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推理は魔術を凌駕する!  作者: 白沼俊
第二章『花国探偵の調査』
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8. ソポスファーナ先生の授業

 従者もとい研究者のファルマコから話を聞き終えた後、俺たち調査チームは彼女と共に広間へ向かっていた。エン医師含む客人たちのいる部屋だ。


 その道中、薄暗い廊下を進む間もずっとカリダ様とファルマコは会話を続けていた。


「そういえばエンくんが例の研究の論文を持ってきてたけど、こっちで成果を発表することになってたの?」


「あ、はい。そうですよ。本来なら六日後にサクスムで発表することになってて、それで色々持ってきてたんですけど……そんな場合じゃなくなっちゃました」


「ふんふん、そっかそっかぁ~」


 カリダ様がにこにこと頷いている。これは世間話なのか、調査の一環なのか。


「ねえねえニケくん」


 今度はこちらに質問が飛んできた。


「ニケくんたちもエンくんのことはよく知ってたみたいだよね?」


「はい。名のある方だからという以上に、彼はサクスムと関係が深いのです。前にもサクスムに滞在していたフランマの貴族が亡くなった時、死因の調査をしてくださいました。異国の民が不審死した際には第三者の国に死因の調査を頼むのが常識ですからね。ただ……」


 きっと俺は、苦虫を嚙み潰したような顔をしていたことだろう。


「その時にも彼は今回と同じようなことをしたのです。つまり、死因の説明をするのと同時に研究成果をひけらかしたのですよ」


 エン医師はエルピネス様の死因を調べた時、毒は検出できなかったと明言した。だがその後わざとらしく声を上げ、『泥水の悪魔』の痕跡を見つけられるようになったことを自慢するように言い出した。前回もそれと似たようなやり方で人の死を侮辱したのだった。


 しかしそれでも功績は認めなくてはならない、そう思っていたから今回も最終的には許したが、その研究がファルマコのものだと分かった今では怒りしか残っていない。


 俺の話を聞いている間ファルマコは気まずそうにあらぬ方を向いていた。


「そういうわけで印象は最悪ですが、それ以来、サクスムに彼がいる時に何かあれば呼びつけるようになりました」


「そうなんだぁ。じゃあ、今回エンくんに死因を調べてもらったのはごく自然なことだったんだね~」


 話をしているうちに広間の扉が見えてきた。中に入ると先ほどと変わらない顔ぶれがあった。客人たちが多くいるが、用があるのはソポスファーナ先生とカストロニアだ。


 カストロは召使たちに指示を出しているところだったので、まずはソポス先生に声をかける。


「先生、少しよろしいですか」


 彼女はこちらに背を向けて椅子に腰かけていた。寝ぐせだらけのボサボサの髪はよく目立つので後ろ姿でもすぐに分かった。途中のようだが、動きがない。


 回り込んでテーブルの向こうから顔を覗くと、案の定眠りこけていた。額から鼻までを人骨を模した仮面で覆ったまま、口元からだらだらと大量のよだれを垂らしている。


「先生、起きてください。ソポス先生」


「んあー」


 肩をゆすると反応があったが、目覚めてはくれなかった。よれよれの着物が着崩れて、はだけた胸元によだれが落ちていく。艶めかしいというよりだらしがない。思わずため息が漏れた。


 俺は懐から布を出し、先生の口元を拭く。仮面がずれていたのでついでに直した。さすがに胸元は拭けないので、代わりに口の中に布をつめこんでこれ以上よだれが垂れないようにして差し上げた。


「もがっ、んご!」


「いえいえ、感謝などせずとも良いですよ」


 そんな俺たちの様子を見て、カリダ様がにこにこと嬉しそうに言った。


「ニケくんとソポスちゃんって仲いいんだね~」


「はい、それはもう。何しろソポス先生は自分に数多くの魔術を教えてくださった師匠ですから。自分が他の兵士より魔術の仕様に詳しいのは先生のおかげなのですよ。例えば『開かれた隣室』のことも先生から教わったのです」


