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推理は魔術を凌駕する!  作者: 白沼俊
第一章『魔力を持たない英雄』
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1. 未来の英雄ニーケーダン

 夢を見ていた。


 空が真っ赤に燃え上がっている。見るに堪えない。空はいつだって白色であるべきだ。


 きっと親父も同じことを思っていた。


 焦げた臭いに満ちた平原では多くの兵士が立ち尽くし、呆然と空を眺めていた。


 そんな彼らの間を縫うように俺は走る。子どもの俺が戦場に現れたことに驚く者も多かったが、誰も止めはしなかった。


 俺は泣いていた。兵士の中にも涙を流す者がいた。


 悲しいからではない。涙するのも、立ち尽くすのも、全てはあの影が見えたからだ。


 地平線の向こうから、天をも貫く岩の巨人が歩いてくる。


 親父だった。


 まさかと思った。奇跡だった。勝てるわけがないと誰もが言っていた。影が見えてきてもなお、自身の目を疑う者も少なくなかったほどだ。


「帰ってきた」


 誰ともなく呟く。


「勝った。勝ったんだ。サクスムの大英雄が、ウェントスに勝ったんだ!」


 瞬間、爆発的な歓声が沸き起こる。喜びと祝福が大地を震わせた。


 岩の国サクスムの大英雄フルリオダン。その堂々たる姿に俺はひたすらに目を輝かせる。


「俺も……俺もいつか、親父みたいな大英雄に……!」


 興奮を抑えきれず、思わずそう口にした時だった。


「にゃーにが大英雄だ、身のほど知らずが」


 顔面に冷たいものが叩きつけられ、八年前の景色が消し飛ぶ。


 ――どうやら水をぶっかけられたらしい。目を開けると、俺は汗臭い土の上に寝転がっていた。


「まさかまだそんな夢見てたなんてにゃあ。残念ながらお前は万年夜警止まりだ。いい加減諦めろ」


 猫のような目をした青年が呆れたように見下ろしてくる。てっぺんが二つに分かれ猫耳のようになったふざけた帽子をかぶっている。彼の名はイェネオスファム、腐れ縁の同僚だ。


 俺は兵士の訓練場にいた。起き上がろうとすると体のあちこちが痛む。芯から響くような痛み、皮膚の鋭い痛み、頭の鈍い痛み、その他いろいろ。寝る前のことをだんだん思い出してきた。


 イェネオがやれやれとため息をつく。


「見習いとの訓練で気絶させられるような体たらくで、よくもまあバカみたいな夢を語れたもんだにゃあ。にゃはははっ」


 コイツはいつもこうして嫌味を言ってくる。だがそんな幼稚な煽りは通じない。鼻で笑ってやった。


「はっ、それがどうした。俺の心はたった一度の敗北程度で折れはしない」


「にゃははっ、にゃーにが一度だ。千度の敗北の間違いだろ?」


「ふん、相も変わらず幼稚な男め。人を罵倒するしか能がないと見える」


 俺は腕を組み、得意げに笑ってみせる。


「あいにくだが、もっと酷い罵倒を五万と聞かされてきたものでな。今さらこの程度の言葉で傷ついたりはしないさ」


「涙出てるぞ」


「…………」


 俺は傍らに落ちていた剣を手に、構えた。


「よかろう、ならば決闘だ!」


「本っ当に懲りないやつだにゃあ、お前。まあいい。ハンデとしてお前の得意な近接武器で相手してやろう。んー、そうだにゃあ、コイツにしとくか」


 イェネオは訓練場の隅に山積みにされた石の箱から岩の棍棒を手に取る。背丈の倍はある巨大なものだ。それを軽々と振り回し、細い部分を肩に乗せる。


 別に彼が力持ちなのではない。魔術を使っているのだ。棍棒からはコツコツと軽い音が鳴っている。


空洞カビタスの証明』――指先で触れて偽りの音を鳴らすことで、世界を騙し、物の重さを変化させる。大した技ではない。


「ふん、相手の力量も見極められずに手を抜くか。兵士としてあるまじき愚行だな!」


 剣を構える。


「にゃははっ、お前の弱さなんて重々承知してるっての! さあ行くぜ、坊っちゃん!」


 イェネオが飛び出す。


 俺は集中し、その動きを見極めた。重さを変えながら殴りつける戦法ならば、必ずどこかで振り下ろしが来る。超重量で押しつぶすことこそ『空洞カビタスの証明』の真骨頂であるからだ。


 確かに決まれば強力だが、そんな子供だまし、まともな兵士には通用しない。自分が魔術を使えない分、知識だけはつけてきた。どんな動きをしてくるのか読めれば簡単に――。


「おっと、後ろには下がらない方がいいぜ」


「なに? ……ぐおっ」


 なんだ、何かに足を取られて。


 見ると、地面にくっついた泡に足を包まれていた。『漁師の泡網あわあみ』――中に入ると出られなくなる強固な泡を生み出す魔術だ。


 だが、これは事前に仕掛けておかなければ使えない。俺が剣を取ってから今までそんな時間はなかったはず。少なくとも、イェネオが地面に触れる瞬間など見ていない。


「まさか、お前!」


「にゃははっ、そうだよ、お前が寝てるうちにゆーっくりと準備させてもらったんだ! どうせお前が戦いを挑んでくるだろうと思ってにゃあ!」


「この卑怯者があああっ」


「にゃあ? お前、戦場で同じことが言えるのか?」


「ぐっ、それは」


 イェネオがため息をついた。


「いいか? 何も俺様は意地悪がしたいわけじゃない。いい加減に現実を見ろって言ってんだ。この世界は生まれ持った魔力が全て。その強さで全てが決まる。少なくとも、戦士としての人生はな」


