3. 霧の番人とハリトメノ
調査は続く。次に向かうのは城門だ。
そこにはこの城を囲む霧を管理する霧番と、城と街を渡る唯一の手段である『空泳船』を漕ぐ渡し守が待機している。
てっきり現場だけ確認したらすぐにでも犯人候補たちへの聴取を始めるのかと思っていたが、まずは昨晩の城全体の状況を把握したいらしい。考えてみればその方が聞き込みもスムーズに進む。一つ勉強になった。
城門まで向かう間、俺は夜警時に見たものについて語っていた。
夜警を始めたのは第二十一刻だった。現代において一日の時間は二十四等分され、第零刻から第二十三刻まであり、その日の第二十四刻に相当する時間になると翌日になる。
その中で第二十一刻と言えば皆が寝始める頃であり、一日の終わりの鐘が鳴る時間であった。
普段よりも一刻遅く、これは宴が終わって皆が解散したのが二十一刻頃であったためだ。
「カリダ様もご存じの通り、宴が終わった後、酔い潰れた者は城に残り、他の方々には城下町の宿に泊まっていただきました」
「そうだったねぇ。ちなみにわたしはお酒飲んで寝ちゃった方だよ~」
まさか酔い潰れた側だったとは。しかし城に残っていたということを考えれば自然と分かることでもあった。
「本当にすぐに酔っちゃったよ~。一杯くらいなら平気かなぁって思ったんだけどね~」
「そういえば、フィリアーネ様も客人たちと同じ部屋で介抱されていましたね」
「あー、そうだったかも~」
「……」
何故か本人が何も言及しないが、これは間違いのない事だ。つまり彼女も一晩中兵士の監視下にあったことになる。刺客が七名のうちの誰かと確定した今、フィリアーネ様は無実と断言できる。
ところでカリダ様はおいくつなのだろう。フランマでは子どもでも酒が飲めるらしいが、他の国でそういう話は聞かない。
しかしぐっと堪えた。女性に年齢を軽々しく尋ねるのは教養のないお子ちゃまのすることである。
「夜警を始めた直後のことですが、ピルゴスニルという城の住人と出会いました。彼は街に屋敷を持っていて、度々そこで夜を過ごすのです。昨晩もおそらくそのために城を出たのだと思います。確認まではしていませんが」
「どんな人なのぉ?」
「仮面をつけた大男です。ソポス先生以外で仮面をつけているのはヤツくらいですので、見ればすぐに分かりますよ」
「あれぇ? 見覚えがないけど」
俺は苦虫を嚙み潰したような気持ちで苦笑した。
「自室に引きこもって贅沢な食事でも貪っていたのでしょう。ヤツはいつもそうなのです。ホドス様の恩人でなければとっくにつまみ出されていたはずです」
「ふぅん……」
カリダ様は何事か考え始めた様子だったが、俺はそのまま話をつづけた。
「ヤツのことは気にしなくてもいいと思います。何故ならその後、自分はエルピネス様とお会いしているのです。ヤツは城外へ向かい朝まで帰ってこなかったはずですから、事件とは無関係と思われます」
それからカストロニアやソポス先生が寝室へ向かうところも見たのだが、彼女らに関しては、その後こっそり部屋を抜けてエルピネス様に会いに行った可能性もある。
「そういえば昨夜お会いした時、エルピネス様が気になることを仰っていました。今日行われるはずだった国王演説の際に何か披露するご予定だったようです。昨日の就任式の直前に城外へ出られていたのも、それを持ち帰るためでした」
スキア様が言っていたことだ。だがそうなると疑問がある。
「サクスムの威光を知らしめる――それがエルピネス様の目的でした。だとすればよほど特別なものであるはずなのですが……今のところそういったものは目にしていませんよね」
「そうだね~。後で見かけるかもしれないし、気にしておこっかぁ~」
俺は頷き、昨夜の話の続きに戻る。
エルピネス様と別れた後、しばらくは特に変わったことは起こらなかった。休憩中、介抱されている人々の中にフィリアーネ様がいたのはこの目で見ている。カリダ様のことは覚えていないが、毛布を頭までかぶって眠る客人が二、三人いたような気がする。その中に紛れていたのだろう。
「夜明け前になって、起きてきたカストロと出くわしました。例のウェントス兵と鉢合わせたのはその直後です。彼を拘束した後、すぐ近くにあったエルピネス様の寝室へ安否確認に向かいました。扉には鍵がかかっていて、時間がなかったためカストロが扉ごと『波打つ矛盾』で溶かしました。その後は――ご存じの通り、エルピネス様が息を引き取っていることを確認しました」
