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推理は魔術を凌駕する!  作者: 白沼俊
第三章『仮面男の秘密』
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6. 虚しくも幸福な夜に

「う、嘘……だろ?」


 王妃様の遺体を目にしたイェネオが呆然と呟いた。


 琥珀の中の遺体は大部分を布にくるまれているが、その形から、体の多くが欠損していることが分かる。彼女が命を終えていることを嫌というほどに伝えていた。


「これは――」


 先ほど見た時は気づかなかったが、『永劫の石』の乗った台座に首飾りが供えるように置かれていた。白く輝くような石で作られたそれは、俺にとってよく見慣れたものだった。


「ホドスくんのつけてたものだね」


「はい。王妃様の形見でした」


 昨日、ホドス様は確かにこの首飾りをつけていた。国王就任式の際に目にしたのをはっきりと覚えている。


「ま、待てよ。ホドス様のものがあるってことは……」


「うん。ここに来たのはホドスくんだと思う」


 それ以前に、王妃様の遺体がここにある時点で分かり切ったことだった。ここに来るのはホドス様以外にありえない。


「どういうことだよ! なんでホドス様が、こんな……! なあカリダ様、まさかここに王妃様のご遺体があるって、ずっと分かってたのか?」


「そうなのかなぁ、とは思ってたよ」


 地下室の中央にあるテーブル横の椅子に座り、カリダ様は花々の咲いたトンガリ帽子を膝に置いた。柔らかな質感の長い髪を揺らし、ふぅと長い息を吐く。


「ニケくんから八年前の戦争の話を少しだけ聞いたんだけどね、その時から引っかかってたの。王妃様はホドスくんの前で襲われて、遺体は跡形もなくなった――そう聞いてたのに、ホドスくんはこの首飾りを持ち帰ってたんだよね。遺体の髪の毛すら残らないほどの攻撃を受けたのに、首飾りは無事だったなんて変でしょ?」


 そんなこと考えもしなかった。悲劇への感傷に気を取られて、事実を疑うどころではなかった。


「だからね、本当は王妃様の遺体をどこかに隠してるんじゃないかなぁって思ったの」


「……分からねえ。分からねえよ。ホドス様ならそれができたってのは分かる。けど、動機がないだろっ? こんな、惨い……葬式だってまともにして差し上げられなかったんだぞ!」


 イェネオは怒鳴り、歯を食いしばって顔を背けた。カリダ様に怒っても仕方がないと思ったのだろう。


「分からないか、イェネオ。このようなお姿でも、ホドス様には手放せなかったのだ。間違ったことと分かっていても……」


 ホドス様は王妃様を愛していた。少なくとも俺にはそう見えた。そんな彼が何故遺体を葬式に出さず隠し続けたのか。


 それはきっと、魔術がもたらした呪いだ。


 普通なら必死に遺体を隠して保存しようとしてもすぐに腐ってしまう。生前の姿からあっという間にかけ離れ、「離れたくない」という想いに諦めをつけさせてくれる。


 けれどホドス様には魔術があった。『永劫の石』という手段があった。


 琥珀に包まれた遺体は痛ましい状態だが、それでも、穏やかに眠ったように見える彼女の顔は、今なお美しい。


 この力がホドス様に永遠の別れを拒ませた。たとえ見るたびに傷つき、一層苦しい思いをすることになっても――ほんのわずかに得られる慰めを手放せなかったのだ。ホドス様は愛する妻と離れたくなかっただけなのだ。


「……くっ、色々言いたいことはあるけど、それはお前たちに言うことじゃねえな」


 イェネオは猫帽子をくしゃりと掴んで、わずかに震えた。長い息をついて、落ち着きを取り戻す。


「で? カリダ様。なんでここにご遺体があるって分かったんだよ」


 イェネオは話題を戻した。


「うん。それはね、都合のいい場所がここくらいしか思いつかなかったからだよ。お城に隠すのは危険すぎるし、かと言ってお外に隠しても王様の身分だと一人で外出はしづらいだろうから、会いに行きにくいだろうなあって思ったんだぁ。でもそこでピルゴスくんのことを思い出してね。きっとあの子が協力したんじゃないかな~って考えてみたんだよぉ」