「違う! そんなことはない!」


「ああ、そうだな。そりゃお前は認めたくないだろう。だからにゃあ、俺様がハッキリ言ってやるんだよ! 魔力を持たない人間がどれだけ努力したところで、魔術を使える人間には絶対に敵わねえ!」


 そこで俺ははっとする。イェネオの棍棒は高く掲げられている。


 指の触れた棍棒から、鈍い音が響き始めた。中が詰まったような重たい音だ。


 今、振り下ろされたら――。


「やっ、ちょっ、待て。それは洒落になっていな……」


「お前が芸術で魔術を超えるつもりなら止めはしねえ。坊ちゃんの身分を活かして学者になるのもいいだろうな。けどにゃあ、英雄は無理だろ。お前が一番目指しちゃいけない、一番お前を不幸にする夢だ」


 ピキリ、と俺のこめかみに血管が浮き出る。頭に血が上る感覚がハッキリとあった。


「本当に舌の回る男だ……未来の大英雄を前に、よくもそこまで吠えられたものだな」


「にゃはははっ、いいぜその調子だ。そうやって驕り高ぶってるお前を叩き潰さなきゃ意味がないからにゃあ!」


「来るがいい! 先ほどの言葉、訂正させてやる!」


「バカが! いい加減に身の程を知りやがれ!」


 重たい岩の塊を剣で受け止める。剣は折れなかったが、一瞬で押し負けて頭に岩を叩きつけられる。


 視界が明滅し、意識が消し飛んだ。




「うっ……ひっぐ……うわあああああんっ、イェネオのアホおおおおおお!」


 俺は目覚めた後すぐに訓練場を飛び出し、泣きじゃくりながら街の往来に出ていた。


 あの重たい岩を頭に受けて生きているのは、間違いなくイェネオが手加減してくれたからだろう。そうでなければ今ごろ肉の塊になっているところだ。


 俺は負けた。しかも散々手を抜かれた上で敗北した。泡網の罠はあったが、そもそももっと強力な魔術はいくらでもある。それを使われなかった時点で十分すぎるほどのハンデだ。


「う、ううっ……俺は、俺は……!」


 膝から崩れ落ち、声をあげて泣いた。真っ白な空を見上げて、往来の真ん中で子どものようにわんわんと泣きじゃくった。


 そしてすぐに息をつき、立ち上がる。


「まあ分かっていたことだな。正攻法で勝てるなどとは最初から思っていない」


「うにゃあっ、立ち直り早すぎるだろ!」


「ん?」


 振り返ると、近くの建物の陰でイェネオが引っくり返っていた。


「なんだお前、いたのか。わざわざ人が泣く姿を眺めに来るとはなんと趣味の悪い……」


「うるせえにゃ! せっかく! せっかく俺様が心を鬼にして説教してやったのに!」


「フハハハハ! フハハハハハ! あの程度で俺の心を折ろうなどとは片腹痛いわ! まったく健気な男だな! フハハハハ!」


「フシャーッ!」


 猫のように威嚇してくるイェネオを捨て置き、その場を後にする。


 そう。分かっていたことだ。正攻法で――剣の力だけで英雄になれるなどとは最初から思っていない。


 視線を街の人々に向ける。石造りの灰色の建物が立ち並ぶ大通りは今日もにぎわっていた。


 空中に鉄の杭を打ち付ける大工、その上を泳いでいく小舟、小さな雲を友達のように連れ歩く子ども、紙に描かれた宝石を取り出し子どもにプレゼントする青年。


 天地が引っくり返っても俺には到底できないような芸当を、人々はさも当然のようにやってのける。


 花屋の女の子がはちにとろりとした蜜を垂らせば、何もなかった土から草が飛び出す。


 他の子どもが踏んでいったはずの水たまりにひょいと飛び込んで首まで浸かる男の子もいれば、その泥水に触れて波紋を起こすだけで透明に浄化してしまう女性もいる。


 それら全ての奇跡は魔術によって引き起こされたものだった。


 魔術、魔術、魔術。この世界では日々の生活にもいざという時の戦いにも魔術が必要不可欠だ。イェネオの言う通り、そんな世界で魔術なしに英雄を目指すなど無謀なのだろう。


 だが、それを知った上で目指している。幼き頃からの憧れ――大英雄である親父の、フルリオダンの言葉を信じて。


 ――ニケ、お前に一つ忠告しておく。


 十年以上も前、俺はあらゆる魔術を極めようと勉強と修行に励んでいた。まだ魔力があった頃の話だ。


 親父が『岩の巨神』を動かすことで英雄になったように、魔術の力で憧れに近づこうとしていた。そんな姿を見て、親父は言った。


 ――良いかね、ニケ。魔術に頼りすぎてはならない。魔術とは強力なものだが、決して全能ではない。人が強くなれたのは、魔術を使いこなせるだけの知能があったからだ。人の知恵が、人を生物の頂点に押し上げたのだよ。


 そして親父は、今の俺の目標を支える決定的な言葉を口にした。


 ――忘れぬことだ。時として人の知恵は魔術をも凌駕する。


 これはあくまで、魔術にばかり囚われる俺を諭すための言葉だった。しかし今となっては全く別の意味を持つ。


 時として人の知恵は魔術をも凌駕する。他でもない、大英雄である親父がそう言ってくれた。だから諦めない。魔術がなくたって夢を諦める理由にはならないのだ。


 俺の名はニーケーダン。『勝利の戦士』を意味する名を持つ、未来の大英雄ニーケーダンだ。






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