今のところ無実が確定しているのは、外の屋敷で過ごしていたアガペーネ様と、兵士の監視下で眠っていたフィリアーネ様のお二人のみだった。
ここまで話したところで、城のホールに差し掛かった。国王就任式と、ウェントス兵に対する断罪の儀が行われようとされた場所だ。
多くの者は既にここを離れていた。客人たちは落ち着いて茶を飲める部屋に通されたようだ。今は見張りの兵士がいる他には、ソポス先生が階段に座り、よだれを垂らして眠りこけているだけだ。よくこの状況で寝られると感心する。俺は昨日の昼からずっと起きているわけだが、遺体を見てからというものちっとも眠気を感じない。
「見張りの子、いっぱいいるんだね~」
壁際に立つ兵士を見てカリダ様がいった。ここを出た当初は皆がここに集められていたために誰ともすれ違わなかったが、玉座の間を出てからは何人もの兵士を見ている。
「全ての部屋を見張るわけにはいきませんが、客人のいる部屋やこういった特別な部屋には漏れなく見張りが付けられるでしょう。犯人もおかしな行動は取れないはずです」
強引に城から逃亡するくらいはできるかもしれないが、それは自白に等しい行為だ。軽はずみにはできない選択のはずだ。
「ところでそちらから『心臓室』に入れるのですが、御覧になりますか?」
「心臓室……城中に送るための新鮮な空気を作ってる部屋だったよね?」
「はい。通気口を通して城の至る所と繋がっていますが、まともに入るならここの扉を使うことになります」
「それじゃあ見せてもらおうかな~?」
「はっ! ご案内いたします!」
俺は壁際に置かれた『影石』に入っていく。『心臓室』とホールを隔てるのは扉ではなく『影石』だった。無論、常に空気を通すためである。
「うわあ、大きいね~! こんなの見たことないよ~」
中へ足を踏み入れて早々にカリダ様が声を上げる。見上げたのは一本の巨大な植物だった。
サクスムの荒野に生息するサボテンに似ているが、よく見るとトゲの代わりに大量の輪っかがくっ付いている。エルピネス様の寝室にもあった邪除け草が育ったものだ。
「そうでしょうそうでしょう。かつて『霧の城』を作るにあたり何年もかけて育て上げ、そしてそこから何十年と守ってきたのです」
俺は誇らしい気持ちで頷く。自身の成果ではないが、城のことを褒められるのは嬉しい。
邪除け草は食魔植物という、魔力を食べて特殊な働きをする生物で、体内で新鮮な空気を作り、無数の輪っかから噴き出してくれる。はるか昔、地底で暮らしていた物好きな民族と共生関係にあったと言われている。
『心臓室』の壁にはいくつも穴が開いており、どれもこれも大男だろうと余裕で通り抜けられる太さだった。
「この穴は全部通気口に繋がってるの?」
「はい。このくらいしないと城の空気をきれいに保つのは難しいそうです」
見せるものも見せたのでさっさと退室しようとすると、入り口で立ち止まっていたフィリアーネ様がじろりと見つめてきた。
「思いついた」
「……何をですか?」
「ずっと考えてた。『隣室』への侵入方法のこと」
いつも口数が少ないからあまり気にしていなかったが、ずっと話に入ってこなかったのはそのためだったのか。
『心臓室』の中は風が吹き続けていて肌寒いのだが、そんなことには構わずにフィリアーネ様は続けた。
「エルが『隣室』に入った後、犯人は絶対に侵入できないって、カリダは言った。でも、違うと思う」
「え? どうして~?」
カリダ様はのんびりした口調とは裏腹に目をキラキラさせ、興味津々と言った様子で尋ねる。
もちろん俺も気になった。違うと断言するからにはそれなりの理由があるのだろう。
「一個、思いついた。あらかじめ『隣室』の床の上にもう一つ、石の床を敷けばいい。エルはそこに描かれた魔術文字を消して『施錠』したと安心する。でも、隠した床に描かれた本物の魔術文字は消されない。だから本当は『施錠』できてない。エルがぐっすり眠ってる間に、犯人は普通に入って来れる。……どう?」
開いた口が塞がらなかった。いい意味でとんでもない発想だ。
ま、まさか……俺よりも探偵の素質があるのか……?
