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推理は魔術を凌駕する!  作者: 白沼俊
第二章『花国探偵の調査』
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10. フィリーとフィリアーネ

 フィリアーネ様が緑の玉の持ち主について聞きまわる間、俺とカリダ様も様々な人に聞き込みを行っていた。


「昨晩か? 街の広場で前夜祭と称した酒盛りをやっておったからなァ! 他の者のことなど何も分からん! ダハハハ、すまぬな!」とカコ監視官。


「昨晩は良い月の夜でしたなぁ……はい? そうではない? ……ふむ、宿でラクス人と顔を合わせはしましたが、見たものと言えばそれくらいですぞ。おお、慈悲深き探偵殿! お役に立てぬことをどうかお許しくだされ!」とエン医師。


「すまぬ。昨晩はずっと部屋で眠っておったのだ。特に変わったものは見ておらん」とホドス様。


 このように、特筆すべき情報は得られなかった。仕方のないことだ。夜警を務めた俺はよく知っているが、昨晩は城内ですら目立った異常などなかった。それも当然、犯人は事件を事件とすら気付かせないように動いていたのだから。そうそう異変になど気づけない。客人たちにいたっては酔い潰れていたか、そもそも城の外にいた。


 行き詰まったか。まだスキア様にはきちんとした聞き込みはできていないが、彼一人からの情報だけで劇的な進展があるとも思えない。


 護衛の代役として周囲を警戒しつつ、俺はこれからどう調査を進めるべきか頭を悩ませていた。


 そんな時。廊下の途中でカリダ様が足を止めた。


「ねえねえニケくん、一つ気になってたんだけど良いかなあ?」


「なんです?」


「もしかしてニケくんに『無力の導き』を使ったのって、フィリーちゃんなの?」


 不意打ちに呼吸が止まりそうになる。先ほどの爆発事故から時間が経っていたせいですっかり頭から抜けていた。フィリアーネ様との過去は隠し通さねばならなかったのに。


「な、何故――」


 俺は平静を装うことができなかった。


 丁寧に磨かれた宝石のような青い瞳が、心の奥の奥まで覗き込むように、じっと見つめてくる。


 見返しても目を逸らしても意味はない。おそらくもう全て見抜かれた。


「さっきのニケくんとフィリーちゃんを見てて、なんとな~くそう思っただけ」


 つまり確信まではしていなかったのだろう。今の反応によって答えを与えてしまった。


「大丈夫。答えにくかったら詳しく言わなくてもいいよ。その話を聞かなくても調査はできるから。ただ、わたしが知りたかっただけなの」


「いえ! いいえ、カリダ様! ここで話を終えては彼女の名誉に傷がついてしまう。それだけはあってはなりません。少しお時間を取りますが、ここは一から話させてください」


 俺はフィリアーネ様から魔力を失わされた。それは事実だ。知られてしまった以上、中途半端に隠しても意味がない。


 カリダ様は俺の眼差しを受け、子を受け止める母のように優しく頷いてくれた。


 俺は息を整え、事件のきっかけとなった最初の部分から語ることにした。


「フィリアーネ様はかつて一度、亡くなられているのです」


 そう。今の姫様はかつてのフィリー様とは別人だ。少なくとも俺はそう思っている――。




     *




 事件のことを語る前に、フィリー様がどのような方であったのかを話さねばならない。


 八年前――ウェントスとの戦争を控えたある日のことだ。


 俺は王都付近の岩山に入り浸り、魔術の修練に励んでいた。より素早く正確に魔術を発動させる練習、魔力を節約しながら戦う方法の模索など、様々な状況を想定してはそれに備えるための訓練をしていた。


「精が出ますね、ニケ」


 そんな時、フィリー様が大きな荷車を引いてやってきた。


「フィリー様? こんなところで何を」


「最近あなたが焦っているように見えたから。戦争が近いから無理もないけど、体を壊したら元も子もないのですよ?」


 可憐な少女が白い雪のような美しい着物に身を包み、重たさそうな荷車を軽々と引いている。その様子は奇妙としか言いようがなかったが、彼女がいたずらっぽく笑った瞬間、なんとなく辻褄があったように見えるのが不思議だった。


「ふふっ。ですがもちろん、そんな言葉で止めたってあなたが聞いてくれないことくらい分かってます。だから……じゃーん!」


 フィリー様が荷車にかけられていた布を剥ぐと、色々な品が出てきた。そこにあるのは怪我の治療や体力の回復を助けてくれる魔術具や、修練を安全に行うための補助道具の数々だった。


