7/3「果てに見出された活路」
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僕は自分の思い付きに震え上がった。僕も既に気が狂っているというのは、どうやら事実らしかった。そうでなければ、こんな閃きが訪れるのは有り得ない。
しかしその閃きは、狂気の産物とはいえ、まさしく妙案であった。有寨さん達の打ってくる手を予想できなくても、そしてそれがどんなものであったとしても、確実に無効化してしまえる策であった。
恐ろしい策だ。しかも実行するのが僕ともなれば、普通だったら断固として拒否するそれだ。
けれどいま、舞游を守るために僕ができることとして、それは考えれば考えるほどに最善と知れた。もうそれ以外には考えられないと云ってしまっても良かった。
彼女のためならば、僕はどんな所業だって耐えられる。どんな罪を背負ったって構わない。なにを犠牲にしてでも、彼女を守れさえするのなら……。
「舞游」
僕が名前を呼ぶと、アームチェアの上の彼女はこちらを向いた。
「お前をこの煉獄から解放する策を思い付いた」
「……本当?」
まだ半信半疑なのか、あるいは僕の表情にただならぬ覚悟の気配を感じ取ったのか、彼女は不安そうな表情を浮かべる。これを話せば、彼女はさらに困ってしまうかも知れない。だが、僕は既に決意を終えていた。
「お前の代わりに、僕が有寨さんを殺せばいいんだ」
舞游の目が見開かれる。
「そっ、それは――」
「聞いてくれ」
僕の真剣さに気圧されたように、彼女は口を噤んだ。
「この環楽園を成り立たせているのは殺人リレーだ。〈八の環〉のセンターラインの切断によって、それが無限に生み出され、環楽園は永遠の空間なり得ている。ならその殺人リレーをこちらから乱してしまえばいい。でも有寨さん達はあのとおりの天才で、僕の浅知恵なんて容易に潰してくるだろう。まだ彼らの手は読めないし、たぶん僕では読むことなんてできないんだと思う。だから僕が有寨さんを殺すというのが、僕の取れる最善策となる。なぜなら、僕が有寨さんを殺せば、少なくとも舞游が環楽園から解放されることはその時点で決定されるからだ。
舞游の代わりに僕が有寨さんを殺すとどうなるのか、それは〈八の環〉を構成する一部が舞游から僕に変更されるということだろ? となると環楽園を存続させるためには、有寨さん達は次に僕を殺さなければならなくなる。舞游を殺してしまったら、有寨さんを殺したのが僕であるためにリレーなり得ず、〈八の環〉……環楽園は崩壊するからだ。彼らに取れる手段は、僕のセンターラインの切断以外に有り得なくなるんだよ」
舞游の表情はまだ納得しているふうではない。
「いや、舞游、心配しないでいいよ。僕は殺されるつもりは毛頭ない。当たり前だろ。殺されてなんて堪るものか。僕は有寨さんを殺してセンターラインを切断した後に、自分の身を守ることに専念する。そうだ、僕が有寨さんを殺すことによって、殺される危険が舞游から僕にそっくり移行するんだ。
僕らがやるべきことというのは要するに、これ以上の殺人が行われるのを防いで、環楽園から現実世界の正常な時間に戻ることだろ? だけどいくら舞游を守ろうとしても、有寨さん達がお前に有寨さんを殺させるために想像もつかない策を持っているのは確かだから、現実的じゃない。そこで先手を打って僕が有寨さんを殺してしまうことによって、その策を無効化するんだよ。あとは僕が殺されなければ僕らの勝利となる。無論、舞游を人質に取られて脅迫されるような展開もあり得るから、僕がお前を守り続けるのは変わらないけど、それでもずっと勝率を高められる。
