はじまりは生首から
私は最後に生首となり、悪女になった。
最悪な結末をもたらした妹に復讐するために。
街の中心にある広場は、その日多くの人が集まっていた。
普段は人々の憩いの場になる広場は、死刑が執行される際に血生臭い処刑場になる。
処刑人の手によって断頭台が運び込まれ、中央にはギロチンがそえられる。
台の周りには柵が設けられ、処刑を楽しみにしている市民が入って来られないようにしていた。
貴族と市民の階級がわかれているこの国で、貴族の処刑は市民の数少ない娯楽になっている。
階級への鬱憤を、哀れな末路をたどる貴族の処刑を見せることでガス抜きをしていた。
処刑の予定日は街の掲示板で張り出され、人々は仕事を休み、見せ物を楽しもうと集まってくる。
だが、その日はいつもと熱気が違っていた。
普段は集まっても広場を満たすほどだが、今日は人があふれ、広場を囲む建物の屋上にも見物人がいた。
それもそう、今日は希代の悪女ルカ・アミュールの処刑の日だった。
家の財産を使い、賭博に明け暮れ、婚約者にも見放されたあげくに、新たにその相手の恋人になった妹を逆恨みし、殺害しようとした。
これだけでも死罪に値するが、ここまで人を集めた最大の理由が他にある。
王族を殺害しようとした罪。
賭博でつきあっていた輩の中に、王族へ害をなそうとした者がいて、そいつらにルカが情報を流していたということになっていたのだ。
アミュール家は代々王室と深い関係がある。
その家の者が関わっているとのことは国を揺るがすスキャンダルだった。
賭博自体、ルカは行っていない。
よく訪れていた店の地下で非合法のカジノがあったとのことで、そこに出入りしているという嘘の証言があげられた。
そんなことはしていないと、ルカがいくら訴えていたところで、声は聞き届けられず、死刑は決定した。
もう何があっても覆されない。
処刑人に促されて台に上がると、観衆から大歓声が上がる。
広場の群衆の奥には、処刑台が見えやすい場所に貴族席がもうけられていた。
趣味の悪いことに、処刑をエンターテイメントとして楽しむことは貴族も例外ではない。
こちらを軽蔑する目、嘲る目、その中に見知った顔を見つける。
私の家族だった。
父と母と、そして妹。
妹の顔を見て、ルカは昨日の出来事を思い出す。
処刑の前日の夜、ルカは牢獄の中にいた。
王族の分家が王宮として使っていた建物で、血筋が途絶え家主がいなくなり、歴史の過程で監獄になった。
ルカは曲がりなりにも貴族と言うことで、その牢獄でもっとも広い部屋を与えられた。
豪奢な作りをした部屋だが、窓には鉄格子がはめられているし、ドアも外を見る小窓がついている鉄の扉になっていた。もちろん、鍵は施錠されて中からは開かなくなっている。
はじめはドアを叩いて無実を訴え続けていた。
だが、看守さえ訪れず、食事を運ぶ者はこちらを見ようともしない。
そんな状況で叫んでも誰の耳にも届かないと悟り、ルカは口を開くことも無くなった。
部屋の中に設置された本棚には、古い文献たたくさん残っていた。
やることもなく、話し相手もおらず、死を待つだけの気が狂いそうな日々。
慰めに本を読みながら、処刑を待つしかない日々だったが、ある日転機が訪れる。
妹が訪ねてきたのだ。
死刑囚には家族の面会のみが許されていたが、誰一人として今まで訪れなかった。
小窓越しにうつろな目で見れば、そこには妹のマリーが立っていた。
ルカとマリーは家族とはいえないような関係だった。
母親が違い、妾の子のルカと正統な血筋のマリー。
そんな境遇ではあったが、最後に別れを言いに来てくれたのだろうか。
もう判決は覆ることはないだろうが、せめて最後にもう一度自分の無実を訴えたいと口を開いたとき、彼女の目が笑っていることに気が付いた。
それは喜びの笑みだった。
「ようやくあなたとさよならができる」
