ボロアパートの間隙から
ぴゅうぴゅうと、音がする。冬になるとそれが気になって仕方がない。寒波の通り道になっているからだ。ボクは天井の隙間を仰向けになって見ている。
この部屋には冷蔵庫は要らない。台所のシンクに放置したままの茶碗に薄い氷の膜が張っている。咳をすればたちまちに白い霧となって漂う。
階下の住人の笑い声が聞こえた。乾杯の音まで届いてくる。ボクはカレンダーが大晦日を指していることを知った。
「通りで愉快なわけだ」
帰省する故郷も、膝を突き合わせる友人もないボクの年末は、仕事をしている平日と寸分も違わない。寧ろバレンタインデーにチョコを貰えずに虚しくなるように、いつもより少し多めの惨めさを禁じ得ない。
そんなボクには誰にも言えない秘密がある。時計の針は午前零時を指していた。アパートの住人が寝静まったころ、壁際の収納箱をずらす。するとそこには小さな窪みができている。
ボクは白い息を吐きながら、細めた目を窪みにあてがう。
「嘘だろ」
壁の亀裂を覗いたら常夏が拡がっていた。
鬱蒼と繁る青葉と、泥濘と湿地。それに花々のツンとした芳香に包まれている。
とりわけ大きな蝶々が二匹。こちらの視線には全く気づいていない。蝶は白い花の上で蜜を舐めながら、羽ばたきと振動を繰り返している。
極寒に生きているボクは、熱帯雨林が間近に存在していることが未だに理解できないでいる。
ボクは夢を見ているのだろうか。
「寒い」
エアコンの壊れた部屋で、下手をすれば外よりも寒い放射冷却されたボクの居場所は或いは幻なのかも知れない。足と指先から奪われていく熱は蝶々たちに吸収されていっているような錯覚に見舞われる。
羽を広げた蝶は火傷をしている。そうでなければあんなにりんぷんを飛び散らせながら悶えたりしない。
やはりボクは夢を見ているのだろうか。
互いの蜜をほとばしらせて微塵も動かなくなった蝶たちからゆっくりと冷めていく体温が、しかしながらボクの元へ運ばれることはない。
分かった。断熱膨張なんだ。ボクという内部エネルギーが幾らあがこうと、世界の肥やしになるだけで、リターンなんて得られないんだ。熱は不可逆的に宇宙に搾り取られていく。
「なら、どうして」
蝶たちはあんなにも華々しく蠢いているのか。永久機関は存在しないはずなのに、どこから熱を供給しているのか、ボクの理解の範疇を悠に越えている。
ぴゅうぴゅうと吹き込んでいた冷気は止まることを知らず、閉じられることはない。