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推理は魔術を凌駕する!  作者: 白沼俊
第三章『仮面男の秘密』
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5. かの者の行き先

 ピルゴスの噂が届いたというだけあって、マムニカの場所は彼の屋敷から近いところにあった。馬車を使うまでもなく、歩いてすぐに屋敷へとたどり着く。


「マムニカのところで聴けたことと言えば、ピルゴスが昨日も確かに屋敷に帰ってきていたということだけですが……」


「大丈夫! このお屋敷を調べればきっと全部分かるよ~!」


 黒く艶やかな石材で作られた、上品で落ち着いた屋敷を見上げる。庭には白く美しい岩の樹や石像が立ち並び、周辺の住居とは一線を画す雰囲気を放っていた。


「にゃあ、ここまで来てなんだけど、あの仮面の男がなんだってんだよ。犯人候補じゃないし、犯人は城内にいたはずだろ? 事件とは関係ないと思うぜ」


「ふん、素人め。カリダ様のお考えはもっと深いところにある。お前ごときに分かるはずもあるまい」


「じゃあお前は分かるのかよ」


「……カリダ様、行きましょう」


「分からないんじゃねえか!」


 ギャーギャー騒ぎ出したイェネオを置いて先へ進もうとすると、カリダ様がなだめてくれる。


「慌てなくても大丈夫だよ~。わたしが説明しなくても、きっと『それ』を見ればイェネオくんにもすぐ分かるだろうから~」


「なんだよ、やけに勿体つけるにゃあ」


「ごめんね~、安易に言えるようなことじゃないの。はっきりとした証拠を見つけるまではね~」


 安易には言えない……事情は分からないが、屋敷の中にただならぬものが隠されていることだけは予想できた。そしてわざわざ足を運んだということは、今回の事件にも関係があるということだ。


 俺たちは屋敷へ向かって庭を通り抜ける。きれいに整列した騎士の石像たちを眺めながら、俺はあることに気づいた。


 どういう意図なのか石像はどれも杯を掲げているのだが、その中でも一際背の低い見習い騎士と見られる像だけ杯の中が見えた。


 中身には何もない。空っぽだった。見た瞬間に違和感を覚えた。


「あの、カリダ様。覚え違いでなければ、昨晩は大雨だったという話では……」


 ピルゴスに対してそんなことを言っていたような気がする。雨が降っていたのにわざわざ屋敷へ帰ったのか、と。ならば何故、杯の中には水がたまっていないのか。いくら今は晴れているとはいえ、雨が止んで数刻で全て蒸発することなどないだろう。


 カリダ様は立ち止まることなく平然と頷いた。


「うん。降ってなかったみたいだね~」


「……え?」


 雨を見たわけではなかったのか?


 いや、考えるのだ。これは初めから分かっていたことではないか。彼女は昨夜『霧』の外には出ていない。ではあれは出まかせだったと?


 ……違う。頭の中で水をためた杯が倒れたように、突如としていくつもの記憶がよみがえる。


 カリダ様は明確に嘘をついた。聞き込みで聞いた話では、カコ監視官は昨晩街の広場で酒盛りをしていた。アガペーネ様も屋敷の外へ出て猫にエサやりをしていたというが、大雨があったのなら、この話に関してもっと捕捉があったはずだ。雨宿りをさせたとか、雨の中でも構わず外へ出たとか。


 ここまででも十分雨など降っていなかったと取れるが、最も明確な証言はエン医師の「良い月の夜だった」という言葉だ。


「何故ピルゴスニルに嘘を言ったんですか?」


 カリダ様は笑顔で振り向き、いつもの穏やかな声で答えた。


「その理由もきっとすぐに分かるよ~」


 やはり教えてはもらえなかったが、聞かずとも察しはつく。先ほどピルゴスは大雨について否定しなかった。彼は昨晩雨が降っていないことを知らなかったのだ。つまり彼は――。