「これだけたくさん備えておけば、もう身体を壊す心配もないですよね?」


「そんな、わざわざ自分などのためにここまで用意してくださったのですか?」


「もちろんよ。あなたはこの国の大英雄の息子なのですから、それだけ期待もされているのです。――と、いうのは建前で」


 フィリー様はにこっと明るく笑うと、荷台から旗を出し、大きく振り始めた。


「大切なお友達が頑張っているのに、応援しないわけにはいかないでしょう!」


 姫様とは思えない突拍子もない行動に思わず笑ってしまったが、同時に力が湧いた。こんな風に応援されてやる気の出ない者などいない。結局戦争で俺の出番などなかったが、この時のことは今も力になっていた。


 かつてのフィリー様は人々の気持ちを重んじるお方で、『友愛の姫』と呼ばれるほど愛に満ちていた。


 しかし八年前のウェントスとの戦争を経て、フィリーという人物は世界から消えることとなる。


 風の国との戦において、サクスムはほとんど痛手を受けていない。大英雄フルリオダンの操る『岩の巨神』が敵兵を蹂躙し、早々に負けを認めさせたためである。


 フロース、フランマ、ラクスの三国と同盟を結んでいたことも大きい。一つの国に押されているのに三つも同時に相手取れるわけがなかったからだ。


 問題は敗北が宣言される前に王都へ刺客が放たれていたことだ。私怨か否か、その者たちは戦が終わったことを知りながらも暗殺をやめなかった。


 狙われたのは当時のホドス王、王妃ランプロティターネ様、そしてエルピネス様である。


 戦に勝利し完全に油断しきったところで刺客に襲われ、王妃様が命を落とした。傍にいた俺の親父、英雄フルリオダンも、『岩の巨神』を帰還させたばかりであったゆえに魔力が枯渇しており、満足に戦えず敗れたという。


 そしてもう一人――同時に別の場所で襲われたエルピネス様を助けるため、一人の戦士が亡くなっている。


 俺の母さん、メロスダーノだ。


 フィリー様を最も苦しめた死は間違いなく、俺の母さんのものであるだろう。


 王妃様の死も酷いものではあった。ホドス王の目の前で体を粉々にされ、跡形もなく消えてしまったのだという。王が持ち帰ってこられたのは、その時着けていたという首飾りただ一つであった。


 かけがえのない肉親の死は当然フィリー様を傷つけた。そんな彼女に追い打ちをかけるように告げられたのが、メロスダーノの死であった。


 その苦しみを説明するにはもう一つ重大な事実を語る必要がある。


 実はエルピネス様に刺客が差し向けられた時、その傍にはフィリー様もいたのだ。後で判明した話では、あくまでも狙われたのは王の才能に目覚めていたエルピネス様のみと判明している。だがそんなことかつてのフィリー様は知る由もない。


 彼女は自分を守るために俺の母さんが殺されたのだと思い込んだ。愛にあふれた『友愛の姫』にとって、その事実は地獄の業火に投げ込まれるより激しい苦痛となったに違いない。


 故に彼女は――。


「何をしておるのだ、フィリー!」


 それは忘れもしない、メロスの死の翌日のこと。自室を火で包んだ彼女は自らを焼き殺そうとした。娘の様子を気にかけていたホドス様が奇跡的に部屋を訪れたため、最初の事件は防ぐことができた。


 だが一度では終わらない。それからも彼女は幾度となく、自らに惨たらしい最期を与えようとした。何度も、何度も。


 その対処に疲れ切り、解決策も見いだせなかったホドス様は、とうとう禁じられた魔術に手を出した。


『欠け落ちるアニマ』。魂を抉り取り、記憶を削る魔術である。


 これによりフィリー様は自身を苦しめる記憶を完全に失い、自害を試みることもなくなった。


 しかし――ただ記憶を奪うだけ。そんな都合のいい魔術が存在したのなら、今ごろ無数の悪党によって人の世の秩序は破壊され、とうの昔に邪悪に支配されていたことだろう。


 そうならなかったのはこの魔術に副作用があるからだ。ただしそれを被るのは記憶を消された方なのだが。


 先ほど言ったように、『欠け落ちる魂』とは魂を抉り取ることで、その結果として記憶を消す魔術である。


 魂を削られた者は記憶のみならず自我をも失う。これがあるから第三者に悟られることなくこの魔術を使うことは不可能なのである。


 今のフィリアーネ様を見ればわかることだが、消えた自我は戻らないわけではない。しかし再び話せるようになった時、その人格は以前とは別物になっている。フィリー様も例外ではなかった。


