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環楽園の殺人  作者: 凛野冥
終章:救済
39/40

8/2、8/3「至高神を知ったソフィア」

  8/2


 この部屋にはいくつかの時計があったが、ほとんどは止まっていて、動いているのはひとつのみだった。そのひとつも指している時刻はまったく見当違いだったけれど、しかし舞游が出ていった午前七時に示していた時刻を基にすれば現在のそれを知れた。

 部屋の扉がいきなり開けられたのは、舞游が出ていってから五時間が経過した正午ぴったりのことだった。中に這入ってきたのは有寨さんと霧余さんと杏味ちゃんの三人だった。

「觜也くん、腹が減っただろう? 簡単な食事を持ってきたんだ。食欲がないとしても、食べておいた方が良い」

 有寨さんは僕から見て右の隅に置かれた古びた箪笥に凭れ、杏味ちゃんは僕の真正面で立ち止まり、霧余さんは僕から見て左にある出入り口の真横の壁に凭れた。

 杏味ちゃんは片手に盆を乗せており、その上にはバターを塗っただけのトーストとコーンスープと水で満たされたコップとハンカチがある。彼女は空いている方の手でトーストを持つと、それを僕の口元に無造作に押しつけてきた。仕方なく齧る僕を見て、彼女はその人形めいた相貌で嘲笑した。

「無様ですね。聞きましたわよ、貴方が環楽園を破壊しようとしたこと」

 彼女が僕に返事を求めていないのは依然としてトーストを押しつけてくるところから分かったので、僕は黙って食事を続けた。

「私は勇敢と思うわ。神の理に抗うなんて、普通ならできることじゃないもの」

 出入り口の横で煙草を吸っている霧余さんがそんなフォローを入れてくれたけれど、杏味ちゃんの僕を蔑んで見る目はなにも変わらなかった。

「ええ、たしかに普通ならできることじゃありませんわ。そんなことをするのは(わきま)えというものを解さない、余程の愚か者だけです」

 トーストが半分程度なくなると、杏味ちゃんはそれをスプーンに持ち替え、コーンスープを掬って僕の口に運んだ。だが綺麗に飲むのは難しく、口の周りにかかってしまったスープもまだ熱かったために、僕は表情を歪めた。それを見た杏味ちゃんはさらに口元を嫌味なふうに綻ばせた。薄々勘づいてはいたけれど、彼女には加虐趣味の気があるらしい。

「でも結鷺くん、残念だったわね。もう分かってるでしょうけれど、貴方のそんな行動も私達は初めから予定していたのよ」

 そのとおり、もう僕には分かっている。いまこの部屋にいるのはおそらく〈六日目〉の有寨さんと〈六日目〉の霧余さんと〈七日目〉の杏味ちゃんだろう。この北館の別の場所にいる〈二日目〉の有寨さんと〈二日目〉の霧余さんと〈三日目〉の杏味ちゃんも、僕がこうしていることは知っているに違いない。だからこそ〈六日目〉の霧余さんがいま『初めから予定していた』と云ったのだ。

 僕は杏味ちゃんにコーンスープを飲まされながら、有寨さんを見た。彼は自分が〈八日目〉に結鷺觜也によって殺されることを知っている。僕が殺した有寨さんもまた、彼の〈六日目〉に此処でこれとまったく同じことをしていたし、〈二日目〉から既にそれを知っていた。

 まったく、とんだ道化だな、僕は……。

 トーストとコーンスープが片付いた後、杏味ちゃんはやはり雑に僕の口元をハンカチで拭い、一歩後退した。僕はいちおう「ありがとう」と告げたが、彼女は会釈すらしなかった。

「霧余と杏味は席を外してくれ。觜也くんと二人で話したい」

 ずっと口を閉ざしていた有寨さんがそう云うと、霧余さんと杏味ちゃんは指示に従って部屋を出ていった。

 残った有寨さんはしかし、話したいと云って二人を退出させたのに一向に口を開こうとしなかった。僕の方からなにかを云うのを待っているのだ。僕はおそらく彼が聞きたいであろう台詞を予想して、それを述べた。