ルカはマリーの言ったことが理解できず、思わず聞き返す。
「え?」
「聞こえませんでした?もう死んだも同然のあなたに言ってもしょうがないけれど、なぜ死んだかわからないままなのはさすがにかわいそうと思い、お伝えしに参りました」
最初から会話をする気がないのか、マリーはルカにかまわずしゃべり続ける。
「あなたの存在が邪魔でした。我がアミュール家の純潔な血を引いていないにもかかわらず、私の姉という立場に収まっていた」
「本来は街の最下層にでもいるべき存在なのに」
「何より許せないのが、あなたは私から大切な物を奪おうとしたこと」
意味が分からない。家族も、地位も、すべてあなたが持っている。
理解できないルカの顔を見て、マリーはにっこりとほほえみながら言った。
「最後にもう一つお伝えしましょう。王家の暗殺計画に荷担したという罪を着せたのは私」
それが昨日の出来事。
あっけに取られるルカを残してマリーは去っていった。
残されたルカは言われたことが受け入れられずにへたり込み、そしてようやくすべての状況が理解できた。
この最悪な運命は妹の手によってもたらされたということを。
そこから先の記憶はあまりない。
喉から血が出るほど妹が黒幕だと叫んだ。
だが、錯乱したと見なされて駆けつけた看守に殴られ、猿ぐつわをされた。
一晩中涙に暮れて、音にならない叫びを上げて、朝には喉が枯れてぐったりとしていたルカは引きずられ、粗末な荷台に載せられる。
ゴミを見るような市民の中を通り、断頭台まで来たときには、もう叫ぶ気力もなく処刑人に拘束されながらギロチンの上に頭を置いた。
頭をずらせば、貴族用の席が目に入る。
処刑がよく見える特等席には、妹の姿があった。
悲しみに体をふるわせて、隣の婚約者へ寄り添っている。
けれど目だけは三日月型になって、ルカを笑っていた。
もう引き返すことはできないだろう。
この場で無実を訴えたところで、喉が枯れ、まともな声も出ない。
興奮して叫んでいる市民には、ルカの声は聞こえないだろう。
押さえつける処刑人に訴えても、死を前に命乞いをしているだけだと耳を傾けないだろう。
でも。
だけど。
ルカの頭には昨日の話がこびりついて離れない。
私の死は、あの妹の手によって招かれたものだ。
せめて最後に何かできないか。
素直に死を受け入れることだけはできなかった。
ほかの処刑とは違うのだと、この状況でも主張することはできないか。
ルカは考えを巡らせ、少し前に読んだ書物を思い出す。
牢獄の本棚には貴族時代には読む機会がなかった本がたくさんあった。
その中には医学書もあり、処刑された囚人の死体を解剖した記録が書かれていた。
死刑囚の部屋に置かれるべきではない本だが、その中に印象に残る文があった。
首を切られてからも、瞬きをし続けた生首がいたと。
おもしろそうじゃない。
最後くらい、思うようにしよう。
もう私は貴族の娘でもないし、妾の子でもない。
処刑台の上に上がった、ただの死刑囚だ。
知らず、口角が上がっていたのだろう。
最前列にいる市民が信じられない物を見るような目をしている。
よく見ておけ。
呪いにも似たおぞましいものを見せてやる。
横たえた首に、ギロチンの歯が落とされた。
処刑人が落とされたルカの首を広い、高々と民衆へ見せつけた。
ひときわ大きい歓声が上がり、広場に集まった市民は少しでも近くで見ようと詰めかけ、そして徐々にざわつき始めた。
切り落とされた生首が瞬きをしていたからだ。
瞼の痙攣などではなく、はっきりと閉じて開いている。
その異様さに最前列の市民は叫び声を上げ、逃げだそうとする者、近くに来て確かめようと詰め寄る者。
人の流れが渦となり、広場は阿鼻叫喚となった。
灼熱の地獄の中で、ルカは瞬きをし続けた。
人が許容する事のできない苦痛の中で、喉もなくなった自分が妹に吐ける言葉は無い。
一生、忘れられない光景を脳裏に焼き付けてやる。
