1. 悪役令嬢は四十歳です①
――――カンッカンッカンッカンッ……
物見台から乾いた良く響く警鐘が叩かれる音が町中に響き渡っています。
この修道院付設の孤児院にもその鐘の音が届いてきました。
これは魔獣が接近している報せ。
日頃から魔獣が出没するこのど田舎のガルゼバでは珍しくもないのですが、今日の警鐘はいつもより慌てたような、張り詰めたような印象を受けます。
「じぇらぁ……」
私の腰ほどにも届かない小さな女の子が、不安そうな瞳を向けて私のスカートに縋ってきました。
この子もいつもと違うのだと感じたのですね。
年端もいかない幼女にとっては恐いでしょう。
「安心してターニャ」
安心させるために、私は笑いかけてその女の子――ターニャの甘そうな蜂蜜色の癖っ毛を優しく撫でました。
まだ五歳の細い髪質はふわっふわで、撫でると嬉しそうにブラウンの目を細めるターニャ――本当に可愛いです。
「魔獣なんて私がすぐに黙らせてあげますからね」
力こぶなどできもしない細腕を、ぐっと曲げて戯けて見せたのですが――
「じぇら……だいじょーぶ?」
――却って不安にさせてしまったようです。
ターニャのクリクリのつぶらな瞳が不安で揺らいでしまっています。
「ばっかだなぁ」
横から声が入り込んできました。
やんちゃな男の子のカッヅです。
「シスター・ジェラは最強の武闘派シスターだぜ」
なんです、その不本意な呼び名は?
どうして他の子たちも頷くのです?
「そうだよな。ジェラが負けるとこは想像できないや」
「ああ、魔獣なんかよりよっぽど凶悪だよな?」
「むしろ心配はシスター・ジェラに狙われる魔獣の方だぜ」
この子達は!
「こら!」
好き勝手に私を揶揄う子供たちを一喝すると、彼らは笑いながらわっと蜘蛛の子を散らすように逃げ回りました。
そんな彼らに私はまったくとため息が漏れました。
本当にこの子たちは――
ターニャは目の前で魔獣に両親を殺されているのです。
魔獣への恐怖、両親を失った寂しさ、この世でただ一人になった孤独と喪失感。
それは僅か五歳の女の子にはあまりに残酷な現実です。
だから孤児院で彼女を引き取った当初はかなり大変でした。
なかなか心を開いてくれないターニャにずっとつきっきりでした。怯え寂しさに泣き咽ぶ彼女を昼間は抱っこし、夜は一緒に寝て、四六時中あやし続けました。
お陰で私に慣れてくれたターニャは完璧なひっつき虫です。
そんな訳で彼女は魔獣に対して過度に反応してしまうのでしょう。
それを察した他の子たちがターニャを気遣ってカッヅを中心に明るい雰囲気を作ってくれているのですね。
――腕白だけど仲間思いの憎たらしくも可愛い良い子たちです。
「ホントにダイジョーブ?」
「もちろんよ!」
私を心配してくれるターニャが愛しくて屈んでぎゅっと抱きしめて頬擦りすると、ターニャもきゃっきゃと喜んで私にしがみついてきました。
――ふふふ、可愛い……
「貴女も変われば変わるものね」
「シスター長!」
急に声をかけられ振り返ればシスター・ヨルズが呆れ半分感心半分と言った表情で立っていました。
この警鐘に孤児達が不安になっていないか様子を伺いに来たのでしょう。
シスター・ヨルズはこの田舎町ガルゼバにある修道院の責任者です。
この修道院は一風変わっていて、同じ敷地に孤児院と教会が並んでいるのです。そして修道院はシスター・ヨルズが、教会は神父のウェインの管轄。
「ここに来た当初はあれほど子供たちにきつく接していたのに」
「そ、その事はもう仰らないでください」
くすくす笑うシスター長に、私は羞恥で顔が熱くなるのを自覚しました。
うぅ……
それは昔の私の黒歴史です。
「と、とにかく、私が今からこの町を脅かす魔獣どもを退治してきますからね」
恥ずかしさを誤魔化すように宣言すると、子供たちがわっと湧き上がりました。
「やった!」
「今夜はお肉だ」
「ご馳走♪ご馳走♪」
「報奨金いーっぱい稼いできてね」
「お土産よろ!」
この子たちはまったく……
不安そうだったターニャもみんなに釣られて笑顔になってくれました。
この孤児院は本当に明るく元気で逞しい、ですがとても温かく優しい子供たちばかりです。
そんな可愛い子供たちが力いっぱい手を振って私を見送ってくれました。
あのたくさんの笑顔を私は守っていきたい……
――それは悪役令嬢と呼ばれた私の贖罪……
私は数々の過ちを犯し、たくさんの人に迷惑をかけて、この田舎へと追放されました。
それでも私を慕ってくれる孤児院の子供たちを、私を受け入れてくれたこの町を、彼らのその平穏を守りたいのです。
ですから……
「欠食優良児たちのご飯をゲットよ!」
私は走りながら天に向かって拳を突き上げました。
「さあ、今日もジャンジャンバリバリ稼ぎますよ!」
ここは何も無いど田舎の町ですが、人の思いやりと優しさいっぱいに包まれて、今日も悪役令嬢は元気です!