しかしカリダ様は首を振った。
「とっても面白い発想だけど、犯人はそんな細工はしてないはずだよ~」
はっきり否定されるとは思っていなかったのか、フィリアーネ様は灰色の瞳をぱちくりとした。
「言い切れるの」
「うん! 犯人は『隣室』から出るために扉を壊してるからね~。『施錠』がされてなかったなら部屋に閉じ込められることもなかっただろうし、何よりそこまで知識があるなら閉じ込められたとしても痕跡を残さず出られると思うよ」
「ん……なるほど」
少しむっとしたように見えたが、気を取り直すように視線を上げた。
「なら、もう一つ。犯人の目の前でエルが眠ったとしたら、エルが犯人に気づいてなかった、ってこともある……と思う。犯人が奇術師に姿を消す芸とかをできるなら、可能」
この案は微妙な気がした。ああいうのは実際に姿を消しているのではなく、観客側からだけ見えなくなるような仕掛けがあるのだと思うが……。
身を隠せるようなものもベッドくらいしかなかっただろうし、難しいのではないだろうか。
が、カリダ様はにっこりして頷いた。
「うんうん。何か仕掛けさえあれば、姿を見えなくして待ち伏せることはできるかもね~。見えなくなるだけじゃなくて、音や気配も消さないといけないけど、不可能とは限らないかも!」
「お眼鏡にかなった。ムフン」
フィリアーネ様は得意げに大きな胸を張る。なんだか目のやり場に困り、俺はこっそり顔を逸らした。
いやそんなことより。否定しないのか、カリダ様は。
姿をかき消す魔術などこの世に存在しない。だというのに、犯人が『隣室』の中にいたことにエルピネス様が気づかなかった――そんな可能性があるとカリダ様は考えるらしい。
もしそんなことが本当にできるのなら、大きく進展したと思っていた調査はまた振り出し近くまで戻される。
犯人がエルピネス様に招き入れられたのであれば、候補は七名まで絞られるはずだった。しかし姿を隠していたとなると話は別だ。極論、刺客は誰でもいいということになり、そこから犯人を突き止めるのは困難になる。
それでは困る。だが困ったからと言って真実は変わらない。推理に不利な事実が出ても、それを受け入れねばならないのが調査というものだ。やはり一筋縄ではいかないか。
姫様の案も聞き終えたところで、『心臓室』を後にして城門へ向かう。ホールを抜ければすぐそこだ。
城の一階にある唯一の出入り口から外に出ると、真っ白な霧に出迎えられる。霧は城を飲み込むように包んでいるのではなく、球状の分厚い壁を作って城を上下左右から囲んでいた。
城の土台、つまり俺たちの足元には舗装された地面がわずかに広がる。その先に小屋が二つ建てられ、傍らに大きな渡し舟が二つ泊まっていた。
「おや、フィリー様にニケ様! ではこのお嬢ちゃ……失敬、こちらの女性が花国探偵様ですね!」
小屋から庶民のような服を着た青年が出てきて挨拶する。俺は大慌てでその胸ぐらをつかみにかかった。
「お、おい! お前ぇ! 本当に失敬だぞ! 謝れ! 大人の女性と名高いカリダ様に謝れ! くれぐれも紳士的な土下座を心掛けろよ!」
「紳士的な土下座とはっ?」
「そんなのしなくていいよ~。でもそっかぁ、ニケくんはそんな風に思ってくれてたんだね~」
「当然です! 自分は……」
言いかけた時、何か軋むような音がした。会話を中断して周りを見回す。
小屋の扉が開いて、拳くらいの大きさのハリネズミが出てきた。
「ハリトメノ」
名を呼ばれたハリネズミはフィリアーネ様の足元に駆け寄り、くるくるとその場で走り回り始めた。
「この子は?」
「コイツはエルピネス様のお気に入りの、いわゆる愛玩動物ですね。いっしょに眠ることもあったくらいですが、どうにも気まぐれで、添い寝の決定権はコイツに委ねられています。時折は城の方々と眠ってくれるようですが、目覚めた時にはいつの間にかいなくなっているそうですよ」
「へえ~、可愛いね~。でもいっしょに寝たらハリが刺さらないの?」
「毛を逆立てなければ大丈夫です。それに今ご覧いただいた通り、コイツは自分で扉を開けられるほど賢いですから、危険でない相手には攻撃しませ……あ、いや」
「どうしたの?」
「今の言葉は訂正します。昨晩エルピネス様とお話しした時、そのネズミが頭に突き刺さっていました」
「あはははは! それは是非とも見てみたかったね!」
小屋の方から声がした。
「やあ、また会ったね。花国探偵」
ひょっこり顔を出したのはスキア様だった。
「スキア様? 何故こちらに」
