8/1「最後の朝に醒めた」
修学旅行の三日目、僕と舞游はホテルを抜け出して長崎の街で非行まがいの夜を過ごした。僕とクラスが別だったためにそれまで陰鬱な二日間を過ごしていた彼女だったけれど、その反動もあってか、このときのはしゃぎようには普段とは比較にならないものがあった。
時間なんて一切気にせず夢中で遊び回っていた僕らだったが、しかし当然終わりはやって来る……東の空が徐々に明るくなってきたのを見た舞游はその刹那、見る者の身が凍るような、恐ろしいほどに美しく、切ない表情を浮かべた。
「こんな時間が永遠に続けば良いのにね」
彼女はそう云って、物憂げな笑顔を僕に向けたのだった。
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後頭部に疼痛を覚えつつ、目を開けた。
視界を少し上げると、すぐ真正面の舞游と目が合った。
「おはよう、觜也」
「舞游……」
彼女は僕と向かい合うかたちで僕の膝の上に座り、その腕を僕の首に絡めている。僕は身じろぎしようとして、すぐに異変に気が付いた。
僕は縄で椅子に拘束されていた。膝より下を椅子の脚に固定され、胴を背凭れに固定され、両腕は背凭れの後ろに回された状態で肘より先を縛ってまとめられていた。両腕を束ねるように巻かれた縄は胴を背凭れに固定している縄と連結させられているらしく、自由はほとんど効かない。
「少し窮屈だとは思うけど許して?」
舞游は変に甘えた口調でそう云った。生暖かい吐息が僕の頬を撫でる。
「……どういうつもりだ、舞游」
訊きたいことは膨大にあったけれど、それらをその質問ひとつに集約した。
「どういうつもりって?」
とぼけたように首を傾げる舞游。その悪びれない態度から、僕はこれが誰かに命令されたのではなく、彼女の自由意志によってやっていることだと知る。舞游は自分が本当にしたいと思ったことでない限り、こう嬉々としてはやらない。それを僕はよく知っている。
「此処は……」
「環楽園だよ。もっと詳しく云えば、北館の一階の一番東側にある物置部屋」
物置の中とは、周りを見回せば容易に分かった。この屋敷の部屋にしてはやけに狭く、埃をかぶった家具や調度品や置物や絵画やその他の用途のよく分からない道具なんかが四方を埋めている。天井からぶら下がったランプが点灯しているのみでただでさえ薄暗いばかりか、オレンジ色の弱弱しい明かりを雑多に犇めく収蔵物が遮ることで生まれた無数の黒々とした陰によって、室内は息苦しいくらいに不気味な様相を呈していた。
「觜也が眠り始めてから日付は変わって、いまは朝の七時だよ。觜也にとっては〈八日目〉だね」
眠り始めた? ……そうだ、憶えている。僕は有寨さんを殺害し、その身体を縦に切断したところで、不意に後頭部を殴られて気絶させられたのだ。意識が途切れる寸前に目にしたのが舞游の実に生き生きとした笑顔……ちょうど彼女がいま僕の眼前で浮かべているのと同じ笑顔……だったのも憶えている。有寨さんの血にまみれていたはずの衣服はいま、新しいものに替えられていた。気を失っているうちに舞游がやったのだろう。
「僕を殴ったのは、お前だな」
「ごめんね、痛かったよね。だけど必要なことだったの」
必要なこと……。
「僕をこうして拘束するのに、か?」
「うん、主にはそうだね」
「どうして僕を拘束する必要が――」
僕の質問は強引に遮られた。唇を、彼女の唇によって塞がれて。
顔を背けようとしても、舞游が僕の頭を両腕でしっかりと抱きかかえているために叶わない。唇を割って彼女の舌が這入ってくる。それは僕の咥内を蹂躙するようにいやらしく蠢き、やがて長い接吻は終わった。
「それ以上は、訊いちゃ駄目」
熱でもあるかのようにとろんとした表情で、舞游はそう囁いた。
「觜也は自分で考えて真実に至らないといけないの。私がなんでもかんでも教えちゃったら、いままでのことが全部台無しだもん」
彼女は僕の膝から下りた。
「私は十二時間後の午後七時に戻ってくるね。時間はたっぷりあるから、觜也はそれまでに環楽園理論を完成させるの。觜也が認識してるのは、この環楽園の真実の姿じゃないんだよ。いい? すべての事象を余すところなく統合して。觜也が見たもの、聞いたもの、知ったことに感じたこと、なにもかもが環楽園に還元される。その中には多くの虚偽と誤謬も紛れてるけど、真実に繋がる手掛かりだけを選別するための条件を、觜也は既に満たしてるからさ」
僕に背中を向け、物置部屋から出て行こうとする舞游。
「ひとつだけ教えてくれ」
「ん?」
彼女はドアノブに手を掛けたままで首だけ振り向いた。
「お前は〈四日目〉の舞游か? それとも〈八日目〉の舞游か?」
すなわち、いままで僕の目に触れることのなかった彼女なのか、僕とずっと共にいた彼女なのか……。
「私は〈八日目〉。觜也とずっと一緒にいて、あんなに素敵なセックスもした私だよ」
彼女は答えて、出ていった。
椅子に拘束されたまま取り残された僕。この拘束から脱するのはまず無理そうだったし、その気力もあまり湧かなかった。
いまの僕は、ただただ虚しかった。全身がぐったりと怠いのは死体切断の疲れが残っているからだけではないだろうし、頭に疼痛があるのも後頭部を殴られたからだけではないだろう。
しかしいまの状況を、僕は取り乱したりもせず、やけに冷静に受け入れられているのは事実だった。それはたぶん、舞游の態度にひとつとして翳りがなかったからに違いない。あれを目にしてしまった僕には、これを否定する余地が残されていないのだ。
環楽園理論を完成させろ、と舞游はいつだかの有寨さんと同じ台詞を云っていた。いや、あの姿から僕が理屈でなく思い知らされたのは、それが最初から有寨さんではなくて彼女の言葉だったのだということだ。
すべての事象を余すところなく統合する……。なにもかもが環楽園に還元される……。僕は既に条件を満たしている……。僕は自分で真実に至らないといけない……。
あと十二時間……時間はたっぷりある……。
痛む頭で、僕はぼんやりと思考を始めた。




