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推理は魔術を凌駕する!  作者: 白沼俊
第二章『花国探偵の調査』
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5. 灼熱の姫君アガペーネ

 玉座の間を離れ、改めてファルマコセキニのいる広間へと向かう。思わぬ展開で少し遅れてしまったが、アスピダ様ならお許し下さるだろう。多分。


 カストロは途中までいっしょであったが、他の用件で別れた。今は俺とカリダ様とフィリアーネ様の三人に戻っている。


「ん?」


 首をかしげる。すたすたと早足で廊下を進みながら、どこかから声が聞こえるような気がしていた。それは二人も同じだったようで、目を合わせてくる。


 無論ただの話声ならばこのような反応にはならない。なんとなく怒気をはらんでいるような、不穏な予感がしていた。


 また何か問題か? 早くファルマコを連れていきたいというのに。と、げんなりしていると、最悪なことに予感は見事に当たってしまった。


「この愚図っ、ノロマっ! どれだけ恥を晒せば気が済むの? こんな簡単なこともできないなんて!」


 今度ははっきりと怒声が聞こえた。前方からだ。突き当たりを曲がったすぐ傍だろうか。アガペーネ様の声だ。


 何が起きたかはすぐに分かった。思わずため息が漏れる。


「こんな時にまで……って、カリダ様!」


 俺が頭を抱えた一瞬の間に動き出していた。


とてとてと一生懸命に駆けている。


「お、お待ちをっ! 他の者に行かせますからこちらで待っていてください!」


 俺の言葉が聞こえているのかいないのか、カリダ様は廊下を曲がってしまった。大慌てで追いつくと、やはりアガペーネ様が従者の少年を蹴りつける姿が見えた。


 黒い廊下の床にうずくまった少年は体中に痣や擦り傷があり、栗色の髪も灰色の服もボロボロだ。しかしもっとも目を引くのは顔だ。右耳がなかった。


 アガペーネ様がこちらに気づき、少年を蹴りつけるのをやめる。


「何見てんのよ」


「か、カリダ様。今はお下がりくださ……あっ」


 遅かった。彼女はとことこと歩き出し、アガペーネ様の前に立つ。灼熱のごとき眼差しで睨みつけられるが、微塵も怯んだ様子はない。それどころか――。


「めっ!」


 おでこを叩いた。


「王女様でも暴力はダメだよ」


 終わった。こうなってはもう、聞き込みどころではない。


 俺は突然の事態に動けなくなる。思考が固まって声すら出せなかった。表情の乏しいフィリアーネ様でさえ今は目を見張っている。


 逃げるなら今しかない。アガペーネ様はまだ、何をされたか分からないというようにぽかんとしていた。自身のおでこを触り、カリダ様を見て、状況を整理している。


 だが、動けない。ほんのちょっと音で、きっかけで、始まってしまう。そう予感したからだ。


 何もしなくても結果は同じ。ようやくそれに気づけるくらいの理性を取り戻した時、「もう間に合わない」と確信した。


 アガペーネ様が片手を振り上げる。


「死ね」


 その手がカリダ様に向かって振り下ろされた。掌が肩に触れる寸前、フィリアーネ様が滑るように走り抜け、カリダ様を脇に抱えて遠ざかった。


「邪魔すんじゃないわよォ!」


 獣の方向のような凄まじい怒号が響き渡る。彼女の手は床にまで降りていて、触れられた部分がどろどろに溶かされていた。『波打つ矛盾』――触れたものを波打たせて溶かす魔術だ。当然、肩に当たれば壮絶な痛みを伴って腕を一本失うことになる。


「アーネ、ジョークが下手」


「アンタに言われたくないのよ、このバカ! コイツがアタシに何をしたのか見てなかったのっ? 魔力もない虫けらの分際で、このアタシを侮辱したのよっ!」


 頭を掻きむしって地団太を踏む。足元には従者の少年がいるというのに一切お構いなしだ。


 さすがに見ていられなかった。俺もカリダ様のそばにつき、守ると見せかけ腕を引いた。これだけ声が響いていればすぐにでも従者たちがスキア様を呼んできてくれる。彼ならば何とかしてくれるはずだ。


