だが『心臓室』に行く機会のある者などいくらでもいたはずだ。出入り口のあるホールには見張りがいたが、別に正面から行く必要はない。城のいたる箇所へ繋がる通気口を通れば、どこからでも入れてしまうのだから。


「怪しい者が一人おりますわ!」


 壁際に立ち大人しくしていたカストロニアが、突如甲高い声を上げた。そしてとある人物に指を差す。


「寒い寒いと大げさに言って部屋が冷えていることを印象付けたのは彼女ザマス! 『冷やし雲』の存在に気づかせようとしたのではありませんかっ?」


「え、ええええっ?」


 疑われたのはファルマコだった。寒がりとはいえ毛布にくるまって震えていたのは確かに大げさすぎる。皆の視線が一斉に浴びせられた。


「ち、ちがっ、違います! わたし、ただ本当に寒かっただけで!」


 口では何とでも言える。しかしこちらも証拠を持っているわけではない。決めつけるには早いか。


「いやいや、もっと直接的に『冷やし雲』説を持ち出した人がいるじゃないか。ほら、どうなんだい? カコパイーニ監視官」


「ぬうっ?」


 スキア様に名指しされ、今度はカコ監視官に視線が集まる。


「ま、待て待て待て! 間違った推理をしたことは悪かった! だが我も犯人の悪意に踊らされただけなのだ!」


 汗と唾をまき散らしながらわざとらしいほどの身振り手振りで訴えかけてくる。彼も怪しいは怪しいが決定的な証拠が欠けていた。


 第一、彼もファルマコも国王殺しとは無関係だ。エルピネス様の体質のことなど知らないはずで、昨晩城の外にいた以上刺客であった可能性もない。


 ……ん?


 俺はそこまで考えて、わずかに引っ掛かりを覚えた。


 この事件ではそもそも、犯人が外の仲間と繋がっているのではなかったか? ならば昨晩刺客になった可能性がないというわけで候補から外すことはできないのではないか?


「頼むぅ! 信じてくれぃ! 我は犯人などではないのだ!」


「ははは、そんな発言に意味はないよ。でもまあ、結論を急ぐのはやめておこうか」


 スキア様は軽く笑い、肩をすくめた。


「あんまり焦ってさっきみたいな間違いを犯してもつまらない。どうせ犯人はこの中にいるんだし、もうちょっと慎重に……」


「犯人はカコくんだよ~」


 スキア様が笑顔のまま動きを止める。ぱちくりと瞬きした。


 時間が止まったようだった。元々広間の中は静かで、発言する者以外は大人しくしていた。それでも杯を手に取る時、身じろぎするとき、細かな音は出ていたのだろう。だが今はそれもなく、静まり返って、風の音だけが通り過ぎていた。


 いくらかして、カコ監視官が息を飲む。反論しようと立ち上がることもできず、真っ青になっていた。これまでのような誰ともなく飛び出た意見とは意味が違う。これは他でもない、花国探偵による主張だった。


 カリダ様は腰を上げ、帽子をかぶって部屋の中央へ歩き出す。


「結局、犯行のために『冷やし雲』は使われてなかった。っていうことは、霧には穴があいてなかったってことになるよね~? 穴がないなら犯人はお城から出られなかったと思うんだぁ。じゃあどうやって外の仲間に指示を送ったのかなぁ? 霧という壁がある以上、手紙みたいなものは送れないよね~?」


 彼女は足を止め、カコ監視官の方を向いた。


「答えは一つ。わたしたちの行動を誘導することだったんだぁ~。そうだよね、カコくん?」


「な、なんのことか分からぬがなァ?」


 汗をだらだらと流し目を泳がせる。認めているようなものだった。


「カコくんはわたしたちにとある情報を提供したの。――魔獣飼育施設マムニカに行けば、ピルゴスくんのことがよく分かるかもしれないって」


 マムニカ――俺はあの場で出会ったたくましい女性の顔を思い出す。まさか彼女が俺たちを……?


 広間の隅で影を薄くしていたピルゴスニルが、平らな仮面をつけた顔を上げる。自分の名が出て驚いたようだが何も言わなかった。


 カコ監視官はぷるぷると震え、次の瞬間顔を真っ赤にしてテーブルをひっくり返した。暴力的な音を立てて皿や料理が散乱する。


「もうよい! 茶番は見飽きたわ! 我は帰るぞ、まったく気分が悪い!」


「あはは。そうイライラしないで、人の話は最後まで聞きなよ」


「ぬぐっ!」


 スキア様がカコ監視官の首筋に剣を突き付けていた。


「さあ、話を続けて」


 スキア様の笑みを受け、カリダ様は頷いた。


「ピルゴスくんのことは気になったし、わたしたちは言われるがままにマムニカに行ったの。そこで『カコくんからの紹介で来た』って伝えたんだぁ。そう言えば警戒心を解いてもらえるはずだって、カコくん本人から言われてね~」


