2. 穴開けバイア
「エル坊は確かに昨日ここに来ただよ。そいで『テクネーの矢』を持ち帰ったんだべ。十日前くらいべかな、完成品の威力をエル坊に見せた時、ここに取りに来てもらうよう約束したべよ。国王演説でコイツの力を見せつけて、誰もサクスムに手出しできねェようにするためにな」
白く輝く『矢』を握り、テクネーニルは語る。エルピネス様はずっと前からサクスムの威光を示すための計画を立てられていたのだ。五国同盟を崩そうとする動きが出てくることも想定していたのだろう。
「その演説が延期になっちまって、オラはここに戻ってふて寝してたわけべが……」
「お前は子どもか」
思わず突っ込むと、テクネーは唾を飛ばして反論した。
「何言ってるべ! オラのふて寝は重みが違うだよ! 四十、いや五十年分の楽しみが良いところで邪魔されたんだべ! 魔獣が出ただかなんだか知らねェども、オラが直々に『矢』でぶっ飛ばしてやりてェとこだべよ!」
やはり子どもじみた感情的な物言いだが、鼻で笑うことはできなかった。エルピネス様の手によって彼の願いが叶えられることはもうない。
「ああ、早くオラの『矢』が完成される瞬間が見たいだよ! ドキドキだべ! ウズウズだべ!」
「どういうことだ? もう完成しているのではないのか?」
テクネーは眉を上げて俺を一瞥すると、やれやれと首を振って肩をすくめた。ぶん殴ってやろうか。
「爆ぜ石はそれだけでは武器として成り立たないだよ。魔力を注がなきゃ爆発しないべからな。そいでその威力は使い手の魔力量に比例するだ。つまりエル坊みたくとんでもねェ魔力を持った天才に使われた時、ようやくオラの武器は完成するんだべ!」
「もしかして、まだ試してないのぉ?」
カリダ様に質問されると、テクネーは目尻を限界まで下げてしわくちゃの笑顔で頷く。
「んだ! さすが嬢ちゃんは察しがいいべなぁ~。エル坊に撃たせたら魔力災害なんて目でねェ大爆発が起きちまうだよ。強すぎるせいで演説前に人に知られるなんて興ざめだべ?」
と言っても、と彼は続ける。
「オラの手で試し撃ちはしてあるだよ。十日くらい前だべな。ほれ、覚えてねえべか? この前爆発が起きて近くの山が三日月みたいになったべ?」
「……ん?」
俺は瞬きして、首を傾げ、黙り込んだ。
三日月? 三日月山のことか? いやいやまさか。別の話だろう。
しかし他に爆発に関わるような事件があっただろうか。俺は腕を組んで思い返す。
十日前……ここの近く……三日月……ダメだ、どう考えても例の魔力災害の騒ぎしか思い当たらない。
「あれがお前の……いや、待て。確認させてくれ。この家の裏にあるあの三日月山を作ったのがお前なのか?」
「そうだべ!」
「何をやっているのだお前はぁぁ!」
俺は思わずテクネーニルにつかみかかっていた。
「おい! あの爆発でどれだけの騒ぎが起きたか分かっているのかっ? こっちは大変だったのだぞ!」
「ぬははっ、すごかったべ? すごすぎたべなぁ?」
「褒めていない! 褒めていないからな!」
「だどもオラの魔力は戦士と比べりゃ貧弱なもんだべ! 『矢』が真価を発揮した時の威力はあんなモンじゃないだよ」
この男、悪いことをしたと微塵も思っていない。まあ、エルピネス様の依頼のためにしたことなら騒ぎを起こした罪も不問とされるかもしれないが……。
ともかく、今の話が真実なら本当にとんでもない。いや、悪気がないところもそうだが、何といっても『矢』の威力だ。『最強』という称号にすら真実味が出てきた。説教してやりたい気分でいっぱいだが、今日のところは許してやろう。
「ねえねえ。昨日はどうやって絵を渡したのぉ?」
「ん? お、おお。絵の渡し方、だべな? 昨日はいつもの場所に置いただけだべ」
テクネーは少し寂しそうに答えた。『矢』の威力を知ってもカリダ様が反応を示さなかったせいだろう。だがきっと話を聞き流していたわけではない。ふんふんと頻りに頷いているのを横目に見ていた。
「オラはいつも納品するものを倉庫に置いておくだよ。んで、依頼者に勝手に持って行ってもらうんだべ。ほれ、この部屋に来る途中階段があったべな? あそこに置いておくだ。んまあ、エル坊は律儀に挨拶してくれたべが」
中々安全とは言い難い受け渡し方だ。これまで絵を盗まれたことはなかったのか?