 以前のような明るさが失われ、眼差しは冷たく、口数も少なくなった。


 それでも俺は彼女は彼女だと思った。記憶が消えたと言っても全てではなく、俺のことも、これまで学んできたことも忘れてはいなかった。なくなった記憶は直近の一年分程度だったであろうか。


 一年の空白などこれから埋めればいい。性格が変わったとしても根っこが同じならまたすぐ優しい彼女に戻るはずだ。死ぬことに比べれば本当に些細な問題だ。


 当時の俺はそんな甘い考えにすがりついていた。


 魔力を失う羽目になったのは現実から目を背けた報いだろうか。あるいはフィリー様を苦しみから救えなかった罰か。


 フィリアーネ様に『無力の導き』を使われたのは、それから間もなくのことであった。


 あの日も俺はフィリアーネ様と会うため城に来ていた。部屋で話をして、少しずつでも前の彼女に戻ってくれることを願いながら時間を過ごしていた。


 その途中で俺は眠りこけてしまい――今思えば薬か何かで眠らされたのかもしれないが――次に目覚めた時、既に魔術をかけられている真っ最中であった。


「ん、起きた」


 フィリアーネ様の無表情な顔が上から俺をのぞき込む。


「フィリー……様?」


 寝ぼけながら部屋を見回すとそこはいつも談笑していた場所ではなく、何も置かれていないまっさらな空き室だった。床一面に渦のような魔術模様が描かれ、なんだか分からないが心地の良い疲労感を覚えていた。訓練で全ての力を出し切った後、へとへとになった時の感覚に似ていた。


 日なたの中でまどろむような気持ちよさでされるがままになっていたが、俺はふと、魔術全書で似たような模様を見たのを思い出す。


「フィリー様、あの、これは何をされているのですか?」


「ん。『無力の導き』って魔術、知らない?」


「……は?」


 まさかと思った。聞き間違いに違いないと思った。何故なら動悸が見当たらない。俺から魔力を奪う意味が分からない。


「ニケが危ないことするから。英雄になるなんて言って、怪我ばかりするから。そうしなくていいように、魔力を消してあげる」


「え、は? 本気……ですか?」


「だって、ニケが死んだらイヤ」


 呆然とした。だが体は動いた。魔術模様に触れていなければ魔術は止まる。今すぐに中断すれば少しは魔力が残るはずだ。


 だが部屋の外へ逃げようとする俺の前にフィリアーネ様が立ちふさがる。


「どいてください! なんでこんなこと!」


「今言った。危ないこと、しないで」


「俺はそんなこと望んでない! 英雄になるのが俺の夢だってずっと言ってたのに!」


「何言ってるの。私は望んでる。ニケが生きてたらそれだけで嬉しい」


「はあっ? だから、俺はそんなこと……」


「意味、分からない。私が嬉しいのに、なんで嫌がるの」


 これがただ駄々をこねているだけであればどれほど良かっただろう。


 けれどもこの時フィリアーネ様は、心から困惑した様子で首をかしげていた。


「英雄の夢は諦めて。ニケはただ、生きていて」


 俺を優しく抱擁し、彼女は言った。


 唇が震える。涙がこぼれ出る。


 こんなの、フィリー様じゃない。


 俺はこの時に悟ったのだ。かつてのフィリー様は死んでしまったのだと。今ここにいる彼女は、『友愛の姫』の体を借りた全くの別人なのだと。


 俺は泣いた。泣き叫んだ。『無力の導き』のことも忘れて、ひたすらに泣いた。


 やがて騒ぎを聞きつけたカストロが飛び込んできて魔術は中断され、この事件はホドス様の耳にも届いた。


 以来俺はフィリアーネ様と距離を置くようになった。それはホドス様も同じだったように思う。どう接したらいいか分からない様子だった。未だにそのぎこちなさは残っている。


 結局、この事件でフィリアーネ様が得たものは何もない。魔力を失っても俺は兵士としての修練をやめなかったからだ。


 亡くなった母さんはよく、王を支えられる戦士になれと俺に言っていた。俺自身も親父のような英雄になりたいと願っていた。フィリアーネ様や皆を守りたいという気持ち、それにサクスムという国そのものへの愛情もある。たかだか魔力を失った程度で諦められるわけがない。