「僕だけじゃないよ」
続いて出てきたのはアスピダ様だった。巨大な岩盤の如き体格をした彼と並ぶと長身のはずのスキア様さえ子どものように見える。
「魔力の尽きた兵士たちの代わりに、吾輩が霧の維持をすることになったのであります」
アスピダ様が説明する。相変わらず目をぎょろぎょろと泳がせてどこを見ているのか分からないのが怖いが、やることはとても頼もしい。霧が維持されている限り犯人が人知れず逃げることは不可能だ。
「僕は付き添いってところかな。仮にも犯人候補が一人で霧を守ってたら皆に怪しまれるだろう? だから監視官たちを無理やり引き連れてきて、アスピダ様が不正をしていないっていうことを解説しておいたのさ」
「監視官たちも来られているのですか」
「ああ、小屋で石板を見ながら寛いでるよ。あのお行儀の悪い監視官には断られたけどね。カコパイーニと言ったっけ。まあ四人もいれば十分さ」
「石板……」
フィリアーネ様がハリトメノを抱き上げて呟く。
「『霧覆いし世界』のこと、詳しく聞きたい。知ってはいるけど、一応」
「ははっ、ほんの少しややこしい魔術ですからね。いいですよ、おさらいしましょう」
『霧覆いし世界』――それは、この城を囲む霧を生み出し管理している魔術であり、『霧の城』の守りの要だ。当然ただ視界を阻むだけのものではない。
「この魔術の霧は、内部に無限の空間を作り出します。言葉通りの無限――中に入ったが最後、霧が晴れない限りはどうやっても外に出られなくなるんです。走っても叫んでも全くの無意味。抜け出すには霧を吹き飛ばす以外に道はありません」
そう。無限の空間といっても永遠の牢獄というわけではない。ただ霧を突破するだけなら魔術を使える人間にとって大した障害にはならない。
「しかし今回のような暗殺者が霧を晴らすことはありません。よほどの馬鹿でもなければね」
スキア様が懐から何かを取り出し見せてくる。複雑な模様の描かれた石板だった。
「これは霧を操るための石板です。ここに描かれた模様をいじることで霧の位置と形が変わります。逆に霧の形が変わればここに描かれた模様も動くんです。この模様を見張っていれば、霧を吹き飛ばされた時すぐに分かるようになっているわけですね。侵入者の存在に気づくのは容易なわけです」
そしてスキア様はさらにもう一つの石板を取り出してみせる。
「この魔術の大事なポイントは、石板をたくさん作れば一つの霧を複数人で管理できるところです。霧の維持はアスピダ様がやって、監視官たちが見張る。そういう分担も簡単にできます。この城は空に浮いているおかげで前後左右すべてを霧で守ることができますから、霧番たちに気づかれず侵入することは不可能ということになります」
フィリアーネ様はしきりに首を傾げながら、石板の模様を見つめていた。
「こんな模様だけ見て霧の形が分かるの」
「もちろん分かるようになっていますよ。ただ、ずっと霧番を続けてきた人間でないと難しいでしょうね。もっとも今回は模様が動いていないかを見張ればいいだけですから、監視官たちの仕事は簡単なはずです」
今の時点から霧が勝手に動かされる心配はないということだ。少なくとも、これから犯人が人知れず脱走することはできなくなった。
「ちなみに、霧番を交代するときは決まりとして、石板を見ながら『空泳船』で周りの霧を目視確認することになっています。僕や監視官たちが見てきた限り、霧に穴が開いているとかそういった異常はありませんでしたね」
「う~ん」
カリダ様はとんがり帽子を外すと、城の周囲を真っ白に染める霧を見上げた。
「自分の目で確かめてもいいかな?」
「もちろんだとも! ……何度も悪いけどまたお願いできるかい?」
「いいですよ。船へどうぞ!」
好意的な笑顔でうなずく渡守に促され、小屋のそばに置かれた『空泳船』に乗り込む。
さすがは花国探偵、繊細な細工職人のごとき慎重さだ。しかし中立の立場にある監視官たちが三国同時に手を組んで嘘をつくとは思えないが……。いや、彼らを疑っているというより彼らが何か見落とした可能性も視野に入れているのかもしれない。
俺とカリダ様、フィリアーネ様は渡守に舟を漕いでもらい地面から離れる。穏やかな水面を進むように舟は静かに宙を泳いだ。
城の周りをくまなく確認したが、霧に穴が開いた様子などはなく、ただ真っ白な視界が広がるばかりであった。
「ありがと~、やっぱり変なところはないみたいだね~!」
地面に降り立った舟から降りて、カリダ様が納得の意を示した。
