眠りに落ちた希望
凍てつくような風が吹く、厳しい夜のことだった。
全てが石材で作られた灰色の部屋で、ホドス王は息をのんでいた。テーブルに置かれた燭台に灯る火が、その顔を青白く照らす。
「……なんだと?」
「何をしても目を覚まさないのです。頬を叩いても、大きな声で呼びかけても、少しばかりも反応しないのです」
震える声で告げる王妃の腕には、エルピネスと名付けられた赤子が布にくるまれ抱きかかえられている。その様子からは、ただ気持ちよさそうに眠っているようにしか見えない。
ホドス王は平静を保ち、石の椅子から腰を上げる。
「落ち着くのだ。まずは医者を起こそう」
「そ、そうですわね。診てもらわなくては」
彼らは城内に住む医者の元へ急ぐ。薄めた墨汁に満たされたような暗い廊下を進む間、王妃はエルピネスに必死に声をかけた。しかしやはり反応はない。
叩き起こした医者に診させたが、首を振られるばかりだった。
「命に別状はありません。病にかかった様子もない。何故目を覚まさないのか私には見当もつきません。どうすれば起こすことができるのかも……」
「そんな!」
優秀な医者に診せれば何とかなる。そんな甘い考えはあっさりと打ち砕かれた。
呼吸は静かなもので、顔色も悪くない。だから大したことではないだろうと楽観視していた。少し変わった風邪でも引いたのだろうと。
「率直に申し上げますと……このままずっと眠ったままという恐れもあります」
しかし突き付けられた現実は非情で理不尽なものだった。ホドス王は膝から崩れそうになり、壁に手をつく。
「何故だ。わけが分からぬ。寝る前までは健康そのものだったではないか。いや、今もそうなのであろう? ならば何故目覚めぬというのだ!」
「私には、分かりかねます……」
「分からぬで済まされると思うな! 答えよ、何故エルは目覚めぬのだ!」
いくら王が声を荒げようと、医者が言葉を変えることはなかった。
「呪いよ……これは呪いだわ!」
王妃が呟く。そう思ってしまうほど不気味で不可解な状況なのは確かだ。しかしホドス王は首を振る。
「世迷言はよさぬか! 呪いなどありはせぬ! そうか、魔術だ。何者かが魔術によってエルをこのようにしたのだ」
「人をこのように眠らせる魔術など存在しませんわ!」
「ええいっ、知るものか! 犯人だ! エルをこのようにした犯人を見つけ出し、エルの目を覚まさせる方法を聞き出すしかあるまい! それで全て分かることだ!」
王は目的を見つけるとどこへ向かうべきかも分からぬままにその場を後にし、廊下の薄闇に呑まれた。
「エルピネスは余たちの元にようやく生まれ落ちた『希望』なのだ。未来のサクスムを照らす光なのだ。絶対に奪わせはせぬ!」
彼らの国サクスムに大きな災いが訪れる、ちょうど二十年前の出来事だった――。