「もがっ、んご、もがっ! ……ぶはっ」


 ようやく目が覚めたらしく、ソポス先生が暴れ出して布を吐き出した。


「口に布詰め込むとか師匠に対してやることじゃないッスよね! まあそれは良いとして」


 良いのか。


「ウチに話を聞きに来たってことは、『犯人候補』に対する尋問が始まるンスよね?」


 余裕たっぷりの笑みを浮かべて先生は言った。挑発的な言い方ではあるが間違いではない。先生を疑っているわけではないが、重要な聞き込み対象であることは確かだ。


「まあウチは犯人じゃないから何聞かれても困らないッスけどね。ほれほれ、先生に根掘り葉掘り聞いちゃってよ~」


「それじゃあその仮面について聞いてもいい~?」


「はい~? 仮面~?」


 先生は人骨の仮面に触れ、あからさまにつまらなさそうな声を出した。


「うん! 変わった仮面だから、何か意味があるのかなあって思ったの」


「いやいや、意味とかじゃなくお洒落ッスよお洒落! は~っ、この良さが分かんないかぁ~! これだからお子様は!」


「ごめんね~、あんまりお洒落とかは分からなくて」


 カリダ様は悪くないと思う。


「そういえば先生、その仮面はピルゴスニルからもらったものでしたよね? 普段話しているところは見ませんが、実は仲がよかったりするのですか?」


「ぴるぴる……? 誰ッスかそれ?」


「ピルゴスニルですよ! ホドス様の恩人として城に住むことを許されている仮面の大男です。見かけたことくらいはあるでしょう」


「あ~、このナイスは仮面をくれた人、そんな名前なンスね。ウチはただ、あの人が仮面を捨てようとしてたんでもらっただけッス。あの人がこの城に住むようになった時のことッスから……ああ、八年前の戦争が終わった直後ッスね」


 言われてすぐ思い出せるくらいにはよく覚えている。ピルゴスニルが城に来たのはウェントスとの戦争が終わった本当にすぐ後のことだった。彼は顔全体に酷い火傷を負っていて、その時から既に今と同じ仮面をつけていた。


「というかぴるぴるのことなんかどうでも良いッスよ! もっとこう、事件に関係あるような質問はないンスかぁ? さっさと重要なことだけ聞いて終わりにして欲しいンスけど」


 テーブルをバンバン叩いて急かしてくる。協力してくれるだけアガペーネ様よりはマシだが、中々に態度が悪い。


 そんな彼女にもカリダ様はやはり笑顔を向けた。


「聞き込みもいいんだけど、ソポスちゃんは魔術研究者だったよね? せっかくなら魔術の仕様についての詳しいお話が聞きたいなあ~」


「え!」


 先生は目を輝かせてテーブルに身を乗り出した。石の杯が倒れて茶がこぼれたが全く気付いていない。


「なになに! 何が聞きたいンスかっ?」


「それこそ、今回の事件で使われた『泥水の悪魔』とかかなぁ~?」


「『泥水の悪魔』! いいッスねいいッスね得意分野ッスよ! だって今研究してるとこッスからね!」


 広間にいる人々の視線が集まる。それはそうだ。国王暗殺に使われた毒薬をちょうど研究していたなんて、誰が聞いても怪しんでしまうような話だった。


 魔術の話になると先生はすぐ興奮して周りが見えなくなる。周りの目などお構いなしにそのまま話を続けた。


「研究内容は毒への耐性のことッス! 毒は何度も飲んでると耐性がつくものッスけど、『泥水の悪魔』に対しても耐性はつけられるかっていう実験をしてたンスよ!」


「それで、結果はどうだったのぉ?」


 瞬間、過呼吸になったようにソポス先生の喉が甲高い音を上げた。


「聞きたいっ? 聞きたいッスよね! 聴きたいって言わなきゃ教えな~い!」


「うんうん! 聞きたーい!」


「いいでしょう! 教えたげます! いやー、これが本当に興味深いンスよ! やっぱ普通の毒とは違うンスね! 死なないギリギリの量を十回も飲んだのに一切耐性が付かなかったンス!」


「そうなんだぁ! 体は毒に適応できても、魂の方に耐性を付けるのは難しいってことなのかなぁ?」


「それそれそれそれ! それなンスよ! この毒に耐性を付けられないってことは、魂に干渉するあらゆる魔術でも同じことが言えるかもしれないンス! ああ、そこに一瞬で気づくとかカリダちゃん最高っ! はぁ、はぁ……ウチ、カリダちゃんともっと魔術のお話したいかも。でへへへ」