さらに、さらにだ。さっきも云ったとおり、僕が有寨さんを殺した時点で、きっと舞游だけは環楽園から解放されるんじゃないかと思うんだ。僕は舞游の代わりに〈八の環〉に加わるけれど、逆はない。いまの状態というのは、観測者たる僕が環の内側に閉じ込められているというものだろ? 環とその内側が環楽園で、外が現実世界だ。僕が有寨さんを殺すというのは、僕が舞游を環から弾き出すということに他ならない。内側に閉じ込められていた僕が環の上へ、環の上にいた舞游が外へ、という動きだよ。観測者はあくまで便宜上迎え入れられた存在で、環楽園を構成するのに必要不可欠なわけじゃない。
だから、もしも僕が下手を打って殺されてしまっても、舞游だけは脱出できる。……そう心配そうな顔をするなよ。僕は殺された瞬間にまた生まれる。記憶は失うけれど、舞游が欠けて変容した環楽園なら、破壊するチャンスはきっとやって来る。そのときに今度こそ環楽園を完全に破壊すればいい。そうなれば環楽園での時間はいくら引き延ばされようが現実世界では四日間なんだから、現実世界においては舞游と同時刻に環楽園から脱出することになるだろ? 舞游はなにも心配しなくていい。どの場合を考えても、お前を真っ先に解放することこそが僕にとって重要なんだ。
環楽園は永遠なんかじゃない。同じ〈八日間〉とはいっても、それは本当にわずかずつわずかずつ、変化しているんだ。だからこそ僕はこうして、活路を見出すことができた。ほら、たとえば屋敷の裏の死体を考えてみろよ。あれは無数の繰り返しの末にあの数にまで膨れ上がったんだ。その数はすべての〈八日間〉で異なっている。霧余さんが云ってた。〈追加〉されたものだけは唯一リセットされることはないって。僕達はこの環楽園で何度も何度も〈八日間〉を過ごしながら、少しずつ少しずつ此処から抜け出すための〈蓄積〉を続けてきたはずだ。それがいま、やっとこうして実を結び、環楽園に終止符を打とうとしている。
大丈夫。僕らは此処から出られる。しかも全員生きた状態でだ。僕はこれから有寨さんを殺すけど、それは二人いるうちの片方でしかない。僕らの策が成功を収めるのならもう有寨さんは発生しないかも知れないけど、ひとりは必ず生き残る。二人に分岐したままの人が現実世界に戻るときにどうなるのかとか、そういう細かい点は僕じゃ分からないけどさ、皆が生きてるならそれで良いと思うんだ」
舞游の表情を見れば、云いたいことが山ほどあるのだとは分かった。きっとまだ、完全に納得したのでもないだろう。いや、本当は反対したいに違いない。
けれど、彼女はそれらの言葉すべてを飲み込んで、ただひと言、
「ありがとう、觜也」
と、目に涙を浮かべて云った。その言葉に、彼女の想いのすべてが詰まっていた。
彼女がそう云ってくれるのなら、僕にとってそれ以上はない。もう言葉を尽くして語る必要だってない。僕は力強く「ああ」と頷いて返した。
「……もう、お兄ちゃんを殺しに行くの?」
「先手を打つ必要があるからね。早速動くべきだ」
「そっか……。でもちょっとだけ、待ってくれる……?」
舞游はアームチェアから立つと、ソファーに座る僕のもとまでやって来て、僕のシャツの袖を摘まんだ。
「来て」
僕は彼女に連れられてリビングを出て、ベッドルームに這入った。彼女はベッドの上に腰掛けると、上目遣いでその涙ぐんだ目を僕に向けた。奔放なようでいて誰よりも繊細で傷付きやすく、優しすぎるがゆえになんでもひとりで抱え込んでしまい、そのせいで苦悩も絶えず、いまにも崩れ落ちてしまいそうなほどに儚い……しかしそれでも必死に抗い、強くあろうとしている……そんな彼女のことが、僕は愛おしくて仕方がない。
僕は彼女の頬に手を添えて、そっと口づけした。
……僕と彼女の関係が友達なのか恋人なのか。そんな疑問は無粋なだけだ。わざわざ言葉で云い表す必要なんてないじゃないか。僕らはこうなのだ。これに関しては確かに、一義的に決定できない事柄だった。だからこそ、僕らは言葉にできないそれを相手に伝えようとして、いつだって葛藤している。
唇を少し離し、その抱えきれないほどの愛情を籠めて互いの名前を呼び合ってから、僕らはベッドの上で交わり、ひとつに結ばれた。