「わ、我は……手紙などは渡しておらぬぞ」


 カコ監視官は首筋の剣を気にしながら、震える声で言った。


「うん。でも、『紹介』だけで十分だったんだよ」


「ぐぬっ!」


「どういうことだい?」


「今回の事件に『穴開けバイア』――殺人鬼が関わってるかもしれないってことは覚えてるよね~? わたしたちを襲ったのが本当に殺人鬼だとしたら、『紹介』すること自体が指示になっててもおかしくないんだよ~。殺人鬼を殺し屋と言い換えたらわかりやすいかなぁ? 殺人の依頼を受けて忠実に遂行する殺し屋。それが殺人鬼の正体だったとしたら、『穴開けバイア』のこれまでの犯行は全て、依頼によるものだったってことになるよね? それだけたくさんの依頼を受けてきたなら、直接会わずに依頼する方法とかも用意してたんじゃないかなぁ。だとしたら――その方法の一つに、殺人の標的を『紹介』するっていうのがあったかもしれないでしょ~?」


 俺は唾を飲んだ。つまり俺たちは自分たちを殺すための依頼を殺し屋に送ってしまったというのか?


 だが信じがたい。この方法なら依頼者側は足がつきにくいだろうが、殺し屋側にとってあまりに不利な契約に思えた。


 カコ監視官は赤い顔で唸り、怒声を上げる。


「し、したらしたらしたら! だとしたらと、そればかりではないか! お前さんの発言には何の証拠もないぞ!」


「そうだね~。でもここで重要なのは、カコくんの犯行が不可能じゃないっていうことなの。霧に穴がなかった以上、外と連絡を取れたのはあなただけ。わたしたち三人の中にも裏切り者はいなかったわけだからね~」


「ぐ、ぐぅ! いや待て、分かったぞ! 貴様ら全員がグルなのだなっ? そうだ、そうに決まっている! 城内の誰かと手を組み全員で口裏を合わせ、嘘の事件をでっち上げたのだ!」


 よく舌が回るものだ。俺は自身が犯人でないことを知っている。俺たちはグルじゃない。ならば真犯人はカコパイーニで間違いない。だが……。


 何を言えば証拠になるだろう。無実を証明する方法が思いつかなかった。


 しかしカリダ様は止まらない。息つく暇すら与えないように反論した。


「わたしたちがそんな嘘を付く目的はなあに? カコくんを悪者に仕立て上げること?」


「そ、そうだとも! それしかあるまい!」


「でもそれだとおかしいんだよね~。だって犯人はアスピダくんを疑わせるために『冷やし雲』のトリックを使ってるんだから。あなたに疑惑の目を向けさせたいなら、そんなことしないですぐに今の推理を言えばよかったんだよ~」


「し、知らん! 知らん知らん知らァァん! お、お前さんは頭がおかしいのだ! 目的なんかなくともやるヤツはやる! お前さんがそういう人間だったというだけだァ!」


 カコ監視官はもはや駄々をこねる子どものようになっていた。声ばかり大きくして喚き散らし、それだけでこの場を乗り切ろうとしているようだ。スキア様が首に剣先を食い込ませるとようやくびくりとして口を閉じた。


「はぁ。言ってることがめちゃくちゃだね。もうこの男が犯人でいいと思うけど……動機は何だい? どうして花国探偵を殺そうとした? エルピネス様を殺めた犯人と取引でもしたのかい?」


「し、知らん!」


「報奨金目当てかもね~。暗殺事件を解決したらお金がもらえることになってるから~」


「ち、違うっ。我はそのような、金なんぞのために人を売るような男ではないぞ!」


 彼は助けを求めるように周囲を見たが、信じてくれる者など誰一人としていなかった。


「ま、待て待て待て待て! 本当に我以外に犯行が可能な者はおらんのかっ? そんなはずはない! まだ見つけていない可能性があるだけだ! た、例えば! カリダ殿たちが使った『空泳船』に何かメッセージを仕込み、外の渡守に命令したとか!」


「ははっ、残念。花国探偵たちが乗り込む前、安全確認のために僕がしっかり調べたからね。舟にメッセージなんてなかったよ」


「ぐ、ぐぅ! しかし! しかしぃ!」


 カコ監視官は息も絶え絶えになり、ついには立てなくなった。床に膝をつき、うずくまる。その間もスキア様は誤って切りつけないよう注意しつつ、剣を首に向けつづけていた。


「違う、違うのだ……信じてくれ、信じてくれ。おおおんおんおんっ、おおおおんっ」


 彼はわざとらしく泣き声をあげ始めた。往生際の悪さには感心すらするが、今さら泣き落としなどが通用するはずもない。


 カリダ様がカコの傍へ近づく。トドメを刺しに向かったのだと、なんとなく察した。


「カコくんにもう一つ聞きたいことがあるんだぁ。あのきれいな羽衣はどこへやったのかなぁ?」


「っ!」


 言われてみれば、今まで彼は赤い服の上に羽衣を着ていた。エン医師に服を自慢していた時、いきなり羽衣を脱ぎだして何か語っていたのを覚えている。近くには見当たらなかった。