「カリダ様、一度離れましょう!」


 しかし彼女は走ろうとしない。一体何を考えているのか、不気味なほど穏やかな眼差しをしていた。


「ニケくん、大丈夫。お話をさせて」


「いけません! 今はお下がりを!」


退きなさい、ニケ。殺すわよ」


 アガペーネ様が近づいてくる。当然、フィリアーネ様が再び立ちふさがった。体格的には妹君であるアガペーネ様の方がずっと小さい。けれども業火を身にまとったような苛烈さで巨大な猛獣のごとき迫力を放っていた。


「殺したらダメ。ニケも、カリダも」


「お姉さまって本当につまんない人よね。そんなのジョークよ、ジョーク。本気で殺したりしないってば。ただちょっと思い知らせてやりたいだけ」


 とか何とか言っているが先ほどの攻撃は「ちょっと」で済むものではなかった。


 守らなければ。カリダ様は偉大な英雄だが、その体は脆い。


 俺が決意したのも束の間、強く握っていた彼女の腕がするりとすっぽ抜けた。


「……なに?」


 いつの間にか手袋を握らされていた。いつ身に付けたのか知らないが、これのせいで抜けられたことだけは分かった。ローブと同じような素材のため違和感を消されていたらしい。


 そんな手品のような真似までしてカリダ様が向かったのは、やはりアガペーネ様の眼前であった。


「きっ、危険です! お下がりを!」


 もはや声は届かない。彼女は両腕を広げると、抱きしめようとでもするようにさらに近寄る。


「侮辱なんかしてないよ、アーネちゃん。わたしは……」


 瞬間、鈍く大きな音が響いた。アガペーネ様がカリダ様を殴ったのだ。


「なに気安く呼んでくれてんのよ、虫けらの分際で」


「カリダ様!」


 俺は殴られ転倒した彼女に走り寄って、息を飲んだ。その表情を見た瞬間、不安や心配が消し飛ばされた。


 安心した、というのではない。驚きのあまり思考が固まっただけだ。


 何も変わっていなかった。カリダ様の表情には怯えも怒りも苦痛もなく、わずかな動揺すら見られない。それどころか、微笑んでいた。母が子を慈しむような温かな眼差しを向け、アガペーネ様に笑いかけたのだ。


 穏やかで柔らかな――いつも通りのほわほわした空気で、何一つ変わりなく、普段の彼女そのもの。それがむしろ異常だった。


「大丈夫だよ、アーネちゃん。あなたの強さも、美しさも、愛らしさも、わたしには全部見えてるから。会ったばかりだけど、わたしはあなたが好きだよ」


 なんだ、何を言っているのだ? どうしてこの状況でそんな口説くような言葉が出てくる?


 分からない。俺の方がおかしいのかと思うほど、彼女の言動は意味不明だった。


 カリダ様は改めて両腕を広げ、にこりと首を傾ける。


「ほら、おいで。なでなでしてあげる!」


 もう驚くのも疲れた。俺は一瞬思考を投げ出す。


 ……いや、まずい! これは本当にまずい! 一発殴られて終わりならまだ良かったが、このままでは本当に大けがをさせられることになる。


 即座に身構え、アガペーネ様の顔色を窺う。そして、目を見張った。


「な、なんなのよ。アンタ……」


 頬を染めていた。恥ずかしそうに目を逸らし、口ごもっている。


 まさか……怒っていないのか?


 恐る恐る次の言葉を待っていると、アガペーネ様はため息をついた。


「アンタがただのバカで、悪意はないってことは分かったわ。侮辱をしたつもりがないってのも、信じてあげてもいいわよ」


 おお、分かってくれたか! その通り、カリダ様には悪気がない。それが伝われば和解の道はすぐそこだ。


 アガペーネ様はもう一度小さく息をつき、直後、炎が閃くようにかっと目を剥いた。


「悪気がなきゃ許すってわけでもないけどね!」


「やっぱりダメです! 逃げましょう!」


 今度こそ俺はカリダ様を脇に抱え逃走する。


「待ちなさいよゴルァァァ!」


「ひぃぃ! お助けっ、お助けをぉぉ!」


「そんなに怯えなくても大丈夫だよ~、今のアーネちゃんなら手加減してくれるって~」


「殴られる前提じゃないですかっ?」


 走りながら背後を見るとアガペーネ様が全速力で追いかけてくるところだった。しかしその時、俺の視線は自然とはるか後方に倒れた少年に向いた。引き寄せられたというべきか。