「そうだったんだぁ」
カリダ様は顎に手を当てる。ひょっとして絵をすり替えられた可能性でも考えているのだろうか。エルピネス様の寝室にあった絵は『テクネーの矢』で間違いないと思うのだが。
「にゃあ、やっぱなんか臭くないか? 焦げ臭いっつーか」
先ほどから全く話に入らず、広い部屋の中をうろちょろしていたイェネオが言った。
「いや、何も感じないが」
焦げ臭い、という言葉は無視できない。もしや森で火事でも起きたか?
「少し見てこよう。イェネオはカリダ様のお傍についていてくれ」
そう言って一人で部屋を出ようとしたら、カリダ様に服の袖を掴まれた。
「わたしも行くよ~。聞きたいことはもう聞けたからね~」
「えっ、もう行っちゃうだか?」
「うん! いろいろと聞かせてくれてありがとね~。また今度絵の依頼に来ても良い~?」
「もちろんだべ! 百枚でも二百枚でも描いてあげるだよ!」
本当にカリダ様が可愛くて仕方がないらしい。名残惜しそうに握手して離れようとしないので無理矢理割って入って引きはがした。
「またね~」
「んだ! 絶対また来るべよ~」
カリダ様が手を振り、部屋を出て行く。俺たちも後に続いた。
「はぁ。疲れたな……」
中々話すのに労力がいる老人だった。カリダ様のおかげで素直に色々と教えてくれたのは助かったが。
だが喜ぶべきこともあった。『最強の武器』の存在だ。これからのサクスムに『テクネーの矢』は必要となるだろう。他の国への抑止力となることは間違いないはずだ。
来た甲斐は十二分にあった。カリダ様も聞きたいことは聞けたと仰っている。聞き込みの成果もあったということだろう。
絨毯の敷かれた温かな廊下を実に有意義な気分で歩き、次の瞬間凍り付いた。
「なんだ、これは」
俺は想定していなかった。城に帰るまでの間にこのような脅威が待ち受けていることを。言い換えれば油断していた。
廊下の先が瓦礫で埋もれていた。出入り口が塞がれている。
途端に思い出したのは、森で感じた不穏な気配。誰かに見られているような感覚だった。
つまりこれは、何者かが俺たちを閉じ込めるために――。
考えている余裕はなかった。瓦礫から炎があふれ出てきて、瞬く間に床の絨毯に燃え移る。
「まずい、逃げろ!」
イェネオが叫ぶ。俺たちは即座に引き返した。
「あり得ん、こんなのはあり得ん! 犯人が城を出て追って来ることなどないはずだ!」
「分からないけど、わたしたちを閉じ込めたのは確かだよね~。火あぶりにするつもりかなぁ?」
「にゃああっ、なんでお前はそんな落ち着いてんだよ! くそっ、こうなりゃ俺様の魔術で家ごとぶっ飛ばすしか……うおわっ」
最悪なことに火の手は後ろから追って来るものだけではなかった。廊下の途中の横穴や階段からも襲い掛かってきて、テクネーのいた部屋まで追い立てられる。
しかしそこにも火の手はあり、部屋の中心で大きな炎が上がっていた。もくもくとした灰色の煙の中に人影が見える。
「テクネーニルっ?」
ゆらり、と小さな影が揺れる。それは宙に浮きあがるようにふわりと動いて、落ちた。
煙の下から血があふれ、足元まで広がってくる。わずかな風で煙が動き、その影が正体を見せた。
小さな老人――テクネーニルが血まみれになって倒れていた。
直後硬い足音が響く。煙の中から別の影が現れた。
「な……」
その者は鋼の甲冑を着込み、顔を隠していた。血で腕を赤く染め、問答無用とばかりにずかずかと向かってくる。
「何をしている! お前……何者だ!」
「問答は無用だぜ坊ちゃん! こういう時はなあ、先手必勝だ!」
イェネオは服の袖から素早く紙を取り出し、前にかざす。
猛烈な熱気と煙の臭いに咳き込みながらも、イェネオは笑った。
「にゃはは、素人が! そんな重たい鎧を着てたら、戦場では戦えねえんだぜ!」
眼前の空間が陽炎のようにぐにゃりと歪み、甲冑がひしゃげた。