「犯人はお城の中を冷やすために『心臓室』で冷やし雲を使ってるよね~? でもね、心臓室に入れる扉は大広間にしかなくて、そこには見張りの子がいたんだぁ。目撃されずに入るには、通風口を這って進むしかないの。わたしも試しに入ってみたんだけど、服がすっごく汚れちゃってね? ……カコくんの羽衣も汚れちゃったんじゃないのかなぁって思ったんだけど」


 嘘泣きと喚き声がやむ。


 ホドス様が腰を上げた。


「どうなのだ、カコパイーニ監視官。違うというのなら羽衣を見せてみよ!」


「……おのれェ」


 カコ監視官は獣のように唸り、両手を床につく。立ち上がろうとしたようだが、スキア様に背中を踏みつけられてそれはかなわなかった。それでも何とか顔を上げ、カリダ様に血走った目を向ける。


「おのれおのれおのれおのれ、皆に守られとるだけの小娘がァ! この我を誰と心得る! 己の力のみで監視官にまで成り上がったカコパイーニ様であるぞ! 下等な使い走りの分際で見下ろしていい相手ではないのだァ!」


 醜い。脂ぎった肌に汗をべっとりと浮かべてじたばた暴れる男の姿はあまりにも醜く、惨めだった。


「おい、カコパイーニ」


 俺は椅子から立ち、ようやく分かった犯人の傍に立つ。


「お前は結局、何のために俺たちを襲った? カリダ様の仰るように、本当に報奨金のためなのか? そんなことのために俺たちは殺されかけたのか?」


 荒い息を吐いていた彼は俺を睨み上げると、目を見開いて吹き出した。


「ぶははは! そうだとも! お前さんたちのような有象無象の命など金稼ぎのための道具にすぎん! その程度の価値しかないのだ! 立場の違いを思い知れ若造が!」


 開き直り邪悪さを隠さなくなったその姿を見下ろしながら、俺は考える。これが演技の可能性はあるのだろうか。金のためだけに人の命を弄ぶ悪党になり切ることで、仲間を庇っているのではないのか。


「もうよい、連れていけ。後で霧番を交代して、アスピダに尋問をさせよう。協力者のこと、犯行の詳細、過去の余罪……聞くべきことは山ほどあるのでな」


 ホドス様が無慈悲に告げる。アスピダ様による尋問はどんな大悪党でも泣いて許しを請うと恐れられている。カコはぶるりと身を震わせた。


 異論は出ない。今度こそ事件は終わりだ。ただし、花国探偵襲撃事件のみの話だが。


 カリダ様が床にしゃがみ込み、無様な犯人の顔を覗き込む。


「何のつもりだ。笑っているのか、我を……」


 カリダ様は目を伏せ、首を横に振った。


「カコ……悲しい名前。『邪悪』の意味が込められた名前をつけられて、きっとあなたは無数の悪意をぶつけられて生きてきたんだね。歯を食いしばって、懸命に」


 カコパイーニが目を見張る。俺は信じがたい思いでカリダ様を見た。


「カ、カリダ様! このような男に同情など」


 俺の言葉を遮るように、カコパイーニは身を乗り出した。


「そ、そうなのだ! こんな生き方を選ぶしかなく、我は……! う、ううっ!」


 あからさまな嘘泣きを再開する。カリダ様


はトンガリ帽子から花を一つ引き抜き、差し出した。


「な、なんだ?」


「食べると痛みを感じなくさせてくれるお花だよ。処刑の前に使ってね」


「――なぬ?」


「あなたへの処罰を止めることはできないの。だからせめて、痛みだけでもね」


「…………」


 花を握らされ、カコ元監視官は放心した様子で自身の手に目を落とす。最後の最後にに与えられたささやかな慈悲は、皮肉にも彼を絶望の底に突き落とした。


 兵士たちがやってきて、二人がかりで彼を引きずっていく。途中、彼はじたばたと暴れ出した。


「そ、そんな。い、いいい、いやだあああああああ! 触るなあああああ! 死にたくないっ、我はまだ死にたくないのだァァ!」


 往生際悪く叫ぶ彼に向けられたのは、救いの手などではなく皆からの軽蔑の視線。兵士に頭を殴られて気絶し、そのまま扉の奥へと静かに消えていった。













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