 ホドス様が遺体を隠した、というところまで分かっているなら俺にもここから先の考えには予想が付く。ホドス様のピルゴスに対する扱いは誰がどう見ても不自然だった。


「具体的には、ホドスくんがピルゴスくんに成りすまして外に出てたんじゃないかなって考えたんだけどねぇ。そうすればお城を出て遺体に会いに行くことも簡単にできるでしょ? 皆から聞いた色んな情報もこの考えを補強するものばかりだったしね。ピルゴスくんをお城に招いたのも、ピルゴスくんが戦後に仮面を大きくして声を出さなくなったのも、外出する時間が深夜だったのも、全部全部、成りすましを簡単にするためだったんだよ」


 事実を知ってから振り返れば、全ての事実がなんともあからさまに映る。どうして誰も気づかなかったのだろう。それとも本当は、勘付きながら何も言わずにいたのだろうか。


「もちろん証拠はなかったから、それでピルゴスくんにカマをかけてみたんだ~。『昨日の夜は大雨だった』ってね~。ピルゴスくんは雨のことを否定しなかったから、そのおかげで成りすましに確信を持てたんだ~」


 ピルゴスはまんまとしてやられたわけだ。今にして思うとヤツはそうやって口を滑らせることを恐れていたのかもしれない。だから聞き込みを早く終わらせるために俺たちに酷い態度を取ってみせたのだ。普段のヤツはあのように饒舌、もとい筆が達者ではなかった。


「そうか。それでここを調べたんだな。ピルゴス――と思われていたホドス様が夜な夜な訪れていた場所だったから」


 成りすましが確定した以上、それ相応の秘密があることも確定していた。そこまでの労力をかける事情があったに違いなかったからだ。疑っていたわけではないが、カリダ様には本当に、ここに遺体がある確信があったということか。


「本当はね、わたしが首を突っ込んでいい事件じゃないって思ったの。でも、暗殺事件の調査のためにはこの事実を放置できなかった」


 カリダ様は王妃様の遺体の足元に慈しむような眼差しを向け、立ち上がった。視線の先には首飾りがある。


「ホドスくんが昨日まで身に着けてた首飾り――それがが今ここにあるっていうことは、ホドスくんが昨晩ここに来た証明になるよね」


 俺ははっとする。カリダ様はこの重大な秘密そのものではなく、それが示す『潔白』のために動いていたのか。


 これはホドス様が、エルピネス様の襲われた時間に城の外へ出ていたことの証明になる。


厳密には刺客を送れば自身が城内にいる必要はないが、これから息子を殺そうという犯人が、亡き妻に会いに来るだろうか。俺にはそうは思えなかった。


 ホドス様は犯人ではない。身の潔白は証明された。俺は確信した。別の罪はあったが、息子を殺した大罪人ではなかったのだ。


「首飾りをここに置いていったのは――」


 白く輝く首飾りを優しく撫で、カリダ様は言った。


「きっと、決意の表明なんだね。新しい王様が生まれたのをきっかけに、ホドスくんはちゃんと前を向こうと決めたのかもしれない。その意志を王妃様に見せるため、形見をここに残していったのかも」


「ホドス様……」


 遺体を隠した罪を無視することはできない。けれどホドス様を悪と見ることなどできようはずもなかった。


「ああ……最初にここを見つけたのがあなた方で良かった」


「っ! 誰だ!」


 背後からの声に振り向くと、先ほど気絶させた老人が髭を撫でながら微笑んでいた。敵意はないようだ。


「さっきはいきなり眠らせてごめんね~。頭とか痛くない?」


「いえいえ、大したことはありませんよ。元々覚悟していたことですからね」


 老人は穏やかに笑う。視線を王妃様の遺体に移し、目を伏せる。


「ホドス様は愛の深いお方です。それゆえに、喪失に耐えられなかった……ですがそれも昨日までです。今あなた方がご推察されたように、新たな王が生まれたことでホドス様も今を生きる決意をなされました。エルピネス様の御背中がホドス様の心をお救いくださったのです」


 言葉が出なかった。そのエルピネス様が亡くなったなどと、どうして伝えられようか。


 枯れ果てたようなホドス様の姿を思い出す。カリダ様に慰められ多少持ち直しはしたが、深い傷が簡単に癒えるはずもない。その上、王妃様のご遺体を隠した罪が知られれば――。