 手をわきわきさせながら鼻息を荒くする姿は変態そのものだが、カリダ様は相変わらずのほわほわとした笑みで応えた。


「本当ぉ? 嬉しいなぁ~、もっと色々聞きたかったから~」


「マジッスか! うへ、げへへ、なんでもいいッスよ! どんどん聞いてくださいッス!」


「じゃあ、『泥水の悪魔』についてもうちょっと聞いてもいーい? 魔術全書にも書かれてはいるんだけど、細かい部分があいまいだったんだよねぇ」


 そうだっただろうか。あまり気にしていなかった。


「まず気になるのは無毒化に必要な魔力の量だね~。魔術全書には『泥水の悪魔』にごく微量の魔力が触れると無毒化するって書かれてるんだけど、具体的にはどれくらい必要なのぉ?」


「なるほどなるほど、その辺のことッスか」


 ソポス先生が腕を組んで頷く。召使が静かに寄ってきて、濡れたテーブルを拭いてくれた。


「具体的に言うと……そうッスね、『蛍花けいか』を光らせるより少ないくらいッスか」


 蛍花とは、生き物の魔力を吸って光り輝く食魔植物のことだ。ウェントス兵を捕らえた際に無力化させるためにも使われていた。


 俺は補足した。


「自分は魔術を使えるほどの魔力を持っていないのですが、それでも『蛍花』を光らせることはできます。城の人間で魔術を使えない者はいませんから、城内の者なら皆、『泥水の悪魔』を無毒化できることになりますね」


「ちなみに、魔力を与える時間もほんの一瞬ッス。放たれた魔力はあらゆるものを伝っていきますから、毒を飲んだ人が甲冑に身を包んでいたとしても、その上からでもあっという間に無毒化させられるンスよ」


「ふんふん……」


 考え込むように頷き、カリダ様は質問を続ける。


「あと聴きたいのは致死量かな~。グラス二杯程度って書かれてるけど、グラスの大きさが明記されてなくて、ちょっと曖昧なんだよね~。あ、人によって違うとか?」


「ちっちっちぃ~」


 ソポス先生は人差し指をゆらゆらと振った。


「これは魔術ッスよ~? 普通の毒とは何もかもが違うンス! 誰に飲ませてもほとんど同じ量で死に至ります。実際の量は、うーん、そうッスねぇ。分かりやすく言うなら……ひょほ?」


 先生は言葉の途中で奇妙な声を上げた。テーブルの下にしゃがみ込む。少しして立ち上がると、ハリネズミを抱えていた。例のエルピネス様のペットだ。


「キュー、キュー」


「なんだネズミちゃんッスか。イタズラすると危ない研究の実験台にしちゃうッスよ~?」


「キュッ」


 ハリトメノが毛を逆立てた。今の言葉に怯えたのだろうか。このハリネズミは時々人の言葉を理解しているのかのような反応をする。


「先生が言うと冗談に聞こえないのですが」


「酷い! 先生をなんだと思ってンスか!」


「ご自分で拷問用の毒薬を十度も飲んで実験する、頭のイカレた研究狂い……でしょうか」


「間違ってないッスね」


 自覚はあったらしい。先生は特に否定せず召使が新たに出してくれたお茶を啜った。


「ああ、そうそう。このネズミちゃんくらいの器に『泥水の悪魔』を入れたら、ちょうど致死量くらいッス」


「この子くらい……」


 カリダ様がハリトメノを両手で優しく包み込む。華奢な手にちょうどすっぽりと収まるくらいだった。これは――大きすぎる。


「ただ二杯と言葉で聞くと気づきませんでしたが、この量を寝ている人に飲ませるのは難しいのでは?」


 俺の疑問にソポス先生が肩をすくめた。


「何言ってンスか、ニケも昨日見たでしょうに。『泥水の悪魔』は人の口まで近づけられると自分から動くンス。多少口から漏れても、飲んでる人がむせても、勝手に飲み込まれていくようになってるンスよ。はぁ、はぁ……本当、まさしく悪魔ッスよねぇ! 魔術の力ってすげえええ!」


