4. 魔獣飼育施設マムニカ
アガペーネ様に関する聞き込みを終えた俺たちは、次に魔獣飼育施設マムニカへと向かった。カコパイーニ監視官から聞いた、ピルゴスニルの噂について確かめるためである。
王都の外れに位置するその場所は、文字通り様々な魔獣を育てる、おそらく大陸中を見てもかなり特殊な施設だ。
魔獣とは魔力を用いて特異な能力を発揮する生き物の総称であり、広義の意味では人間もその一種とされている。魔術文明を発展させた人間の例から分かる通り、魔獣になりやすい種族というものがある。例えばカラスや黒猫、蛇などだ。
カラスは透視と呼ばれる力を持ち、黒猫は周囲の魔力を感じ取る力を、蛇は他者の魂を喰らって並外れた膂力を得る能力を持つ。
加えて魔獣は通常の獣と比べて知能が高く、侮れない存在として魔術を扱う人間にさえ警戒されてきた。
そんな彼らの中にも人と共存できる種族は数多く存在する。牧場で育てられているのはそういった温厚な魔獣ばかりであった。彼らはその能力を用いて人を助けてくれる。黒猫が魔力災害――魔力溜まりを原因とする爆発を予期して主人を逃がしてくれるのは有名な話だった。
マムニカとは現代語で『共生』を意味する。飼育施設が作られた目的の全てをその名が表していた。
「ここか。意外に小さいな」
馬車を利用してマムニカまでやって来た俺たちは、雑木林を背にした小屋のように貧相な建物を見上げていた。場所は大体知っていたが、実際に来るのは初めてだった。
林はそれなりに広いようだ。もっともそれも、驚くほどのものではない。なんだか肩透かしを食らった気分だ。
マムニカは二年ほど前に作られた施設だが、王都内で魔獣を育てるという物珍しさのわりに話題になったのはほんの一瞬だった。その理由が今なら分かる。この規模を見るに、所詮は個人の些細な道楽に過ぎなかったのだ。
小屋に近づいた時、第十二刻を知らせる昼の鐘が鳴った。急かされるような気分で扉を叩く。
扉が開き、素朴な服を着たたくましい体つきの女性が顔を出す。袖から覗く腕は筋肉質で力自慢の男たちにも負けなさそうな太さをしていた。
「こんにちは~!」
「あん?」
カリダ様が元気に挨拶したのに、女性はあからさまに面倒くさそうな顔をした。
「何の用だい。見物なら柵の外から勝手にやってくんな」
個人の道楽に過ぎずとも、やはり珍しいもの見たさにやって来る者は多いのだろうか。まだ何も言っていないのに不機嫌になるとは相当面倒な思いをしているのかもしれない。カリダ様への無礼は覚えておくが。
「俺たちは見物客ではない。ピルゴスニル……仮面をつけた大男に関する噂を聞きに来た。カコパイーニ監視官のご紹介でな」
「カコさんの?」
女性は目を丸くした。俺たちを見定めるようにじっくりと眺め、こちらが痺れを切らしそうになったところでにかっと笑った。
「そうかいそうかい。悪かったね、嫌な態度を取っちまって。まあ入んな」
これはダメかと思ったところで急に態度が軟化したものだから、今度はこちらが目を丸くすることになった。ロギオス監視官の時とは違い、一方的な友人ではなかったようだ。
建物の中は外から見た印象と変わらず狭く、事務作業をするためのテーブルと棚くらいしか物がなかった。同時に客の応対もここでするようだ。
椅子の一つに黒猫が座っていた。大きなあくびを一つして、そそくさと窓から出ていく。
「アタイはミテラ、この施設の管理者だよ。アンタらは見たところ兵士とお貴族様のようだが……ああいや、ちょっと待った!」
ミテラと名乗った女性は大きな声を上げると、イェネオの頭を指さした。
「その帽子、アンタもしかして猫騎士様かい?」
「にゃははっ、俺様を知ってんのか。まあそうだよな、俺様有名人だしな!」
イェネオは椅子に腰かけながら愉快そうに笑う。ちょっと名が知れたくらいで調子づくとは未熟なやつだ。俺から言わせれば、全世界にまで名が知れ渡って初めて有名人といったところだ。
「やっぱりそうかい! 猫の付いた名前を名乗るなんてアンタよっぽど猫好きなんだねえ!」
「違うわ! 俺様は猫みたいに夜目が利いて耳も良くて身のこなしも軽いから、そこを評価してスキア様が名付けてくださったんだよ」
名付け親がスキア様だとは知らなかった。あのお方以外にこんな愛嬌のある名前を与える人はいないだろうが。
ミテラは俺へと視線をずらし、頭から足まで人のことをじろじろと眺めまわしたあげく、首をかしげた。
「アンタは分からないね。騎士だったりするのかい?」
「いや。だがいずれ英雄になる男ではあるな」