「この罪はいずれ暴かれるべきだと、ホドス様ご自身も覚悟なされていました。私も異論はありません。ただ……」


 老人は神妙な口ぶりで言うと、床に手と膝をつき、深く頭を下げた。


「ご無理を承知でお願いいたします。今しばらくは罪を隠すことをお許しいただけないでしょうか」


「……何を言うかと思えば、保身か」


「誤解なさらないでいただきたい。これは私やホドス様のためではありません。私たちの罪に人々を巻き込みたくないのです。新たな国王が誕生されたばかりの今、このような話が広まれば人々は混乱してしまうでしょう。何よりエルピネス様の政務に支障が出るやもしれません。そのようなことだけはあってはなりません――ですので、どうか」


 俺は言葉に詰まった。彼の言い分も一理ある。彼の認識と現状にずれこそあるが、これ以上民を混乱させることが得策でないことは同意見だ。


 それに俺だって、ホドス様をこれ以上追い詰めることなどしたくない。


 老人の真摯な眼差しにも胸が疼いた。そうだ、何も今じゃなくてもいいではないか。もっと後から、それこそホドス様が亡くなった後でもいい。せめて彼を苦しめないように――。


 そこまで考えて、俺は拳を握り締める。


 違うだろう。何を迷っているニーケーダン。今暴かねば遅いから、俺たちはここに来たのだ。


「残念だが、その頼みは聞けない」


 きっぱりと告げた。事実を隠すような人間はカリダ様のような英雄にはなれない。より多くを救うために誰かを傷つけることもいとわない。英雄とはそういうものだ。


「そう、ですか……」


 力なく項垂れる老人から、俺は目を逸らさなかった。頭を冷やし、冷めた心で様子を窺う。願いを拒否されたことで自棄になり襲い掛かってくるかもしれないからだ。


 どうやら彼は本当に諦めたようだった。無礼な観察だったが、後ろめたくは思わない。


 だが――素直に罪を認めた姿を伝え、罰を軽くしてもらうくらいのことはしてもいいだろう。そうでなくては、あまりに彼らが哀れすぎる。


「うにゃああああああ!」


 地下室に重たい空気が満ちかけた時、イェネオがいきなり叫び出した。


「な、なんだ? 気が狂ったか?」


「狂ってねえっての! 次行こうぜ次! まだ調べることはあるんだろ? ここでじっとしてたらなんか押しつぶされそうだし、さっさと色々終わらせて、ホドス様とゆっくり話そうぜ!」


 ああ、そうだ。感傷に浸っている時間はない。俺たちの調査結果によってはサクスムが滅ぼされるかもしれないのだ。


「うん、そうだね。行こう」


 トンガリ帽子を頭に乗せ、表情を隠すようにしてカリダ様が応えた。顔を上げた時、彼女はいつものように温かな笑みを浮かべていた。




     *




「くれぐれも慎重に運べよ。何しろ王家の秘宝だからにゃあ。落っことしでもしたらホドス様に殺されるだろうな! にゃはははっ」


「き、気をつけますっ」


 ピルゴスの屋敷の前にて、イェネオに見送られて馬車が走り去っていく。


 馬車には王妃の遺体が載せられていた。過剰なほどに装飾された箱に『永劫の石』ごと入れて、中身は見るなと再三警告した上でイェネオの部下に運ばせたのだ。彼らだけでは城に戻れないため、ひとまず湖のそばの小屋で保管してもらう手はずになっている。


 ホドス様の罪を公表することにしたとはいえ、こんなところで騒ぎを起こすわけにもいかない。遺体を一旦城へ運んでホドス様と話してから、その後の具体的な動きを決めるつもりだった。


 晴れ渡った白い空に浮かび、太陽の光で眩しく輝く雲――もとい、『霧』を見る。本来なら一刻も早く上空の城に帰り、ホドス様にお会いしたいが……。


 これほどの事態とはいえ、やはり今は事件の調査が最優先だ。サクスムの命運がかかっていることを片時も忘れてはならない。


 俺たちは別の馬車を借り、王都から出る。城下町における本日最後の聞き込みを向かうことになっていた。行き先はサクスムの武器職人テクネーニルの仕事場である。


 カリダ様はエルピネス様の寝室にあった絵画のことがどうしても気になっていたようだ。一体何を怪しんでいるのだろうか。虹色の霧が描かれたあの抽象画は、単なる芸術品にしか見えなかった。