『偽らざる景色』――光で景色をねじ曲げ、その光景を偽らざる真実とする魔術。要するに、見た目そのままに空間を捻じ曲げてしまう技だった。歪みの中に立っていた者はどれほど堅く強固なものでも関係なくぐにゃぐにゃに捻じ曲げられ、生き物ならば為すすべなく破壊される。
だから魔術を扱う戦士を前に、重すぎる甲冑は足かせでしかないのだ。
「殺しちまったが許してくれよ。下手すりゃこっちが全滅するところだったからな」
壊れた甲冑は沈黙し、動かない。それはもう人型ではなく、廃棄された金属の塊といった風情だった。
煙が部屋中を覆い始める。焦げついて胸の悪くなる臭いだ。早くここを離れなければ。
「待って」
意識を逸らした瞬間だった。カリダ様が俺たちの体に触れ、早口で言った。
「血が出てない。あの甲冑は『からっぽ』だよ! まだ襲ってくる!」
その言葉に反応するようにガタリと大きな音を立て、鋼の塊が砕けた部分を槍のようにして飛びかかってきた。狙われたのはカリダ様だ。
だが、一歩襲い。
「ふんっ!」
俺は腰に提げた黒岩の剣を引き抜き、鋼の塊に叩きつける。ひしゃげた甲冑がさらに真っ二つになる。
「鋼の甲冑とは、教養のないやつめ。良い機会だから教えてやる」
俺は続けざま、縦、横、斜めと剣を振り、甲冑を叩き切る。
「サクスムの岩は! 鋼よりも堅い!」
甲冑だったものは完全にバラバラになり、ついに動かなくなった。
「あ、危なかったぜ……『満たされた器』とはな。姑息な使い方をしやがる」
イェネオがほっと息をついて言った。
『満たされた器』とは人型の物に自身の魂を一時的に移し、自分の体のように操る魔術だ。親父はこれを用いて山のように大きな巨像『岩の巨神』を操っていた。
「助かったぜ、カリダ様。よくあの一瞬で見破ったな」
一般にはまず使われない高等魔術で、必要とする魔力量も膨大だ。扱える者はサクスム全土を見ても一握りである。それだけの魔術をこのようなことに使うなど、魔術の知識があったとしても普通は気づけない。
「一番はニケくんが反応してくれたおかげだよ~」
「はい、剣技と反射能力には自信がありますから。それより、今のが『満たされた器』であったなら、本体が近くにいるはずですよね」
そう。まだ本体は倒せていない。だが近くには必ずいる。
『満たされた器』は魔術を使っている間、本体と器の間に魔力が流れ続けている。それが繋がっている限り器は動き続け、いつでも本体に戻ることができる。
ただし器と本体が離れすぎると魔力の繋がりが断たれ、魂が戻れなくなるという弱点があった。そうなれば当然、使用者は死ぬ。だからそうならないよう、必ず近くに魂の抜けた本体を潜ませておかねばならないのだった。
周囲を警戒するが、煙のせいで視界が悪い。
「けほっ……さっさと出ようぜ。外に出た瞬間襲われるかもしれねえけど、このままここにいたら燻製になっちまう」
「うん……」
カリダ様はテクネーの遺体のそばで、血がつくのも構わずに片膝をついた。その手を握り、目を閉じる。
「ごめんね、テクネーくん」
悲しげな声を聞き、きゅっと胸が痛んだ。
彼の遺体は赤く焼けただれ、その顔は苦悶の表情で歪んでいた。胸には大きな風穴が開き、一目見ただけでその死を伝えてくる。
俺はこの老人のことがあまり好きではなかったが、報われるべき人間だと思っていた。それがこんな……。
唇を噛み、目を逸らした後で、俺ははっとした。胸に風穴?
「まさかこれは、『穴開けバイア』と同じ――」
それは三年ほど前からサクスムを騒がせる凶悪犯の名だ。姿も声も知られていない恐怖の象徴であり、少なくとも十三以上の人間を殺めている殺人鬼――その特徴は、被害者の胸に大きな風穴を開けること。
「あの殺人鬼が俺たちを襲ったのか?」
何故俺たちを? いや、殺人鬼ならまともな動機があるとは限らない。つまりこれは国王暗殺とは無関係の事件、なのか……?
