王 #99.98 上
私は、王であり、王であり、王であり、王であり、そして――――結末を見届ける者だ。
存在意義は、それ以外にない。そのために、私のすべてを投じてきた。だから、憂いはない。これから起きることに、一部たりとも不満はない。ただ、受け入れ、その結果を得るために、私は存在していたのだから。
ただ、時折、考える。その先はどうなっているのかと。
私が想像したのはそこまでだった。その先は面白いくらいに何も見えない。いや、認めよう。先がない。私は結果を得たうえで、その先がない。
疑問はない。恐怖もない。今更拒もうなんて気はさらさらないし、ましてや引き返すことを考えることもない。わかっている。必ず辿り着くのだ、その結末に。
知性ある存在は、みな考えることがある。我々より上位の存在はいるのかと。そんな好奇心が、例えばヒトに神を創らせた。天使を、悪魔を、この世を喰らう怪物、狂気の架け橋、ここにはいないありとあらゆるが生み出された。
同時にそれらは存在している。別にどちらが先かという話じゃない。大抵のものはあるんだ。想像できるってことは、それは存在している証拠。全くの無、或いはゼロから何かを創り出すなんてのはそれこそ不可能だ。
私は確かに生み出した側に見えるだろう。少なくともヒトからすれば創造主と言って差し支えない。そして、■■■は私そのように解釈し、私の前に立つだろう。なんの違和感もない望んだものだ。たとえ、■■■が私と同じものだと気づいたとしても。そういう結末を私たちは内包している。
だがなあ……聞こえているなら返事をしてくれ、なんて虚空に向かって叫びたくなる。
怖れとはとは違う。これはある種の正しさだ。私にとっての■の想像だ。なくてはならないものなのではない。ただ、考えるだろう? 何が自分を産み落としたのかって、な。
私も、そんな予感を抱いている。
確かに私は己の自由意志によって生まれた。私は自らを想像するという行為をもって自らにカタチを与えた。器を作り、中身を満たし、存在できるだけの条件を整えた。いわば最初の創造だ。
神々《ヤツら》は私のことを王と呼ぶ。いつしかそんな呼び名が定着した。彼らは型どおりに神を名乗り、私を創造の主と認めている。そこに間違いはない。いくつもを積み上げてきたことは事実だ。
だが、すべてはうぬぼれで、砂上の楼閣なんだ、きっと。無力だと嘆くつもりはない。意味がないなんてことはない。この在り方、この先に待つ結末に、私は意味を見いだしている。なにもない、なんてことはない。すべては満ち足りている。
でもよ、だとしても、だ。気になるじゃないか。きっといると想像してしまった、私の創造主とやらのことが。けど、私から遭いに行くのは不可能だ。創られたものは、いつだってその主の降臨を待たなくちゃならない。
いいや? 別に遭えないことに不満はないさ。遭えないってのは、それも必然だろう。私には不要だというだけで。越えられない壁を、越えてはいけない壁を、自ら蹴破ろうなんて、流石に思わないさ。
ただ、ヒトが天を見上げたように、私も首を曲げて久方ぶりに上を見ることにした。
見ているか? この先はどうなる? 充足の結末、その先に何を待たせているんだ。
――――――――。
もうすぐ決するさ。
結末へ