「へえ、意外だにゃあ。カリダ様も嘘とかつくんだな」


 イェネオがぼそりと呟いた一言で、俺は意識を引き戻された。


「お、おい。そんなことはどうでもいいだろう」


「えへへ。けっこう嘘は得意なんだよ~」


 カリダ様は悪びれずに笑う。さすがの一言である。


「おや? どちら様でございましょうか」


 その時屋敷の扉が開いて、使用人と見られる、灰色の髭をたっぷりと蓄えた老人が現れた。


「こんにちは~! いきなりだけど、ちょっとこれ嗅いでみて~」


「はて? 何かの催しですかな?」


 老人はカリダ様がトンガリ帽子から引き抜いた紫の花に鼻を近づけると、呆けたままふらりとよろめいてその場に座り込んだ。


「こ、これ、は……?」


 老人はそのまま倒れ、意識を失う。突然の出来事に俺でさえ理解が追い付かなかった。


「カリダ様っ? 一体何をっ?」


「お、おい。どうなってんだよ。何やってんだよ! これって、許可取って調べに来たんじゃないのかっ?」


 カリダ様は倒れた老人の頭を撫で、小さく「ごめんね」と呟いた。


「ニケくんたちも驚かせちゃったね~。大丈夫、これはただの眠り薬だから」


「大丈夫って、お前……」


「きっとここを調べるって言ったらこの子から全力で阻止されたと思うの。そうなったら怪我人が出ちゃうでしょ?」


「だから気絶させたってのか? おいおいニケ、この探偵やばい奴なんじゃないか?」


 俺は頭が混乱して無礼な発言を撤回させることもできなかったが、眠る老人の弱弱しい姿を見ていたら思考がはっきりとしてきた。


「……行くぞイェネオ。今俺たちがすべきなのは屋敷内の調査だ。やってしまったからには相応の結果を出さなければならない」


 この中には何かがある。だからカリダ様は多少強引な手段を使ってまで乗り込もうとしている。目的のない暴走では決してないはずだ。


 その後俺たちは老人を屋敷のベッドに寝かせ、三手に分かれた。敷地内に怪しいものがないか探すのだ。俺がまず目をつけたのは蔵だった。敷地の隅にある、分厚い屋根をした頑丈そうな蔵だ。鍵をかけても魔術で突破されると割り切っているのか、扉はいとも容易く開けられた。


 ひんやりとした蔵の中は芸術品や骨董品でぎゅうぎゅう詰めになっていた。こうしたものの収集がピルゴスの趣味であることは百も承知だが、広い屋敷にも収まらないくらい抱え込んでいるとは思わなかった。どれだけの額をつぎ込んでいたのだろう。


「まともに飾ることもできないのなら、持っている意味などないのではないか?」


 独り言を呟きながら、俺たちは数々の品をかきわけて何かおかしなものがないか探した。しかしどれだけ注意深く観察してもそれらしいものは見当たらなかった。


 それにしても、こんなに芸術品を置いておいて心配ではないのだろうか。泥棒に入られたらとか、そういったことは考えないのか。


 もしかするとここにあるのは盗まれてもいい、どうでもよくなった品々なのかもしれない。大事ならきっと乱雑な詰め方はしないはずだ。


 大金をかけてまで手に入れて大事に抱えていたものなのに、時が経てばどれもこれも色あせて価値なき物へと変じてしまう……贅沢三昧で一見幸せそうに思えるピルゴスだが、その生き方はとても虚しく思えた。


 そんなどうでもいい考察をしていたら、カリダ様が溶けた扉の奥からまた顔を出した。


「ニケくんニケくん、こっち来て~」


 手招きされる。何かを見つけたのだろうと思いついていくと、蔵の裏に隠れるようにして井戸が作られていた。ただ水がたまっているだけでなく、桶のついた滑車が取りつけられたものだ。


 その場にはイェネオもいて、物珍しそうに右から左から眺めていた。もうカリダ様にとやかく言うのはやめたようだ。


「井戸ってやつだよな、これ? すごいな、本でしか見たことないぜ。こういうのもいわゆる骨董品ってやつになるのか?」


 魔術により無尽蔵に水を得られるようになった今は、井戸なんてよほどの物好きしか使わない。イェネオの言うようにまさに骨董品だ。


 それはくすんだ赤色のレンガで組み立てられており、そこからも製作者の趣味を感じさせた。レンガは耐久性に優れるが、サクスムにはもっと利便性の高い石材が豊富に存在する。