 何故この人はこんな恐ろしいものの話をしている時に興奮しているのだろうか。


「ま、それでも所詮は『拷問用』ッスね。飲んだ人が魔力を放っただけで無毒化できちゃう上に、肉体から魂を引きはがすまでに結構な時間が必要なンス。やっぱり普通は暗殺に使われるなんてあり得ないッスよ」


 先生は語り終えると満足そうにお茶を啜り、ほっと息をつく。次の瞬間、また身を乗り出した。


「さあ、次はっ? 次は何の魔術について聞きたいッスかっ?」


「次は私が聞く」


 フィリアーネ様がぼそりと言った。相変わらず黙る時はずっと黙っているから、気配が完全に消えていた。カリダ様の質問が終わるのを、息をひそめるように待っていたらしい。


「ソポスは魔術の研究者。なら、密かに魔術を作ったりできるかも。誰も知らない、ソポスだけが知ってる、暗殺に便利な魔術を。……否定、できる?」


 俺は息を飲んだ。犯人候補に対する直球の質問だ。周囲の人々も聞き耳を立てているのだろう。明らかに空気が変わった。


 仮に先生がどのような魔術でも自由自在に生み出せるのだとすれば、これから俺たちがどれだけ調査を進めても、先生が犯人でないと証明するのは一気に難しくなる。フィリアーネ様は、だから敢えてこの質問をしたのだ。


 先生はつまらなさそうにあくびをして、そっぽを向いた。


「残念なことに否定できちゃうンスよねー。今の時代に新たな魔術を発明するなんて不可能ッス。魔術全書の登場から百年以上経った今、どれだけの魔術が生まれたと思います? ゼロッスよ、ゼロ。たったの一つも生まれてないンス」


「そんなの分からない。発表されてないだけかも」


「分かっちゃうんだなぁ、これが。今の文明レベルじゃどうやっても無理ってことがね」


 先生は気だるげに頬杖を突き、もう一度大きくあくびする。


「昔はね、夢だったンスよ。この世にまだ生まれていない新しい魔術を生み出そうって、そんなことばっか考えてたンス。でも今となっては魔術の研究なんて、生きるための娯楽に過ぎません」


 俺は戸惑っていた。魔術の話をするとき、先生はいつだって生き生きとしていた。彼女がこんな風にやる気をなくすのは、魔術と関係ない、彼女にとって興味のない話をする時だけだったはずだ。


 先生は残りの茶を一息に飲み干し、椅子の背もたれに寄りかかる。


「魔術ははるか昔――今よりもずっと高度な文明があった頃に発見され尽くしたものなンスよ」


 そうして語り始めたのは、これまでの授業では一度も聞いたことのない、古代の文明に関する話だった。


「これは最近になって判明した事実ッス。大魔術師アニマが遺した記録、そして大陸の外にある数々の遺跡から読み解けることッスね」


「アニマ……」


 カリダ様が呟いた。先生が頷く。


「百二十年前、『魔術全書』を人々に広めたとされる大魔術師アニマ――でもこれは大きな間違いッス。いや、アニマが広めたことは確かッスけど……大魔術師、というのが誤りです。何せ彼は魔術師じゃなくて考古学者だから。アニマが遺した記録というのは、はるか昔の文明が遺した痕跡についてばかりだったンスよ」


 さらに、と先生は付け加える。


「最近になって沸騰する海の外を本格的に調べるようになった学者たちは、世界各地の遺跡から、アニマが広めたものと全く同じ『魔術全書』を発掘したンス。正確には使われてる紙とかは違ったみたいッスけど、中に書かれた魔術は全て同じものだったそうッス。つまりアニマは遺跡の調査中に『魔術全書』を見つけて、それを人々に見せたわけッスね。その行いから魔術研究者と誤解されて、大魔術師と呼ばれるようになったと」


 百年前を生きた人物の話であるから、アニマの正体に対して特に驚きはない。が、魔術全書を作ったのがはるか太古の者たちだということには目を見張らざるを得なかった。


 魔術による戦まで起こるほど魔術の研究が進んでいたはずのあの時代。しかしその実、それよりもずっと昔に魔術は発見され尽くし、その大部分が忘れ去られていた。それが事実であるなら、古代の文明が当時より魔術的に大きく発展していたことは想像に難くない。


