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環楽園の殺人  作者: 凛野冥
第一章:環楽園の殺人
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3/12「悲劇の連鎖は終わったのか」

  3/12


「第一の事件でお兄ちゃんに密室をつくることはできない。なら杏味ちゃんを殺した犯人はやっぱり霧余さんだったんだよ。觜也が考えたあの蛇を使ったトリックが正しかったんだ。密室をつくった目的は私達以外の人間が潜んでると思わせるためもあったけど、もうひとつ、霧余さんがミステリ・マニアだったからってのもあると思う。そうでもない限り、普通の殺人犯は密室をつくろうなんて酔狂な考えは起こさないもん。

 だけどお兄ちゃんは、それをすぐに看破した。自分を誘惑した杏味ちゃんを霧余さんが殺したのだと、瞬時に見破った。

 そしてお兄ちゃんは霧余さんを殺したんだ。その命を以て罪の償いをさせるために、正当な罰を与えるために、手ずからそれを下したんだ」

 僕は思わず膝を打ちそうになった。そうだ、杏味ちゃん殺しと霧余さん殺しの犯人が同一であるとは限らないのだ。霧余さんが第二の被害者だったところで、彼女が第一の事件の容疑者であるという事実は揺るがないのだ。

「お兄ちゃんが霧余さんを殺した理由はもうひとつある。こっちの方が重要だよ。

 きっとお兄ちゃんは霧余さんを殺すことで、彼女の犯罪を隠蔽しようとしたんだ。……お兄ちゃんは霧余さんを本当に愛してたんだと思うよ。だから霧余さんの名誉を守るために、彼女を殺した。

 分かる? 霧余さんが第二の被害者になれば、第一の殺人が彼女のやったことだとは疑い難くなるんだよ。

 第一の殺人と第二の殺人に多くの共通点が見られたのも、まさにそのためだったんだ。手口や特徴を統一することで、これが同一犯による連続殺人だという印象を強められるでしょ? それで死体を縦に二等分するなんていう手間のかかる作業も揃えられた。

 たぶん、グノーシス主義や〈永遠〉を象徴するものを現場に残すって行動は、霧余さんがしたものじゃなかったんだと思う。『ナグ・ハマディ写本』中の文章にマスターキーで傷を付けることによって傍線を引くのは、杏味ちゃんの死体が発見された後からでもお兄ちゃんならやる隙があったでしょ? 霧余さんからしたらこれは心当たりがなかったわけだけど、元からなにかの理由であった傷をお兄ちゃんが見当違いに深読みしてるとしか映らないから、ここからお兄ちゃんがしようとしていることを悟れるはずもない。

 暗証番号も、お兄ちゃんは杏味ちゃんが設定していた番号を知ってたか、推理して当てられていたんだ。だからお兄ちゃんは後からこっそりこれを変更して、その際に中の携帯電話を破壊しておけば良かった。霧余さんは連続殺人を起こそうとは考えてなかった以上、クローズド・サークルにも拘ってたわけじゃない。だから彼女がしたのは杏味ちゃんの殺害と密室の創出だけで、他はお兄ちゃんの後づけだった。

 あるいは、お兄ちゃんは霧余さんの犯罪を隠蔽する目的で捜査を攪乱(かくらん)するためにこういった方策を打つことを、霧余さんに話していたのかも知れないね。後に霧余さんを殺害するつもりという一点だけを隠して。

 お兄ちゃんは予定どおりに霧余さんを殺し、觜也の推理した認識……グノーシスのトリックを実行した。現場には第一の殺人との共通点として『われわれはどこから来たのか』と〈ウロボロスの蛇〉を添えた。『われわれはどこから来たのか』は当然この事件とは関係なく元からあそこにあったもので、偶然誂え向きだったのを利用しただけだよ。お兄ちゃん自身もあれについて理屈と膏薬はどこへでもつくなんて云ってたでしょ? 〈ウロボロスの蛇〉については、永遠の象徴として用があった以外に、霧余さん同様ウロちゃんにも罰を下すという意味もあったに違いない。あの蛇は密室をつくるのに重要な役割を担った、霧余さんの立派な共犯者だったから。