 覗き込むと中に水がたまっているのが見えた。井戸の横幅は広く、大人が中で寝そべっても問題ないくらいの大きさだった。濡れるので本当には寝たくないが。


 イェネオが桶を井戸の底へ下ろす。滑車についた紐を引っ張ると水のたまった桶が上がってきた。


「……」


 そして無言のままもう一度桶を落とし、引き上げた。


「何を遊んでいる」


「あっ、遊んでねえっての!」


 赤い顔で否定するところを見るに図星だったようだ。滑車を使った仕掛けが新鮮で少し楽しかったのだろう。


 あーだこーだと言い訳し始めたイェネオの声を聞き流していると、カリダ様がどこからか梯子を持ってきた。


「そんなに中は深くなさそうだから、これで下まで降りられるかなぁ?」


「中に入るのですか?」


「何かあるかもしれないから、一応ね~」


 慎重なお方だ。見た限りでは底に水がたまっているだけで怪しいところは見当たらない。俺やイェネオだけなら確実に覗くだけで満足していただろ。


 カリダ様だけを行かせるわけにはいかない。まず俺が梯子を差し込み、中へと降りた。梯子の長さは十分にあり、底まで安全に行けた。


 井戸の底は全てが水に沈んでいるわけではなく、端には砂利が積み上がっていた。砂利の部分もしっかりと幅があり、二人で入っても足を濡らさずに済むほどだ。梯子を下りてきたカリダ様が足をつけるのを見守り、それから井戸の内部を観察した。


「何かあったかぁ?」


 上からイェネオの声がする。


「いや、収穫はなさそうだ」


 答えてやると、落胆のため息が聞こえてきた。


 念のためもう少し観察してみるが、やはり横穴などはなく、透き通った水を覗き込んでも離れたところに本当の底が見えるだけだった。ここも外れだ。


「うーん、一番怪しいのはここなんだけどなぁ……。こういう、泥棒に目をつけられにくい場所の方が安心できると思うんだよねぇ」


 カリダ様は呟き、足元の砂利をかき分け始めた。水底にも何もないことは見えているし、さすがに悪あがきだろう。何かが出てくるとは思えない。


「……んっ。うーん!」


 しかし、カリダ様の予感は正しかった。砂利の中へ差し込まれた彼女の手が何かを掴み、持ち上げた。


 それは大きな石の皿。中にたっぷりと水のたまった、薄く平らな皿であった。上から覗くととても深い――人ひとりなど簡単に飲み込めるほどに底の深い、皿と呼ぶには大きすぎるものである。しかしそれを横から見ると、ごく薄い、なんてことのない普通の皿にしか見えない。


 そう。井戸の底にたまっていた水は、全てこの皿に入っていたものだった。


『深き水面』――火だるまになったカストロニアをフィリアーネ様が助けるために使ったあの魔術が、ここでも使われていたのだ。薄く張っただけの水たまりに奥行きを与える魔術である。


 どれだけ水が深くなろうと、水面は水面だ。皿が水によって重くなることはなく、皿の下に水が広がることもない。だからこうして、水底と見せかけた『蓋』を作ることができる。


 蓋――そう、その下にはさらに深い空間へと続く穴が隠されていた。


「カリダ様、これは!」


「うん、間違いないね! この下にわたしが探してたものが隠されてるはずだよ~」


 思ってもみなかった発見に心臓が高鳴る。穴の中は微かに明るかった。すぐ下に地面があり、そこから横穴が続いているようだ。


 当然中を調べない手はない。さっそく二人で降りてみると、『繋がれた炎』で照らされた通路の奥に扉があった。


 迷わず開くと、埃の漂う地下室に出た。縦にも横にも真四角の、思いのほか大きな部屋だ。灯りに照らされた埃が漂い、まるで瘴気に満ちているかのようだった。思わず唾を飲む。


 この中に、一体何が――。


 よく見ると床には上質な絨毯敷かれている。壁や天井こそゴツゴツとして洞窟の壁に近い感じであるが、中央に置かれたテーブルと椅子は王族が使うような高級品に見えた。


 さらに、奥にはこれまた上質な布で作られた幕が垂らされ、何かが隠されている。


 俺はその幕を引きちぎるように取っ払い、『それ』を露わにした。


「ば……馬鹿な」


 その正体に絶句する。隣でカリダ様が納得したように頷いた。


「やっぱりそういうことだったんだね~」


 そこにあったのは巨大な琥珀――その中には人影が見えた。これはカリダ様を百年以上閉じ込め、その身を少女のままに留めさせた魔術、『永劫の石』に他ならなかった。


 しかしてその中にあったのは。


「王妃、様……?」


 琥珀に手をつき、中を覗き込んでその顔を確かめる。どう見てもそれは、ホドス様の妻にしてサクスムの元王妃――ランプロティターネ様のものに違いなかった。


 八年前の戦争で跡形もなく消えてしまったはずの――ホドス様がそう証言したはずの、この場にあるはずのない遺体が、今、目の前にはっきりと存在していた。









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