戻ったとき残っていたのはスキア様のみで、引き続き彼が話をしてくれる。
「これで証明できたかい? 『霧の城』から出るには強行突破するか、霧番に頼んで霧に穴を開けてもらうしかないのさ」
「うんうん、十分だよ~! それじゃあ最後に、昨日宴が終わってからの人の出入りを聞いておきたいな~」
「おっと、証言となると犯人候補の僕がしたらまずいかな。霧番たちは皆その小屋にいるから、聞いてみるといいよ」
スキア様に促され、二つある石の小屋の一方に入る。中は広く、中心では大きなテーブルを八つの椅子が囲んでいる。隅には仮眠用のベッドが並び、霧番の四人が気まずそうに休んでいた。
食べ物やら本やらが並んだ棚もあり、思ったよりは快適そうだ。加えて『繋がれた炎』を入れた暖炉が部屋を暖めている。
椅子に座っているのは監視官三人とアスピダ様だった。真面目に石板の模様を見張っていたようだが、足音で俺たちに気が付いて一斉に視線を向けてくる。ロギオス監視官だけが不機嫌そうに目を逸らした。カリダ様にはちらりと視線を向けて軽く頭を下げたが、サクスム人の俺と挨拶する気はないらしい。
ベッドの霧番たちが身を起こす。カリダ様が昨晩の人の出入りについて尋ねると、既に話す準備はできていたようでとても簡潔に教えてくれた。
「昨晩外出されたのはピルゴスニルさんだけです。宴が終わってからあまり経たないうちに出かけられて、戻ってきたのは夜明け前――ちょうどエルピネス様のご遺体が発見された頃のことでした」
おおよそ第二十一刻から翌日の第三刻の間ということだ。やはり彼は事件に関係がないらしい。逆に犯人候補の中で実行犯になり得ない人物は結局アガペーネ様とフィリアーネ様の二人だけということになる。特に新しい情報はなかった。
「霧番全員が嘘をついているわけでもない限り、僕たちの知らない人間が城にいた可能性はないってことだね」
スキア様が笑顔で言うと、霧番たちの表情が硬くなった。それを見てカリダ様が助け舟を出す。
「その可能性はないと思うよ~。犯人は暗殺の事実が発覚しないっていう絶対的な自信を持ってたから~。そうじゃないと、部外者の訪れる日を選ぶことなんてしなかっただろうしねぇ。どれだけ疑われて騒がれてもお医者さんによる調査が行われれば、原因不明の病死で片付けられるはず。そう信じてないと今回の暗殺は起こり得ないんだよ~。逆に、事件が発覚する想定で――つまり、他の国を陥れるつもりで事件を起こしたなら、『泥水の悪魔』なんていう、わざわざ身内の子にしかできないような方法は使わなかっただろうね~」
スキア様は腰に手を当て、ふむと頷いた。
「そんな犯人が霧番を抱き込む理由がない、か……。意味もなく共犯者を増やせばかえって密告の危険が増すだけだ」
「うん! そう思うよ~!」
カリダ様の日なたのような笑顔で霧番たちの緊張が解ける。
これで聞きたいことは聞けたはずだ。俺たちがその場を辞そうとした時だった。
「探偵殿。昨晩の吾輩自身の話がまだでありますが」
真顔のアスピダ様が腰を上げ、迫ってきた。
「まだで、ありますが?」
顔が異様に近い! 人と人が話す時の距離感ではない。まさか怒っているのか? ……いや、彼はいつもこうだった。
しかしこれだけ積極的に話を切り出してくるのだ。もしかしたら自分が犯人でないという証明でもするつもりなのかもしれない。
「そうだったね~、せっかくだし聞いとこっか。アスピダくんは何をしていたの?」
「何もしておりません。寝ておりました」
ずっこけそうになった。相手がアスピダ様でなければぶん殴っているところだ。
「ところで一つ頼んでもよろしいかな?」
「なあに~?」
肩透かしさせてから頼みごととはあまりにも自由すぎる。この振る舞いに戸惑いの色ひとつ浮かべないのはカリダ様くらいなものであろう。
これで内容までしょうもないことだったらさすがに一言言わせてもら……いや、やめておこう。怖い。
しかしてアスピダ様は目をぎょろぎょろとさせながら、告げた。
「言伝を頼みたいのであります。この場に来るようにと、ただそれだけで構いません」
「誰に~?」
「はい。ファルマコ殿をお呼びいただきたい」
聞いたことのない名だった。アスピダ様は続けてその身分を教えてくれる。
それは意外な人物だった。
「ファルマコセキニ――エンパイーニ殿の従者であります」
エン医師の従者と言えば、荷物を持たされていたそばかすの少女だ。彼女に一体どんな用事があるというのだろう。
しかしアスピダ様はそれ以上説明してはくれなかった。