「加えて、遺跡を保存するために使われていた技術は今の時代にすらないもので、魔術を抜きにしても明らかに古代のほうが高い技術力を持っているンス。ウチだけじゃない、数々の学者が口をそろえて言ってることッスけど――ウチらがかつての文明に追いつくためには、少なくとも千年は必要と目されているンスよねえ」


「バカな!」


 皆が行儀よく黙って授業を聞いている中であったが、俺はどうしても口を挟まずにはいられなかった。


 そう、バカげた話だ。彼女の言うことが全て本当であるなら辻褄は合っている。けれど最も重要な部分が信ぴょう性に欠けていた。


「今よりはるかに栄えた文明があったのなら、何故今、彼らの姿は影も形もなくなっているというのです!」


「いやいや、世界中に遺跡は残ってるンスけど……それはさておき。ニケは大陸の外の海が沸騰し続けている理由を知ってるッスか?」


「それは……いえ」


 興味はあったが、少し書物を漁っただけでは情報は得られなかった。魔術の学習より重要でもなかったので先生に尋ねたこともない。


「ずばり! 海底に大量の炎が沈んでいるからッス!」


 またとんでもないことを言い出した。けれど冗談ではないようだ。


「無数の――それこそ世界中を埋め尽くせるほどたくさんの『繋がれたフランマ』が、実際に海の中から発見されているンスよ。あまりに衝撃的なことだから隠されてますけどね」


 意味が分からなかった。極めて特殊な比喩なのか、それとも本当に言葉の通りに魔術の炎が海に眠っているのか。どちらにしても分からない。


 相槌も打てずにいると、ソポス先生は続きを語った。


「海に放ったンスよ。古代文明の人間たちが、無数の炎を作り出して海にばらまいたンス」


「ま、待ってください。事実としては分かります。ですが、どういうことなのですか? 何故海に炎を投げ入れる必要が……?」


「さあ。戦争でもしてたんじゃないッスか? 今のウチらには想像することしかできないッスね」


 戦争――それは八年前にも起こり、百年以上前には数えきれないほど繰り返されてきたことだった。だからしっくり来てします。そんな理由に納得したくないのに、戦争だったらあり得るかもしれない、などと受け入れてしまう。


「海の状態から見るに、古代の文明は彼ら自身の魔術によって滅んだと見て間違いないッス。愚かだけど、同時に今の人類には到底できない神の如き行いでもあります。古代文明は技術力のみならず、武力でも今の時代をはるかに上回っていたンス」


「そんな、ことが……」


 神のごとき力を得た人々がそれゆえに滅ぶ――五国同盟を通して互いの国を滅ぼし合おうとした俺たちにとって、他人事として馬鹿にできる話ではなかった。


「全て本当のことでありますぞ」


 そう言ったのは、人々の中でずっと聞き耳を立てていたエンパイーニ医師だった。偽従者のファルマコを引き連れ、禿げた頭を撫でつけながら彼は続ける。


「古代文明があったことは我々学者の間では有名な話でありまして、一時期は五か国の名のある研究者たちがこぞって調べていたくらいなのです。おお、幸運なるソポス様! あなた様が未知の魔術を隠していないことは、数多くの学者が証明してくれることでしょう!」