「テクネーニルぅ? ああ、知ってるぜ。描いた絵を実体化させて武器にする職人だよな? あれって面白いけど強くはないんだよにゃあ。自分の力で戦った方が強いっつーか……にゃははっ、俺様の魔術が強いせいか!」


 馬車は正門から王都を出て、付近にある岩山へと走る。イェネオの自慢を聞き流していると、山の手前の森に入った。


 薄暗くてじめじめとした森だった。馬車が通れる道はあるが、あまり整備されておらず、乗り心地は最悪と言ってよかった。苔むした地面に隠れた石ころが時折車輪を跳ね上げる。


「ふにゃぁ~、なんたってこんな森の先に住んでるんだぁ? っていうかカリダ様よ、本当に聞き込みの相手は合ってるのか? テクネーニルなんてやつが今回の件に関わってるとは思えないんだけどにゃあ」


 馬車馬を操る男の背中を見つつイェネオは言った。


「うん、大丈夫! それどころかね~、この聞き込みが終わったら、場合によっては犯人が分かるかもしれないの!」


「にゃにっ?」


「本当ですかっ?」


 思わず立ち上がってしまう。安物らしい馬車がぐらぐらと揺れ、運転手が悲鳴を上げた。


「ちょっ、お客さん! 困りますよ!」


「す、すまない」


 時間がないからとてきとうに選んでしまったが、もっと良い馬車に乗ればよかった。


「それで、カリダ様。今のは……犯人が分かるかもしれない、というのは、自分の聞き間違いではないのですね?」


「うん。でも場合によってはだよ~? あんまり期待しすぎないでね~?」


 そう言われても、体に力が入ってしまう。いっしょに行動していたはずの俺には、まだホドス様が犯人でないということくらいしか分からない。カリダ様はどのような推理をしてそこまで真実に近づいたのだろう。


「あ、お客さん、座ってください。枝が」


「ぶごっ」


 警告に反応する間もなく顔面を木の枝に殴られ、尻もちをつく。イェネオに指を差して笑われた。


「お、おい! もっと早く言え!」


「すいませんねぇ。オイラもよそ見しちまって今気づいたもんで。ほら、あんな蛇がいるから……」


 言われて男の視線を追う。


 じめじめとしたぬるい風が吹き、木々が不気味にざわめいた。


 この世界には様々な魔獣がいるが、警戒すべき種は限られている。その中でも特に恐れられているのは、蛇であった。


 生き物の魂を喰らい、その全てを肉体を成長させるために利用する。単純な膂力のみでは間違いなく生物界の頂点に君臨する者。


 巨大な塔が波打って地面を滑っているかのように――白い大蛇が、木々の間を信じられないほど器用にすり抜け這っていた。


「な――」


 呆気に取られてその様子を見ていると、俺たちには見向きもせず、これまた巨大な湖に吸い込まれるように入っていく。


「そういえばこの森に大蛇が棲んでいると聞いたことはあったな……。だが問題ない、ヤツは人を食いたがらないそうだ。案外グルメなヤツなのかもしれんな。こちらから何かしなければ襲ってくることはない」


 あるいは人を食うと面倒なことになると理解して、自制しているのだろう。魔獣ならばその程度の頭はあるはずだ。


 だがなんだろうか。この背筋が凍り付くような感覚は。


 あの大蛇に本能的な危険を感じたのだろうか。安全だとは聞いたが、やはり警戒すべきなのか? 魔獣は時折妙なことを企んだりすると聞く。俺の直感がそれを察したのか。


 いや、そうではない。今ようやく自覚しただけだ。そう、この感覚は大蛇を見る前からあった。


 気配だ。何かに見られているような、追われているような――危険な気配を感じていた。


 俺は馬車の後ろを振り返る。何もいない。ついて来ているはずがない。馬の脚に問答無用でついて来るような者がいたらとっくに気づいているはずだ。


 気のせい、か――?


 木々の密集した風景が後ろへ流れていく。薄暗い景色を睨むように注視しながら、俺はごくりと固い唾を飲んだ。








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