 ほんの一瞬、目が合ったような気がした。


 それは暗い谷の底から手を伸ばし、足首を掴んで引きずり降ろそうとしてくるような――羨望と憎しみの入り混じった邪悪な眼差し。間違いでなければ、彼はアガペーネ様のことを睨んでいた。


 だが次の瞬間には少年は澄ましたような顔で立ち上がり、余裕な様子で服についた埃を払っていた。


 今のは――気を取られた瞬間、槌で殴られたような強烈な痛みが顔面を襲い、視界の中で火花が散った。


 逃げるのを忘れていた……!


「そうよ、いい心がけじゃない。アタシから逃げられるわけないんだから、さっさと諦めて殴られなさい!」


「も、もう殴られてま……!」


「口答えしてんじゃ……ないわよ!」


「ごべぁっ!」


 鼻頭に拳が突き刺さる。ごきりと嫌な音がした。血の臭いと血の味が鼻と口いっぱいに広がって、ぐらりと体が揺れる。


 もしや姫様、魔術使わなくても強いのでは? などと呑気に考えていたら最後にもう一発みぞおちに叩き込まれ、俺は無事に敗北した。




     *




 城内の医務室にて。


「本っ当に申し訳ない! サクスムを救おうとしている君に怪我をさせるなんて! どう謝ったらいいか……そうだ! 僕を好きなだけ殴ってくれてもいい! そういうのが嫌なら……国宝をあげよう! どんな高価なものだって構わないよ! なに、国が滅亡するのに比べたら安いものさ!」


 スキア様が勢いよく手を合わせて謝罪する。勝手にものすごいことを言っているがきっとホドス様なら許してくれるだろう。


 カリダ様は椅子に腰かけ、『腐蝕の包帯』という治療具を頭に巻いてもらっていた。フィリアーネ様は外でアガペーネ様が来ないか見張っている。俺がやると申し出たのだが、一番殴られたのは俺の方なので治療を受けることになった。


 医者が魔術の包帯を巻き終えるのを待って、彼女はにこにこと微笑みを返した。


「怒ってないからいいよ~。あ、でもあの子を蹴るのはもう辞めさせて欲しいなぁ」


 あの子とは、先ほどアガペーネ様に蹴られていた従者の少年のことだろう。というか俺が殴られるのはいいのですかカリダ様……。


「彼はクリューソスといって、三年ほど前、アガペーネ様の従者になりたいと自ら申し出た召使です。それからずっと今日のような調子で、にもかかわらず一向に辞めようとしないのです。いつも澄ました顔をしていますが、生傷の絶えない生活を何も感じずに過ごしているとは思えません」


 先ほどのあの目……どう考えても彼はアガペーネ様からの様々な仕打ちを恨み、憎悪を抱いていた。


「ふん、僕も甚だ疑問だね。あんな思いをしてまで従者を続ける理由は何なんだろう」


 スキア様の物言いは吐き捨てるかのようで、珍しく嫌悪感を露わにしていた。無論彼だけではない。毎日暴力を振るわれ続ける少年の姿に嫌気が差している者は多かった。娘に甘いホドス様もさすがにこれには幾度となく苦言を呈していたのだが、聞く耳は持たれなかった。


「ところであの子、右耳がなかったよね。あれは戦争のせい?」


 思わず言葉に詰まる。だが隠す理由もあるまい。


「あれはアガペーネ様が切ったのではないかと言われています」


「言われている、ってことは、確実じゃないんだね?」


「いえ、状況的にまず間違いはないかと。クリューソスが従者になりたいと申し出たその日のことです。アガペーネ様の屋敷を訪れた彼は、そのまま中へ通され、出てきた時には耳を失っていたそうです。アガペーネ様は知らぬ存ぜぬですが、中で何かが起きたことは明白でしょう」


「うーん。クリューソスくんはなんて言ってるの?」


「自分で切った、と」


 俺が答えると、スキア様が肩をすくめた。


「ははは、何をバカな! ありえないね! 付くならもう少しマシな嘘を考えて欲しいものだよ。とはいえ、脅されて無理矢理言わされたとも思えない。あの少年はどう見たってそんなタマではないさ。どんなに殴られても平気な顔をして居座ってるような人間だからね」