「……あの二人は、至高神が舞游だとは知らないんですね」

「そうだ」

 有寨さんは満足そうに頷いた。

「それを知っているのは有寨さん、貴方だけだった。舞游がプロパトールで、貴方はヌースなんだ」

「うん、君も随分と洒落た云い回しができるようになったじゃないか」

 プレーローマを形成するアイオーンのうち、至高神である〈原父〉――プロパトールを認識できるのは〈叡智〉――ヌースだけだ。ならば僕はさしずめソフィアといったところか。下位のアイオーンでありながら至高神を知ろうとし、その罪によってプレーローマから転落しかけるものの〈慈悲〉、〈啓示〉によって救われる〈智慧(ちえ)〉――〈真理を明らかにしようとする働き〉のアイオーン……。

 まさに〈ソフィア神話〉そのものだ。神を認識するのは不可能なために、神自らが示さなければならない――〈啓示〉を与えなければならない。

 舞游の行動のすべては僕に対する〈啓示〉だった。〈環楽園の殺人〉で徐々に事件の不可能性を高めていき、僕を此処が殺人リレーによってつくられた〈ウロボロスの蛇〉的構造の〈メビウスの帯〉をセンターラインで切断することによって創出されたプレーローマであるという考えに至らせ、受け入れるのを与儀なくさせたのもそのためだ。事件が必要以上にミステリ小説的趣向を凝らされたものであったのも、僕は霧余さんの仕業とばかり思っていたのだけれど、実は彼女がそうさせたに違いない。ミステリ小説を愛好しているのは舞游だって同じだ。

 アイオーンとは至高神から流出した神的存在である。考えてみれば、有寨さん、霧余さん、杏味ちゃんからはそれぞれ舞游に通じる性質を見つけられる。ミステリ小説マニアの霧余さんが舞游と意気投合していたのは明らかだったし、前に杏味ちゃんが有寨さんにしていた年齢不相応にいやらしい口づけは今朝に舞游が僕にしたそれと同種だったし、有寨さんの衒学的なところもまた舞游と共通している。僕は有寨さんの方が舞游よりも上手だとばかり思っていたが……。

「有寨さん、貴方の方こそ、舞游の傀儡なんですね」

「……そこまで分かっているのなら、俺に云えることはないね。舞游がいない間にと思ってこっそり来てみたが、どうやら余計なお世話だったらしい。觜也くん、君はさすが舞游に選ばれただけあるよ」

 有寨さんは頷くと、部屋の出入り口に向かって歩き始めた。

「舞游は至高神であり、『ヘルメス全書』が云うところの『見られることを望む御方』だ。そして君は真に彼女を見ている。真に彼女を知っている。……それが分かれば俺は充分だ。愛を知らずに孤独に育った舞游が、いまこんなにも誰かを愛していて、しかもその誰かは舞游を真に理解してくれているというのだからね」

 最後にそう述べて、彼は部屋を出ていった。


  8/3


 環楽園の至高神は舞游だ。此処は馘杜舞游の圏域なのだ。

 僕らは終始、彼女の掌の上にいた。最初から最後まで、例外は一瞬たりともない。

 僕らの存在そのものが舞游に還元されるのだから……。

 それをいま、僕は認識している。彼女による〈啓示〉が僕をここまで導いた。

 ならば、あと考えなければならないことはひとつだけだった。

 僕の答えである。

 僕は今一度、この環楽園に来てからのそれに止まらず、舞游と出逢った日からのすべてを回想した。舞游と共に過ごした時間、話したこと、したこと、考えたこと、見たもの、聞いたもの、感じたもの……それら一切合切を、鮮明に呼び起こした。

 すべてはある答え、ある感情に収斂(しゅうれん)していった……。

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