「はぁ。ウチとしては複雑な気分ッスけどね」


 エン医師は偽学者だが、本物の学者と話す機会は多いはず。その彼が言うのなら間違いはなさそうだ。隣でファルマコもこくこくと頷いている。


「実を言うとね~」


 じっと話を聞いていたカリダ様が口を開いた。


「古代文明のことも、新たな魔術が生み出せないってことも別の人から聞いてたんだ~。だからわたしも今のお話は間違いないと思うよ~」


「そうだったのですね」


「ん。分かった。ここまで皆が言うなら、信じる」


『魔術全書』さえ熟読しておけばこの世に知らない魔術はなくなる。この事実は、推理で犯人を追い詰める俺たちにとってとても大きなものだ。


 俺やカリダ様に未知の魔術は存在しない。ソポス先生の夢が潰されたことは弟子として寂しいが、英雄を目指す俺にとっては朗報に違いなかった。


「ソポスは、全部の魔術を知ってるの」


 フィリアーネ様が尋ねる。先生は失笑した。


「ウチ、こう見えて超有名な魔術研究者ッスよ~? そりゃあ全部熟知してるッスよ」


「なら、聞きたい。自分の姿を消す魔術。それか、姿を変える魔術。そういうの、ある? あるなら、犯人が使ったかも」


 その質問で、今が事件の調査中であることを思い出す。先生の話に驚きすぎて本題を見失っていた。


「いやー、ナイナイ。そんな便利なものがあったら、流行りまくってみんな今ごろ人間不信になってるッスよ」


「物の形を捻じ曲げる魔術ならあるんだけどね~。生き物の体はそれに耐えられないから壊れちゃうよ~」


「おっと、これは単に骨折がヤベエエエとかそういう次元の話じゃないッスよ! ウチらの肉体って言うのは魂の一部でもあって、魂と深いところで結びついているンス。例えば顔の表面だけを書き換えたとしても、強引な変身によって魂は傷つきねじ曲がり、人格の変化、あるいは消失の恐れがあります」


「と~ってもすごい古代文明でも姿を書き換える魔術を見つけ出せなかったのは、どんなに魔術を磨いても、きっとわたしたち人間の体の方が耐えられなかったからなんだよね~」


「それと同じで姿そのものをかき消すような魔術もないッスね。肉体自体を見えなくするやり方だとどうしても魂に干渉しちゃうんで。できるとしたら、『残影のランタン』で偽物の壁を作って、その後ろに隠れるとかじゃないッスか~?」


 ソポス先生とカリダ様は打ち合わせでもしていたかのように絶妙なコンビネーションで解説してくれる。


「なら、遺体の姿は? ありえないと思うけど、エルの遺体が、本当はエルに見せかけられたものってことも、ある……かも」


「いやぁ、どうッスかねぇ? 芸術家並みの技術があればまあ、顔の形を変えることもできなくはないッスけど……ああ、でもやっぱり駄目ッスね。医者が調べればすぐバレます」見かけはいくらでも騙せますけど、魔術の痕跡はどうしても残るンスよ。これは技術云々でどうにかできる問題じゃないんで、確実に言えることッス」


 なるほど、勉強になる。遺体の偽装工作も現代では机上の空論となるらしい。


 魔術の知識が広まっている今の世界では、魔術を用いて悪さをしようとしても容易に対策されるようになっている。アニマが『魔術全書』をばらまいたのにはこうした狙いもあったのかもしれない。


「ん。もう聞きたいこと、聞いた」


 満足したらしいフィリアーネ様に、ソポス先生が息をつく。彼女も彼女なりに緊張していたのだろうか。


 俺は気分転換のつもりで事件とは関係ない話題を振ってみた。


「ところで先生、古代文明の話など今までの授業で一度も聞いたことがありませんでしたが、何か理由があるのですか?」


 ソポス先生は軽く笑い、手を振った。


「大したことじゃないッスよ。とっておきの情報だから、ニケの今年の誕生日祝いに取っておいたンス」


 おや? 俺は首をかしげる。


「先生。自分の誕生日は九日前ですが」


「……まあそんなことは置いといて」


「先生?」


「それは置いといて! カリダちゃん! ウチ自身のことについてはいいンスかっ?」


「うん、今は大丈夫! この後の調べで必要になったら聞くよ~」


 はぐらかされたがまあいい。それよりもカリダ様のほうが気になった。犯人候補に対する質問をするなら今が一番の機会だと思うのだが。


 隣で様子を見ていると、カリダ様は手当たり次第に情報を集めているというよりある程度狙いを絞って調べているように見えた。そんなことができるのは、犯人を捕まえるための道筋が既に見えているからとしか思えない。


「ソポスちゃん、色々教えてくれて本っ当にありがとね~! じゃあニケくん、フィリーちゃん、次の聞き込みに移るよ~」


 カリダ様がどこまで真実に近づいているのか俺には知る由もない。だがいずれは分かることだ。犯人を暴き出すその時、彼女が何を見て何を考えその結論に至ったのか、その全てが語られるはずだった。







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