 カリダさんは顎に手を当てふんふんと頷く。


「教えてくれてありがとうね~。とりあえずそのことは覚えておくとして……」


 目を上げる。その視線の先で扉が開いた。


 まず目についたのはボサボサの髪と庶民でも中々着ないようなボロボロの服だった。噂の少年クリューソスが澄ました顔で入ってきた。脚や腕には生々しい痣があり、やはり右耳がない。


「クリューソスと申します。アーネ様の代わりに昨晩のことをお話しに来ました」


 淡々として感情の読めない声だ。彼はいつもこうだった。


 変人であるアスピダ様や、単に表情が乏しいだけのフィリアーネ様とは違う。まるで鉄の仮面でも付けているかのように、目に見えない壁を感じる。


 しかし事件調査の協力に来たというのなら少年のことは置いておこう。どのみち彼について質問してもろくな答えは返ってこないような気がした。


「わぁ、助かるよ~! どうやったら聞き込みさせてもらえるかなぁって考えてたんだ~」


 カリダ様も無理に話題を変えるつもりはないようだ。クリューソスは顔の筋肉を一切動かさずに頷き、椅子に腰かけることなく語り始めた。


「アーネ様は夕方のうちから屋敷に戻られ、そのまま休息を取られました。このことは私以外にも周辺住民が証言できるはずです。アーネ様はとてもおきれいで目を惹くお方ですので」


 褒め言葉を言っている時も、やはり彼の声は淡々としていた。スキア様は愚痴を言っていた手前気まずいのか、素知らぬ顔で本を読む振りをしている。


「夜にも一度出かけられています。といっても屋敷のすぐ近くですが。猫たちにエサをやっていたのです。いつも決まった時間になると、猫がニャーニャーと鳴きながら近くにやってくるのですよ」


「猫……?」


 スキア様が思わずといった調子で呟く。俺も瞠目していた。


「あのアガペーネ様が、猫にエサを?」


「ええ。それが何か?」


 思わずスキア様と目を合わせる。


「いや、何というか意外な一面だね」


「そうですか。意外なのですね」


 クリューソスは心底興味なさそうに言った。カリダ様が話を戻す。


「エサをあげたのはどれくらいの時間帯?」


「一日の終わりの鐘が鳴った頃です。私はその間、屋敷でベッドを整えたり、明朝みょうちょうの食事の準備をしたりしていました」


 特段変わったことはしていなかったというわけだ。元々城外にいたことは決まったようなものであったが、裏付けが取れるに越したことはない。


「他に何か気になることはおありですか?」


「今は大丈夫! 後でまたお話を聞きに行くから知れないから、その時はよろしくね~」


「承知いたしました。では、失礼します」


 丁寧に頭を下げ、クリューソスは医務室を辞した。いつも動きがとろいとどやされているが、俺の目には彼の一つ一つの所作は洗練されているように見える。


 それにしても質問をしなかったのは意外だった。まだアガペーネ様の無実は確定していないと思うのだが、根掘り葉掘り聞かなくて良いのだろうか。


「あとで落ち着いたら、今度こそアガペーネちゃんにもお話を聞きたいな~!」


「えっ?」


 まだ本人への聞き込みを諦めていなかったらしい。さすがの根性だ。


「はははっ、絶対ダメだからね! 君に何かあったら僕たちみーんな終わりなんだから頼むよ!」


「え~。でもしょうがないかぁ」


 不安だ。先ほどのように勝手に動かれたら守り切れる自信がない。


 ……何を言うのだニーケーダン。守る。守れる。俺ならば守れるはずだ、そうだろうニーケーダン! 未来の英雄がこの程度の仕事をこなせない道理がないではないか!


「フハ、フハハ……フハハハハ……そうだ、俺はできる。できる男だぞ……」


 己を鼓舞して自信を取り戻していると、スキア様に肩を軽く叩かれた。


「何ぶつくさ言ってんのさ。彼女、もう行っちゃったよ」


「ええっ?」


 カリダ様……やっぱり自分、不安です。














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