「にゃははははっ、この坊ちゃんの言葉を信じるなよ。コイツは多分その辺歩いてる子どもより弱いぜ」
「へえ、そうなのかい?」
「でたらめを言うなでたらめを! そしてお前も信じるな!」
「え、どっちなんだい?」
「英雄になるって息巻いてるくせに名前すら知られてないってことは……にゃははっ、そういうことだろ」
「ぐっ、お、お前!」
「なるほどね。まあ元気だしな」
哀れむように肩を叩かれた。屈辱だ。
ミテラは次にカリダ様にも視線を向ける。
「ちなみにその子は……騎士なわけないか」
「うん。わたしはピルゴスくんのお友だちだよ~」
「友達ぃ? あの何考えてるか分からな……ああいや、悪いね。偏見はよくないか」
カリダ様は正体を明かさなかった。当然のことだ。他国の探偵が情報を聞きまわっているなどと噂になっては困る。
「さあ、そろそろ本題に行かせてもらうぞ。ピルゴスニルについてできる限り詳しく聞かせて欲しい。特に、ヤツが大きな荷物を抱えて屋敷に帰って来た時の話が聞きたい」
ぐだぐだと喋っている暇もないので早急に切り出すと、ミテラは困ったように頭に手をやった。
「と言ってもねぇ……アタイが見たのはカコさんに話したことが全てだよ。まあ一応説明させてもらうけど、期待はしないでおくれよ」
それから彼女が語ったのは、本当にカコ監視官から聞いたそのままの話だった。
ミテラは深夜になると近所の野良猫と戯れに行く日課があるらしく、その晩もピルゴスの屋敷のそばを通ったという。ちょうどピルゴスが帰ってきて、大きな荷物を運びこんでいるのをハッキリ見たそうだ。
だがそれ以上は分からなかった。暗くてあまりよく見えなかったことと、気味が悪いので半ば目を逸らしていたこと、それに記憶が薄れているせいもあって、正確に何を持っていたかまでは分からないと言われた。
「悪いけどそれ以上は何も知らないよ。アタイも気にはなるけどね、赤の他人の様子を好き勝手に探ったりはしないさ」
もっともだが、もう少し具体的な話が聴きたかった。完全に無駄足だ。
「強いて言うなら、昨晩もあの男が屋敷に入っていくところは見かけたよ。アタイに教えられるのはそれくらいさ」
思わぬ情報だが、元々ほぼ決まっていたようなことだ。何も聞けないよりはマシではあるか。
「ま、仕方ないにゃあ。次行こうぜ、次」
「そうだな。長居は無用……」
その瞬間、背筋にぞくりと悪寒が走った。
視線を感じた。どこから? 窓の外だ。黒猫の消えた窓――雑木林へと繋がる方だった。
子どもがいた。少し離れた林の手前に腕を垂らして立ち、こちらを睨んでいた。
汚れた包帯をぐるぐる巻きにしたその子どもは、目を血走らせ、怒りに打ち震えるようにして歯を剥いていた。
ただならぬものを感じて俺は小屋を飛び出した。しかし扉を開けた一瞬の隙に子どもは姿を消していた。
「おい、どうしたニケ。何も言わずに飛び出すなよ」
イェネオが声をかけてくるが俺は構わずに走り出す。無論子どもを探すためだ。まだ近くにいるはずだ。だが見当たらない。気配すら感じない。いるのは林の周りを駆ける猫や狐と、鳴き声だけを響かせるカラスやフクロウの群れのみだ。
鳴き声が無限に重なって響き、細かな音たちがかき消される。うるさい。なんだか妙に騒がしい。小屋にいた時魔獣たちはこんなにうるさかっただろうか。
「ニケくん、どうしたのぉ?」
カリダ様が追いかけてくる。さすがに無視できず振り返った。
「いえ。包帯を巻いた子どもを見かけたのですが……なんというか、尋常な表情ではなかったもので」
激しい怒りに駆られたその目を思い出す。自分でも何故ここまで慌てているのか分からないが、あの子どもを放置してはいけないような気がしたのだ。
「子どもぉ? なんだい、それ?」
一緒に追いかけてきていたミテラが首をかしげる。
「ここの者ではないのか」
「違う違う。子どもなんか雇ってないよ。それに飼育員は今、地下に作った洞窟で魔獣たちにエサをやってるとこさね」
そんなものがあったのか。魔獣にはコウモリやネズミといった暗がりを好む生き物が多いから理解はできるが。
「大方勝手に入っちまったんだろうねぇ。まあ出て行ったんなら咎めることもないさ」
「でも心配だね~。包帯を巻いてるって、酷い怪我をしてるのかもしれないよね~?」
それならばあまり動き回るのはよくないだろう。といっても姿を消されてしまってはどうにもできない。それにあの子どもは決して助けなど求めていなかった。
一体何だったのだろう。あの目は。逃げた理由は。そしてここで何をしていたのだろう。
結局マムニカを訪ねて手に入ったのは、このモヤモヤとした疑念のみであった。