 これがかつての事件の真相だ。フィリアーネ様があのような蛮行に至ったのは、決して彼女のせいではない。俺の母さんの死に深く傷ついた彼女が、記憶を削り取られた結果なのだ。


 彼女をフィリー様と呼ばなくなったのは、俺の子どもじみた意地だった。




     *




「今のフィリアーネ様を見ていると、時々胸が疼きます。彼女の言動の一つ一つがかつてのものとはまるで違っていて……全てが失われたことを実感してしまうのです」


 長い話を終える。途中から俺たちは廊下の階段に腰かけて話していた。


 カリダ様は一つ高い段に座り、無言で頭を撫でてくれる。油断すると涙が出そうだ。


「でもね、ニケくん。全部が失われたなんてことはないと思うなぁ。だってフィリーちゃんはとっても優しくて、人の気持ちが分かる子だから」


「それは……」


 違う。フィリー様のことを知らないからそんなことが言えるのだ。


 花国探偵を相手に反論するのは気が引ける。けれどどうしても頷けなかった。


「お言葉ですが、フィリアーネ様に人の気持ちは分かりません。どう思われているかも気にしないお方です。彼女のことは、自分が一番よく理解しているつもりです」


「……ごめん、わたしが口を出すことじゃなかったよね」


 カリダ様は優しすぎるから、他人の評価には向いていないのかもしれない。真実を見極める力と人を見る力は必ずしも同じものにはなり得ないらしい。


「ですが誤解なさらないでください。自分にとっては今の彼女も大切なお方です。彼女の欠落は、彼女の責任ではありませんから」


「うん。ニケくんの気持ちは伝わってるよ。きっと、フィリーちゃんにもね」


 カリダ様が立ち上がり、俺の顔を抱き留めた。ふわりとした優しい感触に包まれ、胸がじんと熱くなる。本当に泣いてしまいそうだ。いやいっそ泣くか。


「うわああああっ、カリダ様ぁぁぁ! 慰めてくださいカリダ様ぁぁぁ!」


「うんうん、よしよし。辛かったね。ニケくんは優しい子だから、きっといっぱい悩んだんだよね」


「そうですぅぅぅ! 自分は優しい子なんですぅぅぅ!」


 遠慮せず思いきり泣かせてもらい、ふうと息をつく。


「ありがとうございます。胸がすっと楽になりました」


「それはよかったぁ。辛い気持ちの時は泣くのが一番だよね~」


「……」


 カリダ様と笑いあっていると、ふと前方に人影があることに気が付く。


 フィリアーネ様が少し離れたところで棒立ちになっていた。


「どうされました?」


「混乱してる。真面目な話でもしてるのかと思ったら、ニケが急にふざけ出した」


 俺がいつふざけたとっ?


 しかしこの様子だと先ほどの話は聞かれていなかったようだ。彼女が自殺未遂に至った話に関しては知られたくなかった。


「それより、例の緑の玉。ただの落とし物だった。うちの兵士の」


 意外だ、正直に名乗り出たのか。本当に偶然の事故だったのか、あるいは落とし物と称してわざと仕掛けたものなのか……。


 考え込んでいると、お腹がぎゅるぎゅると鳴った。二人に視線を向けられ、少し恥ずかしくなる。


「なんでさっきの姿を見られて平気なのに、今赤くなるの」


 フィリアーネ様は何を言っているのだろう。よく分からない。


 思えば、夜警中に軽食を摂ったきりまともに食べていなかった。空腹感などなかったが体の方は誤魔化せないらしい。


「そっかぁ、バタバタしてたから三人とも朝ごはん食べてないんだよね~。このまま飲まず食わずで調査するわけにもいかないし、ちょっとご飯休憩しよっかぁ~」


 長話をした分の遅れを取り戻したい気持ちはあるが、長丁場となるなら食事は摂るべきであろう。食べられる時にしっかり食べるのは兵士の基本だ。


 三人で城の大食堂へ向かいながら、俺はこっそりとフィリアーネ様の横顔を見る。静かで冷たい、かつてのそれとはまるで違う眼差し。


 だが、美しかった。冬の空のように澄み切って揺らがない灰色の瞳は、つい見惚れてしまう独特の魅力があった。


 たとえこれが、かつて愛した人の面影に向けた気持ちなのだとしても――大切だと心から思うのならば、そんなのは些細なことだ。












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