 ……以上が大枠だけど、細かいところもこれで説明がつけられるよ。お兄ちゃんはウロちゃんがずっと部屋にいたと云ってたけど、あれは霧余さんを庇うための嘘だし、他にも同じ目的の方便が巧妙にまかれていた。あの〈引きずり回し〉も霧余さんへの罰という動機を併せて考えれば、江戸時代の引回しを連想できるとか、色々とね」

 舞游はそこまで話すと、口を(つぐ)んだ。僕はもう一度いまの話を脳内で繰り返して充分に理解してから「きっとそのとおりだよ、舞游」と頷きながら云った。

「でも、これは僕の推理したグノーシスのアリバイトリックだって同じだから僕の云えたことじゃないとも思うけど……、にわかには受け入れ難い話なのは事実だね。自分の恋人に殺人者の汚名を着せないために、罰を下すという意図も籠めて手ずから殺すなんて……」

「うん……。だけど、お兄ちゃんらしい行動だとも思うんだ。お兄ちゃんは愛する人が犯罪者になれば、そういう行動に出る人だって思う……。それに、深い愛が理由でない限り、あんなことはできないんじゃないかな。真に相手を想ってるからこそ、その身体を真っ二つにしたり、それを引きずり回したり、そういう普通だったら耐えられない苦行も遂行できた……」

 理屈では分かる。有寨さんの行動は倫理観が欠落しているだけで、論理性は備わっている。だが愛のためにそこまで冷酷に徹することが、果たして人間にできるのだろうか。常軌を逸している……常人には理解も納得もできない……。

 だが、それは霧余さんに関しても同じだった。彼女もまた、自分の恋人を誘惑したというだけの理由から杏味ちゃんを殺害したのだ。罰を下し、命で以て償わせたのだ。身も凍るような嫉妬心と、有寨さんへの愛……。

 有寨さんと霧余さんという、一般の常識では測れない二人の、純粋すぎて莫大すぎた愛が招いた、歪な悲劇……。

「……有寨さんはこの後、どうするつもりだと思う?」

「分からない。だけど殺人が起こることはもうないんじゃないかな。連鎖はもう終了したんだもん。いくらなんでも霧余さんの犯罪を隠蔽するために私達まで手に掛けるのは、筋が通らないよ。私と觜也に危害が及ぶことはない……」

 しばらく間をおいた後に、僕はまた質問をした。事此処に至れば、これこそが最も大事なそれだった。

「僕達はこれから、どうするべきだと思う?」

 舞游はこれには俯いてしまい、いつまで経っても答えられなかった。

 彼女は自分の兄が殺人犯だという真相に至ってしまったのだ。これからどうするべきかという避けられない難題に対して、昨晩霧余さんが犯人だと分かったときとも比較にならない激しい葛藤があるはずだ。有寨さんと違って、彼女はそれを苦悩しないような冷静で理性的なだけの人間にはなれない。彼女はいつだって人一倍悩んで、人一倍苦しんで、人一倍それを抱え込んでしまう。

 答えなんて、そう容易に出せるわけがない。僕でさえ、それは同様なのだ。

「……隣に来て、觜也」

 やがて、舞游は俯いたまま、ぽつりと云った。僕はそのとおりに、彼女の左隣に移る。

 彼女は身体をひねって、僕に抱きついた。それを受けた僕もまた身体をひねって彼女に正面が向くようにし、両腕を彼女の背中に回す。彼女の身体は少し震えていた。

「……もっと強くしてほしい」

 僕の肩に顔を埋めた舞游が、らしくもない遠慮がちな声音で云う。僕は彼女を抱く腕に力を籠めた。互いの心拍音が分かりそうなくらい、僕らは密着していた。

 こんなことを考えるのは場違いかも知れないけれど、僕は嬉しかった。舞游はいままでのようにひとりで抱え込むことをせず、こうして僕に甘えてくれたのだ。僕が昨日話した言葉が、彼女にちゃんと届いていたのだ。

「……今日はこのまま、ベッドで一緒に寝たい。隣で寝てくれるだけでいいの。それだけで私、安心できるから……」

 僕は「分かった」と舞游の耳元で囁いて、啜り泣きを始めた彼女の背中を優しくさする。

 答えはまだ保留にしておいていいだろう。少なくとも、今晩のところは。

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