ギロチンの歯が落とされる寸前の思考で残り十数秒の命を燃やし尽くしていた。
もう脳はまともに動いていない。自分という存在がどうなっているのかすら認知してはいない。
なのに。
目が何かをとらえた。
観客の中に黒衣の男。
死がすでに真後ろまで迫っている中、機能していないはずの頭に声が響いた。
「生首になってまで自分の意思を全うするとは・・・・・・なんという執念だ」
遠くにいるはずの彼の声が、まるで耳元にささやかれているように聞こえる。
脳味噌が見せた幻聴かもしれない。
だが、声は続く。
「処刑される最悪の人生を変えることができるとしたら、どうする」
男の問いかけに、私は口を開いた。
だが、それだけだ。
のどがないので声がでない。
とどかない。私の声が。
人生を変え、この結末を妹に返してやるという怒りの声が。
だが、黒衣の男は小さくうなずいた。
「あなたの言葉、受け取りました」
その言葉を聞いて、ルカの視界は真っ暗な闇に包まれ、瞼は二度と持ち上がることはなかった。
「・・・・・・さま」
懐かしい声がする。
「・・・・・・嬢さま」
嫌いなメイドの声。
「・・・・・・ルカお嬢様」
私をさげすむようなことばかりする、名ばかりの専属メイド。
「ルカお嬢様!」
大声に驚いて跳ね起きる。
目をあければ、そこは見慣れた部屋の風景だった。
正確に言えば、私の人生が大きく変わる前に住んでいた部屋。
死後に見る夢なのだろうかと、おそるおそる首を触るもちゃんとつながっていた。
状況を受け入れられずぼんやりとしていたが、しびれを切らしたメイドにせかされる。
「お嬢様、朝食の時間が迫っています。早く支度をさせていただけませんか」
自分が仕える者に対する言葉使いとは思えないが、彼女はためらい無く発していた。
乱暴に髪を整えられ、家用のドレスに着替えさせられる。
未だ混乱する中、連れてこられたのは朝食を取るダイニングルームだった。
私の到着を待たず、家族は食事を始めていた。
傲慢な父と、私の存在を認めない母と、そして・・・・・・
「あら、お姉さま。ようやくお目覚めですか?」
声をかけてきたのは妹のマリー。この家の主役だ。
夢見心地の私はそれにうまく反応できず、ぼんやりと自分の食卓につく。
すぐに食事が運ばれてくるものの、彼らとは違って冷めた料理ばかり。
恐る恐るナイフとフォークを手に取り、野菜を口に運ぶ。
下に広がる味は本物だったし、喉を通る感覚も現実のものだ。
一口食べて、それきり食は進まなかった。
だが、その様子を心配する者は誰もいない。家族も、使用人でさえも。
誰にも話しかけられず、空気のような存在だった地獄の食事が終わるころ、父親が話し出す。
「明日は儀式の日だ。マリー、しっかり体調を整えて起きなさい」
聞いたことのある言葉に体が固まる。
隣に座る妹が喜びの声を上げた。
「ついにですね。私も正式なアミュール家の一員になれるのかと思うと、胸が高鳴ります」
天使のような顔で話す妹をほほえましく見つめる両親。
そして、思い出したように父親はルカに声をかける。
「・・・・・・ああ、明日はおまえも家のものとして出席しなさい。晴れやかな妹に祝福の言葉は多い方がいい」
まるで舞台装置のような言いぐさだ。
黙りこくり、震えるルカを、マリーが心配そうに見つめた。
誰の目から見ても、姉を思いやる心優しい妹の顔。
昔のルカだったら、唯一人間らしく接してくれる妹に感謝をしただろう。
だが、今はそうは見えない。
彼女の目の奥に、同情と哀れみと侮蔑が見えるからだ。
ルカは何も言わず席をたち、廊下へ飛び出した。
急いで自分の部屋に戻り、昔つけていた日記を引っ張り出す。
その日付は、あの日の前日だった。
そう、ルカの人生が大きく変わった「あの日」の前日だ。
口をつけた料理の感触、家族の会話。悪夢でも走馬燈でもなく、ルカは過去に戻ったのだ。