「おい、早くしろ! 本当に死んじまうぜ!」
「分かっている!」
俺は立ち上がり、カリダ様と共に部屋の外へ向かおうとする。その時、部屋の出入り口で待っていたイェネオの背後に新たな人影を見た。
「イェネオ! 後ろだ!」
「……ごはっ」
血を吐くような声に瞠目した。煙が視界を遮りよく見えない。だが、猫帽子をかぶったイェネオの影が崩れ落ちるのを、確かに見た。
「イェネオ!」
俺は煙から飛び出し、目にする。崩れ落ちた彼の背中には剣が突き立てられていた。
「にゃ、はは……最悪、だな」
背中から剣が引き抜かれ、床に血が広がる。俺は声もなくそれを見下ろしていた。
高い音を立てて血に濡れた剣が捨てられる。イェネオの背後にいたのは先ほどと同じ鋼の甲冑だった。イェネオの腰から黒岩の剣を抜き、構える。
甲冑はその手に『喧噪喰いの鈴』を持っていた。この魔術で音を消して近づいてきたのだ。もう不要と見てか、『鈴』を投げ捨てる。
知らずのうちに呼吸が乱れていた。倒れたイェネオが、広がる血が、現実のものとして受け入れられない。
甲冑が剣を持って飛びかかって来る。はっとして、俺は辛うじて受け止めた。剣と剣がぶつかり合い、火花が散った。息つく間もなく押し込まれる。
「くっ!」
膂力が違いすぎる。魔術で動かされる体は普通の人間とは比べ物にならないほどの力で動くのだ。先ほどのように本体を切れれば叩き割れるが、同じ剣での押し合いになれば勝ち目はない。
甲冑は片手で俺の剣をつかみ、強引に奪い取ろうとする。必死に抵抗した俺にすかさずもう一方の手で剣を振り下ろしてきた。
「ぐっ、ぐおお!」
なんとか剣を引き戻し攻撃を受け止めたが、威力を殺しきれず体勢を崩され、そのまま床に叩きつけられた。背中を強打して呼吸ができなくなる。手も痺れ、脂汗がにじみ、全身に力が入らなくなった。
だが、俺は笑ってみせる。
「こんな、ものか! 『穴開けバイア』!」
一瞬、甲冑の動きが止まった。
「俺はお前を許さない。生きて帰れるなどと思うなよ」
その時だった。俺の上でばさりと音を立て、暗闇が広がった。直後視界が真っ暗になる。
「なんだ……!」
感触で布をかけられたのだと分かった。まだ他にも甲冑の仲間がいたのかと焦ったが、次の攻撃は来なかった。
やけに静かだ。疑問に思い布を取り払うと、甲冑が動きを止めていた。
「もう大丈夫だよ~。『断絶の布』で甲冑と本体の繋がりを断ったから」
甲冑の後ろにカリダ様が立っていた。その手に持っている黒い布は部屋に並んだ額縁の下に敷かれていたものに他ならなかった。
煙の中、呼吸を整えながら起き上がる。彼女の言ったことは理解できた。『満たされた器』の弱点を突いたのだろう。
本体と器の間に流れ続けている魔力――いわば命綱とも言える繋がりを、『断絶の布』を差し込むことによって断ったのだ。魂は肉体への帰り道を失い、器も魔力がなくなったことで動かなくなった。行き場を失った魂は天に昇るしかない。
つまり――本体は死んだ。
「た、倒した……のですか?」
「どうだろうねぇ。まだ仲間がいそうな気がするんだ~」
カリダ様は当然のように答え、イェネオのそばにしゃがみ込む。そうだ、呆けている場合ではない。イェネオを助けなければ。
「ニケくん、水筒持ってたよね? 貸して~」
「は、はい!」
先ほど街で購入した石の水筒を渡す。道中に水を入れてあった。
カリダ様は水筒を受け取ると、イェネオの傷に水をかけ、すぐさま布で圧迫した。止血しているのだ。まだイェネオの命を諦めていない。
「イェネオくん、すごいよ。不意打ちされたのに致命傷を避けてたみたい。これなら急いで治療してもらえば何とかなるかも!」
「本当ですか!」
ならば一刻も早くここを出なければ。だがそこで気づいた。イェネオが倒れている今、魔術を使える者はいない。部屋の外を埋め尽くす炎を突破することも、出入り口を塞ぐ瓦礫を吹き飛ばすこともできない。
「カリダ様……自分たちの力でここから出る方法はありますか?」
「……」
答えはない。彼女でも思いつかないということなのか。
俺は絶望しかけ、それが早とちりであったことを知る。
「あ、れ……?」
カリダ様が倒れた。
「カリダ様! 一体……」
呼びかけた瞬間、頭がくらくらとした。吐き気がこみ上げる。
まずい。敵は甲冑だけではなかった。今は火事の中――俺たちは煙を吸いすぎた。
俺は吐いた。そして胃の中のものを出し尽くした時には、体の力が完全に抜けて身動きが取れなくなっていた。うつぶせに倒れ、視界が暗くなる。
パチパチと何かが燃え、弾ける音がした。火事はまだ続いている。このままいけば俺たちは間違いなく死ぬ。脱出しなければならない。早く逃げなければ。早く――。
意識が溶けるように、頭から力が抜けていく感覚がした。




